29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

二作目以降の変化を知らない耳で聴けばただのパンク

2015-04-29 23:36:44 | 音盤ノート
Wire "Pink Flag" EMI/Harvest, 1977.

  パンクロック。前回前々回と紹介してきたワイヤーのデビュー作。何の変哲もないパンクサウンドで、それなりのオリジナリティは感じられるものの、どのパンクバンドにもあるようなレベルのオリジナリティで特別なものではない。二作目以降あらわになる実験精神のかけらも見えず、この路線を続けていたらバンドは後世忘れ去られていただろう。'Fragile''Mannequin'といった、軟弱なコーラスが被さるパワーポップ的な楽曲だけは例外的に楽しめる。

  このアルバム収録の'Strange'と'12XU'はそれぞれREMやMinor Threatといった米国のオルタナ系バンドによって、1980年代の段階でカバーされている。英国で大して売れたわけでもないのに、なぜか米国で高く評価されており奇異に感じられるところだ。どうもEMI系レーベルのHarvest(Pink Floydらを抱えていたプログレ系レーベル)の配給力のおかげのようで、ワイヤーは輸入盤店の無いような米国の地方都市でもリアルタイムで聴くことのできたパンクバンドだったということらしい。Virgin所属のSex Pistolsは当時から米国盤が発行されていたようだが、Clashの紹介は少し遅れたようだし、Damnedなんかは米国盤が発行されていたのか不明だ。米国の流通事情はよくわからないな。

  本作もまたCDによって収録曲が変化するアルバムで、オリジナルは21曲収録、1995年発行の日本盤は38曲収録である(大半はデモである)。個人的にはボートラとしてシングル'Dot Dash''Options R'の二曲が付いていれば十分だと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明治維新は武士の支配を理論的に正当化する試みがもたらした逆説的な結果

2015-04-27 09:19:26 | 読書ノート
渡辺浩『日本政治思想史:十七~十九世紀』東京大学出版会, 2010.

  江戸時代から明治時代初頭までの期間に現れた諸々の政治思想を解説した書籍。「わかりやすい」とすでに高く評価されている本書ではあるが、和製漢文や候文などの文語文が訳文無しで頻繁に引用されており、高校までに習う古文をしっかりマスターしていないと読み進めるのにストレスを感じるはず。この点で一般向けというにはやや辛い。わかりやすい理由は、当時の課題に対する思想的取組を「当時の論理」を使って解説しているからだろう。あまり西洋由来の概念を用いず、儒教由来の概念を使って現代人にもわかるように議論を再構成しており、古臭いと思われている儒教に普遍性のある政治コンセプトが含まれていることを理解させてくれる。

  その歴史を強引に要約すると以下。江戸幕府が成立してから、徳川家が民を支配することを理論的に正当化する理論として、中国から儒教および先端思想である朱子学が注目された。それぞれ身分差からくる対立を和らげる統治理論として意義のあるものである。だが、徐々にその影響が浸透したとはいえ、江戸時代前半を通じて儒学者が政権をふるうことは稀なこと(例外なのが新井白石)であった。18世紀になると統治の正統性は、儒教が統治者に採用されていないのになぜ日本の統治は上手くいっているのか、という問題に変化し、本居宣長による国学が中国的な「理」(論理あるいは一種の普遍主義)よりも日本的な「情」を優位に置くことによってその疑問に答えた。日本の遅れが認識された幕末になると「理」の優位に反転する。

  江戸時代後半になると商業が発展する。また、統治者に対する農民の対応は巧みになり、なかなか年貢を上げられない。それで割を食ったのは下級武士で、インフレなのに収入が上がらず困窮していった。儒教および国学においては天皇が正統な統治者で、徳川家の支配の不合理性が時代を通じて徐々に認識される(江戸幕府内部においても‼!)ようになった。ペリー来航でその支配を唯一支えていた武力の綻びがあらわとなり、結果王政復古となった。下級武士が、尊王攘夷というスローガン以上に倒幕という目的に共感したためである。彼らは、儒教を通じて科挙という家格とは無関係な能力主義的な人材登用の存在を知っており、体制が支える身分制度の窮屈さを感じていたという。

  以上。この他、安藤昌益のようなマイナー思想家や、維新後の福沢諭吉や中江兆民などにも章が割かれている。後者二人による西洋の近代政治制度の解釈も、儒教の論理を通じて理解された、ということだ。とはいえメインとなる「武士の支配の正統性を追求したら自身のアイデンティティの危機に陥ってしまった」という展開のほうが興味を引く。外的環境の変化もあるとはいえ、筋の通った論理(儒教の「理」)の影響力をまざまざと分からせてくれる。ちなみに、かつて丸山真男がそのマキャベリズムに近代の萌芽を幻視してしまった荻生徂徠についてだが、反近代的な、反進歩・反発展・反成長を支持する思想家として本書では一蹴されている。

  評判通りの良書で、この主題における基本文献として本棚に置いておきたくなる本だ。読みながら思想家が活き活きと議論を展開してくるようで、僕としてはみなもと太郎の漫画『風雲児たち』を思い出した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポストパンク道程事始め、まずはサイケデリックロックに立ち返る

2015-04-24 20:46:26 | 音盤ノート
Wire "Chairs Missing" EMI/Harvest, 1978.

  ポストパンクバンド、ワイヤーの二作目。1stのパンクから3rdのゴス~ニューウェーヴへとスタイルが変化するのだが、その途上にある本作の音を簡単に表現すると、ガレージ~サイケデリックロックである。よく指摘されることだが、シド・バレット在籍時の初期ピンク・フロイドに似ている(ただし本作だけ。1stと3rdは似ていない)。一本調子というレベルを通り越して芸の無いパンクサウンドを聴かせた1stと比べると驚愕の大変化で、テンポを落とした暗めの楽曲を、よく練られたアレンジでかつ多彩な音色で演奏している。

  本作も再発のたびに収録曲が変わるやっかいなアルバムなのだが、"154"とは異なりボーナストラック付きのCDを入手したほうがよい。オリジナルアルバム収録の15曲から外れた3曲'Outdoor Miner (Long Version)''A Question of Degree''Former Airline'がなかなか捨てがたい出来だからである。特にワンコードの単調な曲展開に磁気テープで作ったノイズを被せてカオスに導く'Former Airline'が素晴らしく格好いい。オリジナル収録曲では、後半の盛り上がりが爽快な'Mercy’とシングルになった'I Am The Fly’がよろしい。後者はもしカラオケにあったらみんなで合唱したくなること請け合い。"I am the fly~♪, I am the fly~♪, in the ointment~♪"と。"fly in the ointment"というイディオムも覚えられて勉強になるぞ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

搾取される男性と優遇される女性をこれでもかと例示する

2015-04-22 09:43:32 | 読書ノート
ワレン・ファレル『男性権力の神話:《男性差別》の可視化と撤廃のための学問』久米泰介訳, 作品社, 2014.

  男性差別撤廃運動の啓蒙書。「マスキュリズム(masculism)」と呼ぶらしい。原書は1993年発行で、この邦訳はそこから序論と4つの章を削った抄訳版である。率直に言って訳文はあまりこなれておらず、長い修飾詞が一つの単語にかかる直訳調の文が時折現れて、スムーズな読書を妨げるのが難点。

  著者はもともと女性解放運動をやっていた人だ。フェミニズムが浸透した米国で、男性が「使い捨てられる性」となっている事態を男性差別として糾弾する。前半では、兵士ほか危険な職業をするのは男ばかりで、また男性のほうが寿命が短い社会であるのに、「女性の生き難さ」のみがクローズアップされ、男性の境遇の改善に社会的な投資がなされていない、などと訴える。後半は、司法における女性に有利なバイアスについてである。離婚やレイプ事件等に関連して、嘘の証言で人生が滅茶苦茶になった男性や、女性犯罪者に対する過度に温情的な量刑がたくさん紹介されている。全体として、搾取される男性の姿が強調されている。

  男性読者として共感するところはあるが、フェミニズムの行き過ぎた部分を矯正するという趣旨であって、これを読んで勇気づけられるというものでもない。行政措置や司法における平等というのは必要なことであるというのには同意する。だが、ベースにある思想──性役割というのは社会的な構築物なのだから男もまた解放されるべし──にはちと戸惑わせるところがあるな。解放されれば幸福になれるのか?と問いたくなるところだ。まあ、そういう男性もいるかもしれない。

  あちらではもはや古典とのこと。邦訳されて日本でもそれなりの数の読者を持つと予想される。ただし、性別役割分業を支持する発想とは対極の、あくまで平等志向の議論であることには注意しよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パンク出身者がインテリ路線に転身した最初期の成功例

2015-04-20 12:49:29 | 音盤ノート
Wire "154" EMI/Harvest, 1979.

  ロック。ワイヤーはパンク~ニューウェーヴの英国のバンドで1977年にデビュー、このアルバムを最後にいったん解散した後、1980年代後半に再結成してしばらく活動した後にまた解散、というところまで僕の記憶にあった。2003年に再々結成していて現在も活動中というのを知ったのはごく最近。A.C.Marisを聴いて思い出した次第。

 「デビュー当初は勢いとアイデアだけ、キャリアを積むとスタジオ録音に凝る」というのは、演奏が下手な昔の英国出身ロックバンドによくあるパターン。ビートルズがその典型だ。ワイヤーも同様に、三枚目となるこの作品では小技の利いたシンセサイザーや各種エフェクトを駆使した実験的なスタジオ録音が聴ける。デビュー時のパンク路線は影も形もなく、ゴス風のダークな曲が大半、ポップな曲が少々という曲のアルバムの構成。かなり思索的な佇まいである。そのポップな曲二曲'15th'と、マイブラがカバーした'Map Ref. 41°N 93°W'は突出した完成度の高さ。ただし、アルバム全体の統一感は無く、「メンバー間の路線の違い」が露わな、いかにも解散直前という雰囲気もある。

  CDは何度か再発されているけれども、再発のたびにボーナストラックがころころ変わる。オリジナルは13曲、1987年の初CD化の際は17曲、1994年のEU盤は18曲、1995年の日本盤は24曲収録である。2006年のリマスタリング盤はオリジナルと同じ13曲に戻されている。ボートラはデモか小品なので、オリジナル収録曲で十分だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「顔が広い」男性は男性ホルモン値が高いとのこと

2015-04-17 08:34:10 | 読書ノート
マシュー・ハーテンステイン『卒アル写真で将来はわかる:予知の心理学』森嶋マリ訳, 文藝春秋

  容貌や見た目の印象についての一般向け心理学書籍。著者は米国の心理学研究者で、原書はThe tell: The little clues that reveal big truths about who we are (2013)である。人の見た目というのはすでに何度も繰り返されているテーマであり、新しいネタがあるかどうか、というのが興味のポイントとなる。さて本書はいかに?(なお、冒頭の三章分を削った抄訳であるとのこと)。

  内容のうち、ウェストヒップ比0.7の女性はモテる、大統領選では身長が高い方が有利、嘘つきを見破るには意識して動かせない表情の動きをみる、童顔の損得、という話は既知だった。排卵日が近づくと女性は男性の顔をみて彼が同性愛者か異性愛者かがわかる、卒アル写真で笑っているかどうかで相対的な寿命の長さがわかる、教員が熱血風に振る舞うだけで学生は授業評価に高い点を付ける、というのは初めて聞いたことではあるが、さもありなんという話である。唯一面白かったのは、男性の顔の幅の広さで攻撃的な性格かどうかわかるというもの。その幅が広いとテストステロン値が高いらしく、会社CEOならばリーダーシップを発揮してその会社の業績が上がる。ただし、暴力的に振る舞うことも多く、殺人で収監されることが細面の男性より多いらしい。細面男性は殺される側、会社の業績を悪くする側である。

  以上。記述はあっさりしており、事実説明中心であまり深みもないのだが、微妙なネタの数々を参考文献満載という手段で手堅く擁護しており、抜け目ない本である。その点では優等生的。だが、食傷気味のテーマの一群に本書を加えるのだから、もっと突っ込んだ考察を展開したほうが面白くなっただろうと感じる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残響音が孤独を感じさせるトランペットとバンドネオンのデュオ作

2015-04-15 12:34:38 | 音盤ノート
Paolo Fresu / Daniele di Bonaventura "In Maggiore" ECM, 2015.

  欧州ジャズ。トランペットまたはフリューゲルホーンと、バンドネオンのデュオ編成。フレスはイタリアを代表するトランぺッターだが、Daniele di Bonaventuraについては1966年生まれのイタリア人という以外よく知らない。

  収録曲は13曲で、フレス作4曲、Bonaventura作3曲、二人の共作1曲。このほか、ウルグアイの大衆音楽作家ハメイ・ロス作、カンツォーネの'私を忘れないで(邦題は「忘れな草」)'、シコ・ブアルキ作からチリ人作曲家Sergio Ortegaによる'団結した民衆は決して敗れることはない'へのメドレー、ピノチェト政権時に殺された同じくチリのSSWビクトル・ハラの'アマンダの思い出'、プッチーニの『ラ・ボエーム』から'私が街を歩くとき'という具合。

  内容は徹頭徹尾、哀愁、苦み、静寂である。人の居ないホールでのレコーディングで、かなり残響を聴かせた録音となっている。音数も多くないので、一音一音が孤独に感じられる。ECMらしく張りつめた緊張感はあるが、かといって重苦しいという印象でもない。バンドネオンは軽くゆったりと響くし、フレスのソロは本当にメロディが素晴らしく、叙情的で心洗われる演奏となっている。

  クオリティとしてはフレスとラルフ・タウナーとの共作"Chiaroscuro"に匹敵する。個人的には心に沁みる良作として大絶賛したい。だが、地味かな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

団塊ジュニア世代の屈折した本への愛情

2015-04-13 09:18:05 | 読書ノート
中川淳一郎, 漆原直行, 山本一郎『読書で賢く生きる。:ビジネススキル探しを超えて』ベスト新書, KKベストセラーズ, 2015.

  40代ライター三人による読書論。それぞれの論考と鼎談三本という構成である。三人による「ビジネス書ぶった斬りナイト」なるトークイベントの延長線上にある書籍であり、読者対象はどちらかと言えば若いビジネスマン。大学生向けではない。あと、やっぱり巻末に本文で言及した書籍の書誌リストが欲しい。

  それぞれの論考だが、二人ほど本を読んでいないという中川の論考は、タイトルを挙げて好き嫌いはっきり言うというスタイルで興味深かった。あとの二人は、古典を読めとか、同一テーマの書籍を複数比較して読んで著者の置かれたコンテクストに気付けなどのアドバイスをしている。が、あまり新味がない気がする。一方の鼎談の方は日本のビジネス書界隈の出版事情がわかってとても面白い。昔誰々のゴーストライターをやっていましたとか、もしドラがどうやって出来たかとか、誰が信頼できるライターかとか、大量の本を読む最後の世代としての団塊ジュニアとか、ざっくばらんに暴露話と自説の披瀝をやってくれている。

  ただし読書論としては、そういう見方もあるね、という程度の印象である。個人的に三人が挙げた本をさほど読みたいと感じないし、まず古典を読むべきだとも思わないな。あまり読書経験がないのに、小説とは異なるちょっと知的な本を読みたいという人に対しては、僕ならばまず新書の濫読を進める。著者の主張を相対化して読む、なんて話はそれを超えた後の話だ。読書初心者は、書いてあることが信頼できると思って読み始めないと、そもそも読書する意欲がわかないだろう。三人のように著者をバカにするべく本を手にとるなんて手練の読者かつ暇人の所業である。

  というわけで出版事情のレポートとして価値がある本。あと、なんというか本書の雰囲気というかノリはちょっと気になった。賢さを求めつつも世間に対してシニカルであり、また笑いも取って面白い人間であることを見せたいという感覚。僕にはとてもよくわかったのだが、これは僕が著者三人と同じ団塊ジュニア世代であるからなのだろうか。それとも、読書経験を積むとああいう曲り方をしてしまうのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実はまだ東京に上陸していなかった勤務校、その大博打

2015-04-11 08:38:42 | チラシの裏
  3/26付で報道発表され1)ちっとも話題にはなっていないが、勤務校が新たなキャンパス用地を取得した件について。発表資料2)では「文教大学 東京上陸」と大きく銘打っているけれども、取得したのはUR花畑団地内の東京ドーム一個分の空き地で、足立区の北辺で埼玉との県境、ぎりぎり東京という場所である。なお、文教大学の本部は品川区にあるが、キャンパスは埼玉県越谷市と神奈川県茅ヶ崎市の二つで、東京の大学とは正面切って言い難いところがあった。

  既存のキャンパスがどうなるのか、新キャンパスに何学部が入るのかは僕にもよくわかっていない。あまり詳しいことは書けないけれども、用地を購入を決めた事情について言えば、中堅どころの私大として何かインパクトのあることをしなければということである。また、東武スカイツリーラインの東京寄りの地区に空いた土地が突如現れて、これを本学が購入しなければ他大学を呼んで競売にかける、ということになっていたらしい。他大学がその土地を取得して進学者を奪われることになったら悲惨だというわけで、取得せざるをえなかったとも言える。

  なお足立区への大学移転は本学だけではない。北千住駅近辺に東京電機大を呼び寄せたら街に活気が出た3)という前例がある。聞いたところでは、その成功を見て花畑団地の住民も本学誘致を望んだという話である。大学側としては、用地取得費用から建設費まで、けっこうな額の出費となる。というわけで僕としては『七人の侍』の志村喬のように「本当の勝者は足立区だ」みたいに言いたくなるが。まあ、歓迎されているみたいだし、喜んで新キャンパスに行くことにしよう。若者が訪れれば街の雰囲気も変わるだろう。

------------------------------

1) 朝日新聞デジタル "文教大、東京・足立に新キャンパス 20年春にも開設" 3/27
http://www.asahi.com/articles/ASH3S5G65H3SUTIL02G.html

2) 文教大学プレスリリース "文教大学学園 大学新キャンパス用地を都内足立区花畑に取得" 3/26
http://www.bunkyo.ac.jp/news/20150327_01.pdf

3) Business Journal "犯罪多発、汚い、下品…足立区に異変、なぜ密かに人気到来?行政と住民の地道な努力が奏功" 3/26
http://biz-journal.jp/2015/02/post_9035.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アコーディオンの音色が印象に残る叙情味溢れる欧州ジャズ

2015-04-08 16:32:10 | 音盤ノート
Paolo Fresu, Richard Galliano, Jan Lundgren "Mare Nostrum" Act, 2007.

  ジャズ。イタリアのパオロ・フレス(trumpetとflugelhorn)、フランスのリシャール・ガリアーノ(accordionとbandoneon)、スウェーデンのヤン・ラングレン(piano)という組み合わせによる欧州的室内楽風ジャズである。ECM作品のように張り詰めた空気感を欠くかわりに、リラックスして聴ける。タイトルはラテン語で「我が海」すなわち「地中海」の意。

  収録は全15曲で、ラングレン作4曲、ガリアーノ作4曲、フレス作3曲、あとの4曲はラヴェルの‘マ・メール・ロワ’、ジョビンの‘あなたなしではいられない’、シャンソン‘残されし恋には’、最後は北欧民謡である。フレスはテクニックをひけらかすことなくじっくりとメロディを聴かせており、ソロで繰り出す旋律は実にすばらしい。ガリアーノは小技を巧みに織り交ぜながら表に出たり裏に引っ込んだりする。ラングレンも優雅。それぞれ軽やかさと湿り気を湛えつつも、感情表現をうまくコントロールしており、大袈裟にはならない。なかなかよくできた作品である。

  なお、2008年になってVideo Arts社がActレーベル作品の日本国内の販売をする1)という発表があったが、その後どうなったのだろうか。この作品もそのカタログリストにあるのだが、日本盤がでるわけでもなし、輸入盤の販売ルートを独占する様子でもなく、Video Arts社がいったい何をしているのかよくわからない。ACTの日本国内のプロモーションを行うかわりに、日本での収益の一部がVideo Artsに入るということなのだろうか?

---------------------------------------------

1) ビデオアーツ・ミュージック / ヨーロッパ屈指のジャズレーベル『アクト』取扱い開始のご案内。
  http://www.videoartsmusic.com/label/data/act.pdf
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする