29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

国産民間航空機を成功させるために航空産業について諸知識を

2020-05-31 21:30:54 | 読書ノート
渋武容『日本の航空産業:国産ジェット機開発の意味と進化するエアライン・空港・管制』(中公新書), 中央公論, 2020.

  飛行機の機体開発、航空ビジネス、空港と管制について一般向けに解説する内容。「日本の」とあるが、航空産業は欧米でより発展しているので、国外の動向についても詳しい。もともとは東京大学大学院の講義録だそう。著者は、国土交通省の元官僚で、現在は東大で特任教授をしているとのこと。

  副題にあるように、話のまくらは現在開発中の国産ジェット機のMRJ。報道では「納期が遅れている」など悪いニュースしか聞かないMRJだが、本書では今後の期待があるかのように描かれている。なんでも、ジャンボジェット機の機体の市場はエアバスとボーイングの大手二社で争われていてニッチがまったくないけれども、その下のクラスのリージョナル・ジェットの市場は成長途上でもありまだ参入の余地があるという。これに絡めて、機体開発産業および安全性の認証システム、エアライン会社の戦略動向や搭乗者数の拡大など航空路線をめぐるビジネス、空港ビジネスと管制システムがどうなっているのかなどについて章を設けて解説している。

  航空産業に関わる幅広いトピックがカバーされていて、全体像をつかむにはよいのではないだろうか。ただし、類書を読んだことがないのでトピックにもれがないかどうかはわからない。もとは工学系院生向けの講義であるものの、ビジネスや制度的なところはくわしい一方で、技術的なところはあまり詳しくないような印象がある。頁数の都合で端折った、それらトピックは専門の先生がいるので彼らから学んでくださいということなんだろう。ただまあ、MRJの評価はこれでいいんだろうかという疑問も残る。それとも報道のほうがネガティヴなバイアスに満ちているのか。納期の遅れは事実のようだけれども。

  MRJを開発しているという三菱重工の工場はイチロー生誕の地として知られる(?)愛知県豊山町にある。僕の故郷の小牧市の南と豊山町にまたがって県営名古屋空港があり、滑走路は航空自衛隊・小牧基地と共有されている。その隣接地に三菱重工の「航空宇宙システム製作所」小牧南工場があるのだ。実家に帰省した際に、空港のショッピングセンターを訪れたりするときに通り過ぎる位置にある。僕が子どものころ、あそこの三菱重工と言えば、自衛隊機を修理・生産(ただし戦闘機の設計は米国でありライセンスによる生産)するところだと聞かされていた。民間機も作るという話がでてから、もう20年近くになるはずだが…。本書を読んでその大変さはわかった。

  
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神経質な印象だった音がリマスターで逞しくなる

2020-05-27 23:56:44 | 音盤ノート
Pale Saints "The Comfort Of Madness : 30th Anniversary Remaster" 4AD, 2020.

  ロック。いわゆるシューゲイズにカテゴライズされる音で、オリジナルは1990年に発表されている。当時来日して名古屋にも来たんだよね。2020年発表のこの再発は、オリジナルのリマスター盤と、デモやスタジオライブ音源を収録した盤の二枚組となっている。ボーカリストが現在大阪に在住しているという謎ニュースもあって、ブックレットにはJRの券売所前での最近(?)の写真も掲載されている。

  もともとは英国リーズで結成されたベース、ギター、ドラムの三人組で、ベーシストがボーカルを兼務している。「少年聖歌隊」風のボーカルが大きな特徴であり、その耽美な触感と攻撃的なバンド演奏の取り合わせたサウンドとなっている。ニューウェーブ系統のバンドには珍しく、長尺な(といっても同時期の他のバンドと比べて)ギターソロがあったりする。全体の演奏は、オリジナル盤では「線が細くて神経質」という印象があったけれども、今回のリマスターでは「たくましくて荒々しい」ように聴こえる。これはかなりの印象の変化だ。新たに公表されたデモ音源も骨太な演奏である。

  残念ながら耽美性と暴力性が上手くバランスが取れていたのはこのデビュー作だけ。1992年の二作目は楽曲のまとまりを重視する演奏となって躍動感が失われてしまう。二作目ではギタリストは随分おとなしくなってしまいエゴを失くしてしまったかのよう。直後にボーカルが脱退し、新たに女性ボーカルを据えて三作目を作るも、地味すぎて注目を浴びることなくそのまま解散。まあでも、今はいずれの作品も入手不可能だから、既発シングルも含めて過去録音をすべて再発してほしいな。
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行動経済学の政策への応用は支持されている、と

2020-05-23 08:34:17 | 読書ノート
キャス・サンスティーン, ルチア・ライシュ 『データで見る行動経済学:全世界大規模調査で見えてきた「ナッジの真実」』大竹文雄監修; 遠藤真美訳, 日経BP, 2020.

  政府による特定行動への誘導、いわゆる「ナッジ」への一般大衆の支持率について調査した結果を伝えるものである。タイトルは少々誤解を招くもので、行動経済学そのもの──人間が普遍的に持つ不合理なバイアスを明らかにする──を扱うものではない。タイトルにある「データ」とは、政府がナッジするとしたらどのようなタイプのナッジならば許容されるのか、これについて米国ほかいくつかの国で調査したデータである。原書はTrusting nudges? : toward a bill of rights for nudging (Routledge, 2019)。

  目的が正当であるならばナッジは支持される、というのが本書の大雑把な結論。ただし、サブリミナルのような無意識的な誘導や、金銭コストを課すのがデフォルトとなるようなナッジは支持されない。ほか、女性のほうが男性よりナッジに好意的で、米国では共和党支持者と民主党支持者によって微妙な支持への差がある、韓国におけるナッジへの支持率は高いが日本はかなり否定的である、などの結果が報告される。政府への信頼が低い国では、ナッジの支持率が低くなると著者らは予想している。

  読んでみて、本書の主題は重要なんだろうか、という疑問が思い浮かぶ。支持など無関係に政策として採用すればいいのに(実際採用されている)、なぜ一般人のナッジへの支持についてわざわざ調査をしなければならないのか。推測となるが、その理由はこれまでナッジをめぐって自由や個人の主体性が法学領域での争点となってきたからだ。著者のサンスティーンは、ナッジの正当性について哲学的に論証するのではなく(というかすでに十分議論してきた)、ナッジされる側の支持の高さを示すことで決着をつけようとしたのだろう。したがって、この争点に興味がない人には蛇足のような本である。
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幅広いトピックをカバーした最新のミクロ経済学入門書

2020-05-19 09:51:29 | 読書ノート
ダロン・アセモグル, デヴィッド・レイブソン, ジョン・リスト『アセモグル/レイブソン/リスト ミクロ経済学』岩本康志, 岩本千晴訳, 東洋経済新報社, 2020.

  ミクロ経済学の教科書。同じ著者らの『マクロ経済学』の続編で、それと同様に入門者向けの内容となっている。入門者向けとはいえ、トピックが多岐にわたっているのが特徴である。需給曲線や政府の役割だけでなく、ゲーム理論、リスク選好、オークション、公正さ、などについてもカバーしている。行動経済学や進化心理学への目配りもあり、全体では700頁を超える分量となっている。

  コラム部分では実証研究が紹介されていて、これが大変面白い。政府と民間の効率を比較するために、政府出資の探検隊と民間出資の探検隊を比較すると後者のほうが成功率が高いこと(p.399)とか、万国博覧会の出展品を材料として特許の効果が確かめられたこと(p.477)とか、広告を禁じると競争が緩和されるので価格が上昇することがある(p.547)とか、寄付の75%は純粋な利他主義ではなく社会的プレッシャーによる(p.673)などなど。価格によっては、家電製品に付く3年間保証は損だというアドバイスもありがたい。

  全体を通して読んだほうがいいものの、興味のあるトピックだけつまみ食いしてもためになる。邦訳についていえば、米国の財政について説明している箇所では、訳者が日本の財政についても補記していたりして丁寧な作りとなっている。ただし、細かいところだが、p.689のコラムで、ロバート・ボイドと一緒に言及される「ピーター・リチャーソン」は「ピーター・リチャーソン」(Peter Richerson)の誤記ではないかな。
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フリードマン理論と日本銀行の考えはなぜ隔たっているのか

2020-05-15 11:21:49 | 読書ノート
柿埜真吾『ミルトン・フリードマンの日本経済論』 (PHP新書), PHP研究所, 2019.

  一経済学者の伝記でもあり、経済学史でもあるという新書。日本では、新自由主義のイデオローグとして評判の悪いミルトン・フリードマンだが、古くから日本経済に興味を持っていて、的確な分析を施していたことを紹介する内容である。来日回数も多い。著者は1987年生まれの若手経済学者で、岩田規久男ほかいわゆる「リフレ派」人脈の人らしい。

  通貨供給量の調整によって景気をコントロールできる。このような理論を検証する場として、フリードマンは日本経済に強い関心をもっていて、折々に議論の俎上にのせてきたという。大恐慌の研究から通貨供給量の重要性を導き出したフリードマンは、積極的な金融政策を提唱し、変動相場制を支持した。日本については「政府による保護主義的政策によって経済成長を成功させた」という見方を批判し、政府統制ではなく、自由市場が日本経済を発展させたと論じた。第二次オイルショックにおける日銀の対応を適切だと褒めたたえたが、バブル期以降の通貨供給抑制傾向を批判した。フリードマンの日本経済への見立ては正確で、彼の予想する通りになっていったと著者はいう。

  フリードマンの理論の影響は大きく、FRBもそれに従っている。であるのになぜ日本の経済学者界隈では低評価なのか。著者によれば、日本では、景気対策として構造改革論を支持する勢力が強いというのがあるらしい。景気刺激策によって不効率な企業が生き残ってしまうのは問題だ、というような。それは日本の経済のメカニズムは欧米とは違うという日本特殊論の裏返しで、そのような特殊性を認めなかったフリードマンの考えとそぐわないものだ。これらの点で、日銀や日本の経済学者が批判されている。

  以上。ただし、理論的なところは簡便な記述で、素人目には正しいのかどうかはわからない。図も多くあるものの、相関を示しているだけである。読者はとりあえず理論を受け入れた上で、フリードマンが時々の経済現象どのように理解をしたか、読んでいくもののようだ。ただ、一方的な気もしなくもないので、日銀や構造改革派の言い分も聞いてみたいという気もする。
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凄惨な戦争だったからこその読む愉しみ

2020-05-11 19:11:15 | 読書ノート
大木毅『独ソ戦:絶滅戦争の惨禍』(岩波新書), 岩波書店, 2019.

 第二次世界大戦の独ソ戦の戦史。個人的には独ソ戦に特に興味があるわけではないけれども、2020年の新書大賞受賞作ということで読んでみた。著者は大学で教えたこともある軍事史研究家とのこと。「赤城毅」の名義で小説もいくつか書いているらしい。なお、独ソ戦と示されて僕が知っているのは「独ソ不可侵条約を破ってドイツがソ連に攻め入り、スターリングラードで負けて敗走、そのままベルリンまで占領されて終戦した」ぐらいでしかない。

  本書では、冷戦時代のプロパガンダで歪められた独ソ戦のイメージを、新しい史料(どちらかと言えばドイツの史料が多い)を使って書き換えることが試みられる。戦争の計画から、実際の進軍経路、戦争の推移などが詳しい。それによれば、ヒトラーもスターリンも思い込みとイデオロギーで判断ミスを重ねたこと、戦後「ナチスにしぶしぶ従っただけ」として免罪されてきたドイツ軍は実は積極的だったこと、戦略と戦術をつなぐ作戦術思想の点でソ連側に優れた点があったこと、などの指摘がある。もっとも重要な指摘は、この戦争が、イデオロギー戦争であったがためにお互い妥協の余地がないものだったという点である。共産主義者の殲滅とアーリア人の優位を掲げたドイツ軍は、スラブ人から略奪することに躊躇がなく、軍人だけでなく民間人を土地から追い出したり殺害したりしたとのこと。ソ連側の死者は2700万人に及んだという。

  以上。僕のような知識のない人間にも面白く読めた。淡々とした記述のようでいて、少々踏み込んだ著者の解釈がそっと提示されて読者の理解を一押しするという書き方となっている。とても地味な主題に思えるものの、高い評価を受けてベストセラーになっているのは戦史ジャンルには需要があるということなのだろう。悲惨な戦争からだからこそ学べることがあるという呉座先生の説教臭い売り文句がオビに書かれているけれども、こういうのは一昔前のベトナム戦争映画でしばしば見かけた。読者にとっては戦争は自分が直接経験しないものならば血沸き肉躍る娯楽である。
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性的魅力の進化はフィッシャーのランナウェイの原理に従う

2020-05-07 10:12:49 | 読書ノート
リチャード・O.プラム『美の進化:性選択は人間と動物をどう変えたか』黒沢令子訳, 白揚社, 2020.

  進化生物学。特に性淘汰をめぐる議論を整理している。一般向けではあるがやや難しめ、というレベルだろう。著者はイェール大学所属の鳥類学者で、オリジナルはThe evolution of beauty: how Darwin's forgotten theory of mate choice shapes the animal world - and us"(Doubleday, 2017)である。

  自然淘汰のメカニズムと性淘汰のメカニズムをきちんと分離する、というのが本書の試み。前者は環境への適応、後者は異性の好みへの適応としてイメージされるが、生物学分野では両者をきちんと分けてこなかったという。現在主流のザハヴィのハンディキャップ理論は、クジャクの羽のようなセックスアピールとしてしか機能しない装飾品を、「生存への負荷がかかっても生き延びているという、遺伝的に優秀な能力や健康体を持つことを示す表現」として解釈する。これは性淘汰を自然淘汰に従属させる考え方である。しかし、配偶者獲得にしか役に立たたず、生存にとってはマイナスでしかない、場合によっては種を滅亡させることもありえそうな表現型もある。

  著者は、例として、ある鳥の種の多種多様な求愛行動を取り上げ、生存への負荷がかからない環境では、こうした行動が分化することを示していく。そこから、雌側のえり好みにしたがって、セックスアピールに役立つ形質が環境への適応とは無関係に進化していったことが読み取れるという。フィッシャーの主張したランナウェイ過程も働いているのだ。このようにして鳥類において「美」がみられるようになった。一方で、雄側が暴力的に性交を試みるカモのような種もあることが紹介される。霊長類の中でも、チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、ヒト、それぞれ配偶行動や暴力の現れ方が異なるが、これらの違いも性淘汰の結果としてみるべきだとされる。

  後半はヒトの話。女性は乱婚しつつ性的快楽度に従って男性を選んでいた、女性に好まれる男性は適度に逞しさを持ちつつ暴力度が低いタイプだった、同性愛者の存在は女性にとって繁殖に有利だった、などの著者の説が披露されている。このヒトの話の部分は著者のイデオロギッシュな面が出てきて臭みを感じるところだ。女性の性選択がマイルドな男性を作った、平和万歳みたいな女性賛美のトーンとなっている。そういう点を肯定することに異論はない。だが、男性の暴力性が保持されていなければ、戦争で負けて共同体が崩壊し、男女もろとも繁殖に失敗するということも想定できる。そういうトレードオフが考えられていない。

  新しい知見もあって、なかなか面白い本ではある。例えば、顔や体のシンメトリーに魅力があるという説はもう否定されているとのこと。一方で、自説の意義を説く箇所には違和感が残った。長くフィッシャーのランナウェイ仮説は等閑視されてきたと訴えているけれども、そうかなあ、専門家ではないので正確なところはわからないが、ジェフリー・ミラーの『恋人選びの心』(岩波書店)ほか、進化心理学系の本では普通に紹介されているという印象がある。このように、倒そうとしている敵を巨大に見せているが、一読者としては、排他的に考える必要はなくて共存可能ではないかという疑いが残る。ただし、著者の試みの一歩として、克服しようとした問題の一つ、「適応」概念の矛先が生存なのか繁殖なのかについては、うまく整理できているのではないだろうか。


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消費者協同組合やら相互会社やら株式会社以外の組織の存在理由

2020-05-03 21:08:41 | 読書ノート
ヘンリー・ハンズマン『企業所有論:組織の所有アプローチ』米山高生訳, 慶應義塾大学出版会, 2019.

  所有という観点から企業形態を分析する経済学の専門書。企業には株式会社形態以外にもいろいろあるが、それら形態に何かメリットがあるのか、効率性の点で劣っていないか、などを検証している。原書The ownership of enterprise (Harvard University Press) の発行は20年以上前で、1996年である。この領域の古典となっているとのことで、訳出されたらしい。

  世間では、株式会社方式は共同組合方式より効率的であるとか、一方で株式会社は強欲な投資家のせいでリスクテイクしがちで不安定、などという漠然としたイメージがある。これに対し、本書は株式会社も一種の協同組合であり、投資家が企業を所有するか、生産者や消費者が企業を所有するかは、ガバナンスのためのコストや市場であれこれ取引した場合のコストとの比較で決まる、と述べる。なお、保険会社にみられる相互会社など、誰にも所有権を与えない企業を本書では「非営利企業」と呼んでいる。

  どういうことか。一部の「パトロン」(その企業の取引に関係する利害関係者)は、組織の利益の配当や資産の処分をめぐって他のパトロンを食い物にする可能性がある。こういう被害を防ぐために、経営をモニタリングする仕組みが必要となる。しかし、関係者に広く経営参加権を渡すと利害対立によって調整コストがかさむ恐れがある。経営側との情報の非対称性が小さいグループで、そのグループのメンバーの利害が均質ならば、彼らがその企業を所有することになっても非効率とはならない。あるいは、上の条件を満たしたうえで、市場で取引する際に一方が独占企業で、もう一方の側は弱小個人経営が多数という場合、後者が集合したほうが有利になる。というわけで、従業員所有、消費者所有、生産者所有などの形態が誕生し、今なお存続できているとのこと。もちろん、その領域に株式会社が進出してきても問題は少ない。

  以上のようなまとめでいいのだろうか。読んできちんと理解できたような気はしていない。少々読みにくい書き方で、ああでもない、こうでもないと、著者の思考に付き合って読んでいって、章の最後に内容が整理されるという構成となっている。ファイナンスに関する専門知識も必要で、僕にはわからない箇所もあった。まあ、扱う商品やサービス、そこにおけるビジネス慣行によってさまざま所有形態があるということはわかった。個人的にはこれでよしとしよう。
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