29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

アカデミックな哲学として「生きること」を考える

2021-01-30 09:24:07 | 読書ノート
森岡正博『生まれてこないほうが良かったのか? :生命の哲学へ! 』(筑摩選書), 筑摩書房, 2020.

  哲学。反出生主義を手掛かりに、誕生肯定の哲学および生命の哲学の構想を示すという内容で、タイトルにある問いに対してはっきりとした結論が出ているわけではない。そうではなく、問いを変化させることで回答の方向を変えてゆくプロセス自体を見せる本である。哲学的営みそのものを読ませるわけだ。著者は早稲田大学の先生で『草食系男子の恋愛学』(メディアファクトリー, 2008)を書いた人である。

  反出生主義の一つの主張は「苦痛があるから存在しないほうがよい」というものである。ここから「苦痛を感じる存在は絶滅してしまったほうが世界は善なる状態になる」という帰結が導かれる。はたしてそこまで言えるのか。そもそもの前提は正しいのだろうか。反出生主義自体は根が深くて、古代哲学にまでさかのぼることができる。というわけで本書は、ゲーテの『ファウスト』をまくらにして、古代ギリシア哲学、ショーペンハウアー、古代インド哲学、仏教、ニーチェと辿ってゆき、先人がこの問題をどう解決してきたかを探ってゆくという構成である。

  しかし、俎上にあげられている輪廻転生や永遠回帰を世界観として持つこれら思想が参考になるのか、という疑問は避けられない。その論理が「現在の人格で経験している人生がつらいから」というものではなく、「苦痛のあるこの世界に何度も生まれ落ちることを忌避する」という形の反出生主義だからだ。「生まれ変わりが起こる」という前提を受け容れない人のほうが多いだろう。このような難点はあるものの、それぞれの哲学や思想が苦痛に対して「生き方」としてどのような解決を目指したのかについては興味深いところが多い。例えば、自殺を積極的に肯定する考え方ではないようだ(ただし絶対ダメだというわけでもない)。

  以上。生き方を直接指南するような「正統な」哲学は近年なかなか無かったものなので、新鮮さを感じた。アカデミックな世界では、分析哲学や哲学史が主流だからね。また、仏教がいかに洗練された思想なのかがよくわかった。続編もあるとのことなので、期待して待ちたい。
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全国学力調査は「二兎を追う者は一兎をも得ず」だって

2021-01-26 09:35:05 | 読書ノート
川口俊明『全国学力テストはなぜ失敗したのか:学力調査を科学する』岩波書店, 2020.

  全国学力テスト批判。正確には「全国学力・学習状況調査」である。2007年から実施されているこのテストは、多大なコストがかかっているにもかかわらず有意義なものとなっていない。このテストの二つある目的を分解して、その目的が学力の変動を把握することならば、もっと科学的で低コストな実施方法がある、と指摘する内容である。著者は大阪大学出身の若手教育学者である。

  その導入時の議論からは、全国学力テストは二つの目的を混在させてしまっていることがわかるという。一つは、児童生徒の全般的な学力状況を政府が正確に把握して教育「制度」の改革にフィードバックさせてゆくという「政策としてのテスト」である。もう一つは、個々の児童生徒の学力を現場の教員が把握して指導に活かすという「指導としてのテスト」である。前者ならば、経年的な変化がわかるような方法で実施すべきで、また悉皆ではなくサンプリング調査で十分である。加えて、受験者の家庭環境についての調査も欠かせない。後者ならば、全国一斉に同一のテストを実施する必要はなく、自治体単位でやればよい。

  けれども、学力テストを止めればよいというわけでもない。日本政府が独自に学力の現状やトレンドを把握しておくことは、よりよい教育政策を実施してゆくために必要なことである。そこで推奨されるのが、問題非公開・受験者によって問題の難易度が変わる・コンピュータ方式の、項目反応理論(IRT)に基づいたテストである。現行のテストは毎年新しい問題を作問しているので、平均点の変化が児童生徒の学力の変化によるものか、問題の難易度の変化によるものかがわからない。対して、IRTの場合、問題を使いまわすので経年変化が把握できる。IRTの例としてPISA調査が本書で紹介されているが、日本でもTOEFLやITパスポートなどの資格試験などで導入されている。

  金をかけるならばもっといいテストをしようよという話であって、学力調査絶対反対というものではない。ただし、代わりに提案されたIRTについては、多変量解析の知識がないと理解が容易ではない。本書では細かい説明がされておらず、テストに関しては専門家にまかせてよ、という議論に終始している。大学入試レベルでもIRTは普及していないので、その普及には時間がかかるだろう。日本人の持つ「共通テストのような大規模全国試験を個々の試験監督の能力で成功させてしまう器用さ」が、その必要性を薄くさせてしまっている気がする。
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スマホがもたらす精神衛生上の問題とその克服

2021-01-22 12:43:15 | 読書ノート
アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』(新潮新書), 久山葉子訳, 新潮社, 2020.

  スマートフォンによる精神上の害を訴える内容。著者はスウェーデンの精神科医だそうで、邦訳は『一流の頭脳』(サンマーク出版, 2018)に続く二つ目。原著はSkärmhjärnan (2019)で、まだ英訳書はないようだけれども、翻訳エージェントのサイト1)に従えば原書タイトルを英訳すると"Insta-Brain"になるらしい。著者近影が素晴らしくイケメンなので、下のリンクをご覧あれ。

 「新しい情報」は生理学的に快楽を感じさせるホルモン物質を分泌させるそうだ。このドーパミンを求めて人はスマホ依存症となってしまう。スマホの存在は集中力低下をもたらす。絶えずそれをいじってしまうからというだけでなく、そこにあるというだけで(それを使う可能性があると感じているだけで)集中力を低下させるとのことだ。スマホは仕事の生産性を下げるのである。SNSの害についても警告がある。フェイスブックに流れる他人の幸福を眺めているだけで自分が不幸に感じられ、特に容姿を気にする女性の側に負の影響が大きいという。このほか、ブルーライトは寝不足を引き起こすし、タブレットによる幼児の学習も学力低下を引き起こすと訴える。

 「こういうのは新しいテクノロジーが出てきた際のよくある拒否反応でしょ」という先入観があって、あまり期待せずに読んだ。やはり、いろいろ傍証となるデータは示されているが、因果関係まで検証されているわけではない。著者自身も、人間側に問題があってスマホ依存症になっているという可能性を排除していない。つまり、スマホと上手く距離をとることもできる人間もいるはずである。そういうわけで、すでにスマホ依存症になった、あるいはなりそうなタイプの人には益があるかもしれない。著者のアドバイスは、運動するといいよ、とのこと。あと参考文献リストはほしいな、邦訳の際に省いたのだろうか。

1) Bonnier Rights : Anders Hansen https://bonnierrights.se/contact/anders-hansen/
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日本の親は子どもに自立を期待しつつ甘やかしている?

2021-01-18 13:25:07 | 読書ノート
マティアス・ドゥプケ, ファブリツィオ・ジリボッティ『子育ての経済学:愛情・お金・育児スタイル』鹿田昌美訳 ; 大垣昌夫解説,慶應義塾大学出版会,2020.

  育児スタイルの歴史的変化と国際比較を試みる事実解説的な内容の書籍。「こうすればいい子に育つ」みたいなアドバイスがある育児書ではないことに注意。図表は多いが、相関レベルであって因果にうるさくはなく、一般向けとなっている。著者二人は経済学者で、ドゥプケはドイツ出身、ジリボッティはイタリア出身。それぞれEU内の大学で勤務した経験を経て、現在は北米に居住している。原書はLove, money & parenting : how economics explains the way we raise our kids (Princeton Universitu Press, 2019.)である。

  心理学者のバウムリンドによれば、育児スタイルは三つに分類できるという。親の考えに有無を言わせず従わせる「専制型」、子どものやりたいようにやらせる「迎合型」、子どもの意志を尊重しつつ親がやんわりと誘導・介入する「指導型」の三つである。これら育児スタイルの違いは、経済という下部構造にある程度規定されているというのが、著者らの見立てである。

  社会移動の少ない伝統的な社会では専制型が支配的になる。現在でも、教育による地位上昇を期待できない下層においては、親が子に提供できるリソースの問題(時間と知識とお金の欠如)もあって、専制型がしばしばみられるという。一方で、平等で競争の少ない社会において育児スタイルは迎合型となる。社会民主主義の全盛期であった1970年代、北米でもヨーロッパでも迎合型の育児スタイルが肯定されて普及した(本文では言及されないけれども、年配の読者ならば『スポック博士の育児書』が思い浮かぶはず)。スウェーデンやフィンランドのような平等度が高く将来不安の少ない国では、現在でも迎合型が主流だという。

  格差の大きい、教育レベルで社会経済的地位が決まる社会においては、指導型が主流になる。これは歴史的には都市住民および中流階級の育児スタイルで、貴族にも農民にも労働者階級にも見られないものだった。先進国では1970年代に緩んだものの、1980年代以降の格差拡大によってまた支配的になりつつあるという。特に、指導型と専制型の両面を持つ親の介入度の高い育児を、著者らは「徹底的な育児」とさらなる分類を与えている。北米におけるタイガーマザーやヘリコプターペアレントはその典型とされる。

  育児の現状についての国際比較もある。日本は迎合型の親が多くて6割程度を占め、指導型が35%ぐらい、専制型が5%ぐらいだと見積もられている。迎合型は北欧に次ぐぐらいいて、アメリカ(2割強)よりずっと多いことに驚かされる。専制型の割合は世界最低レベルである。その理由は、日本社会は他国に比べて平等であり、教育のリターンが高くない(大学院卒基準でみればの話)からだと著者は説明している。また、日本では育児において自立に高い価値を置き、勤勉は諸外国並みの評価しかしていないことも意外である。

  以上。こういう国際比較はなかなかためになることが多く、非常に面白かった。日本の育児については疑問も起こってくる。北欧諸国と比べてずっと人口の多い日本が、身分社会でもなければ学歴社会でもないというならば、いったい何が社会経済的地位を決定しているのだろうか。日本の親は子どもの将来のためにいったい何をしてやればいいんだろう?
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元翻訳家による対出版社戦闘記、その悲しき結末

2021-01-14 07:52:42 | 読書ノート
宮崎伸治『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』フォレスト出版, 2020.

  翻訳家だった著者がかつて経験した、出版社との数々のトラブルを記したエッセイ。フォレスト出版による、低賃金労働の理不尽な現状を中高年男性が伝える「~日記」のシリーズの一つである。ただし業界に対して「待遇の改善」を力強く求めるような書き方ではなくて、その悲哀を面白おかしく伝えるだけにとどまっている。肩ひじ張らない分、気軽に読めるものとなっている。

  個人的にこの著者の本を読むのははじめてだったが、1990年代半ばから主に自己啓発書を翻訳してきた人のようだ。訳した中でもっとも売れた本が『7つの習慣 最優先事項:「人生の選択」と時間の原則』(スティーブン・R. コヴィー著, キングベアー出版, 2000)とのこと。本文では出版社名を伏せて書いているが、ネットで著者の出版履歴を調べればどこの出版社かがわかるようになっている。トピックとして、翻訳家駆け出しの時はアルバイトとの兼業が必要だったこと、職業翻訳家の印税はだいたい4%~7%、依頼時に提示された原稿料が出版時に値切られて下げられることがある、編集者は売れるかどうかばかり気にしており翻訳のクオリティに関心を持っていない、訳者名が軽視される状況、などが綴られている。

  読んでみると著者自身が少々癖のある人物であることがわかる。出版社とのトラブルで不服だとわざわざ法廷で争い、どんどん仕事を失ってく結果になっていく。最終的に廃業することになったのもさもありなんである。一方で、書かれている限りでは出版社側の対応も不誠実であり、著者に同情の余地があることも確かだ。出版不況が出版社をしてフリーの著者や翻訳家を搾取せしめるのだろう。読後には「癖があっとしても能力がある」という人に活躍の場を与えられない日本社会の貧しさを強く感じてしまう。もったいない。
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2020年下半期に読んだ本そのほか短いコメント

2021-01-10 08:19:53 | 読書ノート
鈴木亘『社会保障と財政の危機』(PHP新書), PHP研究所, 2020.

  タイトル通りの内容で、コロナ禍の状況下も踏まえているところが特徴。トピックとして、新型コロナ対策、生活保護、医療体制、介護保険、年金、消費税、ベーシックインカムが扱われている。コロナ対策と経済はできるだけ両立できたほうがよいということで、コロナ患者を受け入れる病床数の拡大を訴えている。そのためには、民間病院に受け入れてもうら必要があるのだが、医療制度に問題があって~という話になってゆく。改革案も提示されているが、読後感は以前読んだこの著者の本(1 / 2)と同様あまり希望がもてるという気はしなかった。

渡瀬裕哉『なぜ、成熟した民主主義は分断を生み出すのか:アメリカから世界に拡散する格差と分断の構図』すばる舎, 2019.

  米国の選挙論。著者は選挙コンサルタント(という理解でいいのだろうか)。日本でしばらく働いた後、渡米して共和党との人脈を築いたという経歴の持ち主。2016年のトランプ当選を予想し、2020年もバイデン当選を当てている。前半は米国の選挙マーケティングの話で、優れた選挙戦略とは社会における新しい分断線を見つけて有権者を煽り、彼らを投票所に行かせることだという。インテリを新たなアイデンティティの発見に利用し、メディアをその拡散に利用する。ずいぶんシニカルな考え方に思えるが、著者は価値判断無しにそういうものだというスタンスで書いている。後半は中国が仮想通貨を通じて優位をとることへの危惧の話になっている。

志水宏吉『学力格差を克服する:日本への警告』(ちくま新書), 筑摩書房, 2020.

  教育社会学。著者は大阪大学の教育学者である。「学力保障」を目的として、社会経済的に不利な階層出身の児童生徒に資源配分している公立学校があり、成果を挙げているという。学力格差の幅をどうこうするというよりは、底辺の底上げを目的としている。こうした話を中心に、学力格差の現状や見方、およびそれを克服するための動きや試みをまとめている。ただし、著者の研究キャリアをまとめた一般向け書籍という面が色濃くて、詳細については研究書をあたる必要がある。

鈴木大裕『崩壊するアメリカの公教育:日本への警告』岩波書店, 2016.

  米国の公教育の動向を伝えるレポート。チャータースクールなど公教育の民営化、学校選択制、途上国からの出稼ぎ教員、学力テストの重視とその結果による学校の統廃合などについての報告がある。報告される米国の動向そのものは興味深くて驚かされるものだが、「日本への警告」とされてしまうとそう簡単に同意できない。著者は、米国の公教育の崩壊は、数値評価重視すなわちテスト結果を重視しすぎる新自由主義が原因だという。しかし、日本の昭和の受験戦争時代の方がずっとテスト重視だったが、新自由主義と無関係だった。批判されている「アカウンタビリティ」概念だって新自由主義由来ではなく、リベラル側のコンセプトだという出自が想起される。「崩壊した」とされる以前の米国の公教育はそもそも上手くいっていたのかという大きな疑問もある。というわけで、全体として正しく診断ができていないという印象が残る。

荒牧草平『教育格差のかくれた背景:親のパーソナルネットワークと学歴志向』勁草書房, 2019.

  教育社会学。子世代の学歴獲得や進学期待に影響する親世代の人間関係を探る計量研究の本である。前半は親族関係の分析で、親世代の夫婦と、祖父祖母おじおばそれぞれのどういった変数が子どもの学歴に影響するかを検証している。取り上げられた変数の詳細はさておき、直接の接触頻度が少なくても高学歴の家系では子どもが高学歴となることが明らかにされる。家庭で継承される暗黙の文化があるのではないか、と著者は推測している。後半は母親の人間関係の分析で、知人からの影響を選択的に受けていることを明らかにしている。こういう計量研究を読むと、扱われていない変数が気になるところだ。
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1980年代の英国産音楽でシティポップとシンセポップの中間

2021-01-05 22:22:44 | 音盤ノート
  歳をとって新しい音楽を聴く意欲が衰えてきた。しかし、かつて聴き馴染んだ音楽を繰り返し聴いているというわけでもなく、「好みだったかもしれないのに発表当時は聞き逃してしまった音楽」というのをわざわざ探しだして聴いている。DiscogsやRate Your Musicでレコメンドを手繰ってゆき、YoutubeかSpotifyに音源があれば試聴するという方法を取っているのだが、この方法は大変面倒くさくてはずれが多い。が、ごくまれに当たりもある。以下に紹介するのは当たりのもの。たぶん針おこし音源なので、デジタル化してくれることを希望。

The Bernhardts ”I Hear You Calling / Send Your Heart To Me” Parlophone, 1984. [7inch]

  1980’s英国産のシングル。後期Roxy Music風のAOR感のあるシンセポップでA面B面どちらもクオリティが高い。The Bernhardtsは、1970年代末に活動した謎グループのThe SmirksのメンバーだったSimon Milnerなる人物のプロジェクトで、このシングル一枚のみ(?)が残っているだけのようだ。シンセサイザーは、Happy MondaysやMorrisseyのバックを務めた経験があるらしいStephen Hopkinsなる人物。本人HPによれば、音楽だけでは食べていけず水道工事屋を並行して営んでいたとのことで、1990年代初めに音楽を辞めた後は大学に行って物理学者になったとのこと。




The Mercurian ‎"Accelerate With The Mercurian" Arcadian Research Authority , 1981. [LP]

  上述のStephen Hopkinsと詳細不明のFinbar Myronの二人によるプロジェクト。曲を二人で書き、お雇いミュージシャンに演奏させている。男女二人のボーカルのうち男の方はLiving in a Boxで有名になる前のRichard Darbyshire。5曲だけYoutubeで音源が聴けるが、演奏も歌も上手いブルー・アイド・ソウル曲が、コンプレサーのかかった英国ニューウェーブ系の音(Martin Hannettゆずりのようだ)で録音されていて、奇妙な味わいがある。ジャケットも骸骨でコンセプト不明。曲がいいのでリマスターを期待。

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人体のエネルギー消費から化石燃料まで扱う長尺のエネルギー史

2021-01-02 19:14:49 | 読書ノート
バーツラフ・シュミル『エネルギーの人類史』塩原通緒訳, 青土社, 2019.

  エネルギーと文明化の歴史を記した二巻本。数字にうるさく図表も満載だが、いちおうは一般向け書籍である。著者は1943年にチェコで生れてカナダに現在在住しているという科学者で、Wikipediaによると「プラハの春」の翌年の1969年、国境封鎖が行われる前に米国移住したという経歴がある。原書はEnergy and civilization: A history (MIT Press, 2017.)。他の著作の邦訳は二点あるだけのようだが、英語ではかなりのハイペースで本を書いていて、それらをビル・ゲイツが逐一フォローしているという話がある。

  話はエネルギーの定義と単位から始まり、続いて人体のエネルギー消費が続く。狩猟採集生活ではエネルギーの欠乏がしばしば起こるので、牧畜農耕に移行する。しかし、人口と家畜が増加していったため、食糧生産のための土地と生活維持のための燃料の獲得が問題になっていった。産業革命以前の伝統的な農業の世界では、農具や家畜を使役するための道具や肥料が徐々に改良されてゆき、水力や風力などの再生可能エネルギーの利用も見らるようになった。一方で、薪や木炭を得るために過剰な森林伐採が行われてきたたとも。

  石炭の使用は古くからあったが、蒸気機関の発明があって大きな影響を持った。化石燃料を動力に変換する技術革新の波は、石油による内燃機関の発明や電気の利用など現在に至るまで続いている。それは、都市化や長距離大量輸送を可能にするなど、人間の生活をそれ以前の時代から一変させた。現在、化石燃料が大量に消費されいるが、著者はその枯渇についてあまり危惧していない。すぐに枯渇する状況にはないし、いずれ枯渇するにしても代替手段が見つかるだろうとしている。懸念されるのは温暖化などの地球環境の悪化のほうで、それに対応するために節度あるエネルギー利用と再生エネルギーを勧めている。

  以上。大作ながらわりとスムーズに読める書き方となっており、評価が高いのもうなずける。本文を割って大量に差し挟まれているコラムも面白い。あとは「狩猟採取民の生存には一日6メガジュール必要」というような、しつこく数字が出てくるのをどう評価するかだろう。一般向け書籍における瑕疵とするか、それとも科学精神の発露として肯定的にみるか。僕は後者なんだけれども。
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