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図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

逃れようとしても政治からは逃れられない、と。

2024-09-26 12:47:03 | 読書ノート
ベン・アンセル『政治はなぜ失敗するのか:5つの罠からの脱出』 砂原庸介監訳, 飛鳥新社, 422p.

  政治学。民主主義、平等、連帯、安全、繁栄、それぞれの目標を追求する際に立ちはだかる構造的な困難について議論している。著者はオックスフォード大学の政治学者で、原書はWhy Politics Fails: The Five Traps of the Modern World & How to Escape Them (Penguin, 2023) である。

  民主主義においては民意を適切に表現することができないこと(文中では「民意などない」と断言されている)が困難としてある。平等においては機会の平等と結果の平等がトレードオフとなること、連帯においては自己負担なしに他人の負担によるセーフティネットにタダ乗りしようとすること、安全においては安全を守るための制約から自分だけ自由であろうとすること、繁栄においては長期的利益ではなく長期的には失敗となる短期的利益を求めてしまうこと、これらが困難としてあるという。

  さらに政治はこれら困難に取り組むのに失敗してきた。近年では、政治そのものを問題視し、政治を回避することによって、困難を解決しようという議論が現れている。市場やテクノロジーによる解決である。しかし、異なる選好を調整する手段として政治を回避することはできない。と著者は断言する。実現不可能な政治の回避を目指すよりも、まずは政治を信頼できるものにして、公平さと未来の透明さを確保することが重要だと説く。そのためには、政治家が約束を守り、社会的合意を蓄積してゆくことが必要であるという。ただし、成功するかどうかは保証されていない。

  以上のように記すと、何やら心構え論のようで退屈な印象を受けるかもしれない。要は政治から簡単に逃れることはできないということである。以上のような大筋の議論のなか、トピックとして、政権交代によって新たに政権を握った対抗勢力に反故にされない政策導入の仕方について論じられており(筆者の専門らしい)、そこが興味深い。例えば貧困層を特定する福祉政策は(他の社会層の無関心や反対たのめ)持続が難しくなることが多いという。このため中流層もカバーする政策としたほうが望ましいとする。こういうディティールを読むべき本だろう。
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図書館で討論会を催す場合のファシリテーターの作法と論拠

2024-09-25 20:22:06 | 読書ノート
John M. Budd The Library As Forum in the Social Media Age Rowman & Littlefield, 2022.

  米国の図書館論。このブログでBudd著を紹介するのはKnowledge and Knowing in Library and Information ScienceDemocracy, Economics, and the Public Goodに続いて三つ目である。読む前は「図書館に(読書や情報入手の場ではなく)議論の場という新たな役割を与える」内容だと予想していたが、そうではなくて「図書館において議論するときに何に気を付けるべきか」について論じる内容だった。

  全三章の構成となっている。第一章では、図書館史を振り返り、さらに検閲、積極的活動主義、批判的図書館学(マイケル・ハリス等)などが解説される。著者は、批判的図書館学の末裔(?)であるJohn Buschmanおよびその参照先となっているハーバーマスを議論のベースに定める。第二章は、認識論および言語を用いたコミュニケーションの考察で、ハーバーマスの『コミュニケーション的行為の理論』を解説しながら、正しい議論のあり方について論じている。それは話す側の意図や真実性が重要になるとのことだ。第三章は、図書館での議論の仕方について論じている。ハーバーマスの論を適用するのに現象学を間にかませる必要があるということで、フッサール~メルロ=ポンティ~レヴィナス~リクールといった思想家の説明に章の前半が費やされている。章の後半では、ポピュリズムや教育といった概念を議論の例としている。簡単にまとめれば、評価を急がずに、保守派とリベラル派それぞれの見解を採りあげて検討してみるということだ。

  以上。現象学の位置付けがわかりにくい。好意的に解釈すれば次のようになる。ハーバーマスの説が有する発言者の理性や真実性重視の傾向は、すぐに対話の一方を支持してしまい、せっかくの対話の機会を頓挫させてしまうさせてしまう恐れがある。このため、ファシリテーターたる図書館員はまずは判断を留保して議論を進めてゆくべきであり、そのための技能が現象学にある、このようなことなのだろう。ただし、著者は価値相対主義立場を取らないと念を押しているので、最終的には議論の決着はつけるべきと考えているみたいだ。とはいえ、納得の行くレベルまで説明されていないという印象は残る。あと、図書館員をファシリテーターにした図書館での討論会、みたいなものが米国ではあるのだろうか。ここもよくわからない。
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性加害をする男性は女性が忌み嫌う弱者男性ではなく強者男性であるとする

2024-09-20 09:19:42 | 読書ノート
デヴィッド・M. バス 『有害な男性のふるまい:進化で読み解くハラスメントの起源』加藤智子訳, 2024.

  進化心理学。セクハラやらレイプやらの男性による性的な加害は、社会的構築物というだけではなく生物学的に埋め込まれた傾向であり、そのメカニズムを進化に照らして理解することによって有効な対策を採ることができる、と主張する。ただし、進化はフェミニズムのいう家父長制と両立しないものではなく、それぞれが影響を与えて現在の男性心理を形成しているという。この種の本にしては珍しい構築主義への譲歩である。原書はWhen Men Behave Badly: The Hidden Roots of Sexual Deception, Harassment, and Assault(Little, Brown Spark, 2021)。

  異性愛カップルの対立は男女で配偶戦略が異なっているところに原因がある。しかし、そうだとしても、大半の男性は攻撃的ではなく、性加害などしない。逮捕されたり社会的に抹殺されたりするリスクがあるのにもかかわらず、わざわざ性加害を実行するのはいったどのようなタイプの男性なのか。それは、ナルシズム、サイコパシー、マキャベリズムの三つからなる「ダーク・トライアド」特性を持つ男性であるという。そのような男性は、女性が積極的に忌避するような弱者男性ではなくて、社会的地位や性的魅力の高い男性であることが多い。彼らは権力を持っていて、その高い地位を理由に性的に奉仕されることを当然視する傾向にある。そのような男性が存在するのは、過去女性たちがそのような心理を持った男性と配偶してきたからだ、とミもフタもない指摘をしつつ、最終章において女性を性加害から守る社会の仕組みを検討している。

  以上。女性にとっては身体の防衛のために、男性にとっては自身の理解のために本書は有益である。ただし、ダーク・トライアド特性を持つ男性を「生まれつきの犯罪者」みたいに扱っており、議論を呼ぶところである。社会は彼らを特定して治療したほうがいいのだろうか。なお、著者のバスには『女と男のだましあい』(草思社, 2000)という酷いタイトルの邦訳があるが、その原書The Evolution of Desire (Basic Books)は第四版まで更新されており、新たな邦訳も期待したい。
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1990年代から2000年代にかけてのテレビ番組と音楽市場の多様性を測る

2024-09-10 09:55:09 | 読書ノート
浅井澄子『コンテンツの多様性:多様な情報に接しているのか』白桃書房, 2013.

  日本語タイトルからは分かりにくい──英語タイトルにはbroadcastとmusicの語が入っている──が、テレビ放送における番組ジャンルの多様性と、CDやダウンロード音源などの形態で市場に流通する音楽ジャンルの多様性、この二つについて量的に検証する専門書籍である。なお数式が出てくる。対象期間は主に1990年代から2000年代までである。

  前半ではテレビ放送の多様性を検証している。米国では1960年年代半ばから1990年頃まで、三大ネットワークの独占力を削ぐための規制があった。しかし、規制者の意図に反して、番組ジャンルの多様性は規制があった期間中に減少していったという。日本では、視聴者の需要よりも広告主や放送局の財政状況が番組編成に影響するとのこと。パブル経済が崩壊して以降、テレビ局の収入が減ってドラマ(高価)を製作することができなくなり、バラエティ番組(安価)に置き換わっているらしい。また、BS放送の導入は、一つのテレビ局内の多チャンネル化をもたらし、番組の多様性をもたらすこととなったとのこと。

  後半では音楽ジャンルの多様性を検証している。日本における、CD販売のピークは1990年代後半である。新譜数と新人数で測られた多様性については年によって増減することがあるものの、それらは経年的に蓄積されてアクセス可能となるので市場全体として多様性は増加しているとする。このほか、CDの売上は発売直後の第一週に集中してその後は下降線をたどること、CDレンタルやダウンロード販売は(CDの購入より安価であるため)実績の少ないアーティストの音源にアクセス機会を提供していること、などについて議論されている。

  以上。コンテンツについて量的に検証することを試みる向きには重要な研究書籍だろう。ただし、統計手法の説明があっさりしていて、わからないところもあった。また、ハーフィンダール・ハーシュマン指標(HHI指標)という多様性を測る指標が開発されていることを初めて知った。詳細は原典に当たる必要があるが、本書の説明を読む限りでは図書館の所蔵にも適用可能な指標であるように見える。
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社会的地位で流行を説明、ネット普及以降の時代の分析が冴える

2024-09-02 07:00:00 | 読書ノート
デーヴィッド・マークス『STATUS AND CULTURE:文化をかたちづくる〈ステイタス〉の力学 ―― 感性・慣習・流行はいかに生まれるか?』黒木章人訳, 筑摩書房, 2024.

  流行の変遷をステイタス概念を用いて整理しようという試み。学術書と一般書籍の中間あたりの難易度であり、本文中に挙げられている芸術家や音楽家の名前、あるいは作品名や商品名にピンとくるかどうかで読みやすさが変わる。計量分析無しで、著者が重視する単一の理論を適用してさまざまな文化現象を解釈してゆくというスタイルで書かれている。著者は、ハーバード大と慶應大で学んだライター(?)で、雑誌『POPEYE』などでも記事を書いており、デビュー作は日本における米国風ファッションを論じた『AMETORA』(DU BOOKS, 2017)となる。本書は二作目で、原書はStatus and Culture : How Our Desire for Social Rank Creates Taste, Identity, Art, Fashion, and Constant Change (Viking, 2022) である。

  どのような文化アイテムが流行するかは恣意的に決定され予測不可能であるけれども、流行には規則性があるという。その規則性の背後にあるのがステイタスである。ステイタスは単純に高から低までの一つのスケールでできているわけではない。上位層は、経済資本の多いニューマネー層と文化資本の多いオールドマネー層の二つに分かれる。前者は派手さを好み、後者は落ち着きや控え目さを好む。これら二つの層の下に、中程度の経済資本と文化資本を併せ持つ知的職業階級があり、上位層が持つ嗜好のヒエラルヒーに対抗するべく、新規性を持つ文化的アイテムを好んで採用する傾向を持つ。知的職業階級の下には、二つの資本どちらも欠いた一般大衆がいる。大衆は流行の終着点である。他の三つの層にとって、大衆と違うことを示すことが特定の文化アイテムを採用する理由となっている。加えて、一般大衆のグループの内部にはさらに趣味嗜好などで別れたサブグループがあり、その内部でもステイタスを争っている。

  しかし、21世紀になると上のような力学がインターネットの普及──特にスマホと高速回線の普及──によって崩壊しつつあるという。これまで。理解に訓練が必要な「高尚な」文化や革新的な文化は、上位層の差別化のために採用されてきた。だがそれらは、1990年代半ばからネットが普及すると誰にでもアクセスしやすいものになった。また、文化相対主義が社会で支配的になるにつれて、文化による差別化自体がエリート主義として批判されることとなった。ある文化アイテムと別のアイテムには価値の違いはなく、好みの違いがあるに過ぎないとされるようにった。熟練された技能を要求する表現も、素人芸も対等なのだ。こうして、「高尚な」文化あるいは高尚な文化を前提とする革新的な文化は21世紀になって凋落した。すなわちそれはオールドマネー層の地位低下であり、経済資本に対抗するような価値軸の喪失である。対抗価値の喪失は、価値が数値(すなわち金額やいいねの数)だけに収斂する、ニューマネー層の好みの優位をもたらした。まとめとなる章では、差異化とステイタスの平等の調整の可能を探っている。

  以上。1970年代に形成された理論で20世紀後半から21世紀初頭の流行の変化を説明する、という点に面白さがある。社会のエリート層を経済資本と文化資本で二つに分けるのはブルデューの『ディスタンクシオン』がオリジナルだろう。「見せびらかしのための消費」というアイデアはヴェブレンにさかのぼることができるが、本書ではボードリヤールの消費社会論を通過した議論となっている。ただし、やや難しいとはいえポストモダン系の書籍にありがちな衒学趣味はなく、エピソード中心とはいえ議論は実証的であろうとしている。この点は評価できる。特に、インターネットの普及がもたらした世界的な文化状況の合理的な解釈を試みた10章はとても素晴らしい。

  だが一方で、本書は流行の説明に部分的には成功していると言えるものの、説明されない大きな謎を残したように思う。文化の普及の方向はステイタスの序列に従った上から下への流れである、というのが本書の理論だ。二つの上位層が差異化のために希少な文化アイテムを採用しそれが徐々に大衆化するという流れ、あるいは知的職業階級がアーリーアダプターとなって新しい文化アイテムを採用しその後は尖った部分が削られて大衆化するという流れ、これらは示された理論通りである。しかし、ビートルズのように、大衆文化が古典に格上げされるという現象はどう説明するのか。あるいは、知的職業階級が採用した革新的文化(モダンジャズなど)は、どのように上位文化層に普及するのか。これら二つのケースのメカニズムは上手く説明されていない。つまり、最上位層が下位ステイタスをなぜ模倣するのかが説明されていない。そこには、ステイタスに還元されない何かがあるのだと予想される。
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2024年5月~8月に読んだ本についての短いコメント

2024-09-01 11:11:51 | 読書ノート
マルコム・グラッドウェル 『第1感:「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』(光文社未来ライブラリー) , 沢田博, 阿部尚美訳, 光文社, 2022.

  "Blink: The Power of Thinking Without Thinking" (Little, Brown, 2005)の文庫版。『急に売れ始めるにはワケがある』と『天才』の間に発表された著者の二作目で、むかし2006年の邦訳版を途中まで読んで放置していたのだが、あらためて通読してみた。いつもながら世間では知られていない事例や研究を引っ張ってきて巧みに構成しており、面白く読ませる。だが、直感を働かせることで上手くゆくときと失敗するときがあって、なぜそうなるのかの判断基準は示されないまま終わり、もどかしくなる。エピソードを楽しむものなのだろう。

橘玲, 安藤寿康 『運は遺伝する:行動遺伝学が教える「成功法則」』(NHK出版新書) , NHK出版, 2023.

  遺伝をめぐる対談本。安藤寿康は行動遺伝学の第一人者でかつ橘玲もこの領域にかなりの理解がある。また遺伝という主題がデリケートである。これらの理由のために、対談本ながらけっこう難解である。先にそれぞれの単著となっている新書を読んで、その補足として読むべき内容となっている。くれぐれも入門書だと思わないように注意すべし。興味深かったのは橘玲の「保守思想の持主は言語能力が低い傾向があるが、全体としての知能が低いわけではない」という説(p.163)。これは保守云々ではなく、理系男子の特徴ではないだろうか。そして、言語能力の高い女性からは彼らが馬鹿に見えてしまうという。

清水俊史 『ブッダという男:初期仏典を読みとく』(ちくま新書) , ちくま書房, 2024.

  信頼できる典拠に基づいてブッダの実像を描くという内容。ブッダは、平和主義者でも平等主義者でもなく、輪廻転生を否定したわけでもない。これらの点では、古代インドの常識の範囲内にあったという。ではブッダの教えの何が新しかったのか?煩悩を消失させることで「業」を不活性化させることができると主張したことだという。この要約だけでは「はあ?」と思うかもしれないが、ここは古代インドにおいて仏教と争った他の宗教の主張と比較しないとその意義がよくわからないところだ。そしてそこを本書は初学者に分かりやすく説明してくれている。しかしながら、読んだ後で「仏教って輪廻転生を信じない現代人には意味がない」という考えが湧きおこるのは避けられない。本文部分よりも、仏教学会におけるパワハラ事件を記したあとがきのほうに本書の重要性があるかもしれない。

河田雅圭『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか?:進化の仕組みを基礎から学ぶ』(光文社新書) , 光文社, 2024.

  進化論の現状を一般読者に伝えることを目的としているはずの書籍だが、新書にしては議論がけっこう高度である。これは著者がアナロジー的説明の曖昧さを廃して遺伝のメカニズムから進化を正確に説明しようとしているから。この道に入門したい初学者向けであると考えたほうが適切だろう。書籍中では「種が生き残るために遺伝子の多様性が必要だ」といった言説に見られる、「種」概念や遺伝の単位の混乱、因果関係の誤解について丁寧に指摘してくれる。

トム・フィリップス 『メガトン級「大失敗」の世界史』(河出文庫) , 禰冝田亜希訳, 河出書房, 2023.

  世界史エピソード集。結論は説得力がなくて、著者は「人間は先を見通せない馬鹿だから、あまり環境をいじったりしてはダメだ」という。石器時代からの人類の発展は評価しないわけ?と問いたくなる。ただし、結論はとってつけたようなものにすぎず、環境改変に関するトピックは全体の1/4ぐらいで、残りのすべては人間関係や社会における失敗を扱っている。なので、説教臭い部分は無視して、笑える歴史小ネタ集として暇つぶしに読めばいいと思う。

小杉泰・林佳世子編『イスラーム 書物の歴史』名古屋大学出版会, 2014.

  イスラム世界における書物史。15人の日本人研究者による全22章のアンソロジーである。中国からの製紙法伝播、アラビア文字の形成、書籍の製作、イラン・トルコ・インドの書籍文化、書籍の保管と流通、などを主題とした論考が収録されている。写本研究の困難と愉しさを語るエッセイもある。長い間イスラム世界では写本が重視され、印刷本は19世紀に至るまで普及しなかったそうだ。その理由はさまざまあるが、単純化すれば印刷本に対する需要が無かったということらしい。生産・流通・保管に関連する箇所を読んだ限りでは、読書が一握りのエリート層の文化という枠を超えられなかったという印象である。
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