29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

リバタリアニズムではない「新自由主義」なのだが・・・

2011-09-30 11:37:27 | 読書ノート
八代尚宏『新自由主義の復権:日本経済はなぜ停滞しているのか』中公新書, 中央公論, 2011.

  現在の日本で悪役を担っている「新自由主義」思想について、これを解説して正当化することを試みた書籍。本書でいう「新自由主義」とは普通の経済学思想であり、規制緩和をすすめる一方で、市場の失敗に基づいた規制や公共事業もあるし、セーフティネットもある、というものである。本書を読めば、細かい点では異論があるかもしれないが、大まかな点では同意できるだろう。

  とはいえ、論敵がラベリングするように、経済学思想を「新自由主義」と単純に言ってしまっていいものだろうか。個人的にはこういう皮肉な態度は好きな方だが、「新自由主義」にはコノテーションが多すぎて冷静になれない読者も多いだろう。その点で、読者の広がりに欠けるかもしれない。

  また内容も、経済学思想を大まかに掴めるだけで、新書の分量では論証が十分展開できておらず、説明不足の感が強い。結局一通りわかるには図表や数式の載った学部レベルの分厚い経済学教書を読む必要があるのだが、そうする気のない読者を納得させるところまでいかないだろう。この本も含めて、そういう人たちを説得できるような書籍が無いことを痛感する。
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ノイズと電子音による抑えた抒情と浮遊感

2011-09-28 08:55:12 | 音盤ノート
Fennesz "Endless Summer" Mego, 2001.

  エレクトロニカ。一聴したときはMorrのManualなど、エレクトロ・シューゲイズに近いという印象だったが、聴き込むうちのその複雑な音の作りが分かってきた。

  曲の基本構造はアンビエントで、穏やかで抒情感のあるメロディが流れる。しかし前面に出ている音は、Oval(参考)が開拓したグリッチ音、加えてディストーション・ギターの上にさらにディレイやらリヴァーブやらを重ねて歪めた音である。それらにシンセ音やアコギが絡むという構成。ノイジーながら心地よく、また遊び心のある作品である。個人的には、ノイズの中をメロディが高速で反復する、ミニマル・ミュージック的な"Happy Audio"(track 8)が気に入った。

  なお2006年に墺Megoと日本のP-Vineのそれぞれから、ボーナストラックが加えられかつジャケットが変更された盤が再発されている。Mego盤は10曲、P-Vine盤は12曲なので、後者を探したほうが良い。
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大学は「補習の府」になるべき、と

2011-09-26 08:22:53 | 読書ノート
海老原嗣生『就職、絶望期:「若者はかわいそう」論の失敗』扶桑社新書, 扶桑社, 2011.

  文系大学生の採用の現実について解説する一般向け書籍。今年度からはじまった「卒業後3年まで新卒枠で扱う採用」等、日本企業の採用システムに対する間違った認識に基づいて立てられる政策を批判する内容である。

  基本的に前著『「若者はかわいそう」論のウソ』の延長線上にある。現在流布している「常識」──新卒時以外応募のチャンスがないなど──は、ごく少数の大手企業に限られたものであり、多くの企業の採用の常識ではない。日本の企業の多くを占める中小企業では、新卒にこだわらない採用が行われている。なので、中小企業を含めた視点で雇用政策をたてるべきだという。

  また、欧米と比べた場合の日本の採用の特徴は、幹部候補予備軍である「総合職」の大量採用にあるという。欧米でそのような層の採用はごく一部で、大半は出世の可能性が無いと同時に責任も少ない職務限定または地域限定職である。一方、日本では、バブル以降総合職は過剰となり、ポストを与えられず万年平社員となっている。その結果が日本企業=「働かない中年の天国」のようなイメージを形成している。この歪みを是正するために、今後は総合職の求人数を減らし、欧米型の職務限定職・地域限定職を増やすべきだ、と。仕事に人生の多くを投入するような生き方ではなく、そこそこの収入と責任で、仕事以外の人生を楽しむ方向もあってもいいのではないか、というわけである。

  大学に対しては、次のような提言を行っている。面接だけで入学してきた「基礎学力の怪しい」学生に対して、大学でしっかりと基礎教育をすべきである、と。その上で、応用の効く人材になるよう「シームレスな思考」ができる訓練(詳細は本書で)を施せという。後者は総合職志望者向けである。

  前著に劣らず興味深い内容と言えよう。
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冒頭の1トラック目だけとんでもないクオリティ

2011-09-23 09:36:53 | 音盤ノート
Steve Reich "WTC 9/11 / Mallet Quartet / Dance Patterns" Nonesuch, 2011.

  現代音楽。3曲7トラックで、収録時間は36分。これでは短いとレコード会社は考えたのか、"Mallet Quartet"の演奏風景をDVDにしては付録にしている。いつものライヒ節で新機軸は無く、曲の出来にはバラつきがある。でもハイライトになる曲は素晴らしく、聴く価値はある。

  "WTC 9/11"(2010)は、タイトル通り9.11をテーマとしたもので、"Three Tales"(2002)以来一時中断していた、音楽によるドキュメンタリーの久々の試み。弦楽四重奏団×2とサンプリング・ヴォイスという編成、三楽章構成、演奏はKronos Quartet。1988年の名曲"Different Trains"(1988)とまったく同じである。

  冒頭の1トラック目に、いきなりこのアルバムのハイライトがくる。まるでシンセサイザー音のようなストリングスによるパルス音が続く中、World Trade Centerに突入するジェット機について報告する航空管制官やNY消防署の緊迫した声が響き、ビルが崩壊する音で終わる。この第一楽章の緊張感と重さは尋常ではなく、有無を言わせぬ力がある。無線を通した不明瞭かつブツ切れの声が、やたら不安を呼び起こす。ロックファンにはMinistry meets This Heatと解説したい。ただ、この事件を後から振り返る形の第二楽章、ユダヤ教による鎮魂の三楽章は、ともに穏やかになってしまう。この点ではトータルな出来は十分とは言えないかもしれない。

  "Mallet Quartet"(2009)は、マリンバ2台、ヴィブラフォン2台による三楽章構成の曲。So Purcussionなるグループによる演奏で、DVDに映っているのも彼らである。"Dance Patterns"(2002)はシロフォン2台、ヴィブラフォン2台、ピアノ2台による編成で6分ほどの短い曲。演奏はライヒ組のメンバーで、この曲だけ2004年の録音で蔵出しトラック。二曲とも相変わらずのライヒらしい響きを聴かせる。

  とにかく1トラック目である。あの日の緊迫を音にした見事な作品である。

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テレビを中心とした視野の広い現代児童文化史

2011-09-21 08:35:13 | 読書ノート
ひこ・田中『ふしぎなふしぎな子どもの物語:なぜ成長を描かなくなったのか?』光文社新書, 光文社, 2011.

  現代児童文化の物語批評。著者は児童文学者。テレビゲームからはじまり、ウルトラマンや戦隊モノといった実写ヒーロー、アニメ(男の子、女の子、世界名作劇場の三章分に分かれる)、マンガ、児童文学を通覧する。結論を言うと、上のすべてのジャンルで、イニシエーション的なメッセージのある作品は影を潜めるようになり、大人への成長を描かなくなったという。

  博覧強記の内容で、確認作業には大変役に立つ。大衆的な児童文化は、日本にいる誰もが経験していながらその詳細についてはうろ覚えでしかないことが多い。幼少期、宇宙戦艦ヤマトや仮面ライダーをテレビで見たことがあっても、戦闘シーンに興奮しただけで、物語がどういう枠組みで進んでいったか、リアルタイムで理解していることはほとんどなかっただろう(少なくとも僕の経験)。それを、製作者の発言なども参考にしながら明確にして、時代を経るにつれて物語から「参照すべき大人」が消えていった過程を跡付けてゆく。そうした表現上の地殻変動が起こったことについての説得力は高い。

  ただし、最終章には同意できない。成長物語が無くなった理由を「現代の大人と子供の関係をそれらが反映しているからだ」式の発想で展開している。これは文学研究全般によくある罠である。表現が現実を反映するというには、あるジャンルの変化と社会の変化が手を携えていることの論証がまた別に必要である。はやり表現の変化はその表現の論理に求めるべきだろう。原因はおそらく、日本の大衆的児童文化の成熟にあって、先行する表現を克服しようとしている表現者の意図にある。成長物語を単純に描くことは、単に表現者にとって時代遅れなのである。僕がそうだったように、子どもは物語の枠組みを理解しながら視聴してはいない。なので、製作者のメッセージなど伝わってないことも普通である。完結した一話ではなく、ストーリー全体を重視し過ぎるのは子ども目線とちょっと違うという印象だ。

  そのようなわけで、結論には難があるが、それ以外の部分は貴重な情報源となるだろう。

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リズムレスになる曲ほどスピリチュアルになり素晴らしい

2011-09-19 23:16:32 | 音盤ノート
Charle Lloyd "Lift Every Voice" ECM, 2002.

  ジャズ。クインテット編成による二枚組CD作品で、メンバーはロイド(ts), Billy Hart(ds), Geri Allen(p), John Abercrombie(g)に、曲によってベースがLarry GrenadierまたはMarc Johnsonに入れ替わる。ロイドのテナーのスタイルは温かく滋味溢れ、かなりオーソドックスなものである。その点で「冷たくて緊張感のある美」というECMの典型とは外れている。だが、なぜか同レーベルでは自己プロデュースを許されており、大量に録音を残している。しかしながら、最も有名なアルバムは、マイルス組加入前のキース・ジャレットとジャック・デジョネットを従えた‘Forest Flower'(Altantic, 1968)だろう。

  この‘Lift Every Voice'は、ロイドのオリジナル曲"Hymn To The Mother"で幕を開ける。ベースによるドローンとアバクロのギターに導かれて、浮遊感のあるバンド演奏を聴かせる、1960年代風サイケデリック感覚を漂わせた逸品。この曲の後、オリジナルとカバーを織り交ぜ聴き手をリラックスさせながら、後半に行くに従って徐々に重たく黒人霊歌的な演奏になるというアルバムの構成。

  曲には、トラディショナルの"Amazing Grace""Deep River"、ジョー・コッカーによる歌唱で有名な"You Are So Beautiful"、キューバのアコギ弾き語り歌手Silvio Rodriguez作の"Te Amare"などが並んでいる。これらは素晴らしい。しかし、いま一つのカバー曲もある。例えば"What's Going On"は、マーヴィン・ゲイの歌唱に忠実すぎて隙間が多く、もっと音を敷き詰めないと間の抜けた印象である。もう一つのRodriguez作の"Rabo De Nube"も、この曲を世に知らしめたチャーリー・ヘイデンの‘Dream Keeper' (Blue Note, 1991)収録版が秀逸すぎて、ロイド版は朴訥すぎる感が拭えない。一方で、オリジナルはコルトレーン風のモーダルな曲が多く、カバー曲と雰囲気が変わる。特に二枚目のCD収録のオリジナルでは、ロイドらしからぬ、張りつめた緊張感を湛えた演奏も聴かせる。

  他のメンバーに言及すると、ピアノのジュリ・アレン以外は目立った仕事はしていない。その点で「大胆さ」が少ないのだが、演奏は手堅くまとめられており、聴く方としては不満は少ない。凄い部分は皆無なのだが、何度も聴きかえしたくなるアルバムである。
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「教養」とはいうものの

2011-09-16 10:14:57 | 読書ノート
友野伸一郎『対決!大学の教育力』朝日新書, 朝日新聞, 2010.

  ナナメ読みしたもの。著者はジャーナリスト。大学学部レベルの教育において、教養教育と初年次教育が重要だとして、代表的な大学についてそれらの実態を取材している。教養教育や初年児次教育の重要性については、同意どころか積極的に支持したい。

  ただ、総合大学向けであり、単科大学や僕の勤務するような短大にはどうかなあという印象。また、たとえ総合大学のみの話だとしても、そういう教育への取組に熱心であることと、成果が挙がっていることとは別である。多くの資源を投入しても、成果のあがらないプロジェクトってというのは社会で普通にゴロゴロ転がっている。著者には、そうした教育を受けた学生がその後どう変化したか、あるいは統計的に何らかの数値に変化があらわれたか、その後の報告を期待したい。
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熱心なファン限定、とある欧州レコードレーベルの録音ルポ

2011-09-14 07:15:27 | 映像ノート
DVD "Sounds & Silence: Travels with Manfred Eicher" directed by Peter Guyer and Norbert Wiedmer, ECM, 2011.

  ドイツのレコードレーベル‘ECM’の録音風景を撮ったドキュメンタリー。数々の名盤を産み出してきたそのレーベルと、創業者でプロデューサーのマンフレッド・アイヒャーの仕事ぶりを知らない、または興味が無いという人にはまったく薦めることはできない内容である。以下は少しでも興味のある人向けに記す。

  内容は、レコーディングでのやりとり、アイヒャーやミュージシャンの独白、コンサート、移動風景、ECM本社などである。登場する音楽家は、Arvo Part, Eleni Karaindrou, Nik Bartsch, Anouar Brahem, Dino Saluzzi, Gianluigi Trovesi, Marilyn Mazurらである。

  非ジャズかつ非米国というコンセプトが前面に出ており、キース・ジャレットのようなレーベル最大の貢献者は大物すぎてアレだとしても、米国人は一切出てこないし、欧州系でも典型的なジャズ音楽家は登場しない(一応ガルバレクも登場するがKaraindrouの曲の演奏という文脈においてである)。かといって非常にヨーロッパ的なのかというとそうでもなく、古楽、またはリトアニアやギリシアのような欧州周縁、あるいはアルゼンチンや中近東における「欧州的なもの」、欧州的解釈のファンクといった、微妙に典型的ヨーロッパから外れた音楽を志向している。これが現在のレーベルの方向なのだろう。

  映像は非常に静かかつ淡々と進む。エキセントリックな人物が登場するわけではないので、展開の上で面白みは少ない。また、テクニカルに変わったことをやっているわけでもないので、特に驚きというものもない。地味で堅実なレコーディングの現場を写しながら、上手く行ったときに見せるプロデューサーや音楽家のささやかな喜びの表情を捉えるだけ。そんなの繰り返しである。そうした平坦ながらも誠実な取り組みから、「滅茶苦茶はまる要素は無いのに何度も聴いてしまう」という最近の諸作品のクオリティを産み出す空気感は伝わってくる気がする。

  一つ残念なのは、英語の字幕がしっかりしていないこと。ドイツ語またはスペイン語、アラビア語、イタリア語といろいろな言語が飛び交う内容なのだが、ごく一部しか翻訳していないようである。登場人物が話していることの半分以上は翻訳されていないという印象で、英語が伝える情報がとても断片的である。
  
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長尺曲のフリー的混沌の箇所を削ったベスト盤

2011-09-12 15:32:29 | 音盤ノート
Pharoah Sanders "Anthology: You've Got to Have Freedom" Universal, 2005.

  テナーサックス奏者ファラオ・サンダースの、1966年か96年までの30年に及ぶ録音から選択した二枚組ベスト盤。フリーまたはスピリチュアル系のジャズにカテゴライズされる初期から、上品なバラードやオーソドックスな4ビートを聴かせる70年代後半以降まで、代表的な演奏18曲を網羅している。

  1970年前後の彼の全盛期の録音は一曲20分という世界だが、どうやって18曲も詰め込んだのか。それは、オリジナルアルバムの片面を使うような長尺曲に容赦なくハサミを入れていることで可能になった。削られた部分の中心は、テナーが暴れまわり、リズムが無茶苦茶になるフリー演奏の箇所である。賛否は分かれるところだが、オリジナルに比べてCDを手に取りやすくなったことは確かである。

  フリー演奏部分を除くと、サンダースの曲は「パーカッシブかつダンサブルなモード曲」となる。打楽器の音は多くて騒々しいが、ピアノ等の和声感覚は明瞭で聴きやすい。1970年代前半の録音になると、抒情を感じさせるほどである。そのうちの一曲‘Love Is Everywhere’(Track 2-3)は、20分にわたる演奏がそのまま収録された、ほとんど編集されていないトラックである。中盤をちょん切って前後を上手くつなげた‘The Gathering’(Track 2-1)もまたとても美しい。
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戦前の官僚・経営者の教育歴がわかる

2011-09-09 07:31:34 | 読書ノート
麻生誠『日本の学歴エリート』講談社学術文庫, 講談社, 2009.

  研究書。初版は1980年前後の論文をまとめた論文集として、1991年に玉川大学出版部から出版されている。『人事興信録』と日経新聞連載「私の履歴書」を資料に、日本の経営者や高級官僚の出自や教育歴、学卒後のキャリアを追っている。ただし、扱っているのは20世紀半ばまでのそれで、戦後の学校制度が改められた時代に教育を受けた人物は対象に入っていない(制度に関する分析はある)。

  一般に、第二次世界大戦での敗戦もあって、戦前のエリートやその教育システムに対する評価は芳しくない。そうした雰囲気に対して、著者は経済界への人材供給という点で肯定的な視点を向けている。また、官僚出身者の伝記を分析しながら、その必要な資質や戦後に学校制度に必要な教育カリキュラムを再検討している。全体として、社会にエリートが存在するのは避けられないことなので、ならばその正しい在り方を追及しようという視点に立っていることがうかがえよう。

  率直に言うと、何らかの疑問を解消するような面白さは無い本である。その意味で多くの人にアピールするような内容ではないけれども、手堅い一冊である。
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