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図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

貸出猶予期間をめぐる昔話

2011-02-28 16:32:03 | 図書館・情報学
以下のニュースを見て、10 年ほど前にも似たような議論があったことを思い出した。


図書館貸し出しに「待った」 作家樋口さんが自著で要望

 作家樋口毅宏さんが25日発売の新刊小説「雑司ケ谷R.I.P.」(新潮社)の巻末に、公立図書館に対して貸し出しを半年間猶予するよう求める文章を掲載した。作家が図書館での貸し出し制限を自著で要望するのは異例。
 文章は「公立図書館のみなさまへ」と前置きした上で、工事現場の作業員風の男性が頭を下げるイラストとともに「八月二五日まで、貸し出しを猶予していただくようお願い申し上げます」と記されている。
 新潮社の担当者は「発売直後に図書館で貸し出されると売り上げに影響するため、樋口さんから文書の掲載を依頼された」としている。
 日本文芸家協会は、図書館での無料貸し出しに対して著者に補償金が支払われる制度の導入を国に求めている。
 日本図書館協会の松岡要事務局長は「樋口氏の主張は理解できる部分もあるが、全ての人に本を読む機会を提供する図書館の公共性を考えると受け入れがたい。法的にも貸し出すことに問題はない」と話している。

2011/02/25 18:48 【共同通信】

http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011022501000717.html


  『文藝春秋』(2000年12月号)の掲載記事“図書館は「無料貸本屋」か”で、著者の林望は、書籍が発行されてから90日間の貸出禁止を求めていた。このエッセイは大きな反響を巻き起こしたが、結局図書館側はそれを受け入れなかったので、公共貸与権の導入という議論にスライドしていった。その後「公共貸与権が導入されるだろう」という噂を耳にしつつ何も変化しないまま現在に至っている。

  上の提案には「公共図書館での貸出によって売上は減少する」という認識がベースにある。個人的にはそうだろうと思うが、異論もいくつかあった。10年前の論争では「図書館の購入が直接の売り上げを支えている」「図書館での閲覧が書籍購入の契機となっている」という意見も出た。なかなか影響関係を証明/否定する調査のデザインを考えるのは難しいのだが、学者の端くれとして図書館所蔵が書籍市場にどの程度影響するのかは確かめたいと考えている。そう思いつつもう10年経ってしまったのだけれども。

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刺青男による1980年代風耽美派エレポップ

2011-02-26 08:38:52 | 音盤ノート
Telefon Tel Aviv "Immolate Yourself" Bpitch Control, 2009.

  エレクトロニカ。米ニューオーリンズ出身の男二人のデュオ。Bebel Gilbertoのリミックス(参考)が気に入ったので探してみた。だが、編集物を含めると4枚あるアルバムうち3枚が廃盤。新品で安価に入手可能なのはこのアルバムしか無かった。さらにネットで調べてみると、このアルバムの完成後にメンバーの片方が死んでしまっており、なにかと不幸なデュオである。

  事前情報では「エレクトロニカ」にカテゴライズされると聞いてこのアルバムに挑んだのだが、開けてみるとメロディアスなエレポップが展開されていた。ボーカルも1980年代前半ニューウェーヴ風で往年のデビッドボウイやYMOの高橋幸宏を思い起こさせる。同じ路線のバンドであるCut Copyのように下世話ではなく、明るい曲はわずかで、陰鬱で神経質な印象の曲が大半を占める。

  関係ない話だが、それにしてもなぜエレポップからエレクトロニカ系のアーティストの多くは男二人のデュオなのだろうか? 1980年代においては、彼らはみんなゲイの恋人同士だからという(偏った?)説明に納得してきたが、今でもそうなんだろうか?
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夫婦どちらかの神経質傾向が高ければ離婚の確率があがる等々

2011-02-23 08:30:46 | 読書ノート
ダニエル・ネトル『パーソナリティを科学する:特性5因子であなたがわかる』竹内和世訳, 白揚社, 2009.

  心理学者による五つのパーソナリティ次元についての解説書。個人的には「ビッグ・ファイヴ」という概念については別の書籍(参考1,2)でも目にしたことがあり、なんとはなくは知っていた。だが、この本はそれぞれの次元が意味するところを詳細に説明し、五因子による性格診断で何が予測できるのかを教えてくれる。

  その五因子とは、外向性、神経質傾向、誠実性、調和性、開放性と名付けられているものである。「神経質傾向」はラベル通りの因子であり、「調和性」は他者に配慮できるかどうかについての性格特性である。

  それ以外の概念は解説を要する。「外向性」とは、明るい-暗いの軸ではなく、旅行やパーティなど自分で完全にコントロールできない状況下で行う活動に、大きな喜びを覚えるかどうかというものである。そういうことがあまり楽しくない人は、内向的というより無感動といった方がよいようだ。

 「誠実性」は、別の本では良識性とか勤勉性と訳されている。自制が効くかどうかについての性格特性である。それが高ければ計画的な行動ができ、低ければ目の前の誘惑に負けやすいという。アル中などの依存症患者はこれが低いらしい。

 「開放性」とは言葉やイメージを連想してゆく能力のこと。それが高ければ、芸術的感受性や思考の広がりが認められる一方、精神病的な面も持ち合わせるということになるらしい。芸術嗜好はこの因子がプラスになるそうだが、ソープオペラ好きやロマンス小説好きはマイナスになるという。

  さらに著者は、それぞれのパーソナリティ因子がそれぞれプラスとマイナスの幅を持って現在の人類に残されてきた意義を進化心理学的に検討している。なぜ、一見デメリットしかないような性格特性(例えば誠実性の低さ)が、進化の途上で淘汰されずに生き残ってきたのか? それに答えるべく進化における収支を検討し、一見有利な性格特性にもデメリットがあり、そうでない特性にもメリットがあると説いている。この部分は仮説ながら、これがあることで包括的な説明となった。

  書籍の最後に性格診断表がついているが簡便なものであり、正確な診断ができるかどうかは微妙(著者は信頼できるというが)。インターネットでもう少し質問の数が多いものがいくつかあるようなので、そちらの方がいいような気がする。実際、僕がやって結果が違っていた。
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快楽主義に流れない抑制されたリズム美学

2011-02-21 11:42:50 | 音盤ノート
Photek "Modus Operandi" Science/Astralwerks, 1997.

  エレクトロニカ、と言ってもこのアルバムが登場したときはdrum'n'bassといったカテゴライズがなされていた。打込みリズムとベース音を前面に曲を展開させていくスタイルで、1990年代後半に流行り、あっという間に廃れた。だが、このアルバムだけは今でも聴ける。

  曲の系統は、一曲目の"Hidden Camera"やタイトル曲の"Modus Operandi"のような鍵盤楽器を使ったフュージョン風アレンジの曲と、最後の曲"The Fifth Column"のような特にメロディの無いパーカッシブな曲とに分かれる。全体は、初期Squarepusherや同時期のAphex Twinのようにリズムを滅茶苦茶にすることなく、手堅くまとめられている。また、Rini SizeやGoldieのようにソウルフルでなく、音楽的な昂揚感とも無縁。ひたすら地味で暗く、色彩感の乏しい、シャープで緊張感漂うアルバムとなっている。

  この作品はPhotekのデビュー作で、同時期のシングルをまとめた"Form & Function"(Science/ Astralwerks, 1998)も同水準のクオリティである。ただその後のキャリアの発展のさせ方には迷いがあったようで、以後のアルバムからは、この時期の特徴だった、白と黒の間の濃淡を堪能するような美的感覚が無くなってしまっている。
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読書に関する研究情報が豊富だが肝心の疑問には答えていない

2011-02-19 08:55:07 | 読書ノート
キャサリン・シェルドリック・ロス, リン・マッケクニー, ポーレット・M.ロスバウアー著『読書と読者:読書、図書館、コミュニティについての研究成果』川崎佳代子, 川崎良孝訳, 京都大学図書館情報学研究会, 2010.

  図書館員向けのブックガイド兼研究レビューで、著者三人は北米の図書館情報学者。米国の読書研究を通覧できる点がメリットで、誰が何をどのように読んでいるかという関心に大きく答えるものになっている。しかし、個人的には次のような不満があった。

  第一章一節で「各種調査を見る限り、人々が文字を読む量は減っておらず、以前に比べてリテラシーのレベルも上がっている」という見解が示される。では世間で言われている読書の危機とは何なのかという問いに、“真の問題とは人々のリテラシーの達成水準は上昇したのだが、十分な速度では上昇していないという点にある。リテラシーは複雑さを求め、現代社会が求めるリテラシーはさらに急速に上昇している”(p6)と答える。なるほどと思わせる説得力ある主張で、僕はその後の展開に期待した。

  しかし、その後はこのリテラシー問題が深められることなく、「子どもから大人までとにかく読書量を増やしましょう、そのためにはフィクションをたくさん図書館に所蔵して・・・」という話が延々と続く。読書という手段に大きくこだわりがあるのはわかる。だが、図書館関係者が本当に知るべきなのは、読書支援に公費を投入することを肯定する根拠である。この場合、社会が要求するリテラシーを育成する手段として読書以外の教育プログラムも検討の俎上にのせ、それらと読書のそれぞれの効果とコストを比較してみることが必要だっただろう。あるいは、書籍のジャンルまたは読解(訓練)方法によってリテラシーに差が生まれないかどうかも知りたいところである。そうした視点が無いために、フィクション読者向けの読書礼賛論になってしまっている。これでは多くの人を説得できない。

  この点は、リテラシー育成のための公的支援という視点からは、大きな瑕疵であるように思える。それでも詳細な文献リストと解題がついており、読書研究のレビューという点では価値があるだろう。
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表紙がなぜかサッチャーだが中身は日本の話

2011-02-16 09:54:10 | 読書ノート
小峰隆夫編著『政権交代の経済学』日経BP, 2010.

  2009年9月の自民党から民主党への政権交代を背景にして、民主党が打ち出した政策を経済学的に分析した著作。前半は日本の経済や財政状態に対する基本的な考え方を検討し、後半は子ども手当や最低賃金引上げなどの個別政策を俎上に乗せている。

  トピックの大方は「経済学的な常識からみれば、民主党の政策はこんなにおかしい」というパターンである。民主党に特に肩入れしているわけではない冷静な観察者ならばいちいち納得させられることしきりだろう。しかし、読み物として面白いという感じがしないのが残念なところだ。記述がすっきりしていて反対派をねじ伏せるパワーに欠けており、支持者の間で納得し合って終わってしまったという印象である。その意味であまり広がりが無い。これはエコノミストとしてクールな記述を心がけた著者らの責任ではなく、初歩的な経済知識も無いような人たちの頑迷さが問題なのだろう。それでも、そういう人たちを巻き込まなければならないというのが、政治を扱う際の難しさなのかもしれない。
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人間は秩序立てて現象を認識しようとする癖がある、と

2011-02-14 07:52:54 | 読書ノート
小林朋道『ヒトはなぜ拍手をするのか:動物行動学から見た人間』新潮選書, 新潮社, 2010.

  人間行動について進化論的視点から解釈した書籍。人間の心理や行動の「癖」は原始時代のサバンナでの適応によって形成されており、それにもとづけば現代人のこの行動はこれこれこういう風に解釈できる──という説明パターンの分野である。内容は「なぜ映画やテレビのドラマを見たがるのか?」「葛藤状態のとき頭を掻くのはなぜか?」等の19のトピックから構成されている。

  この分野では性差が特に注目されてきたが、この本でも男女の動物の扱い方の違いや、心地よい風景に男女で違いがあることなどが採りあげられている。女性は男性と比べて、家畜に触れるとよりリラックスし、また木陰や小屋などの避難所のある風景を好むそうだ。一方、男は動物を見ると征服したくなり、狩りのしやすい見渡しのよい風景を好むとのこと。

  性差と無関係なトピックもある。上下関係の中では、目下のものは目上のものとのコミュニケーションにおいてより多くのエネルギーを費やす必要があるという。そのため敬語や丁寧な言葉使いは普通の話し方より長くなる。またサングラスやポケットに入れた手が失礼なのは、相手に伝える情報量が少なくなってしまうためだと。他のいくつかのトピックでは、説明のために、相手の行動を反復することで相手の情動をシミュレーションするというミラーニューロン仮説が導入されている。

  検証は不十分だが、この本は提示された仮説の説得力を楽しむのが主眼。すべての説明で納得させられたわけではないが、個人的には興味深かった。僕の子どもが困ったときに頭を掻く行動をとるのを、しばしば目にしていたところので。
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結局は未発表音源ではなくワイト島フェスの方を楽しむことになる

2011-02-12 09:16:12 | 音盤ノート
Miles Davis "Bitches Brew Live" Columbia, 2011.

  電化マイルス組の二つのライブ録音のカップリング。最初の3曲は1969年7月5日の仏ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルから、残りの6曲は1970年8月29日ワイト島ロック・フェステイヴァルからである。

  貴重なのは初公開となる前者の3曲だが、そこではマイルスにしては珍しいワンホーン・カルテットでの演奏が聴ける。それはそれで面白いのだが、やはり盛り上がるのはワイト島の方。こちらは打楽器にデジョネットとモレイラ、ベースにホランド、サックスにゲイリー・バーツ、鍵盤にチック・コリアとキース・ジャレットを配した七重奏団である。ファンならすでに映像で観たことがあると思われるが、あらためて音だけで聴いても素晴らしい。この時期のライブ録音の正規盤は"It's About That Time""At Fillmore""Black Beauty"といずれも二枚組で、ときどき冗長と感じられることもある。けれどもこのアルバムは、前半後半合わせて60分ほどで、疲れを感じずに聴けるのがメリット。

  とはいえコロンビア・レガシーの商売スタイルには難癖をつけたくなる。既発のアルバムに少しのボーナストラックを付けて、同じアルバムを何度もリイシューするのは止めてほしい。まあ買うやつがいるから悪いんだろう。
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相変わらずだが少しだけ血が通う

2011-02-09 08:25:44 | 音盤ノート
Tomasz Stanko Quintet "Dark Eyes" ECM, 2009.

  欧州ジャズ。これまでバックを務めていたMarcin Wasilewski trio(参考)と別れ、無名の若手を従えての録音。ドラム、ベース、ピアノにギターとトランペットという、ジャズの世界ではあまり見られない編成。しかもベースはエレキだと聞けば、ファンク系の演奏が繰り広げられるのでは?という想像が一瞬頭をよぎる。ところが、そこはベテラン奏者だけあって、いつもの枯山水のような渋い世界を展開してみせる。

  しかし、やはり目に付く変化もある。曲がアブストラクトだったWasilewski時代に比べて、輪郭のはっきりした曲が増えた。Wasilewski trioと異なり、ドラムとベースが一定のリズムを叩くことに躊躇しないため、ずいぶん分かりやすくなった印象である。3曲目"The Dark Eyes of Martha Hirsch"ではECMではあまり耳にしない4ビートも聴ける。Stankoらしからぬ熱気を感じさせる演奏もあり、アルバムのハイライトになっている。

  ピアノが活躍しすぎてあまりギターの出番がないとか、ベースの録音が薄くてエレクトリックベースにした意味がないとか、難点はある。そこはうまく行き過ぎた前カルテットの呪縛なんだろう。それでもこのアルバムはかなり聴かせる内容になっており、暗くて美しい。次作で上の難点を克服した演奏を聴きたいところ。
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米国産読書論二点の異同

2011-02-07 09:53:16 | 読書ノート
M.J.アドラー, C.V.ドーレン『本を読む本』外山滋比古, 槇未知子訳, 講談社学術文庫, 講談社, 1997.
ロン・フライ『アメリカ式読書法』金利光訳, 東京図書, 1996.

  米国人による読書法二冊。『本を読む本』はこの分野の古典であり、大学生を対象として批評的・分析的な読書方法を説いている。しかし、その内容はかなり高度。例えば読書法の最終段階として「シントピカル読書」が挙げられる。それは、同一主題を持つ複数の書籍を比較して、“どの著者にも偏らない命題をたて”、“主題を、できるだけ多角的に理解できるように質問と論点を整理し、論考を分析する”ものである(p245)。今の大学生には無理だって。

 『アメリカ式読書法』は高校生向けで、"How to Study Program"シリーズの一冊。読書は、あくまで勉強法の一つという位置付けである。原題は"Improve Your Reading"であり、邦題にある「アメリカ式」というニュアンスは実際の内容には無い。『本を読む本』と同様、分析的な読書法を薦めているが、こちらは日本の大学生でも出来そうである。目次や見出しなどをざっと拾い読みをして概観をつかんで、その後にじっくり内容を精査せよとのこと。定義だのトピックセンテンスだの細かい話もあるが、深く解説されているわけではない。

  原著はそれぞれ1972年と1996年。前者は最終章で「読書と精神の成長」について論じ、その人格陶冶志向がうかがえる。後者はそうした志向が希薄で、読書スキルが必要な理由は、会社の業務マニュアルから保険契約、その他公的・私的な書類などなどを読みこなせないと社会でやっていけないからであり(p.206-207)、人格陶冶のためではない。これが単なるの著者の目的の違いなのか、時代の変化なのかは分からないが、今の時代に読書を薦めるためには後者の方が説得力があると感じる。「読書で人格陶冶する」という発想自体を説明することが難しい気がするので。

  
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