29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

米国クノプフ社の日本近代小説の英語訳プロジェクト、その苦闘を伝える

2024-04-27 21:37:52 | 読書ノート
片岡真伊『日本の小説の翻訳にまつわる特異な問題:文化の架橋者たちがみた「あいだ」』 (中公選書), 中央公論新社, 2024.

  日本文学の英訳を通してみる比較文化論。1950年代半ばから1970年代にかけて米Knopf社は35点の日本語作品の英訳を出版し、海外に日本文学の存在を知らしめた。そのKnopf社が残した社内資料の検討を通じて、英語への翻訳の障害となった日本語の特徴や、ローカライズによって失われたニュアンスなどについて検討している。著者は国際日本文化センターの准教授。

  本書で大きく取り上げられているのが、大佛次郎『帰郷』、谷崎潤一郎『蓼食ふ虫』『細雪』、大岡昇平『野火』、三島由紀夫『金閣寺』、川端康成『千羽鶴』『名人』である。Knopf社の編集者ハロルド・シュトラウスは、太平洋戦争下で日本語を訓練され、戦後はGHQで検閲官をやっていたという経歴の持ち主である。日本文学の英訳は彼が主導したプロジェクトであり、翻訳者であるサイデンステッカーやイバン・モリスの意図だけでなく翻訳にはシュトラウスの意向も強く反映されていた。このことが残された資料からわかるという。

   問題となった一例が、複数人が入り乱れたときの会話文である。日本語の場合、主語(わたし・おれ)や語尾などから話者が同定できるが、英語ではそうはいかない。これは"He said”などの原文にはない語を加えることで解決している。このほか次のような論点が挙げられている。日本語は時制を特に気にする言語ではないが英訳するときは時点を決定しなければならないこと、比喩表現もそのまま訳していたのでは英語の読者にはスムーズに理解しがたいものになることがあること。これらについて、編集者と翻訳者と間で実際に問題になっていたことを資料で示しつつ、最終的にどう解決していったのかを原文と訳文を対比させて論じている。

  検討を通じて、原著が有していたニュアンスの見過ごしや誤訳、原著者が翻訳に満足しなかったケースがいくつか指摘されている。また、翻訳の問題だけでなく、現地の出版事情に合わせたカバーの選択や作家のプロモーション戦略、誤訳が結果として向こうの小説家にインスピレーションを与えた事例なども紹介されている。

  以上。かなり面白かった。日本語および日本の文化を英語で伝えることの難しさ、その苦闘が詳細に伝えられている。翻訳として適切でなかった部分もつまびらかにされているが、責める気にはならない。むしろ、出版社と編集者、翻訳者に敬意を表したくなる。
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伝統的に国=官僚制が弱い地域に民主制が発展する

2024-04-22 22:37:00 | 読書ノート
デイヴィッド・スタサヴェージ 『民主主義の人類史:何が独裁と民主を分けるのか?』立木勝訳, みすず書房、2023.

  民主制の比較文化史。一種のグローバル・ヒストリーであるが「類人猿の時代までさかのぼって以降順に説明」というわけではなく、古代国家が萌芽する時期からしばらくと、英国で議会制度が形成されて以降の二つ時点をもっぱら扱っている。著者はニューヨーク大学の教授。原著はThe Decline and Rise of Democracy: A Global History from Antiquity to Today (Princeton University Press, 2020)である。

  民主制は古代ギリシアの発明ではなく、世界各地で存在してきたと著者は言う。古代インド、北米や中米のネイティヴ社会、アフリカなどがそうである。大きな集団を作って協力行動することが求められるにもかかわらず、個々の構成員が供出できるものの量(主に食料生産高)を、指導者側が把握できないときに、民主制は生まれるという。指導者側に情報がなくて構成員が情報を持っているという場合、会議を開いて構成員からの合意を取り付けて税を供出してもらうほかない。広い土地に構成員が散在し、かつ土地が余っていて構成員が移動しやすいという環境下ならば、「初期デモクラシー」が生まれやすかったという。

  集約的な農業が発展すると支配者側の情報収集が容易になる。土壌や灌漑などの知識や技術によって食糧生産高を予測できるようになる、また生産的な土地が限定されることで構成員がその社会から離れられなくなる。このような条件で発展するのが官僚機構であり、官僚制によって広い面積を効率的に支配することができるようになった。文書も統治のために機能した。中国、エジプト、メソポタミア、イランといった地域は、古くから官僚機構が整備され、王朝が交代しても継続してきた。こうした伝統のあるところでは民主制が根付くことは難しい。一方、西ヨーロッパは中世に至るまでに粗放な農業形態を続け、絶対王政の時代でも王権が弱く徴税能力が低かった。このように官僚制の伝統が弱かったために民主制の導入が容易だったとする。

  近代デモクラシーは初期デモクラシーと何が違うのか。初期デモクラシーにも代議制的な形態があったが、代表者は彼を選んだ構成員の意見に拘束されていた。委任された立場から外れてはいけない、というのが初期デモクラシーである。これを国制に採り入れると、代議員を送り込んだ各地域が拒否権を持つことになり、国レベルでの意思決定が非常に困難なものとなる。大航海時代にオランダが覇権をとることができなかったのは初期デモクラシー型の政体だったためであり、一方でイギリスが上手く行ったのは議員が全権委任されていた(すなわち彼を選んだ構成員の合意をとる必要がなかった)からだと推測されている。すなわち、近代デモクラシーは、個々の地域を尊重するものというよりも国家の統一的な政策の実行を可能にするものである。

  近代デモクラシーは、広大な地域と人民を統治するため官僚機構を導入しつつそれを民主主義によってコントロールする。だが、構成員と遠くにある政府との一体感は失われやすい。この困難を克服するために、独立後の米国では、政府による新聞への支援などを行ってきた。しかし、メディア環境が変わってしまい現代では再び大きな問題として浮上しつつあるという。とはいえ、民主制の伝統のあるところは民主政治が続くはずで、一方の官僚制が先行した国では今後も民主主義が花開くことはないと著者は予想している。

  以上。民主制とはすなわち会議での合意による支配であり、話し言葉の世界である。一方で、書き言葉は、官僚による統治とのセットであったり、米国における新聞のように政府との距離を埋める媒体であったりと、統治寄りの技術であることがわかる。著者もはっきりと書き言葉は民主主義と結びつくものではないと記していて、情報と民主主義の関係を自明視する図書館関係者は冷水を浴びせられることになる。
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【宣伝】『日本の公立図書館の所蔵』が出版されました【宣伝】

2024-04-17 08:47:17 | チラシの裏
  大場博幸著『日本の公立図書館の所蔵:価値・中立性・書籍市場との関係』(樹村房)が出版されました。図書館の平均的な所蔵傾向を把握できるだけでなく、所蔵一冊あたり新刊書籍の売上がどのくらい減るか(もちろん条件付きの推計値ですが…)がわかります。純然たる研究書なので中小規模の書店には出回らないと思いますが、大規模書店ならば目にすることがあるかもしれません。発行は4月11日で出版社と直取引した一部書店ではすでに店頭販売されていました。通常の場合、すなわち取次経由の場合、4月17日からの販売となるようです。オンライン書店も同様ですが、アマゾンはなぜか4月19日になっています。

  樹村房『日本の公立図書館の所蔵』site https://www.jusonbo.co.jp/books/303_index_detail.php
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公務員に向けて自治体が持つ公共施設をどう削減していくか説く

2024-04-15 21:12:44 | 読書ノート
志村高史『自治体の公共施設マネジメント担当になったら読む本』学陽書房, 2021.

  ハコモノ施設をたたむうえでの公務員向けのハウトゥー。多くの自治体で近い将来に予想される、人口減に伴う税収減と公共施設の老朽化。地方自治体は所有する公共施設を減らすことを避けられず、削減プロジェクトをどう進めたらよいかについて解説している。著者は神奈川県秦野市の職員。

  全8章のうち、最初の3章は公共施設の更新問題の深刻さを説いている。建替え時期に重複があることや将来確実な税収減のため、事前に対応をよく計画しておかないとたちまちのうちに財政難に陥る可能性があるとのこと。問題を先送りするだけの長寿命化よりは、利用量に対して維持費が見込めない施設は閉鎖したほうがよいというのが著者のスタンスである。4章以降、反対派を説得するにはどのようなエビデンスを集めたらよいか、更新計画という名の削減計画のポイント、残すべき施設をどのような形で維持してゆくか、民間との連携などについて記している。

  著者によれば、利用者一人あたりのコストを計算すると、“図書館は、1,000~2,000円となる高コスト体質のハコモノです”(p.135)だって。おそらく秦野市における試算だが、他の施設と比べて図書館には金がかかっているらしい。図書館は安いというイメージを持っていたが、自治体から見ればそうでもないというのを知った。
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英米前世紀末の学術書および大学教科書の出版事情

2024-04-11 16:42:40 | 読書ノート
John B. Thompson Books in the Digital Age: The Transformation of Academic and Higher Education Publishing in Britain and the United States. Polity, 2005.

  1980年代から2000年代初頭までの学術出版の動向を伝える大著。ケンブリッジ大の社会学者Thompsonの出版三部作の最初の著作で、その後Merchants of CultureBook Warsと続く。他の二つと同様、内容はインタビュー調査を元にしている。

  米英では1980年代から1990年代にかけて学術書が売れなくなった。1970年代ならば初版で3000部刷っていたのが、1990年代になると1000部を切るような水準になっている。特に歴史や人文学書で落ち込みが大きい。その理由は大学図書館が学術書の購入を厳選するようになったからである。同時期、資料費の多くが学術雑誌とそのデータベースに割かれるようになった。それゆえ学術書に充てられる予算が縮小してしまったのだ。

  この傾向に対して学術出版社はどう対応したか。一部の社は学術の成果を伝える一般向け書籍を出版し、また一部の大学出版局は大学からの援助を求めたりした。もっとも重要だったのが大学教科書領域への参入で、一年生向けの教科書の場合は大手出版社がシェアを握っているけれども、上級レベルになると中小出版社にもニッチが残されてきたという。ただし、国や分野によって微妙な違いがあることも指摘される。

  このほか編集と印刷の電子化によるコストの削減や、学術書や教科書を電子化・電子的頒布する実験的試みが紹介されている。紹介されている実験的試みは17年後のBook Warsでは言及されていないので、上手くいかなかったということなんだろう。

  以上。もはや最新情報ではないものの、20世紀末の英米の学術出版の動向が整理されていてためになる。頁数は480頁ありとても長い。
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日本のエンタメ産業の動向を広く簡潔に紹介

2024-04-10 08:00:41 | 読書ノート
中山淳雄『エンタメビジネス全史:「IP先進国ニッポン」の誕生と構造』日経BP, 2023.

  日本のエンターテイメント産業の歴史。といっても詳細なものではなく、非常にざっくりとした整理を試みるビジネス書である。なにしろ、興行、映画、音楽、出版、マンガ、テレビ、アニメ、ゲーム、スポーツと扱う領域が広く、江戸時代や明治時代に端緒を求めたと思ったら中途をすっとばしてすぐに戦後の展開に移るという具合である。正確な歴史を期待するよりも、1990年代以降の状況、どのようなビジネスモデルで収益を得ているか、海外市場との比較、これらを知るのに適しているだろう。副題にあるIPはintellectual propertyすなわち知的財産のこと。

  当然ながら領域毎に展開は異なる。興行はインターネットの登場によって縮小すると考えられたが、逆に成長産業になった。多くの国の映画市場で米国産の映画が8~9割のシェアを占める中、日本(そして韓国・中国・インド)の映画市場はまだ自国産の映画が50%以上を占めている。以上のような領域の現状と、そこに至るまでの画期となる作品や人物、事件が触れられる。最後の章では、著者は日本人の創造性の高さや職人気質を称賛しつつ、その一方で海外マーケティングの戦略や能力が欠けているという指摘を行う。

  最後の指摘は著者のポジショントークが入っていると思われる。著者はエンタメ社会学者名乗っているが、同時に邦エンタメ産業が海外進出をする際のコンサル業をやっているとのこと。とはいえ、前世紀とくに1980年代を経験した者にとっては、「創造性があるが商売下手」という日本人評価は時代の変化を強く感じる。自動車産業や家電企業が栄え、トヨタやソニーが世界的企業となった1980年代、当時の日本人像は「商売優先のエコノミックアニマル、創造性はなくて模倣が上手いだけ」というものだったからだ。
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