29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

トコちゃんねる静岡と常葉学園は無関係らしい

2013-02-27 09:52:09 | チラシの裏
  昨年秋から静岡地区で「トコちゃんねる静岡」なるケーブルテレビ局(http://www.tocochannel.jp/)の名を目にするようになった。僕は、ケーブルテレビはおろか、そもそもテレビを所有していない人間なのでその番組を見る機会は無いのだが、それでも小汚い中華料理屋などにあるテレビをぼけっと見ているとたまにそのCMが入る。ややこしいことに、常葉学園が2013年4月から開学する常葉大学(http://info.tokoha-u.ac.jp/)のロゴも「トコ」で、2012年の春から新ロゴでのプロモーション活動を行ってきた。

  この二つが共に2012年に登場してしまったために、両者に何か関係があるのではないかと考えてしまった静岡県人は多いのではないだろうか。僕も含めて事情を良く知らない常葉関係者もまた、常葉学園がなにか関与しているのだろうぐらいに思っていた。けれども、両者は無関係のようだ。そもそも、トコちゃんねるの「トコ」はトーカイ・コミュニティ・チャンネルのトコである。トーカイ(TOKAI)というのは静岡の企業グループで、ガス会社から始まり、情報通信やケーブルテレビ、結婚式場などを手掛けている。「トコちゃんねる静岡」はその関連企業ということになる。学園は出資などしていない。

  けれども、トコちゃんねるを見かけると、常葉大学が強烈に喚起されてしまう。カタカナで表記された「トコ」が新大学のロゴと共通するために、テレビ局側が意図していなかったコノテーションをもたらすのだ。これは僕が常葉関係者だからだけではないだろう。無償で宣伝してくれてありがとうと言いたくなる。ところが、風の噂では「トコちゃんねる静岡」の株主はこの状況を苦々しく思っていると聞いた。たしかに局側にはメリットが無いからね。
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正しく機能する制度に関心あり、だが「何が正しいか」についての議論は避ける

2013-02-25 08:29:23 | 読書ノート
キャス・サンスティーン『熟議が壊れるとき:民主政と憲法解釈の統治理論』那須耕介編・監訳, 勁草書房, 2012.

  法学・政治学の論文集で、1988年から2008年の間に発表されたサンスティーンの論文を編者がチョイスして邦訳した日本独自企画本。専門知識が必要なレベルの内容で、共和主義だとか多元主義だとかデュープロセスだとか法学や政治哲学分野で出てくる諸概念をあらかじめわかってないと読み進めるのに難儀する。けれども編者解説は丁寧なので、最初に読んでおいた方がいいだろう。

  収録されているのは次の五本。“熟議のトラブル?:集団が極端化する理由”は、同質的な集団内で熟議すると極端な意見に流れる現象を論じたもの。“共和主義の復活を越えて”は、「政治とは私的な利害の調整の場にすぎない」という政治観とは異なる、「私的利益を超えて公共善へ到達する場」としての政治を、米国共和主義の伝統から取り出そうと試みたもの。“司法ミニマリズムを越えて”と“第二階の卓越主義”の二本は、米国の裁判所の判断が個別的なものに留まり、普遍的で「ない」ことのメリットとその限界を論じたもの。

  最後の“第二階の決定”は、意思決定には抽象的段階と個別具体的段階の二段階があるということを論じたもの。それによれば、二段階の意思決定の組合せとして、ルールの設定とその適用というように抽象的段階の策定でコストがかかる一方で個別具体的段階では一律適用で決断のコストが低くなるものと、曖昧な方針と委任というように具体的な決断の段階で委任された者に大きなコストをかけるものがあるという。どちらが良いかは扱う事象次第で、一律には決められないとのことである。

  以上のように「機能する政治または意思決定のシステム」といった仕組みの方に関心のある内容で、何が政治的に正しいかといった政治哲学上の難問には踏み込んではこない。その点でもの足りないと思わせる部分もあるが、そうしたスタンスこそ現実において実効性が高いと賞賛していいところなのだろう。政治哲学のミニマリズムといったところか。
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完成度の高い前衛ジャズアルバム、だが直後にバンドが瓦解して低評価の憂き目に

2013-02-22 12:14:32 | 音盤ノート
The Lounge lizards "Voice of Chunk" Lagarto Productions, 1988.

  アレンジ重視の変拍子ジャズ。メンバーは前作(参考)と同じの8人編成。けれども曲の面白さは前作を上回る。

  美しく気品のあるtrack 1‘Bob the Bob’に始まり、次に6/8拍子(?)の上で管楽器間を微妙にずらすユニゾンを聴かせるタイトなアルバムタイトル曲、続いてトロンボーンの冴えたソロが繰り出されるファンキーなTrack 3‘One Big Yes’と、大いに盛り上がる。バラードのtrack 4‘The Hanging’とテンポの速いtrack 9‘Sharks’は初期ラウンジリザーズを彷彿とさせる。そして、最後のtrack 10‘Travel’がドラマチックなピアノ中心の演奏で美しく終わる。特に素晴らしいのはtrack 6‘A Paper Bag and the Sun’で、瞑想的に反復されるサックスのフレーズの間を、リズムやメロディの点でまったく脈絡の無いマーク・リボーのギターが割り込んできて、最後には演奏を乗っ取ってしまうというもの。とても斬新でスリリングである。こうした凝った曲が多い中、コーラスを混ぜたtrack 7‘Tarantella’はユーモラスであり、息抜きができる。

  実験的ながら作品としての完成度は高く、とっつき難いアルバムではない。それでも、レコード会社探しは難航したようで、前作が大手Island系列のAntillesからだったのに、このアルバムのオリジナルは自主制作のレーベルLagarto Productionsからの発行である。この後、メンバーが大量に脱退してしばらく活動中止となり、アルバムも廃盤になるという不幸な結果になった。1998年に 同じくルーリー自身のレーベルStrange & Beautiful Musicから再発されている。
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中高年層に最新の歴史学の知見を知らせる企画本

2013-02-19 16:20:34 | 読書ノート
山本博文ほか『こんなに変わった歴史教科書』新潮文庫, 新潮社, 2011.

  中学生の日本史教科書をテーマとした一般向け書籍。東京書籍発行の1972年版と2006年版の教科書の変化を検証する、ということになっているが、どちらかと言えば比較よりも「記述が変化した理由」にウェイトがある記述である。1980年代までに歴史教育を終えてしまってその後の史学の展開を知らない中高年読者に、最新学説を伝えるべく編まれた歴史読み物と考えた方がよい。オリジナルは2008年に東京書籍から出版されている。

  5人の若手著者が分担執筆した古代から日露戦争まで36のトピックを、筆頭の山本博文が監修したとのことである。僕は1980年代後半に中学生だった世代に属し、おそらく1972年版に近い歴史教育を受けたはずである。しかし、鎌倉幕府の成立年は諸説あるとか、源頼朝だと思われている肖像画のモデルは実は別人らしいとか、長篠の戦いの鉄砲三段打ちは後世の虚構だとか、老中田沼意次の再評価とかなど、別の書籍でそれぞれ目にしたことがある。そういうわけで、個人的にはじめて知るような知見が多くあったわけではない。それでも、コンパクトに変化をまとめた本書は、読書時間の少ないサラリーマンにとっては意義のあるものだろう。
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アドリブ部分を抑え目にして曲展開と音密度の高さで聴かせる

2013-02-18 07:48:22 | 音盤ノート
The Lounge Lizards "No Pain for Cakes" Antilles, 1987.

  ジャズ。John Lurie率いるラウンジ・リザーズのスタジオ録音二作目。東京でのライブ録音"Big Heart"(参考)に続く作品で、前作と同じジョン・ルーリー(alto sax), Evan Lurie (piano), Marc Ribot (guitar), Curtis Fowlkes (trombone), Roy Nathanson (reeds), Erik Sanko (bass), Dougie Browne (drums)の7人に、E.J. Rodriguez (percussion)を加えた8人編成となっている。

  前作よりソロのスペースは少なく、全体の熱量は低下しているものの、さまざまなスタイルの曲を凝ったアレンジで短くまとめ、飽きさせない。通常のジャズのように1.ユニゾン, 2.アドリブ, 3.ユニゾンと展開せず、組曲風に構成されているのが特徴である。アレンジ重視で堅苦しい内容かというとそうでもなく、ルーリーのソロはWayne Shorterのように怪しげでそれなりに聴かせるし、脇を固めるメンツも曲者ぞろいで演奏の質は高い。フリー演奏になる部分もあるが、ユーモラスであり曲を破壊することはなく、あくまでもアレンジの枠内という印象である。

  アレンジ重視と言えば同時期のPat Metheny Group (参考)だが、ラウンジ・リザーズはそれ以上である。不幸にもジャズ界はこうした試みには関心を寄せず、影響力を持つことは無かった。もっと違ったデビューの仕方だったら変わったのだろうか。
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鉄道沿線の風景と、それがもたらす思想についてのエッセイ

2013-02-15 22:07:33 | 読書ノート
原武史『「鉄学」概論:車窓から眺める日本近現代史』新潮文庫, 新潮社, 2011.

  鉄道に関するエッセイ集、といっても鉄道そのものを扱っておらず鉄道ファン向けとはいえない。もともとは2009年に「NHK知る楽」で放送された内容で、同年に出版された『鉄道から見える日本』(NHK出版)に加筆改稿が加えられ、改題されたのがこの文庫版となる。

  内容は、内田百などの乗り鉄文学、いくつかの路線の沿線風景についての文学者の印象、鉄道を使った天皇の行幸、阪急と東急の沿線開発の比較、東京西部の宅地開発、都電廃止と地下鉄化による首都イメージの変貌、1970年前後の新宿駅での騒乱、上尾駅における乗客の暴動、以上。深い分析が施されているわけではないが、手堅い歴史的記述と、著者の慧眼が光る。

  著者にとっては、いくつかの著書で扱ってきた複数のテーマを短くまとめて一冊にした内容である。個人的には、沿線の宅地開発、特に西武線沿線の大団地と左傾化の話は面白かった。
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レポート課題にウェイトの高い講義における単位付与

2013-02-14 09:01:32 | チラシの裏
  日本の大学では、レポートを提出すれば単位付与の最低限のノルマがクリアされたとみなす風潮があるようだ。

  これは、非常勤で関東の大学に行っていた僕の若い頃の話。レポートで採点するある講義で、期限通りそれを提出した者のうち3人ほどを落としたことがある。形式が守られていなかったという理由、とくに執筆条件となっていた部分が記述されていなかったという理由からである。つまり、彼らは採点の対象となる条件をクリアしていなかった。そこで彼らを不可にして単位登録をしたら、後からその大学の事務部門からクレームが着いた。レポート提出という事実があるのに、“小さな”不備で彼を不可にするのはおかしいというのである。その主張に同意できなかったものの、非常勤という弱い立場であり、大学側の方針もあるのだろうと理解して、彼らの成績を可に変更した。

  急いで付け加えて置かなければならないが、現勤務校ではそのようなことはない。レポートを提出したのに再試とし、再試のレポートもちゃんと提出したのに不可にする、と鬼のようなことをやったことがある。何度書かせても形式条件を満たしていなかったからである。それでも、周りから文句を言われたことは無かった。それに今なら文句を言われても戦うだろう。

  けれどもやはり、レポートの出来が悪いことを理由に不可をだすというのは難しいことである。形式条件を満たしており、期限どおり提出されているならば、悲惨な出来であっても不可にするのは勇気がいる。それに対しクレームが着く可能性が高まるし、説明する側にまわるのは面倒なことである。面倒だというのは、その説明においてレポートの大雑把な採点法を再検討して理論武装しなければならなくなるからである。

  僕の場合、最近のレポートはこまめに点数を出すようにしている。けれども、昔は大雑把に「出来のいいもの」「まあまあ」「普通」「もうちょっと」「全然ダメ」の五段階にふるい分けていた。その「全然ダメ」のうち、ちゃんと条件を満たしていながら、単位に値しない、どうしても耐えられない内容のレベルのものが数件ある。これらを不可にした場合、それらのレポートを点数換算すると本当に単位認定未満の点数となるのか、という疑問に答えなくてはならない。その場合、提出されたレポート全ての点数分布の中で、問題のレポートが不可のゾーンに自然に落とし込まれるよう、レポート全体を見直して点数付与する必要がでてくるのである。これでは二度手間である。そうまでしも点数付与の合理性について付け入る隙は残るだろう。

  そういうわけで、教員にとってレポートの出来が悪いことを理由に不可にするというのは難しいことである。なので、優良可のいずれになるのかを気にせず、確実に単位をものにしたいというならば、レポートで採点する講義を多くとったほうがよい。30分で仕上げた滅茶苦茶な内容でも、定められた形式で期日どおり提出さえされていれば、担当教員はかなりの確実さで最低限の単位を付与するはずである。すなわち、レポートは必ず提出すべきだということだ。不可となるリスクは、試験のウェイトが高い講義より低い。試験より怖くないのである。なぜ一部の学生は、出すだけでいいものを出さず、不可をもらってしまうのか、理解できない。
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フリー的でありながら統制の取れた締りのあるジャズ

2013-02-11 20:41:19 | 音盤ノート
Jack Dejohnette "Special Edition" ECM, 1980.

  ジャズ。2013年1月に同じタイトルの四枚組ボックスセットが発表されているが、ここで扱うのはグループ一枚目のアルバムである。同セットに収録の二作、"Inflation Blues"(参考)と"Album Album"(参考)についてはすで言及した。アルバムによって編成が変わるグループだが、この作品ではドラムのディジョネット以下、David Murray (tenor sax/ bass clarinet), Arthur Blythe (alto sax), Peter Warren (bass)というカルテット編成となっている。

  凄まじく恰好の良い演奏である。弾むような伸縮リズムに小気味良い管楽器隊のソロが繰り広げられるというのが基本で、フリー的な場面もある。しかし、バンド全体はまとまっておりかつ鋭利である。いくつかの曲はジョン・コルトレーンとエリック・ドルフィーへのオマージュとなっているが、マレイとブライスの二管のスリリングな絡み具合から、むしろ「規律と統制のとれたチャールス・ミンガス隊」という印象をもたらす。全体として、知的にコントロールされた演奏ながら、適度な熱量──ECMレーベルにしたらかなり「熱い」けれども──もあり、この絶妙なバランスは他のアルバムで耳にするのが難しい、稀なものだろう。

  このグループ、その後はアレンジ重視となって活き活きとした感覚を失う。そこから、ソロを殺さない程度に楽曲に締りを与えることがいかに難しいことかわかるのだが、このアルバムはその課題をクリアした奇跡的な一枚である。
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英国の教育実態について長期にわたる観察記

2013-02-08 08:19:45 | 読書ノート
山本麻子『ことばを鍛えるイギリスの学校:国語教育で何ができるか』岩波現代文庫, 岩波書店, 2012.

  英国における初等・中等教育の制度と実態の報告。著者は家族とともに渡英して、息子三人を向こうの学校に入れて育てた経験のある研究者。体験記的なところから始めて、子どもたちが実際に受けた授業を実例にとり、英国の教育理念を分析している。オリジナルは2003年で、文庫版はそれを改訂したものである。

  英国では教育のどの段階でも、英語によるコミュニケーション重視であり、英語を主、他教科を従としたカリキュラムが組まれている、ということだ。コミュニケーションといっても、日本のように情緒的なつながりをもとめるものではなく、円滑な議論や説得などで力を発揮するような論理重視のものである。シェイクスピアなどの古典文学の鑑賞においても、そのことは一貫しているようだ。日本なら大学の初年次教育として行われているスタディ・スキルの獲得訓練も、初等教育の頃から中等教育にかけて、段階を追って長い時間をかけて行われているとのこと。

  本書が描いているのはおそらく中流層の教育現場であって、英国教育の全体をこれでつかむのは不十分なのかもしれない。しかし、社会の中核となるはずのそうした層に対する教育方針と実際の教育をコンパクトにまとめており、とても参考になる。
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MBVの22年ぶりの新作が突如として発表された

2013-02-06 00:23:05 | 音盤ノート
My Bloody Valentine "mbv" 2012.

  2月2日に突如としてMy Bloody Valentineの新作が発表された1)。タイトルは“mbv”。CDの現物はまだ手にしていないものの、バンドのオリジナルサイトからのネット販売のみ──LP、CD、mp3の三種──で、レコード会社を介さない販売経路のように見える2)。現時点(2/5)ではアマゾン他大手通販サイトでは入手できない。

  バンドが1990年代の半ばにIslandと契約していた頃の、製作途中で頓挫していた作品を、今になって完成させたもののようだ。どこかのインタビューで、当時流行していたドラムンベースを採りいれた作品であるとKevin Shieldsが答えていたが、確かにそういう曲も多くある。しかし、全体の音の印象は、当時のコンピレーションに収録されていたThe Wireのカヴァー‘Map Ref. 41°N 93°W’に近い。打ち込みドラムに、分離されて明瞭に聴こえるベース、一方で包み込むようなギターサウンドが後退して、厚みが減っている。とはいえ、聴く側の重力場を変えるグラインド感と男女ツインボーカルの夢見心地風情は健在である。

  率直のところ、傑作という感じではない。"Loveless"(参考)のような超ド級の影響力を持った名作に続くには地味すぎ、当時Shieldsがボツにしたくなった理由もよくわかる。けれども、革新的な様式を築き上げた後は、そのスタイルに磨きをかける段階があるのではないだろうか。これはそうした作品である。確かに今さらであり、古臭さもあるが、往年のファンとしてはかなり満足している。

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1) My Bloody Valentineの約22年ぶり新アルバム『m b v』、全曲試聴を実施中 / CINRA.net
  http://www.cinra.net/news/2013/02/04/122508.php

2) My Bloody Valentine Official Site http://www.mybloodyvalentine.org/
  
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