29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

タイプが違いすぎる演奏家の組合せによる化学実験のような録音

2013-09-30 19:57:59 | 音盤ノート
George Adams "Sound Suggestions" ECM, 1979.

  ジャズ。ジョージ・アダムス(tenor sax)は、晩年のチャールズ・ミンガス組のメンバーで、ストレートなソロを吹いたと思ったら突如「うなぎが這いまわるような音」をおり混ぜたりする演奏家である。フリージャズを通過した熱き正統派黒人ジャズであって、ECMと縁があるようなタイプとは思えない。だが、これはどういう理由でかわからないがそのECMで録音されてしまった珍作である。

  サイドメンのうち、Jack DeJohnette (dr), Dave Holland (bs)は豪華でよろしい。しかし、ピアノは相棒のDon Pullenではなく叙情派のRichie Beirach、トランペットに哀愁系のKenny Wheelerと、ソリが合わなそうなメンツと組合わされている。メンバーは以上で十分なのに、さらにHeinz Sauerなるドイツ人テナーサックス奏者が参加しており、無駄に人数の多い六重奏編成になっている。

  その演奏だが、いつものような整理された透明感のあるECMサウンドが聴ける。けれども、アダムスもその中で豪放に暴れまわっており、微塵も彼らしさを失っていない。4曲目ではソウルフルなボーカルまで聴かせて、アダムス節をこれでもかと炸裂させている。しかし、彼が退場したとたんに演奏はいつものECMサウンドに戻ってしまう。その取り合わせがとても奇妙だ。「プリンに醤油をかけたらウニの味がする」みたいなものか。
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能力主義選抜の帰結として階級社会が到来するという

2013-09-27 08:43:25 | 読書ノート
チャールズ・マレー『階級「断絶」社会アメリカ:新上流と新下流の出現』橘明美訳, 草思社, 2013.

  近年の米国社会の動向を詳細なデータを見ながら追ってゆくという社会評論。原書は“Coming Apart: The State of White America, 1960–2010”で、昨年発行されている。「階級分断現象を憂う」というテーマを聞いただけでリベラル系の著作だろうと予想したくなる。ところが著者は保守派である。マレーは“The Bell Curve”(Free Press, 1994, 未訳)でIQを扱って批判を浴びた二人の著者の一人である。

  話は単純。過去の米国社会は社会移動が激しく、低い出身階級から立身出世した者が、社会を動かすような地位に就くことも稀ではなかった。ところが、近年の米国社会は階級が固定化され、階級間の移動が難しくなりつつあるという。上流層には、有名大卒でかつ専門職や管理職に就く「認知的エリート」が増えている。彼等は、似たような大学の出身者や似たような上級職に従事する異性と夫婦になる。遺伝的な理由でその子どもたちもまた賢く、良い大学に進学して良い仕事に就き、結果として支配階級が再生産される。彼らは、犯罪の少ない優良なコミュニティの中で安全に暮らし、米国の下流層の姿を知らないままに社会の舵取りをするようになる。そして著者はそれは危険なことだという。一方で、高卒ブルーカラーを母体とした低賃金労働者および無業者のグループも存在し、そこでは家庭の崩壊、信仰の喪失、失業と犯罪がある。彼らをこうした状況に追い込んだのは福祉国家であり、それはブルーカラー男性をして家庭やコミュニティ維持に無責任な態度を取らせやすいものだと非難している。

  こうまとめるとたいして珍しくもない議論だが、データを白人家庭に絞っていることと、階級の再生産が認知能力に負っているとしているところが本書のミソである。富裕層に白人が多いことは想像がつくことだが、この種の議論では底辺層として有色人種──主に黒人──が対置されてきた。著者はそうした紋切型を避けるべく、社会の底辺に滞留して抜け出せない白人層も大きなグループ("white trash"というらしい)を占めているのだと指摘する。そして、そのような格差を生む要因は、人種ではなく認知能力であるという。この認知能力の差が生まれる理由として、社会学者が原因として指摘するような家庭環境の差だけでなく、遺伝的な能力差もまた挙げられている。すなわち、格差は似たような文化と同程度の認知的能力を持つ者同士の結婚を原因とするもので、それは能力主義選抜の失敗ではなく、むしろ能力主義選抜が進学や上級職の世界に行き渡った結果なのだ、と。

  以上である。しかしながら、上のような論理展開から「福祉国家を止めてアメリカ建国の精神に還れ」と著者が結論するのは論理の飛躍であるという印象を持った。むしろ逆だろう。著者の言うように、格差の原因が似た者同士のカップリングであるならば、有効な政策は何もない。正確に言えば、能力主義や選択の自由という資本主義的(=アメリカ的)な原則を維持したまま、そうした傾向を修正することはできない。ならば、対処療法的に福祉国家による所得移転によって国家の一体感を維持する他ないという結論になるはずである。ちなみに、これは米国だけの傾向ではないだろう。日本においても、橘木俊詔・迫田さやかによる『夫婦格差社会』(中公新書, 2013)で「パワーカップル」なるエリート層夫婦の形成が指摘されていた。
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幅広い受容を狙った聴きやすい作品だが、最後までフリージャズを隠すことはできず

2013-09-25 10:21:42 | 音盤ノート
The Art Ensemble of Chicago "The Third Decade" ECM, 1984.

  ジャズ。The Art Ensemble of Chicagoはフリージャズ系ということになっている(参考)が、このアルバムはタイプの異なった短い曲(10分以内に収まる曲が6曲)を収録しており、彼らを一枚だけ聴いてみたいという人には良いだろう。彼等の他のアルバムと比べると大人しすぎるともいえるが、この聴きやすさは魅力である。

  一曲目の‘Prayer For Jimbo Kwesi’は、雲間から差す光のようなシンセサイザー音をレイヤーにして、管楽器が次々と現れてはソロをとるという静かに盛り上がる曲。次の‘Funky AECO’ではタイトル通りファンク風のエレクトリックベースが反復する。三曲目‘Walking In The Moonlight’はちょっと間抜けな感じもある甘めのスローバラード。四曲目‘The Bell Piece’は金属系の打楽器が明滅する上で、フリー系のサックス、次にちゃんとしたメロディを奏でるトランペットという順序でソロが現れる。五曲目‘Zero’はマイナーコードの8ビートジャズで、チャールズ・ミンガス的な湿っぽさがある。最後の‘Third Decade’は祝祭的な打楽器で始まり、徐々にフリー演奏が繰り出されてカオスとなる「彼ららしい」曲となっている。

  ECMがヨーロッパ路線を採る直前の、まだ米国ジャズ演奏家が大量に在籍していた頃の貴重な録音であり、この時期に残された、レーベルが持つシャープで熱気を欠いた録音スタイルと「本当の姿はもっと熱い」はずのプレイヤーとのギャップが面白い作品群のうちの一つである。
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「すぐに使えそう」と思わせてくれるが、アルゴリズムの論理はよくわからない

2013-09-23 09:06:07 | 読書ノート
坂井豊貴『マーケットデザイン:最先端の実用的な経済学』ちくま新書, 筑摩書房, 2013.

  最適な組合せやオークションの仕組みについての書籍。トピックは三つだけで、最初は腎臓移植における複数の患者とドナーのマッチングが事例。血液型による適合性があるので「誰でもいい」というわけにはいかない。そこで一人一財の配分をする「TTCアルゴリズム」なる方法を使うと、安定的な組合せができるということである。説明の詳細は省くが、このアルゴリズムは単純である。けれどもなぜ適切な結果になるのかはよくわからない。

  次はカップリングパーティのケースで、そこでは「受入保留方式アルゴリズム」が薦められる。このケースでは、男女相互に好みの優先順位があるのだが、それを正直に申告し「ない」ことによって参加者が有利な結果を引き出すこのできる余地がある。受入保留方式アルゴリズムには、これを封じる「耐戦略性」があるという。結果の安定性については言われてみるとそうなんだけど、直観どおりにはいかない結果になるところが面白い。学校選択などにも適用可能とのこと。

  最後はオークションで、財のタイプによって最適なオークションは変わるとのことである。よくイメージされる競り上げ方式だけでなく、競り下げ型、第二価格オークション、それらを変形したものなどが紹介されている。で、政府は貴重な資産である電波の周波数を、オークションで売るべきだ、と。

  以上。さっそく大学のゼミの決定に使ってみようかと思ったところ、最後のページで「生兵法は怪我のもと」という戒めの言葉に出くわす。著者のアドバイスによれば、実際に使う場合はちゃんとした専門書を読んでおいたほうがよい、だって。
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暗く重い抑鬱的な前半をくぐり抜けると天上的な音楽が響く

2013-09-20 10:40:03 | 音盤ノート
Ingram Marshall "Three Penitential Visions/ Hidden Voices" Elektra Nonesuch, 1990.

  ミニマルミュージック以降の現代音楽。ソプラノ、讃美歌、教会の室内音などを磁気テープに録音し、それらを引き延ばしてループさせるという長尺曲が二曲収録されている(ときおりシンセサイザー音も絡む)。茫洋とした感覚もあり、また荘厳であるのだが、重くて暗いとも言える。イングラム・マーシャルはアメリカ出身であるが、かなりヨーロッパ的(というか東欧出身の作曲家っぽい)な感覚がある。

  3トラックに分けられた"Visions"は、冒頭でドローンと鐘が鳴り響き、中盤ではその上に輪郭のぼやけた人の声らしきものの亡霊のごとく浮かび上がり、徐々にソプラノによる祈りの歌となる。最後はオルガン調のシンセサイザー音によるアルペジオが飛び跳ねるように鳴らされ、昇天した後の天国的世界を表現する。続く"Voices"は、ソプラノによるスキャットが繰り返される美しい曲である。途中でサンプリングされた東欧の聖歌が重ねられ、混沌とした状態に陥る。だが、最後は安らぎを取り戻してやはり昇天させられる。

  二曲とも曲の最後までたどり着くことができれば、開放感と喜びが得られるという構成である。だが、暗くて寒いトンネルのような序盤と中盤を我慢して聴き続けることができるのかというのが問題だろう。CDが廃盤状態でダウンロード販売のみであるところをみると、耐えられる人はそう多くないみたいだ。
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統計学の応用事例を通覧することができる読み物であり、その学習は別書籍で

2013-09-18 07:27:57 | 読書ノート
西内啓『統計学が最強の学問である』ダイヤモンド社, 2013.

  統計学の手法と適用方法について解説する一般書籍。正規分布などの分布、検定を理解するために必要な二種類の過誤、基本の基本である中央値と平均値の違い、標準偏差など、この分野の重要な概念についてはまったく説明していないので、統計学の正統な入門書とは言えない。むしろ、分析例を示してその応用可能性を知らしめるというのが本書の狙いであり、その狙いは完璧に当たっている。面倒くさい概念を苦労して理解しなくてもその使い方をなんとなく分かった気にさせるというのが、本書がベストセラーになったゆえんだろう。

  構成は次のようになっている。冒頭で統計学の発展史とその可能性をかいつまんで示したあと、ビッグデータ全盛のこの現在にあって、低コストで正確な推定ができるサンプル調査のメリットを説く。続いて、ランダム・サンプリングとなるような調査設計の必要性を説き、それができない場合は回帰分析(をベースにした多変量解析)を使うよう述べる。ここで出てくる「t検定も回帰分析も考え方は一緒」というまとめ(p170)は本書の白眉である。その後は、疫学、心理学、データマイニング、テキストマイニング、計量経済学、ベイズ統計学など、各分野での応用事例と考え方について述べている。ここは説明不足なところもあるが、代わりに広く分野を通覧できることで埋め合わせている。

  以上のような、半日もあれば読み終えることのできる読み物となっている。読者としては「統計学を勉強しようか迷っている数学嫌いの人」に良いのではないだろうか。使えそうだという見通しがたつのなら、次は小島寛之の『完全独習 統計学入門』を苦労して読んでみようという気になるだろう(とはいえ回帰分析はまだ先の世界だが)。ある程度わかっている人にとっても、学問領域における使用方法の違いを解説した後半は参考になる。

  個人的には読みながら次のようなことを思いだした。かつて前任校で、在校生の学校に対する満足度を調査したことがある。その際、授業、教職員の親身さ、施設・設備、イベント、友人関係など、満足度に影響する要因を調べるための項目も加えた。分析の結果、授業の質は学校に対する満足度と高く相関していたが、教職員の親身さは無関係であることが分かった。この結果を受けて企画されるという学内研修会のために、僕ら調査班は報告書を上げた。ところが、出てきた研修会のテーマが「教職員の学生への接し方」になっていて、落胆したことがある。報告書でそれは無関係だと指摘したはずなのだが・・・。教訓としては、職場には数字の意味がわからない人もいる、ということである。そういう人は説得が難しい。そのうえ、発言権を持っていたりすると組織にとって悪夢である。
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ピアノとバンドリンの早弾きデュオによる陽気なライブ録音

2013-09-16 21:00:45 | 音盤ノート
Stefano Bollani / Hamilton de Holanda "O Que Sera" ECM, 2013.

  ジャズ。イタリア人ピアニストのステファノ・ボラーニと、ブラジル人バンドリン奏者のハミルトン・デ・ホランダのデュオ演奏。バンドリンとはマンドリンのイベリア半島版で、ボサノバ以前のブラジル大衆音楽「ショーロ」によく使用される楽器である。なお、演奏はアントワープでのライブである。

  甘くゆったりした曲も聴かせるのだが、早弾きで挑発しあうようなプレイの方が印象に残る。選曲は、それぞれのオリジナル曲が1曲ずつあるほか、ジョビン、エドゥ・ロボ、シコ・ブアルキ、ピシンギーニャ、エルネスト・ナザレーらブラジル人作曲家の曲に、Gualtiero Malgoniなる20世紀前半のイタリア人作曲家のカンツォーネ、ピアソラのタンゴという具合である。聴きものは、8曲目のバーデン・パウエルの名曲‘Canto De Ossanha’で、エリス・レジーナ版のような爆発力は無いものの、9分弱を緊張感を湛えたまま猛スピードで駆け抜ける演奏になっている。

  全体的に、丁々発止の様子が楽しげで盛り上がる。ただ、荒っぽさも残る。個人的な好みを言えば、勢いにまかせたライブ録音ではなく、一音一音を練ったスタジオ録音の方を聴きたかった。すごくいい演奏だからこそそう思う。

  
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群雄割拠状態こそが持続的な経済成長をもたらすという

2013-09-13 14:26:39 | 読書ノート
E.L. ジョーンズ『ヨーロッパの奇跡:環境・経済・地政の比較史』安元稔, 脇村孝平訳, 名古屋大学出版会, 2000.

  近代においてヨーロッパ諸国がアジアの諸帝国に対してなぜ優位に立つことができたのかを検討した経済史の専門書。原書初版は1981年、二版が1987年である。同著者は、日本も視野に入れた理論編『経済成長の世界史』(参考)も著わしているが、まず読むべきなのは本書の方だろう。

  本書では、環境、人口動態から制度面まで複数の要因が挙げられているものの、もっとも重要なのはヨーロッパ域内における諸国家併存体制であることが示唆されている。隣接国家間において相対的劣位に陥らないよう、商業を保護して経済発展を維持しなければならなかったからである。このため、アジアの大帝国に比べて権力の行使が抑制され、おかげで投資も促されることになったという。ではなぜ、中国やインド、中近東のようにヨーロッパで統一国家が維持されず、諸国家併存体制になったのかというと、地政学的な要因──ユーラシアで辺境にあったことと、大きな島や山岳が耕作可能な平地を分割してこと──を理由に挙げている。

  また、人口動態に関してはマルサス的であり、資本蓄積の条件の一つとして低い人口増加速度が必要とのことである。かつて読んだ何かの本でこうした見方に反論が加えられていたはずだが、タイトルを失念してしまった。この点はさておき、適度な中央集権を強調するアセモグル著(参考)と比較してみても面白いかもしれない。あと、中国宋時代の描き方は、昨年の話題作・與那覇潤の『中国化する日本』にも影響を与えているだろう、たぶん。
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名曲揃いの優雅なストリングス付ボサノバ集

2013-09-11 13:38:25 | 音盤ノート
Antonio Carlos Jobim "A Certain Mr. Jobim" Warner Bros., 1967.

  ボサノバ。世間的には、"Wave"(CTI, 1967)ほかのこのアルバムの前後に発売されたCTI録音のアルバムの方が評価は高い。とはいえ、ジョビンのアルバムはどれもこれも軽く薄いイージーリスニング風味で、本人の歌唱も上手くなく、ピアノも訥弁で、心を揺さぶるような音楽的体験をそもそも期待すべきものでない。あまり考えずに、心地よさに身を任せるように聴くというのが正しいだろう。

  本作は、ジョビンの残した録音の中でもとりわけ優雅な演奏が聴けるものである。Claus Ogerman編曲のオーケストラを従えた録音は他にもいくつかあるが、小気味良く打楽器が打ち鳴らされるせいで、能天気に聴こえることがしばしばあった。しかし本作は、ゆったりとしたストリングスと、ジョビンによるもったいぶった歌唱(収録曲の半分はインスト曲だが)によって、ゴージャスで重厚な印象を与えている。打楽器音を小さめにして、リズムをギターに委ねたこともそうした印象に貢献している。典型的な“With Stringsもの”と言えるだろう。

  曲目には‘Bonita’‘Desafinado’‘Photograph’‘Surfboard’‘Esperanca Perdida’‘Zingaro’など、よく演奏される名曲が並び、この点はマイナー曲だらけのCTI作品より充実している。とはいえ、ジョビンのレコーディング・キャリアからは、彼が超一流のメロディメイカーではあるものの、名編曲家でも名演奏家でもなかったことがわかる。そういうわけで、その曲はちゃんとした歌手のアルバムでまず聴いた方がよい、“Getz/Gilberto”(Verve, 1964) またはAstrud Gilbertoのデビュー作(参考)を皮切りに。ジョビン録音はその後で十分である。
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人は誰でも「心の理論」をもつことを、それが機能しない場合から分析する

2013-09-09 16:37:36 | 読書ノート
サイモン・バロン=コーエン『自閉症とマインド・ブラインドネス』長野敬, 長畑正道, 今野義孝訳, 青土社, 1997.

 「心の理論」について仮説を展開する心理学の書。理論中心の専門書であり、臨床例は少ないので、一般読者には読みにくいかもしれない。視線をめぐる考察など、冗長に感じられる部分もある。それでもこの分野では古典のようだ。原書は"Mindblindness : An essay on autism and theory of mind"で、1995年発行。なお、このブログでは、同著者の『共感する女脳、システム化する男脳』(参考)をすでに取りあげたことがある。

  本書は、正常な人間ならば成長の過程で「心の理論」を有するようになると説く。「心の理論」とは、他者の心的状態について何らかの手がかかりから妥当であると思われるような仮定を持つことである。「Aはケーキを冷蔵庫に入れてその日は眠った。夜中にこっそりBがそれを食べた」という話を聞いたする。正常な人は「翌日朝起きたときにAは冷蔵庫にまだケーキが存在すると考えている」と想定する。なお、こうした「心の理論」の獲得は生得的なものであり、霊長類において群れ生活を生き抜くために進化したらしい。

  しかし自閉症児はこうした推論が苦手で、冷蔵庫にはケーキが無いという事実からAもまたそう認識していると考えてしてしまうという(ただし、何割かは正答することもあり、障害にも程度があるようである)。そう書かれてはいないものの、読んだ限りでは、自閉症児の障害は意識志向水準における二次以上の水準の問題のようである(参考)。彼らは単純に他人の心が読めないというわけではなく、怒りや喜びなどで表現される他者の心の状態については推論できる。一方で「驚き」など、「ある状態を想定していたのにそうでなかった」という認識上のずれを示すような心的状態については理解できないとのことである。

  かつてネットで挙げられていた事例で、「自閉症児は食卓で「醤油ある?」と問われても、相手が醤油をとってくれるよう依頼していると解釈するのではなく、字義通り醤油の有無を問われていると解釈して「ある」とだけ答える」という話があった。これと意識志向水準の話は違うように思うのだが、どうなんだろうか?
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