アビジット・V.バナジー, エステル・デュフロ『絶望を希望に変える経済学:社会の重大問題をどう解決するか』村井章子訳, 日本経済新聞, 2020.
一般向けの経済学書籍。バナジーとデュフロは、ランダム化比較試験を使った貧困の研究で知られており、2019年にノーベル経済学賞を受賞している。このコンビには、すでに『貧乏人の経済学』という邦訳があるが、本書はその視野を先進国にも広げて論じた第二弾ということになる。原書は Good economics for hard times: better answers to our biggest problems (Allen Lane , 2019.)である。
本書で繰り返し提示される認識として、人間はそうやすやすと生活スタイルを変えたりしない、というのがある。経済的に上昇する機会が開かれていたとしても、失敗した場合のリスクがどれほどかもわからないので、人々は仕事を変えたりしないし、住む土地を離れたりしない。たとえ失業や貧困の中にあっても、これまで築いてきた人的ネットワークの利用が見込める現状の方に留まりがちである。世間で考えられるほど途上国から先進国への移住は頻繁ではないし、国際貿易の進展やテクノロジーの発達によって失業した先進国の住民も、期待されるほど新しい仕事探しに熱心ではない。経済学が想定するような均衡状態への移行は、けっこうな長い時間がかかるのだ。
一方で、経済成長を促進する政策について経済学は特定できていないという。すなわち、パイの分け前を増やす方法についてはわからない、ということだ。途上国ならばある程度はキャッチアップによって発展する余地があるけれども、将来のいつかの時点で頭打ちになると予想されている。では先進国の政府は経済政策として何をしたらよいのか。国の幸福度を高めること、そのための分配方法の付け替えである。超富裕層から多くを取って、貧困層に与える。ただし、分配はデリケートに行わなければならない。富裕層に対しては、所得だけでなく資産にも課税する。でないと、格差の拡大は止まらない。貧困層に対しては、彼らを不利な状態に留めおいていたいた要因──スティグマをもたらす福祉制度など──を取り除き、彼らの尊厳を回復して社会に貢献してもらう、と。
以上のようなストーリーの合間に、経済をめぐる論争や経済学の実証研究の紹介、著者が経験した事柄、具体的な政策提言などが挟まれ、それらが全体をふくよかなものにしている。例えば、投資の合理性についてははしばしば問題になるけれども、良い投資先を見つけるのは難しく、民間でも政府でも同じように失敗がある。民間の投資機関はリスク回避であるからこそ、知らない人が経営する企業ではなく、不効率であるもののよく知っている親族の企業にお金を回す。また、著者らによればベーシック・インカムは日雇い的な仕事に就労する層の多い途上国では機能するという。しかし、安定的な雇用労働者の多い先進国には適していないとし、失業給付と労働訓練・再就職支援のセットの方を勧めている。
で、邦訳タイトルのように希望を感じられる内容だったか。これは読む人が属する社会層によるだろう。読者の大半が属する中間層に対しては、北欧並みの税金が課されるのを受け入れるよう提言される。そのメリットは、失業したときにスムーズに転職や住居移動ができる(生活水準が維持できるとは言ってない)、平等化によって現状のような国内の社会対立を避けることができる、という二つである。これは、悪いとは言わないが、喜びたくなるようなものでもないというのが率直なところだ。日本の失われた二十年をめぐる議論では、分配方法の変更こそが政治的に困難であり社会対立を呼び起こす──日本では高齢者が多くの資産を持っている──ので、2%程度の経済成長を目指そうという方向になったのではなかったか。
一般向けの経済学書籍。バナジーとデュフロは、ランダム化比較試験を使った貧困の研究で知られており、2019年にノーベル経済学賞を受賞している。このコンビには、すでに『貧乏人の経済学』という邦訳があるが、本書はその視野を先進国にも広げて論じた第二弾ということになる。原書は Good economics for hard times: better answers to our biggest problems (Allen Lane , 2019.)である。
本書で繰り返し提示される認識として、人間はそうやすやすと生活スタイルを変えたりしない、というのがある。経済的に上昇する機会が開かれていたとしても、失敗した場合のリスクがどれほどかもわからないので、人々は仕事を変えたりしないし、住む土地を離れたりしない。たとえ失業や貧困の中にあっても、これまで築いてきた人的ネットワークの利用が見込める現状の方に留まりがちである。世間で考えられるほど途上国から先進国への移住は頻繁ではないし、国際貿易の進展やテクノロジーの発達によって失業した先進国の住民も、期待されるほど新しい仕事探しに熱心ではない。経済学が想定するような均衡状態への移行は、けっこうな長い時間がかかるのだ。
一方で、経済成長を促進する政策について経済学は特定できていないという。すなわち、パイの分け前を増やす方法についてはわからない、ということだ。途上国ならばある程度はキャッチアップによって発展する余地があるけれども、将来のいつかの時点で頭打ちになると予想されている。では先進国の政府は経済政策として何をしたらよいのか。国の幸福度を高めること、そのための分配方法の付け替えである。超富裕層から多くを取って、貧困層に与える。ただし、分配はデリケートに行わなければならない。富裕層に対しては、所得だけでなく資産にも課税する。でないと、格差の拡大は止まらない。貧困層に対しては、彼らを不利な状態に留めおいていたいた要因──スティグマをもたらす福祉制度など──を取り除き、彼らの尊厳を回復して社会に貢献してもらう、と。
以上のようなストーリーの合間に、経済をめぐる論争や経済学の実証研究の紹介、著者が経験した事柄、具体的な政策提言などが挟まれ、それらが全体をふくよかなものにしている。例えば、投資の合理性についてははしばしば問題になるけれども、良い投資先を見つけるのは難しく、民間でも政府でも同じように失敗がある。民間の投資機関はリスク回避であるからこそ、知らない人が経営する企業ではなく、不効率であるもののよく知っている親族の企業にお金を回す。また、著者らによればベーシック・インカムは日雇い的な仕事に就労する層の多い途上国では機能するという。しかし、安定的な雇用労働者の多い先進国には適していないとし、失業給付と労働訓練・再就職支援のセットの方を勧めている。
で、邦訳タイトルのように希望を感じられる内容だったか。これは読む人が属する社会層によるだろう。読者の大半が属する中間層に対しては、北欧並みの税金が課されるのを受け入れるよう提言される。そのメリットは、失業したときにスムーズに転職や住居移動ができる(生活水準が維持できるとは言ってない)、平等化によって現状のような国内の社会対立を避けることができる、という二つである。これは、悪いとは言わないが、喜びたくなるようなものでもないというのが率直なところだ。日本の失われた二十年をめぐる議論では、分配方法の変更こそが政治的に困難であり社会対立を呼び起こす──日本では高齢者が多くの資産を持っている──ので、2%程度の経済成長を目指そうという方向になったのではなかったか。