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図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

図書館映画の感想とついでの思いつき

2019-10-20 07:36:49 | 映像ノート
映画『ニューヨーク公共図書館:エクス・リブリス』フレデリック・ワイズマン監督, 2019.

  日本初公開から遅れること五ヵ月、勤務先の近所にある下高井戸シネマ1)で公開されるというので出勤ついでに観てきた。ただし、長すぎて観た後に仕事をする気力は無くなった。なお、僕は20年以上前の1990年代後半に旅行者として同図書館を訪れ、館内ツアーに参加したことがある。けれども、その頃は僕の知識が無さすぎでかつ英語がわからないしで、よく理解できていなかった。

  映画は特定の人物に焦点を当てることはせず、図書館が主催する講演会や会議、利用者などの様子を淡々と写してゆくというもの。館内の裏方仕事の描写やコレクションの紹介が無いわけではないものの、割合的には少ないと言えるだろう。カメラが捉えることの多くは、講演会や舞台活動、子どもやマイノリティに対する教育活動、文学サークルでのディスカッションなどで、主に人的サービスである。いろいろ活動を行っているものの、目的自体は「多様」という感じではなく、格差対策やマイノリティへの文化接触・学習機会への提供を目的としているようだった。これはたぶん、ワイズマン監督の関心のせいでそのように切り取られたのだろう。

  菅谷明子『未来をつくる図書館』(岩波新書)によって日本で知られるようになった「ビジネス支援」を捉えるシーンは無かった。映画では「アーティスト」による創造に限定されてしまっていたけれども、世界のビジネスの中心であるニューヨークなのだから、起業などビジネス文脈で「創造」がなされるシーンを捉えてほしいとも思う。このほか繰り返しカメラが入るのが、館長ほか管理職が参加する会議である。いかにして市からの公的資金または民間の寄付金を獲得するか、また出資者の意図と図書館の目的をどう調整するか、などが議論される。個人的には、会議の映像は少々しつこいと感じたのだが、マネジメントの緊迫感を伝えるものとはなっていた。

  というわけで、ニューヨーク公共図書館の人的サービスにアクセントを置いた編集であり、そのメニューの多様さに圧倒される。ある意味で物量で勝負する内容の映画となっている。

  しかし、である。以下は映画に対してではなく、図書館活動に対して感じたところを記す。クラシック・コンサートから有名人を招聘しての講演会・朗読会、電話でのレファレンス、障害者支援、学童保育にあたることまで、本当にいろいろやっている。だが、就労支援などは図書館がやるより日本のハロワのように専門機関がやったほうがいいのではないか。子どもに対してボランティア職員(?)がSTEM教育を授ける光景も見られるが、図書館に来ない子どもも含むよう学校できちんとやったほうがいいのでは。病気について自分で調べるのもいいけれど、医者に行ったほうがもっといい、などとも思う。他の公的サービスに比べて図書館に社会のリソースを割り当てすぎているということはないのだろうか、と疑問に思ってしまった。

  映画パンフレットによれば、いくつかのサービスは一応他の公的部門がすでにやっているとのことで、それに重ねてさらに図書館がやっているということらしい。しかしながら、やはり米国では義務教育や健康保健など他の公的サービスが薄弱だというイメージがある。議会と司法が強すぎて行政が柔軟に動けないとフランシス・フクヤマが指摘していた(参考)。市全域で一律に何かやるというならば自由の侵害といった面倒な議論が沸き起こりそうだが、ニューヨーク公共図書館のようなNPOならば柔軟に動ける。自発的に来館したものだけを対象とするだけでいいので「強制」を避けることができる。だが、その広がりは利用者までで終わっており、その目的とするところは社会全体に浸透しない。結局、社会全体としては格差のコントロールに失敗してしまっている。

  ニューヨーク公共図書館を筆頭に、米国の図書館に対しては、その活動力と新たなサービスへの創造力に対して賞賛の念を禁じ得ない。図書館にしてみれば、行政が不十分だから図書館がやる、ということなのだろう。しかし、図書館が輝いてみえるのはそのような文脈のためではないだろうか、という気もしてきた。まあ、以上は思いつきにすぎないので、いずれもう少し検討してみたい。

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1) 下高井戸シネマHP http://www.shimotakaidocinema.com/
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細かいところに深入りしないで音楽を聴かせるロック映画

2018-12-05 23:19:10 | 映像ノート
映画『ボヘミアン・ラプソディ』20世紀フォックス, 2018.

  英国バンドのクイーンの、というよりそのリードシンガーだったフレディ・マーキュリーの伝記映画である。ロキノンでパンク~ニューウェーヴ系の趣味を叩き込まれた僕としては、クイーンはオールド・ウェイブに属する興味の湧かないバンドであった(まあ今となっては無意味な括りだけれども)。だが、妻が行きたがっていたので一緒に映画館で見ることにした。

  1970年のバンドの結成から1985年までのライブ・エイドまでというのがそのストーリー。マーキュリーのインドでの少年時代や、エイズ闘病時代はナシ。ブライアン・メイほか他のメンバーのプライバシーについて深く入りこむこともない。バンドとしての音楽上の思考錯誤と人間関係、同時期のマーキュリーの私生活を描く内容となっている。ただし、感情のメリハリはあるものの、じっくり見せるわけでもない。音楽を聴かせるためのつなぎのような扱いである。劇中では誰もが知っている有名曲が次々と繰り出されるので盛り上がる。

  今時の映画だなと思ったのは、インド系英国人であることが強調されているところである。当時の英語圏における大衆音楽界隈で、白人でも黒人でもない人種的アイデンティティというのは居場所がなかった。マーキュリー本人も自身のエスニック・アイデンティティを誇示してみせたことは無いと思う。しかし、この映画ではその家族的出自と父親との確執が主人公の孤独を説明する一つの原因として扱われている。

  一方で、同性愛者(正確にはバイセクシャル)であることをマスメディアに対して秘匿していたかのように描いているのはちょっと違和感が残った。というのは1980年代の英国で、もはやゲイであることはセールスに響くようなタブーではなかったからだ。Frankie Goes To HollywoodとかDead Or Aliveとか普通に売れていたし、ミュンヘンディスコのソロ作というのもわかりやすい記号だった(ジョルジオ・モロダーと組んだ"Love Kills"はエレポップ好きとしては見逃せない)。

  映画としては、スタジアムで大観衆に突き上げられる高揚感をうまく映像化できていたと評価したい。というか音楽の力かな。終わった後、映画にしたら面白いだろうロックバンドを考えてしまった。真っ先に思い浮かんだのはBadfingerだが、メンバーから自殺者二名というのは暗すぎるか。でも観たくならないだろうか。
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倫理感からくる躊躇を回避すべく情動を制御された兵士の物語

2017-02-08 11:42:27 | 映像ノート
映画『虐殺器官』村瀬修功監督, 東宝, 2017.

  アニメ。SFアクション。ただし暴力シーン満載のためR15+指定となっている。原作は伊藤計劃による2007年の同タイトルのSF小説。映画は場面によって少々設定の変更があるものの、基本的なストーリーは原作を踏襲している。伊藤計劃作品としては『ハーモニー』『屍者の帝国』もアニメ映画化されているが、いずれも僕は観ていない。

  アニメ映画にはあまりくわしくないのだが、凝った作画に思弁的な会話が続くという点で、押井守系統の演出であると感じた。ただし会話の中身はかなり重要で、これが理解できないと登場人物の行動がよくわからなくなる可能性もある。「かつて先進国ではテロが盛んだったが今はなくなった──一方で後進国ではジェノサイドが頻発している」という設定を頭に入れておくのは最低限。原作を読んでから見に行ったほうがいいと思う。そうすると、主人公の歩みとともに謎解きをする醍醐味が失われてしまうというデメリットもあるのだが。

  原作では、主人公の夢に母親を登場させることで、主人公に内面や人間性があることを示唆していた。映画ではこうした部分はカットされていて、医療技術の力によって情動を抑えられた主人公は、戦闘局面を冷静に分析しながら、たとえ兵士が子どもであっても躊躇なく殺すことができるという、完全な殺人マシーンであるかのように描かれている。だが、主人公の人間性を示す描写は、映画でも採り入れたほうが良かったように思える。最終的にヒロインに寄せる感情のため主人公の行動が任務から逸脱してしまう。この感情を説明する伏線となる情報が無かったからである。まあ微妙なところではあり、無くても違和感はないと言われればそうかもしれない。

  原作は超のつく傑作だが、映画はそこまでいかず「出来のよい作品」の部類だろう。謎解きのストーリーもよくできているし、ドンパチを眺めているだけでも盛り上がる。しかしながら、作品全体のメッセージは重くて暗澹たる気にさせるもので、スッキリ気持ちのよい映画というわけではない。家族向けでもカップル向けでもないので、個人的には久々に一人で映画を観ることになった。こういう経験は久々だったな。
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家庭を巻き込む丸刈り男たちの覚醒剤製造ドラマ

2015-09-09 10:41:16 | 映像ノート
DVD『ブレイキング・バッド』ヴィンス・ギリガン製作, ソニー・ピクチャーズエンタテインメント, 2010-15.

  米国製のテレビドラマ。高校で化学を教える冴えない中年男が、ある日自分が癌で余命いくばくもないことを知り、身重の妻と脳性マヒの息子に遺産を残すべく、覚醒剤の製造に手を染めるという話。舞台はニューメキシコ州アルバカーキ。周囲は砂漠で、街にはヒスパニック系が多く住み、いつもスカッと晴天だがどこか荒涼としたところのある街である。

  全62話。シーズン1と2は、麻薬をめぐる命がけの闘争をしたそのすぐ後に、家族を騙して普通の家庭人に戻ってみせる主人公の表裏の使い分けが見どころ。ドラマの初期は俳優の演技力を見せるホームドラマ的なところがあって、そういうのが好きでないと冗長に感じるかもしれない。シーズン3と4は大物の悪役との知略を尽くしたバトルが、5と6は主人公が守ろうとした家族がどんどん崩壊していく様がそれぞれテンポよく描かれ、回を重ねる毎に面白くなってゆく。

  ただ、誰が観ても楽しいというわけにはいかないだろう。登場人物の多くが渋面で腹の出た中年男で、しかもスキンヘッドだらけ。髪があった登場人物もなぜかドラマの途中で剃り上げて坊主になってしまう。そういうわけで登場人物らの視覚的な魅力には欠ける。若い男女のロマンスはほんのわずかあるだけで、ほとんどは殺伐とした家庭内のやり取りと、隠れ家での麻薬製造、裏社会の男たちとの交渉および銃・刃物・毒物を使った命の駆け引きにシーンが費やされる。

  評価したいのは中年男の面倒臭さというのが非常によくわかるところ。そのプライドと卑屈さと小狡さが一緒くたになった内面のリアリティは圧倒的で、ストーリーが多少ご都合主義的なところに目をつぶっても賞賛したくなる。負のエネルギーに満ちた主人公が頑張れば頑張るほど周りが滅茶苦茶なる。少なくとも中年男の自分にはよく刺さった。
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渋谷を舞台にした西遊記風登場人物によるスターウォーズ

2015-07-27 09:38:32 | 映像ノート
映画『バケモノの子』スタジオ地図, 2015.

  昨日「お父さんは『北斗の拳』を読んで育った人間なので義理がある」という理由で『マッドマックス:怒りのデス・ロード』を目当て映画館に向かったのだが、最終的に家族の間で折り合いがつかず『バケモノの子』を観ることになった。

  事前情報を何も仕入れておらず、細田守についても流行りのアニメ映画の監督であるということ以外何も知らなかったので、「けっ、どうせ山犬に育てられたもののけ姫が成人してエスパー能力を身につけ、その力を使って小学校時代のいじめっ子たちに残酷な復讐をしたあげく、日本全土を焼野原にするんだけど、アシタカの愛にほだされて海か月に帰っていくんだろ。楽しみだなあ」と勝手にストーリーを想像していたのだが、全然違った。

  ストーリーを『スターウォーズ』シリーズを使って簡単に説明すると、千と千尋の湯屋街で無頼派の剣豪三船敏郎に育てられた孤児ルーク・スカイウォーカー(ただしその性格は『Zガンダム』のカミーユ・ビダンのごとく無礼で面倒くさい)と、きちんとオビ=ワン・ケノービから英才教育を受けたのにもかかわらずフォースの暗黒面に落ちてしまったアナキン・スカイウォーカーが、三船vs.ケノービの決闘の遺恨を巡って渋谷の街を舞台に激突するというものである。

  基本は主人公ルークの成長物語であるが、青春ラブストーリー的な側面もあり、図書館においてルークが女子高生にメルヴィル『白鯨』の中の「鯨」という漢字の読みを尋ねるところからその交流が始まる。こんなことを現実にやったら気持ち悪がられるだけなので、若い男性は絶対真似をするなと言いたい。

  そうしたストーリー以上に、舞台となる渋谷の街の再現ぶりには驚かされた。かなり忠実である。Qフロントが出来る以前の渋谷の交差点が再現されているシーンもあり、まだ渋谷に「小奇麗な格好をした若者の街」というカラーがあった1990年代前半が思い出された。その後、渋谷はチーマーやらガングロやらで頭が悪くて野蛮な雰囲気に変わり、街の面白さの面では秋葉原に敗れて凋落した。今でも渋谷は人が多いけれども、かつての色を失い、ごちゃごちゃしているだけになった。などなど、映像を見ながら年寄りの感慨にふけってしまった。

  個人的には、ここ数年映画館で観たのはジブリと『ドラえもん』か『クレヨンしんちゃん』のシリーズ映画だけなので、久々に新しい作家の作品に接することができることが少々喜ばしかった。『マッドマックス』は一人で見るか。
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閉架式から開架式の転換を告げる貴重な映像『格子なき図書館』

2015-01-21 17:38:10 | 映像ノート
DVD『映像でみる戦後日本図書館のあゆみ』日本図書館協会, 2014.

  昨年末にJLAから『格子なき図書館』(1950)と『図書館とこどもたち:ある市立図書館の児童奉仕』(1979)の二つの記録映画を収録したDVDがJLAから発行された。『図書館とこどもたち』は東京日野市の図書館活動を撮ったものらしいが未見。今回『格子なき図書館』のほうを見る機会があった。

  製作はGHQの民間情報教育局であり、新しい図書館の啓蒙活動に使用されたのだろう。その内容は「これまでの図書館は、閲覧料を徴収する有料制でなおかつ閉架式。使い難いことこの上ない。しかし、これからの図書館は開架式で、書架に行って直接書籍を探せます。レコードも映画も視聴できます。農村の奥地までエクステンションサービスもやっています。」というもの。新潟、千葉などの県立図書館がその代表として紹介されている。

  開架式のメリットを伝えるという点では狙い通りだったろう。ただ、タイトルにある格子って何?以前の図書館にもそんなものないでしょ。英題は"Libraries without Bars"なので「(閉架書庫と利用者の間にある)カウンター無き図書館」ではないだろうか(あまり自信があるわけではないので詳しい人は教えてください)。敢えて昔を悪く表現するため、戦略的に「格子」と訳したのかもしれない。
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プラネタリウム番組についての思いつき

2013-08-15 18:00:28 | 映像ノート
  子連れで楽にまわることのできる施設に科学館がある。多くの場合、プラネタリウムも併設されており、足休めに観覧することが多い。プラネタリウム番組には王道パターンというものがあって、冒頭10分間ぐらいで星座の解説をし、その後30分程度アニメーションの上映を行う。事実上の安い映画館である。

  先日、小牧市のプラネタリウムで『ONE PIECE』を観てきた。いつ頃かはよく覚えていないものの、横浜で『星の王子様』、小牧で『スターリーテイルズ』、岐阜で『名探偵コナン』を観た覚えがある。『名探偵コナン』は星とは全然無関係な内容で、『ONE PIECE』は星を題材にはしているものの、プラネタリウムで上映する必然性を感じなかった。テレビで見ても大して変わらないだろうと思わせるクオリティだった。『星の王子様』はなかなかだったけど、暗い話なので我が子は全然喜ばなかった。

  大人の目から見ると、『スターリーテイルズ』はドライブ感があって面白かった。作り手が180度の視覚体験に意味をわかっており、映像が奥の方に向かってに進んでゆくと、椅子に座っている観客も前に進んでいるかのような錯覚を覚えさせる作りになっている。ただ、子どもに言わせると「空を飛んでいるようで怖い。車酔いしそうな気持ち悪さもある」とのことである。子ども受けを狙うかクオリティを追求するかというジレンマはどこにでもありそうな話である。

  ところで、これらプラネタリウム番組ってどこかの機関が保存しているのだろうか。DVDになっているものもあるようだが、そもそもすべてが市販されるわけではないように見えるが。

  
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生物学者としての知見が減って歴史ドキュメンタリーに

2012-09-21 11:31:24 | 映像ノート
DVD『銃・病原菌・鉄』日経ナショナルジオグラフィックック, 2007.

  ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を映像化した内容。同著は、南北問題の原因を究極的には地理的条件にさかのぼる内容だった。ユーラシア大陸は東西に延びているため、同緯度にある地域に農作物を伝えやすく、おかげで人口が増加し、文化も伝播してゆく。一方、アメリカやアフリカは南北に長く、赤道をまたいで植生が変わるため、農業や文化の面で他地域との交流が少なく、発展があまりない。そのためにヨーロッパは、全世界を征服できたのだ、と。タイトルにある銃・病原菌・鉄は、植民地時代の幕開け時点でヨーロッパ人側に有利にはたらいたアイテムを示している。

  このDVD三枚組はダイアモンドがナビゲーターとなり、パプアニューギニア、スペイン、南アフリカに取材するというもの。映像で見ると、彼の仮説はかなり大雑把なものに感じられる。書籍にあった、生物学者としての視点や、人類の移動や文化の伝播などについての細かい検証が後景に退いてしまったせいだろう。その分、歴史ドキュメンタリーとしての性格が濃くしているようで、ピサロによるインカ帝国の征服と、ボーア人によるグレート・トレックを再現したドラマ部分をクライマックスにした構成となっている。まあ、ドラマ部分はそれなりに楽しめるけど、このDVDはあくまでも同書籍への導入というレベルの内容である。読んだ人は見なくてもいい。
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意識改革が必要な問題には、地道な啓蒙と予算、あとイケメン伝道師も?

2012-09-03 09:37:15 | 映像ノート
DVD『ジェイミー・オリヴァーのスクール・ディナー』アーティストハウス, 2007.

  イケメン英国人タレントシェフが、イギリスの酷い学校給食をもっと美味で栄養的にバランスの採れたものにしようと奮闘する姿を描くテレビ・ドキュメンタリー。DVDは、2005年にChannel 4で放送された全四話を収録しており、二枚組である。ちなみに、school dinnerは学校給食のことらしいが、イギリス英語なのか?

  驚かされるのが、公立校の学校給食の酷さである。可愛らしい形の揚げポテト、成型肉、ピザの三つである。他にもあるのかもしれないが、子どもたちは毎日のようにその三つだけを食べている。家から弁当を持ってくる子どももいるが、中身はお菓子。給食担当者は冷凍されていた食材を温めるだけで、まともな調理をしない。

  おまけに子どもたちが強情。試しにジェイミーが主導してつくった料理が提供されたのだが、まったく手をつけない。口に入れてみても吐き出す。最終的には大量廃棄である。高級レストランを経営し、シェフとして成功しきた彼のプライドをさぞ傷つけたことだろう。実際、落ち込んだり愚痴ったりする場面がしばしばとらえられている。

  しかしながら彼はくじけずに試行錯誤を続ける。子どもたちが本当に自分の作る料理が嫌いなのか、それとも食わず嫌いなのかを調査し、予算制約を克服し、対立していた給食のおばちゃんと和解して協力を得られるようにし、より多くの学校にも給食改善運動に協力してもらう。複数の学校の給食担当者を再教育してスキル向上を目指すが、労働強化のために彼女らが反発しはじめると、予算を獲得しようと役所または政治家に掛け合うという具合である。

  最終的には給食改善がうまくいったように描かれているが、映像で順調であることが見て取れるのは最初に乗り込んだ一校目だけである。給食担当者がそれほど乗り気でないように見える他校でこのプロジェクトが継続できたのかどうかは不明だ。だが、いくつかの学校で食わず嫌いの子どもたちが「まともな献立」を食べ始めたのは確認できる。

  一校目が上手くいった理由は、根気強い継続という地味なものである。給食におけるジャンクフードを段階的に廃し、最終的には「まともな献立」の料理一択とする。あとは、ジェイミーと給食のおばさんそれぞれによる、子どもとその親に対する啓蒙活動である。革命的なアイデアによって状況がバッと変わってしまうという劇的なことは起こらない。しかし、子どものニーズに合わせるのではなく、ニーズそのものを変えてゆくという点でより困難な挑戦だったと言えるだろう。

  給食問題を扱ったドキュメンタリーとして見るならば、日本人に参考になるところはないかもしれない。しかしながら、他人を説得し行動を変えてもらう必要がある問題への取り組みとして見ると面白いだろう。  
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日本版・英国版・米国版、それぞれ同じタイトルで収録作品が異なる。

2012-04-23 20:36:19 | 映像ノート
DVD "Cinema 16 : European Short Films" Warp Films / Beat Records, 2007.

  短編ヨーロッパ映画16作品のアンソロジー。基本1990年代以降の作品中心だが、古いところではダリとブニュエルによる『アンダルシアの犬』やゴダール『男の子の名前はみんなパトリックっていうの』も収録している。ヤン・シュヴァンクマイエルの『ジャバウォッキー』も1970年代か。あとは、クリストファー・ノーラン、マシュー・カソヴィッツ、ラース・フォン・トリアー、スティーブン・ダルドリーほか中堅から若手の監督の初期短編作品である。

  タイトルにはヨーロッパとあるが、16作品中7作品と英国人作家の作品が多い。作品を選択したのが英国の会社だからだろうと思うかもしれないが、調べてみると英国と日本では収録作品が異なる。英国版では、そもそも"European Short Films"と"British Short Films"という二つのDVDが発売されている。前者にゴダール作品、後者にダルドリー作品が収録されているという具合である。日本版"European Short Films"は両者からセレクトした上に、すでに著作権フリーになっている『アンダルシアの犬』を敢えて入れたというものである。米国版も両者からだが、いくつかは日本版と異なり、かつ『アンダルシアの犬』は収録されていない。

  いったい、なぜ国によってこのように収録作品が異なっていいるのだろうか? 著作権のため? それとも日本人向けのマーケティングの結果なのか? また『アンダルシアの犬』は500円の廉価DVDで気安く手に入る作品なので、収録のありがたみは薄い。コンパイルの方針について、どこかで断っておいてほしいところである。
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