29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

遺伝と環境の相互作用について手際よくまとめているけれども...

2013-07-31 21:13:19 | 読書ノート
マット・リドレー『やわらかな遺伝子』中村桂子, 斉藤隆央訳, 紀伊國屋書店, 2004.

  人間形成における遺伝と環境の影響について考察する一般書籍。原題は“Nature via Nurture: Genes, experience, & what makes us human”(2003)で、訳すと「生まれは育ちを通して」。著者は、スティーブン・ピンカー『人間の本性を考える』(NHKブックス)やハリス(参考)とほぼ同じ研究(双生児研究など)から結論を引き出している(そうでないものもある)。ただし、ピンカーらが環境決定論者と戦うために「遺伝子の影響ある」というアクセントの置き方をしたの対して、リドレーは「生まれも育ちも」というバランスの採れた相互作用論となっている。その分、まっとうすぎて意外感も少ないのだが。

  その主張をまとめると「遺伝子が経験できることや学習できることの範囲を決めている。これはほぼ確実である。しかしながら、経験や学習が無ければ遺伝子の効果の発現もない」というもの。加えて「環境といっても、胎児期における母体のホルモンバランスあるいは学習の臨界期のように、事後的の操作による矯正を加え難いものもある」という主張もある。参照される研究事例は多く、具体的な遺伝子名やホルモン名も挙げられており詳細である。兄がいる男児は同性愛者になる確率が高まるという話──胎児が分泌する男性ホルモンに対抗して母体が女性ホルモンを過剰に胎児に浴びせるようになるためらしい──はこの本で初めて知った。

  実を言うと、翻訳が発行された当初読んでみたときはあまり印象に残らなかった。今回再読してみても、非常に手際良く遺伝と環境の関係を解説した良書であることを認めるものの、なんとなく「浅い」という感じが拭えない。著者は、合理的楽天家(参考)らしく、「細かいところで未決の問題は残るものの事実はこの範囲に収まる。わかったら次に進もうぜ」という態度だ。しかし、やはり環境を重視する者が危惧したところ、すなわち社会の制度設計について、立ち止まってもっと踏み込んだ考察をして欲しかった。遺伝の影響は個人だけのものではなく、教育および平等をめぐるに対する考え方に影響するからである。そういうわけで、その考察が無いままではこの種の話は片手落ちだろう。それはこの本の役目ではない、と反論されるかもしれないが、本書はこの領域では後発の書籍だからと言い返したい。
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電子音楽演奏家としての成功が、作曲家としてのキャリアを阻む

2013-07-29 21:03:52 | 音盤ノート
Terry Riley "Rainbow in Curved Air" Columbia, 1969.

  現代音楽。テリー・ライリーと言えばミニマル・ミュージックの誕生を告げる名曲"In C"(1964)が代表作であるが、その最初の録音(Columbia, 1968)はあまり売れなかったらしい。一方でColumbia第二作となる本作は、広く高い評価を得、The Whoほかの当時のロックバンドに多大な影響を与えた。

  収録は全二曲で、どちらもライリー自身による演奏。一曲目"Rainbow in Curved Air"は軽めの電子キーボード音の反復に、これまた輝くような音──ハープシコード系の音色──で鍵盤の即興演奏が入るというもの。天国的きらめきを響かせて聴き手を昇天させるテンポの速い曲である。その昔、まだデビュー前の久石譲が自身のアンサンブルでこの曲をカヴァーしていた。

  二曲目"Poppy Nogood And The Phantom Band"は一転してスローでへヴィになる。オルガンによる重いドローンに、速いソプラノ・サックスの多重録音を加えるという瞑想的な曲。同年のライブ演奏(参考)の方が出来が良いと個人的には考えるが、重ねられたサックス音の分離はこの録音の方が良く、相対的にクリアである。

  この作品の成功は、ライリーに「電子キーボードを操るサイケデリック現代音楽家」というイメージを付与してしまった。本人もまんざらではなかったのか、1970年代の間、即興演奏家として録音とコンサートを重ね、作曲家としてのキャリアを停滞させる。この間、ミニマル・ミュージックをさらに推し進めて代表作をものにしたのはライヒとグラスで、彼らにその栄誉が移ってしまった。一方、ライリーは1980年代前半にはこのジャンルで過去の人になっていた。ライリーに演奏家としての腕があったことが逆に災いしたのだろう。
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ごく特殊な政治制度が長期的な経済発展を促すという

2013-07-26 08:14:46 | 読書ノート
ダロン・アセモグル, ジェイムズ・A.ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか:権力・繁栄・貧困の起源』鬼澤忍訳, 早川書房, 2013.

  制度派経済学、開発経済学、経済史をまたぐ内容で、そのスケールは大きい。世界史的視点と国家間比較により、経済発展を可能にする政治制度および経済制度を検討するという一般向けの書籍である。原著は“Why Nations Fail: The Origins of Power, Prosperity, and Poverty”(2012)で、邦題はほぼ同じ。著者の一人であるアセモグルは、トルコ出身の、すでに英米では著名な経済学者であるが、今回初めての邦訳となる。

  本書において、現在の先進国と開発途上国の間にある差は、制度の違いに求められる。包括的な政治制度と包括的な経済制度の組み合わせは、社会における富の配分を変えてしまうような創造的破壊の局面を乗り越えることができ、持続的な経済発展を可能にする。一方、収奪的な政治制度は、社会におけるごく少数のグループを富ませ、大多数を貧困においたままにする。それは、アジアで見られた開発独裁体制のように、経済成長を促進して成功させることもあるが、支配層が体制を揺るがすような発展を望まないためにいずれ成長が頭打ちになるという。

  包括的な政治制度とは、中央集権制と多元的民主主義の組み合わせである。すなわち、ちゃんと域内を統治できていることと、その集中した国家権力をめぐってさまざまな社会的グループが平和的に牽制しあうような状態のことである。これに、財産権保護と自由主義という経済制度が加われば、長期的な経済の繁栄が可能となるという。本書のニュアンスでは、前者の方が重要だということになる。しかし、この組み合わせは歴史的にはまれな出来事で、英国や北米やオーストラリアで斬新的に発展し、またフランス革命や日本の明治維新といった偶発的事件を通して誕生することもあるとのことである。

  一方の収奪的政治制度は、歴史上のどこにでも見られる普遍的な現象で、支配層が国家を使って対抗的な社会層が育たないよう搾取するものである。商業や技術革新は富の配分を変えてしまい、支配層の地位を脅かす恐れがあるのて抑圧される。財産権が保障されないので、頑張って働いて富を築いたり、技術革新を起こしたりするインセンティヴもない。ごくまれに、経済発展を許容するな支配層もあらわれることもある。だが、それは現体制に影響しない限りであり、支配層は経済的に力を付けた対抗的な社会層を潰そうとするので持続的な発展は望めないと予言する。現在の中国がそのような国だという。このほか、コロンビアやソマリアのような国家が機能しない国も、特定のグループが暴力的に支配していることを理由に収奪的政治制度に分類されている。

  制度が包括的となるか収奪的となるかは、歴史の偶然によって左右されるという。途上国における単純な民主化は、現支配層と異なる対抗グループに収奪的な権力を与えるだけに終わることがしばしばある。必要なのは多元的民主主義であるが、その成立には経路依存性があるので、人為的にコントロールすることが難しい。したがって、貧困を脱させるためにする途上国への経済支援や介入はうまくいかないとしている。

  以上。歴史書として非常にスリリングで、なるほどとうならせる点が多い。英国植民地で包括的制度が発生し始める端緒や、南米やアフリカで民主主義が機能しなくなる原因とその経緯の記述など、知らないことばかりで教えられる。記述はエピソード中心で、統計的分析の結果は提示されていない。なので、十分に裏付けのある議論とはいえないが、背景には著者らの分析があるのだろう。全体としてユーラシア大陸の地理的優位を説いたジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を補完する内容で、19世紀以降の国家間経済格差の起源について有力な学説を示している。マルクスの、経済が下部で政治制度は上部という議論に対する回答にもなっている。
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聴く者を駄目にしてしまいそうな耽美主義ピアニズムの極地

2013-07-24 09:29:22 | 音盤ノート
Tord Gustavsen Trio "Being There" ECM, 2007.

  ジャズ。“The Ground”(ECM, 2005)に続く、Harald Johnsen (bass)とJarle Vespestad (drums)とのトリオ三作目。13曲中12曲がグスタフセン作、1曲がHarald Johnsen作となっている。ECMらしい、4ビート無しかつスイング感無しの北欧産哀愁ジャズである。静かで、クラシックの室内楽のようであり、禁欲的にゆっくりと音を奏でながらも時々パッションが垣間見える、そういうスタイルである。

  このアルバムの路線も前二作と同じだが、それらより曲のバリエーションがあって楽しめる。Track 2‘Vicar Street’はしずくがこぼれ落ちるかのようなアルペジオを聴かせ、叙情的なメロディで琴線に触れる。Track 4, 8, 13はゴスペルの影響を感じさせる曲で、特にtrack 4の‘Blessed Feet’ではゆったりとしたキース・ジャレットばりの演奏が聴ける。Track 9‘Where We Went'はこのトリオでは珍しく音量を大きくして迫る。アドリブを聴かせるような構成になってない曲もあり、それらでは繰り返されるメロディに新たな音が加えられて曲が進行する。一曲の長さも短く、平均4分強である。

  全体として、演奏は内省的かつ耽美的で、甘く沈み込んでゆくような感覚を聴き手にもたらす。この音にどっぷりとはまるとたぶん廃人になってしまう、どこかそう思わせるところがある。演奏の静けさは退屈さと紙一重だが、この退廃的な香気にあてられたならば抜け出せないだろう。
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公務員試験の特殊性が強調されるが、思ったほど特殊でないことがわかる

2013-07-22 19:44:59 | 読書ノート
大原瞠『公務員試験のカラクリ』光文社新書, 光文社, 2011.

  公務員試験の受験者像、公務員試験のための受験産業、その試験の内容などについて報告するもの。著者は複数の公務員試験で合格した実績をもつ評論家である。僕が読む前に期待したような、採用する側の本音の吐露みたいなものは無いけれども、公務員試験の実態やそのロジックはきちんと説明されており、受験者には役に立つ内容となっている。

  著者によれば、公務員試験対策は民間企業の就職活動と両立がむずかしく、採用できる人材の幅を狭める結果になっているとのこと。その試験対策の特殊性ゆえに受験産業が成立するのだが、一方でWスクールをしなくても合格する層もそれなりに存在するという。なぜなら、試験の難易度は高校卒業レベルであり、広く浅くさまざまな分野から出題されるためである。この「広く浅い」出題傾向は、本人の希望とは無関係にあてがわれるさまざまな部署において、公務員ならばそこそこの能力を発揮しなくてはならないためである。エキスパートは期待されていないのである。このため、公務員に一旦なってみると、やりがいの問題や自分のスキルに対する不安感が生まれてくるともいう。この他、国家公務員と地方公務員の違いや、地元出身者優先か試験の点数優先かなど、興味深いトピックが採りあげられている。

  実を言うと、著者の考えとは裏腹に、公務員の採用もそれほど民間企業と変わらないのではないか、という印象を持った。採用試験で広く浅い一般的能力を試されるのも、インフォーマルな面接を上手くこなす必要があるのも、所属部署がころころ変わるのも、民間企業とあまり変わらないだろう。それは公務員採用という枠に区切られているからこその特殊性に過ぎないように思える。そういうことがわかるのもこの書籍のメリットである。
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ボサノバの純度を高めたあげく、爽快感の無い内省的な境地に辿り着く

2013-07-19 14:21:36 | 音盤ノート
Joao Gilberto "Joao Gilberto" Polydor, 1973.

  ボサノバ。同タイトルの作品(参考)が1961年にも発行されていて紛らわしいが、まったく別の録音である。日本盤の場合は一曲目の曲名をとって『三月の水』と冠されている。ジョアン・ジルベルトがメキシコを放浪していた低迷期の作品で、録音にもあまりお金がかかっていないようである(ただし音は悪くない)。

  基本はギターとボーカルに加えて、シンバル音がごくささやかにリズム楽器として添えられるという編成。アコースティック・ギターに耳を傾ければ、track 4でアルペジオを弾いている以外、ボサノバ・ギター奏法として彼が確立したスタイルが存分に聴ける。ガット弦のマイルドな音色で和音が奏でられると同時に、アタックの時点でリズムも生み出す。このリズムの切れがとてもシャープで素晴らしい。また、囁くようなボーカルがとても近く聴こえるため、まるでモノローグかのよう。深夜に暗い告白を聴かされているような感覚がある。アルバム中もっとも重たいtrack 9‘E Preciso Perdoar’(本作のベストトラック!!)の後に、ミウシャとのデュオ‘Izaura’で明るく開放されるという構成もいい。

  スタイルはシンプルに純化されたボサノバなのだが、それを超えるようなところがある。内省的すぎてボサノバ入門には適していない。だが、ジョアン・ジルベルトが気に入れば必ずたどり着くはずの重要作品である。
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二国間ではなく多国間を念頭において平和と秩序を形成せよ、と

2013-07-17 08:21:25 | 読書ノート
細谷雄一『国際秩序:18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ』中公新書, 中央公論, 2012.

  タイトル通りで、多国間の秩序形成と維持について歴史を溯って検討するという内容。著者は慶應義塾大学の教授。序章と第一章で概念を説明した後に、第二章で18世紀から19世紀後半のドイツ帝国形成までのヨーロッパ、第三章では20世紀初頭から半ばまでの世界大戦期、第四章では冷戦期から現在までを扱っている。

 「勢力均衡」(balance of power)という考えは、軍事力に頼るがためにしばしば批判される。しかし、著者によれば、平和を維持するには、国際協調と勢力均衡がともに必要となるとという。力無き国際協調は理念倒れに終わることが多く、第一次大戦後の混乱のような失敗と悲惨が起こりうる。一方で、勢力均衡はそれよりずっと信頼できる基盤であるものの、ビスマルク級の名人芸なしには均衡を長期に維持できない。したがって、両者を織り交ぜた秩序形成が安定的で有効であるとのことである。一般にはネガティブに語られがちな冷戦時代も、大国間の戦争を回避できた時代として評価されている。

  問題は、これまで勢力均衡を担ってきた大国の国力が衰えて「力の空白」ができること、あるいは新興国が台頭してくることである。こうした動きは混乱をうみ、戦争につながりやすい。前者の場合は別の国が力の空白を埋める、後者の場合は現有秩序の中にその新興国を取り込んでゆくということのようである。近年の中国に対しては、日米同盟を強化し、その基盤の上で対処すべきだという。曰く"平和を願い、友好関係を期待するだけでは、われわれはそれを得ることができない"。

  手堅い良書である。鳩山首相時代の日本の外交がいかに的外れなものだったのかも言及されており、今後の政府の外交の理解の一助となるだろう。
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物足りないものを感じつつも、聴くことを止められないピアニスト

2013-07-15 16:20:01 | 音盤ノート
Tord Gustavsen Quartet "The Well" ECM, 2011.

  ジャズ。ECM路線の王道をゆく静音ジャズ+硬質リリシズム系で、オーバーにならない程度の控えめさで情動を感じさせる。フリー的にはならない。メンバーは、リーダーのトルド・グスタフセン以下、Mats Eilertsen(B), Jarle Vespestad(Ds), Tore Brunborg(Ts)というカルテット編成。

  それにしても静かで渋い演奏である。普通なら曲のイントロに相応しいようなもったいぶった演奏が、数分続いてそのまま終わってしまう。全体の雰囲気は物憂げなトーンに統一され、「バラエティに富んだ」という形容から遠い作品になっている。デビュー作"Changing Places"(ECM, 2003)では、速い指使いを見せる曲もあったし、日本の昭和30年代のムード歌謡のようなメロディを持った曲もあった。このアルバムでは、そういった可能性は摘み取られてまったく無くなってしまっている。一方で、一音一音が大切にじっくりと奏でられる、地味で良質な音楽とも言える。

  このピアニストの持つ薄い毒気にはやられる。この地味さにかすかな不満を覚えつつも、聴くことが止められない。頻度はごくたまになのだけれど、中毒性のあるピアニストである。
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米図書館団体が米国の少年少女たちにおすすめする日本の漫画 2007-2013

2013-07-12 08:37:42 | 図書館・情報学
  あまり目新しいネタではないのだけど、授業用のメモとして。

  米国図書館協会のヤングアダルトサービス部門(Young Adult Library Services Association ;YALSA)が選んだおすすめ日本漫画のリストを下に記す。ただし、"manga"あるいは"comic"という語ではなく、"graphic novel"という概念でまとめられている。あちらでも漫画の適性をめぐる闘争があるのだろう。YALASAは概念変更という戦略をとったわけだ。

  この"Great Graphic Novels for Teens"は2007年から続いているもので、ネット経由で推薦されたもののなかから、数人のYALSAの選者が毎年40~70冊ほど選んで公開している。対象年齢は12歳~18歳ときっぱり区切られている。リストに載った日本漫画の点数は79ある。2007年から2013年までのリスト合わせて全400点あるから、ほぼ20%が日本産ということになる。

  まず、Top10リストに入ったもののタイトルと著者(リストの新しい順)

 『星守る犬』村上たかし / 『放浪息子』志村貴子 / 『乙嫁語り』森薫 / 『土星マンション』岩岡ヒサエ / 『大奥』よしながふみ / 『海獣の子供』五十嵐大介 / 『PLUTO (プルートウ)』浦沢直樹 / 『砂時計』芦原妃名子 / 『リアル』井上雄彦 / 『うずまき』伊藤潤二 / 『いばらの王』岩原裕二 / 『放課後保健室』水城せとな / 『エマ』森薫 / 『DEATH NOTE』大場つぐみ・小畑健

  次に、この他の"Great Graphic Novels for Teens"入選作品(リストの新しい順)

 『進撃の巨人』諫山創 / 『秒速5センチメートル』新海誠・清家雪子 / 『黎明のアルカナ』藤間麗 / 『悪魔とラブソング』桃森ミヨシ / 『青の祓魔師』加藤和恵 / 『どうぶつの国』雷句誠 / 『神様はじめました』鈴木ジュリエッタ / 『彩雲国物語』雪乃紗衣・由羅カイリ / 『クロスゲーム』あだち充 / 『ARISA』安藤なつみ / 『図書館戦争』有川浩・弓きいろ / 『魔王 JUVENILE REMIX』伊坂幸太郎・大須賀めぐみ / 『ぼくらの』鬼頭莫宏 / 『夏目友人帳』緑川ゆき / 『BIOMEGA』弐瓶勉 / 『さらい屋五葉』オノ・ナツメ / 『not simple』 オノ・ナツメ / 『放課後のカリスマ』スエカネクミコ / 『イタズラなKiss』多田かおる / 『70億の針』多田乃伸明 / 『黒執事』枢やな / 『ふたつのスピカ』柳沼行 / 『テガミバチ』浅田弘幸 / 『ソラニン』浅野いにお / 『トレイン☆トレイン』影木栄貴 / 『はこぶね白書』藤野もやむ / 『もやしもん』石川雅之 / 『オトメン(乙男)』菅野文 / 『ミックスベジタブル 』小村あゆみ / 『さよなら絶望先生』久米田康治 / 『Takeru: Opera Susanoh Sword of the Devil』中島かずき・唐々煙 / 『僕等がいた』小畑友紀 / 『ひぐらしのなく頃に』竜騎士07・鈴羅木かりん / 『花の名前』斎藤けん / 『君に届け』椎名軽穂 / 『カラクリオデット』鈴木ジュリエッタ / 『メトロ・サヴァイブ』藤澤勇希 / 『ヒカルの碁』小畑健・ほったゆみ / 『SLAM DUNK』井上雄彦 / 『キーリ』壁井ユカコ・手代木史織 / 『高校デビュー』河原和音 / 『NARUTO -ナルト-』岸本斉史 / 『棺担ぎのクロ。~懐中旅話~ 』きゆづきさとこ / 『龍の花わずらい』草川為 / 『ビーナスは片想い』なかじ有紀 / 『王国の鍵』紫堂恭子 / 『フルーツバスケット』高屋奈月 / 『BLACK JACK』手塚治虫 / 『どろろ』手塚治虫 / 『ハチミツとクローバー』羽海野チカ / 『ヒッカツ!』矢上裕 / 『NANA -ナナ-』矢沢あい / 『よつばと!』あずまきよひこ / 『パンプキン・シザーズ』岩永亮太郎 / 『アライブ-最終進化的少年-』河島正・あだちとか / 『夕凪の街 桜の国』こうの史代 / 『ラブ★コン』中原アヤ / 『トランスルーセント―彼女は半透明』岡本一広 / 『地球(テラ)へ…』竹宮惠子 / 『結界師』田辺イエロウ / 『蟲師』漆原友紀 / 『フラワー・オブ・ライフ』よしながふみ / 『MONSTER』浦沢直樹 / 『西洋骨董洋菓子店』よしながふみ / 『カンタレラ』氷栗優

  以上。最近の漫画に詳しくないので9割以上の作品がわからない。それでも、けっこう基準が緩いような気がするのだがどうだろうか。ほとんどが最近の作品の中に、手塚治虫や竹宮惠子の超名作が紛れているのも違和感がある。まあ向こうの翻訳事情があるのだろう、萩尾望都はやっと英訳が始まったばかりで、つげ義春なんかはまったく紹介されていないみたいだし。

  ただし、このリストに載った作品を日本の公共図書館にただち所蔵すべきだという話にはならないことに注意したい。米国と日本の漫画の受容事情はかなり違うのだから。でも、日本の公共図書館もすでにけっこう漫画を所蔵しているんだよね。大々的にアナウンスしないだけで。日本の大手出版社の主力商品だし、立ち位置が問われるところではある。

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参考:YALSA / Great Graphic Novels http://www.ala.org/yalsa/great-graphic-novels
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市場に対する政府の正しい関わり方を指南

2013-07-10 21:46:01 | 読書ノート
八田達夫『ミクロ経済学Expressway』東洋経済新報, 2013.

  2008年に出版されて高い評価を得た『ミクロ経済学I,II』(参考)の要約版。市場メカニズムの説明を前半の1/3程度で済ませて、残り2/3で政府が市場にどうかかわっていけばよいか分析する。経済学入門のそのまた入門と考えるとややハードルが高いが、市場と政府の役割分担について経済学的理解を得たいときの入門書としては適切だと思う。

  著者は社会的厚生の基準をパレート最適に置かない。パレートの原理に従うと、全体としては好ましいけれども、一部の者の状態を悪くすることになる政策を取ることが出来ず、社会的な改善を進めることができないからである。かわりに著者は効率化原則を置く。全体の利益が、ある政策によって状態が悪くなる者に対する仮の損害補償分を埋め合わせて余りあるならば、その政策をすすめるべきだからである。そして、効率化政策は専門知識を持った官僚の仕事で、補償を含めた再分配政策は政治家の仕事だというように分けている。公共財概念もまた、通常の(そして矛盾の多い)非競合性と非排除性の二要素からではなく、完全に正の外部性に依拠した定義になっており新しい。

  本書では、効率化は国家が追及すべき基本的原理であって、再分配はその矛盾や効率化推進に対する抵抗への緩和のためになされる補完的政策であるかのように読める。効率と平等はトレードオフであるというようには把握されておらず、そもそも今の日本の市場に残る規制こそが不平等を生んでいる、というニュアンスも感じる。こうした捉え方には異論があるかもしれないが、一つの筋の通った見方を提供していることは確かである。
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