マット・リドレー『やわらかな遺伝子』中村桂子, 斉藤隆央訳, 紀伊國屋書店, 2004.
人間形成における遺伝と環境の影響について考察する一般書籍。原題は“Nature via Nurture: Genes, experience, & what makes us human”(2003)で、訳すと「生まれは育ちを通して」。著者は、スティーブン・ピンカー『人間の本性を考える』(NHKブックス)やハリス(参考)とほぼ同じ研究(双生児研究など)から結論を引き出している(そうでないものもある)。ただし、ピンカーらが環境決定論者と戦うために「遺伝子の影響もある」というアクセントの置き方をしたの対して、リドレーは「生まれも育ちも」というバランスの採れた相互作用論となっている。その分、まっとうすぎて意外感も少ないのだが。
その主張をまとめると「遺伝子が経験できることや学習できることの範囲を決めている。これはほぼ確実である。しかしながら、経験や学習が無ければ遺伝子の効果の発現もない」というもの。加えて「環境といっても、胎児期における母体のホルモンバランスあるいは学習の臨界期のように、事後的の操作による矯正を加え難いものもある」という主張もある。参照される研究事例は多く、具体的な遺伝子名やホルモン名も挙げられており詳細である。兄がいる男児は同性愛者になる確率が高まるという話──胎児が分泌する男性ホルモンに対抗して母体が女性ホルモンを過剰に胎児に浴びせるようになるためらしい──はこの本で初めて知った。
実を言うと、翻訳が発行された当初読んでみたときはあまり印象に残らなかった。今回再読してみても、非常に手際良く遺伝と環境の関係を解説した良書であることを認めるものの、なんとなく「浅い」という感じが拭えない。著者は、合理的楽天家(参考)らしく、「細かいところで未決の問題は残るものの事実はこの範囲に収まる。わかったら次に進もうぜ」という態度だ。しかし、やはり環境を重視する者が危惧したところ、すなわち社会の制度設計について、立ち止まってもっと踏み込んだ考察をして欲しかった。遺伝の影響は個人だけのものではなく、教育および平等をめぐるに対する考え方に影響するからである。そういうわけで、その考察が無いままではこの種の話は片手落ちだろう。それはこの本の役目ではない、と反論されるかもしれないが、本書はこの領域では後発の書籍だからと言い返したい。
人間形成における遺伝と環境の影響について考察する一般書籍。原題は“Nature via Nurture: Genes, experience, & what makes us human”(2003)で、訳すと「生まれは育ちを通して」。著者は、スティーブン・ピンカー『人間の本性を考える』(NHKブックス)やハリス(参考)とほぼ同じ研究(双生児研究など)から結論を引き出している(そうでないものもある)。ただし、ピンカーらが環境決定論者と戦うために「遺伝子の影響もある」というアクセントの置き方をしたの対して、リドレーは「生まれも育ちも」というバランスの採れた相互作用論となっている。その分、まっとうすぎて意外感も少ないのだが。
その主張をまとめると「遺伝子が経験できることや学習できることの範囲を決めている。これはほぼ確実である。しかしながら、経験や学習が無ければ遺伝子の効果の発現もない」というもの。加えて「環境といっても、胎児期における母体のホルモンバランスあるいは学習の臨界期のように、事後的の操作による矯正を加え難いものもある」という主張もある。参照される研究事例は多く、具体的な遺伝子名やホルモン名も挙げられており詳細である。兄がいる男児は同性愛者になる確率が高まるという話──胎児が分泌する男性ホルモンに対抗して母体が女性ホルモンを過剰に胎児に浴びせるようになるためらしい──はこの本で初めて知った。
実を言うと、翻訳が発行された当初読んでみたときはあまり印象に残らなかった。今回再読してみても、非常に手際良く遺伝と環境の関係を解説した良書であることを認めるものの、なんとなく「浅い」という感じが拭えない。著者は、合理的楽天家(参考)らしく、「細かいところで未決の問題は残るものの事実はこの範囲に収まる。わかったら次に進もうぜ」という態度だ。しかし、やはり環境を重視する者が危惧したところ、すなわち社会の制度設計について、立ち止まってもっと踏み込んだ考察をして欲しかった。遺伝の影響は個人だけのものではなく、教育および平等をめぐるに対する考え方に影響するからである。そういうわけで、その考察が無いままではこの種の話は片手落ちだろう。それはこの本の役目ではない、と反論されるかもしれないが、本書はこの領域では後発の書籍だからと言い返したい。