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社会的地位で流行を説明、ネット普及以降の時代の分析が冴える

2024-09-02 07:00:00 | 読書ノート
デーヴィッド・マークス『STATUS AND CULTURE:文化をかたちづくる〈ステイタス〉の力学 ―― 感性・慣習・流行はいかに生まれるか?』黒木章人訳, 筑摩書房, 2024.

  流行の変遷をステイタス概念を用いて整理しようという試み。学術書と一般書籍の中間あたりの難易度であり、本文中に挙げられている芸術家や音楽家の名前、あるいは作品名や商品名にピンとくるかどうかで読みやすさが変わる。計量分析無しで、著者が重視する単一の理論を適用してさまざまな文化現象を解釈してゆくというスタイルで書かれている。著者は、ハーバード大と慶應大で学んだライター(?)で、雑誌『POPEYE』などでも記事を書いており、デビュー作は日本における米国風ファッションを論じた『AMETORA』(DU BOOKS, 2017)となる。本書は二作目で、原書はStatus and Culture : How Our Desire for Social Rank Creates Taste, Identity, Art, Fashion, and Constant Change (Viking, 2022) である。

  どのような文化アイテムが流行するかは恣意的に決定され予測不可能であるけれども、流行には規則性があるという。その規則性の背後にあるのがステイタスである。ステイタスは単純に高から低までの一つのスケールでできているわけではない。上位層は、経済資本の多いニューマネー層と文化資本の多いオールドマネー層の二つに分かれる。前者は派手さを好み、後者は落ち着きや控え目さを好む。これら二つの層の下に、中程度の経済資本と文化資本を併せ持つ知的職業階級があり、上位層が持つ嗜好のヒエラルヒーに対抗するべく、新規性を持つ文化的アイテムを好んで採用する傾向を持つ。知的職業階級の下には、二つの資本どちらも欠いた一般大衆がいる。大衆は流行の終着点である。他の三つの層にとって、大衆と違うことを示すことが特定の文化アイテムを採用する理由となっている。加えて、一般大衆のグループの内部にはさらに趣味嗜好などで別れたサブグループがあり、その内部でもステイタスを争っている。

  しかし、21世紀になると上のような力学がインターネットの普及──特にスマホと高速回線の普及──によって崩壊しつつあるという。これまで。理解に訓練が必要な「高尚な」文化や革新的な文化は、上位層の差別化のために採用されてきた。だがそれらは、1990年代半ばからネットが普及すると誰にでもアクセスしやすいものになった。また、文化相対主義が社会で支配的になるにつれて、文化による差別化自体がエリート主義として批判されることとなった。ある文化アイテムと別のアイテムには価値の違いはなく、好みの違いがあるに過ぎないとされるようにった。熟練された技能を要求する表現も、素人芸も対等なのだ。こうして、「高尚な」文化あるいは高尚な文化を前提とする革新的な文化は21世紀になって凋落した。すなわちそれはオールドマネー層の地位低下であり、経済資本に対抗するような価値軸の喪失である。対抗価値の喪失は、価値が数値(すなわち金額やいいねの数)だけに収斂する、ニューマネー層の好みの優位をもたらした。まとめとなる章では、差異化とステイタスの平等の調整の可能を探っている。

  以上。1970年代に形成された理論で20世紀後半から21世紀初頭の流行の変化を説明する、という点に面白さがある。社会のエリート層を経済資本と文化資本で二つに分けるのはブルデューの『ディスタンクシオン』がオリジナルだろう。「見せびらかしのための消費」というアイデアはヴェブレンにさかのぼることができるが、本書ではボードリヤールの消費社会論を通過した議論となっている。ただし、やや難しいとはいえポストモダン系の書籍にありがちな衒学趣味はなく、エピソード中心とはいえ議論は実証的であろうとしている。この点は評価できる。特に、インターネットの普及がもたらした世界的な文化状況の合理的な解釈を試みた10章はとても素晴らしい。

  だが一方で、本書は流行の説明に部分的には成功していると言えるものの、説明されない大きな謎を残したように思う。文化の普及の方向はステイタスの序列に従った上から下への流れである、というのが本書の理論だ。二つの上位層が差異化のために希少な文化アイテムを採用しそれが徐々に大衆化するという流れ、あるいは知的職業階級がアーリーアダプターとなって新しい文化アイテムを採用しその後は尖った部分が削られて大衆化するという流れ、これらは示された理論通りである。しかし、ビートルズのように、大衆文化が古典に格上げされるという現象はどう説明するのか。あるいは、知的職業階級が採用した革新的文化(モダンジャズなど)は、どのように上位文化層に普及するのか。これら二つのケースのメカニズムは上手く説明されていない。つまり、最上位層が下位ステイタスをなぜ模倣するのかが説明されていない。そこには、ステイタスに還元されない何かがあるのだと予想される。
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