29Lib 分館

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ある種の延命治療を「無益な医療」と定義する

2021-10-15 10:22:36 | 読書ノート
ローレンス・J.シュナイダーマン, ナンシー・S.ジェッカー『間違った医療:医学的無益性とは何か』林令奈, 赤林朗監訳, 勁草書房, 2021.

  医療倫理学。患者の厚生を改善しない医療を「医学的無益性」と定義し、そのような医療の停止を求める内容である。原書はWrong medicine: doctors, patients, and futile treatment (The Johns Hopkins University Press) で、初版は1995年だが、この邦訳は2011年の第二版を元にしている。著者は二人とも米国の生命倫理学者であるとのこと。

  間違った医療、すなわち無益な医療とは、患者が治療による利益を認識できない(=脳におけるそのような認知機能が失われている)、治療が施されても特別病棟を出ることのできる程度までには回復しない、という二つの条件で定義される。無益な医療は、患者の苦痛を長引かせることになるにもかかわらず、奇跡を期待する家族から求められることがある。また、医師の信念から、または訴訟を回避するという理由から、医師が無益な医療を施すこともある。

  そのような治療を施すことよりも、患者の苦痛を軽減することや、あるいはその死に至るまでの時間の厚生を高めたほうが正義にかなうのではないか、というのが著者の主張である。具体的な方向としては、無益な医療を定義して、国や民間の団体のレベルで治療のガイドラインを作るべきだという。しかし、ごくまれに「奇跡的回復」が起こったりするが、どうするのか。基準値として100回に1回以上の回復がありうるばらば、それは無益な治療ではないと線を引いている。

  以上。再三強調されているように、医学的無益性の議論は、治療の結果もたらされる利益に対して投入したコストが引き合わない(だからそのような治療は無駄だ)というような医療の資源配分の論理とは異なるということである。その違いは容易に理解できるように書かれている。しかし、現代の医療の問題を広く考えようとするならば、やはり資源配分アプローチのほうが適切かもしれないという印象も残った。
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人の心は読めないとのことだが、単純化しすぎているという気もする

2021-10-07 11:03:07 | 読書ノート
ニコラス・エプリー『人の心は読めるか?:本音と誤解の心理学』 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫), 波多野理彩子訳, 早川書房, 2017.

  心理学。読心術(mind reading)の解説かと思いきや、「人の心を読む行動一般」をもっと砕けた調子で取り上げるものである。著者はシカゴ大学の心理学者で、原書はMindwise: how we understand what others think, believe, feel, and want (Knopf, 2014.)である。

  邦訳タイトルにある問いに対する結論は「読めない」ということである。他人の心を読むことに対して一般の人は自信過剰気味になっている。けれども、外れることは多くもう少し謙虚な姿勢を持つべきであり、わからないときは相手に問いただした方がよいとする。

  この結論は一般化しすぎに思える。読む側としては、そういうレベルの議論ではなくて、場面や相手の属性に応じた「心を読める/読めない」の程度について詳しい議論を知りたいはずだ。実際、文庫版の注p340で、「性格的に外向性の高い人は「人の心を読める」と自分を評価しているが実際は間違っていることが多く、一方でIQが高い人は相対的に正しく心を推察できる能力がある」とする研究結果を紹介している。読んでいて、その話をもっと詳しく、と言いたくなる。

  ためになる知見がないわけでもない。「相手の属性に対して偏見が強いと、「相手の立場に立って考える」という心理的操作が誤解を強めることがある」など。ただ、モノに心を見る錯覚や、ステレオタイプの話などはテーマに対して大きすぎる話で、他者理解に関するもうちょっと絞った議論がほしいところだった。
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