ジョージ・A.アカロフ, ロバート・J.シラー『不道徳な見えざる手:自由市場は人間の弱みにつけ込む』山形浩生訳, 東洋経済新報, 2017.
経済学。自由市場において詐欺的行為が横行していることを問題視する内容の書籍である。原書はPhishing for phools: The economics of manipulation and deception (Princeton University Press, 2015)で、「馬鹿どもを釣る」という感じか。テーマがこれで、著者二人がノーベル経済学賞をもらっていて、訳が山形浩生で、と読む前にはさぞ面白い話が書いてあるのだろうとけっこう期待したのだが、それほどでもなかった。
基本的にエピソード中心の論述であり、解決策の提示よりも広範囲に見られる「カモ釣り現象」を列挙している。広告、住宅や自動車のような高額商品の取引、クレジットカード、ロビー活動、食品や医薬品や酒やたばこの安全基準、そのほか金融商品の取引など。一部ながら、こちらが米国側の取引慣行をよく知らないため、何が正当で何が詐欺的なのか、直観的にわからないところもある。解決策も挙げられているが、こまごまとしていて不十分な対策であるようにみえ、スッキリしない。
著者らは「カモ釣り」を十分に定義できていないのではないだろうか。売り手側が欠陥を認知している商品、あるいは宣伝文句が唄うほどの質に到達していないと認知している商品を、不正直な価格付けで売る。これはたしかに詐欺的だろう。しかしこれとは別に、売り手側がそもそも商品の問題を認知しておらず、市場に出回ってみてはじめて欠陥があったことがわかるというケースも本書では扱われている(サブプライムローンなど)。こうした取引も「不正」であるかのようにカテゴライズしてしまっていいのか疑問だ。後者には制度的欠陥や情報不足の問題はあるかもしれないが、前者のように悪意によって情報が歪められていた、というものではない。前者と後者では処方箋も変わってくるはずである。
カモ側の事情も同じように複雑だろう。加工食品やアルコールが問題視されているが、消費者が健康への配慮よりも味の快楽を優先する場面もあるわけで、一概に不合理とは言えない。しかし、常習的になって本当に健康を壊したり、または人間関係を壊してしまったりすれば不合理だ。この間の線引きが必要だと思うけれども、本書ではカモられる側についての考察がない。
以上のようなわけで、十分アイデアを整理してきれていないという印象だった。
経済学。自由市場において詐欺的行為が横行していることを問題視する内容の書籍である。原書はPhishing for phools: The economics of manipulation and deception (Princeton University Press, 2015)で、「馬鹿どもを釣る」という感じか。テーマがこれで、著者二人がノーベル経済学賞をもらっていて、訳が山形浩生で、と読む前にはさぞ面白い話が書いてあるのだろうとけっこう期待したのだが、それほどでもなかった。
基本的にエピソード中心の論述であり、解決策の提示よりも広範囲に見られる「カモ釣り現象」を列挙している。広告、住宅や自動車のような高額商品の取引、クレジットカード、ロビー活動、食品や医薬品や酒やたばこの安全基準、そのほか金融商品の取引など。一部ながら、こちらが米国側の取引慣行をよく知らないため、何が正当で何が詐欺的なのか、直観的にわからないところもある。解決策も挙げられているが、こまごまとしていて不十分な対策であるようにみえ、スッキリしない。
著者らは「カモ釣り」を十分に定義できていないのではないだろうか。売り手側が欠陥を認知している商品、あるいは宣伝文句が唄うほどの質に到達していないと認知している商品を、不正直な価格付けで売る。これはたしかに詐欺的だろう。しかしこれとは別に、売り手側がそもそも商品の問題を認知しておらず、市場に出回ってみてはじめて欠陥があったことがわかるというケースも本書では扱われている(サブプライムローンなど)。こうした取引も「不正」であるかのようにカテゴライズしてしまっていいのか疑問だ。後者には制度的欠陥や情報不足の問題はあるかもしれないが、前者のように悪意によって情報が歪められていた、というものではない。前者と後者では処方箋も変わってくるはずである。
カモ側の事情も同じように複雑だろう。加工食品やアルコールが問題視されているが、消費者が健康への配慮よりも味の快楽を優先する場面もあるわけで、一概に不合理とは言えない。しかし、常習的になって本当に健康を壊したり、または人間関係を壊してしまったりすれば不合理だ。この間の線引きが必要だと思うけれども、本書ではカモられる側についての考察がない。
以上のようなわけで、十分アイデアを整理してきれていないという印象だった。