29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

エバンス追悼の名の下で激しいバトル演奏

2015-10-30 17:16:44 | 音盤ノート
Richie Beirach "Elegy for Bill Evans" Trio, 1981.

  ジャズ。タイトルにあるように1980年に亡くなったビル・エバンスへの追悼盤である。収録曲も'In Your Own Sweet Way','Blue in Green','Solar','Spring Is Here','Peace Piece','Nardis' というエバンスのレパートリーである。しかし、'Peace Piece'を除けばこれらはまたマイルス・デイビスのレパートリーでもある。推定だが、企画が持ち込まれて急遽録音に挑んだ際、エバンスがかつて演奏した曲のうちメンバーが弾けるものを選んだだけじゃないだろうか。

  編成は、ピアノのバイラークに盟友ジョージ・ムラツ(bass)と電化マイルス組のアル・フォスター(drums)というトリオ。中身もおおよそ追悼盤にふさわしからぬ元気の良さで、冒頭からバイラークが高速で弾きまくっている。'Peace Piece'のようなスローな曲でもテクニックをひけらかす(ちなみにこの曲はピアノソロ)。全体として悲しみというよりは怒りをぶつけるような激しい演奏で、お洒落にも軽快にもならない。気迫溢れるタッチが全編を通じて繰り出される。アグレッシブで速い演奏が好きならば楽しめるだろう。

  個人的に所有しているCDはデンマークのStoryvilleからの輸入盤。しかし、オリジナルはKenwood系列のTrioからの発売で、そもそも日本企画盤である。数年前までは日本盤でも輸入盤でも新品で手に入ったのだが、現在は廃盤のようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソーシャル物理学事始め。中身は厚くないが期待感は高い

2015-10-28 10:16:57 | 読書ノート
アレックス・ペントランド『ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学』小林啓倫訳, 草思社, 2015.

  ビッグデータ分析で個人や集団の行動を予測しようという内容。著者はMITの教授。スマホ経由で記録された位置情報のようなゴミみたいなデータ(著者は「デジタルパンくず」という)をかき集めてそこから傾向を読み取るというもの。一般向けのソフトカバーの書籍であり、コラムや付録では数学の説明もあるがそこは理解できなくても大丈夫、たぶん。

  まず証券会社の顧客の成績データの検証を元に集合知について論じられる。誰の意見を聞かずに判断しても、または似たような意見に囲まれた状態で判断しても良い成績を上げられない。けれども、相互に影響関係のない独立した意見に基づいて判断すると最も儲かるという。その後は、生産的なアイデアの流れを検証しようということで、SNSの分析や、ソシオメトリックバッヂなるものを個人に付けさせてデータを拾い、実際のコミュニケーションを分析するということをやっている。このあたりは長々と論じられているけれども、それほど面白い成果は出ていない(伝染病罹患者の行動パターンの話だけは例外)。最後のほうになると、既存の経済学や社会学に対する批判となる。

  著者が冒頭で"私は未来に生きている"と豪語するので、読む方の期待がむやみに高まってしまう。だが、読み終えた後ではソーシャル物理学についてはまだ半信半疑のままだろう。現段階でその成果はスケッチ的なものに留まっており、これからの成果が期待されるというところだろうか。どちらかというと、データの新しい採取方法(あと個人情報の取り扱い)を紹介するというのが主の本である。新しい分野の立ち上げの際のマニフェスト本とみなすとしっくりくる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バイラーク参加作品。今さらのCD化だが、いちおう歓迎

2015-10-26 20:11:50 | 音盤ノート
John Abercrombie Quartet "The First Quartet" ECM, 2015.

  再発企画ボックスセットで、長らくLPのまま放置されてきた"Arcade","Abercrombie Quartet","M"を収録。初CD化である(ただしAracdeはかつて日本盤CDが発行されたことがあるが、今は廃盤になっていて高値がついている)。なお発売は11月半ばの模様。

  なんといっても全盛期のリッチー・バイラークのピアノを堪能できるところがありがたい。ECMの社長と喧嘩したために、自身のリーダー作のみならず、サイドマン参加作品までLPのまま放置されるという扱いを受けたバイラーク(参考)。このアバクロンビー三部作はそのとばっちりを受けた不幸な作品群である。おかげでバイラークは、海外では全盛期の作品を耳にすることが難しいピアニストとなってしまい、低評価に甘んじている。ただし日本だけは別。彼の過去のECM録音を日本でこっそりとCD化してきたポリドールは偉い。

  残念なのは、これが"Old & New Masters"シリーズの一つという扱いであること。このシリーズはオリジナルジャケットを再現せず、白地の画用紙のような紙にそっけなく印字したパッケージを使っており、あまり作り手のこだわりが感じられない。また、CDという媒体が終わりつつある現在にやっとCD化というのもタイミングを外している。バイラークは、似たような不遇の時代を経験したスティーブ・キューンぐらいの評価を受けてもいいはずのだが、こういう点で巡りあわせが悪い人なんだろうな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デジタルアーカイブの現状とその進展を阻む壁

2015-10-23 15:16:23 | 読書ノート
長尾真監修『デジタル時代の知識創造:変容する著作権 / 角川インターネット講座3』KADOKAWA, 2015.

  タイトルにある「知識創造」ではなく「デジタルアーカイブ」についての論集だと考えたほうがよい。元国立国会図書館館長である監修者のほか、著作権関連の論考では中山信弘と名和小太郎、電子書籍および出版関連の論考ではで萩野正昭と歌田明弘と仲俣暁生、デジタルアーカイブ論で岡本真、杉本重雄、社会学的な考察では遠藤薫、吉見俊哉という構成。名前を聞いたことのある人が多くて豪華な執筆陣である。

  一つ一つの論考はそれぞれ面白く、ためになる情報も多い。のだけれども、各論考の間で微妙にトピックが重なっているのが気になるところ。ほとんどの論考の結論も、政府はアーカイブに金を出せ、アーカイブに対しては著作権の適用を緩めよ、というところに落ち着きがちである。執筆者にお題だけだしてあとは自由に書かせたのだろうけれど、編集者側がもうちょい扱うべきトピックを指定したほうが良かったと思う。ちともったいない。

  それでも執筆者らに通底する危機感みたいなものは共有できる。政府の無理解と著作権の壁が、文化財の保存および日本のデジタルアーカイブの歩みを遅らせている。ならば、政府を動かすために誰にどうそのメリットを説明したらよいのだろうか(民間がお金を出してくれるのならばそれでもいいが)。本書にもヒントはなく、僕にもよくわからない。「文化」だとか「ナショナルアイデンティティ」とか言っても、踊ってくれる人はあまり多くないんだよなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二曲だけニューミュージックであとはイージーリスニング

2015-10-21 08:53:46 | 音盤ノート
Nick DeCaro and Orchestra "Happy Heart" A&M, 1969.

  イージーリスニング。ニック・デカロは、カーペンターズを代表に今では「ソフトロック」に括られるミュージシャンを多く擁したA&M所属の編曲家である。本作は彼のデビュー作で、11曲中9曲がインスト、2曲が本人の歌唱という構成である。CDの場合2曲のボーナストラックが収録されている(1曲だけのものあるようなので注意)。

  収録は'Lullaby from Rosemary's Baby''Hey Jude''Ob-La-Di, Ob-La-Da'など。インスト曲は本当にどうってことのないイージーリスニングで、スーパーマーケットの店内BGMそのもの。ストリングスを中心としたゆったりとした優雅な演奏で、それなりに心地良くできているが、引っかかるものがない。一方、2曲のボーカル曲'I'm Gonna Make You Love Me’'Caroline, No'のほうはなかなか。AOR化する次作"Italian Graffiti"(1974)に比べると、まだソフトロック的な感触が残る編曲となっている。このため、本人の独特の柔らかい声によってかもしだされる雰囲気が「中年男の優しい抱擁」ではなくて「草食系青年の逡巡」みたいになっていて面白い。

  とはいえマニア向けの作品だろう。CDはItalian Graffitiと同様、日本盤しか存在しないようだ。本国では忘れ去られ、特に日本と縁があったわけでもない音楽家が、日本の一部愛好家に強く記憶されている。奇妙なことだな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全国図書館大会と日本図書館情報学会と連続して

2015-10-19 08:03:15 | 図書館・情報学
  10月15日~16日に全国図書館大会があって、出版流通部会の委員として参加した。場所は代々木公演にある国立オリンピック記念青少年総合センター。割り当てられた教室には、天井からぶら下がったプロジェクタが備え付けられていたのだが、壊れていて映写できない。代わりに可動型のプロジェクタが貸与されたのだが、パワポを収めたパソコンを会場中央のプロジェクタ脇に置かなくてはならなくなり、登壇者と距離ができてしまった。主催者側の我々も遠隔操作用の装置を準備していなかったので、パワポ操作を別の人に頼むか、またはステージから降りて登壇者自身で操作しなければならなくなってしまった。このためページめくりがスムーズにゆかないことがあり、進行に時間がかかり、説明を端折らなくてならない場面がたびたび発生した。このためちょっとした事件が発生してしまったのだが、詳しくは書けない。とにかく、登壇者および参加聴衆に対しては非常に申し訳なかった。参加聴衆には意外にも若い人が多くて、この業界の代替わりを感じた。ただ昼食会場はそんなでもなくて、この印象はうちの部会だけなのだろうか。

  翌17~18日は日本図書館情報学会の研究大会。会場は学習院女子大学。初日に発表者として参加した。発表に対しては手厳しい批判を頂戴することになったのだが、うまく返せなかったのが心残りとなった。簡単に説明すると、図書館所蔵を説明する需要の指標を二種類用意し、それぞれを使った二つモデルでその影響を分析した。このうち一つの数学的処理の仕方がおかしいと批判されたのだが、この点は分かる。だが、これを理由にさらに結論は信用できないと彼はたたみかける。これについては理解できなかった。そうかな、処理法を訂正しても大きな変動が予想されるものではないし、それとは無関係にもう一つの需要の指標を使ったモデルは有効なままである。また、結論と言っても三点提示しており、上の話はうち一つに影響するだけ。主は調査結果の提示でありこれは頑健である。というわけで、研究全体を揺るがす問題とは考えていない。まあ、統計処理については精進しなければならないな。なお、学会のほうは参加者にあまり若そうな人がいなくて、よく見知った面子だらけだった。この分野は魅力ある研究テーマを提供できていないのかもしれない、という危惧も覚えたが、たまたまかもしれない。

  学会では不可解なことがあった。学会懇親会で見知らぬ年配女性が僕に声をかけてきたのだが、何か批判をしたかったらしい。憎々しげに「あなたの発表でジュンク堂とあったのはおかしいわよ。今は丸善ジュンク堂が正しいの。はっきり言って安易だわ」と言われた。しかし、僕は一言もジュンク堂に言及した覚えはない。「へ?それって僕の発表ではありませんよ。別の人のでしょう」と訂正したところ、謝られた。発表者の顔とスライドって一致しないものなのだろうか。と、いぶかしんでいた翌日、会場のトイレで今度は知人男性から「大場さんが質問したあの発表者は~」と話しかけられた。よくよく聞いてみると、僕が昼食に行ってしまって聴講していない発表だった。一体誰と混同しているのか。ドッペルゲンガーでもいるのだろうか。そうだとしたら、学会に顔を出さないほうが安全だな。遭遇したら死んじゃうんでしょ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

犯罪者の脳をスキャンしたら、普通の人のそれとは違っていた

2015-10-16 17:24:53 | 読書ノート
エイドリアン・レイン『暴力の解剖学:神経犯罪学への招待』高橋洋訳, 紀伊国屋書店, 2015.

  神経犯罪学という、犯罪の原因として遺伝的・生理学的要因があることを強調する領域の一般向け解説書で、著者は1970年代後半からこの領域を開拓してきた第一人者である。原著はThe anatomy of violence: the biological roots of crime (Pantheon, 2013.)である。冒頭カラーページにある、犯罪者の脳と普通の人の脳の比較画像はその異常をわかりやすく示している。

  犯罪者となる──主に殺人を犯すような──人物の脳には異常がみられるというのその主要な発見である。物理的にはその前頭葉または海馬などが不十分な大きさしかなく、このため自制心や他者への同情心などの欠如が見られるという。また、テストをすれば、生まれつき恐怖心が低かったり、あるいは前兆と自己への害を因果的に結び付ける能力に問題があることがわかるという。では、なぜそのような異常が起こるのか。一つは遺伝的異常のため、もう一つは母胎内におけるストレス(母親の飲酒や喫煙)のため、さらには乳幼児期に受けた虐待や母性剥奪、特定の栄養の不足あるいは毒物の摂取が挙げられている。事故や病気などで脳に障害がもたらされた場合を除けば、受精時から幼少期までの期間が決定的のようだ。

  いちおう育ちの影響も重視されている。脳の異常と酷い育児が重なるとより犯罪者となる確率が高まるというのだが、これは脳の異常の程度が低くても暴力的で冷たい家庭で育てられればそうなるということだ。環境もまた大きく影響するのである。一方で、愛情にあふれた中流家庭に育ちながら連続殺人犯になるような人物もおり、その場合は異常の程度が高いと見なされる。いずれにせよ、早期発見して早期対処というわけで、最後の章で予防的な介入──問題家庭への指導や問題児の訓練・投薬──をするべきだと、若干の逡巡が示されながらも提言されている。このような監視社会は、放置しておけば犯罪者となってしまうであろう人々にも普通の暮らしを可能にするので、良いという。

  以上。デリケートな事実を提示するだけでなく、対処法まで踏み込んで論じており、論争的な内容である。20世紀後半に主流だった環境決定説に抗して、長年の研究で「生まれつきの犯罪者」がありうることを示した点が目を引く。しかし、最後まで読み進めると「脳の器質障害と悪い生育環境の組み合わせが犯罪者を生むこと」あるいは「悪い生育環境が脳の器質障害をもたらすこと」もかなり強調されていることがわかる。環境を重視する立場の論者でも、それほど受け入れ難い話でもないと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相変わらずの変拍子ファンクだが、1980年代テイストを部分採用

2015-10-14 11:53:04 | 音盤ノート
dCprG "Franz Kafka’s South Amerika" Village Records, 2015.

  菊地成孔率いるDate Course Pentagon Royal Gardenのスタジオ五作目。改名してdCprG表記となっているが、大して意味はないのだろう。前作(参考)で導入されていた日本語ラップは一掃されており、耳障りな歌詞が入ってこなくなった分、その複雑な楽曲構造を堪能できるようになった。今作は、ボイスの導入のような楽曲に新たな要素を付加するという実験ではなく、楽曲の上物部分のスタイルを変えるということをやっている。

  どういうことか。当初は1970年代のエレクトリック・マイルスがモデルだったが、本作はこれまでの作品とは少々異なり、1980年代を強く感じさせるものとなっている。冒頭いきなり1980年前後のエレポップ風の安いシンセ音で始まるのだが、その曲名は‘ロナルド・レーガン’である。アルバム全体でこうした派手で安いシンセ音──あまりにザヴィヌルそのままで笑えてしまう曲('ゴンドワナ急行')もある──が多用されている。また、いくつかの曲ではアフリカ風コーラスが使われ、1980年代に流行ったワールドミュージックを採り入れているのがわかる。全体的に曲も明るく爽やかで、後期ウェザーリポートとかドライブ御用達のフュージョンを思い起こさせる。腰から下が変拍子ファンクというのはいつもと変わらないのだが。

  というわけで奇矯さが増した。主旋律や楽器の音色だけを聴けば「ポップ」で当たり障りが無い音楽のようではあるのだが、後ろからドス黒いグルーヴが突き上げてきて曲の印象を混乱させるという作品となっている。マイルスからウェザーリポートへと参照対象が変わったという点で、大きな変化と言えるだろう。とはいえ過渡期感もあるな。今後のこの路線を十分展開してくれることを期待する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気軽な雰囲気を装いながらけっこう広くて深いマイルス史

2015-10-12 10:30:04 | 読書ノート
菊地成孔, 大谷能生『M/D:マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究』河出文庫, 河出書房, 2011.

  菊地・大谷コンビの三作目(参考)。マイルス・デイビスの音楽およびファッションを分析する東大での講義録。講義録の間に雑誌に掲載されたエッセイや楽理分析なども収録されており、上下巻合わせて1000頁を超えるボリュームとなっている。文庫版には、『マイルスを聴け!』の著者で今年初めに亡くなった中山康樹との鼎談も追加されている。文体はちょっと回りくどいところはあるけれど、充実の内容である。

  構成はオーソドックスで、マイルスの生い立ちから死までを追うというもの。「牧場を持つほど富裕な家庭にうまれながら一方で黒人である」というアンビバレンスが強調される。ヤクザな黒人ビバッパーの中でも、中流家庭出身であろう白人音楽家の中でも、彼はどこか浮いてしまう。その微妙なズレは、音において衣装においても観察できる、と。また、彼の育ちの良さは、商業的成功を渇望しながらも、どうしても下世話なことができず、彼の音楽に品の良さの刻印を押す。一方で黒人であることや、ジャズが期待したほど売れないことからくる苛立ちもあった。こうした視点から、各時期の楽曲を分析してゆく。

  個人的には上巻よりも下巻の方が面白かった。下巻の前半では、電化した"In a Silent Way"(Columbia, 1969)以降の楽曲がどう構築されていたかについて、プロの音楽家らしい手さばきで録音と編集の秘密が解き明かされる。後半では、活動中止から復帰した1981年以降のセレブリティ化に、バブル期のジャパン・マネーが一役買っただろうことが指摘される。全体として、ジャズ以外の領域に対する目配りが隅々まで行き届いており、視野の広い考察になっていると言える。

  ただし読み進めるには各時代の音をイメージできる程度の知識は必要かもしれない。まあ、音源はYoutubeにけっこう上がっているので、ある程度は金をかけず聴くことができる。僕は若い頃前掲の中山康樹の本を片手に正規盤をきちんと聴こうと試みたおっさんだが、さすがに1980年代は肌に合わなくてフォローできていなかった。今回あらためて聴いてみて、スタジオ盤はそんなに悪くない印象である。ただライブ録音でのシンセ音はチープで耐えられないが。本書のAmazon.co.jpのカスタマー・レビューでの場外乱闘もある1)のでそちらも必見。

------------------------------------

1) Amazon.co.jp『M/D:マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究/上』
  http://www.amazon.co.jp/dp/4309410960/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルメニア産のエキゾチックな聖歌集

2015-10-09 09:38:08 | 音盤ノート
Tigran Hamasyan "Luys I Luso" ECM, 2015.

  聖歌とピアノ伴奏、少々民族音楽。ティグラン・ハマシアンと言えば、中近東的な音階を散りばめた、ロックビートを伴った変拍子ジャズというイメージである。だが、このECM録音ではそれとは異なるスタイルを取っている。故郷アルメニアの合唱団との共演で、静謐かつドラマチックにピアノが奏でられる。ミュージシャンの意向よりもレーベルカラーが強く出た作品だろう。

  収録曲は5世紀から20世紀にかけてのアルメニア聖歌をハマシアンが編曲したもの。聖歌らしく心洗われるところがある一方で、東ヨーロッパ的なのか中近東的なのかよくわからないが、独特の民族音楽的な音階が非常にエキゾチックに感じられる。本人のピアノは慎重かつ繊細な演奏で、いつものスリリングな指使いを封印。うーむ、とても清廉で美しいが、本領発揮という感じでもないな(ただし10曲目など大胆に盛り上がる曲もある)。

  ミュージシャンにとってはルーツ探しの企画ものという位置づけだろうか。聴く方は珍しいアルメニアの音楽に接するつもりで楽しんだ方がいいだろう。最近のECMはたまにデジパック(もしかして死語?)でCDを出すことがあるが、これもその一つ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする