レイ・オルデンバーグ『サードプレイス:コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』忠平美幸訳, みすず書房, 2013.
都市論およびコミュニティ論。サードプレイスとは、家庭でも職場でもない「第三の場」のことなのだが、家や仕事で背負った役割を外して社交できるというのがポイントらしい。訳書の帯には“居酒屋、カフェ、本屋、図書館…”とあるが、これは間違いだ。著者がほとんどのページを割いて述べているのは、ビアガーデン、パブ、カフェであり、ドリンクが出てきておしゃべりが出来なくてはならない。解説のマイク・モラスキーは、日本にあてはまるものとして居酒屋を挙げている(日本の喫茶店は見知らぬ他者としゃべるところではない、とも)。
とはいえ「むかつく上司もうるさい女房もいない飲み屋サイコー」という議論にとどまらない射程を持った内容である。そうした社交の場は、癒しと同時にコミュニティのソリューションの場として機能する。しかし、郊外化した米国の都市はそうした業態を排除してしまい、結果としてコミュニティが破壊されているのだと著者は言う。ただし、郊外化とサードプレイスの排除のどっちがコミュニティにとって深刻なダメージを与えるのか(個人的には前者のような気がするが)、因果関係についての十分な考察がないのは不満だ。また、全体の記述には、米国の1950年代以前の保守的田舎町を理想とするような匂いを感じる。
というわけで個人的にはそれほど説得されなかったが、問題提起の書ということで現在まで版を重ねている。ちなみに原題はThe Great Good Placeで初版は1989年発行。1999年に第三版が発行されているが、どの版を邦訳の底本としたのかについての説明がない。ハバーマスや三浦展(『「家族」と「幸福」の戦後史』)と比べても面白いだろう。
都市論およびコミュニティ論。サードプレイスとは、家庭でも職場でもない「第三の場」のことなのだが、家や仕事で背負った役割を外して社交できるというのがポイントらしい。訳書の帯には“居酒屋、カフェ、本屋、図書館…”とあるが、これは間違いだ。著者がほとんどのページを割いて述べているのは、ビアガーデン、パブ、カフェであり、ドリンクが出てきておしゃべりが出来なくてはならない。解説のマイク・モラスキーは、日本にあてはまるものとして居酒屋を挙げている(日本の喫茶店は見知らぬ他者としゃべるところではない、とも)。
とはいえ「むかつく上司もうるさい女房もいない飲み屋サイコー」という議論にとどまらない射程を持った内容である。そうした社交の場は、癒しと同時にコミュニティのソリューションの場として機能する。しかし、郊外化した米国の都市はそうした業態を排除してしまい、結果としてコミュニティが破壊されているのだと著者は言う。ただし、郊外化とサードプレイスの排除のどっちがコミュニティにとって深刻なダメージを与えるのか(個人的には前者のような気がするが)、因果関係についての十分な考察がないのは不満だ。また、全体の記述には、米国の1950年代以前の保守的田舎町を理想とするような匂いを感じる。
というわけで個人的にはそれほど説得されなかったが、問題提起の書ということで現在まで版を重ねている。ちなみに原題はThe Great Good Placeで初版は1989年発行。1999年に第三版が発行されているが、どの版を邦訳の底本としたのかについての説明がない。ハバーマスや三浦展(『「家族」と「幸福」の戦後史』)と比べても面白いだろう。