29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

コミュニティの核としての居酒屋礼賛論

2014-07-30 14:50:23 | 読書ノート
レイ・オルデンバーグ『サードプレイス:コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』忠平美幸訳, みすず書房, 2013.

  都市論およびコミュニティ論。サードプレイスとは、家庭でも職場でもない「第三の場」のことなのだが、家や仕事で背負った役割を外して社交できるというのがポイントらしい。訳書の帯には“居酒屋、カフェ、本屋、図書館…”とあるが、これは間違いだ。著者がほとんどのページを割いて述べているのは、ビアガーデン、パブ、カフェであり、ドリンクが出てきておしゃべりが出来なくてはならない。解説のマイク・モラスキーは、日本にあてはまるものとして居酒屋を挙げている(日本の喫茶店は見知らぬ他者としゃべるところではない、とも)。

  とはいえ「むかつく上司もうるさい女房もいない飲み屋サイコー」という議論にとどまらない射程を持った内容である。そうした社交の場は、癒しと同時にコミュニティのソリューションの場として機能する。しかし、郊外化した米国の都市はそうした業態を排除してしまい、結果としてコミュニティが破壊されているのだと著者は言う。ただし、郊外化とサードプレイスの排除のどっちがコミュニティにとって深刻なダメージを与えるのか(個人的には前者のような気がするが)、因果関係についての十分な考察がないのは不満だ。また、全体の記述には、米国の1950年代以前の保守的田舎町を理想とするような匂いを感じる。

  というわけで個人的にはそれほど説得されなかったが、問題提起の書ということで現在まで版を重ねている。ちなみに原題はThe Great Good Placeで初版は1989年発行。1999年に第三版が発行されているが、どの版を邦訳の底本としたのかについての説明がない。ハバーマスや三浦展(『「家族」と「幸福」の戦後史』)と比べても面白いだろう。
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アルゼンチン出身のアコギ名手による至福の音楽

2014-07-28 20:56:43 | 音盤ノート
Quique Sinesi "Live in sense of Quiet ; guest Carlos Aguirre" Space Shower Music, 2013.

  ワールドミュージック。キケ・シネシ(1960-)はアルゼンチン出身のアコースティック・ギタリスト。一応フォルクローレの影響下にあるということにはなっているが、クラシック~ECM系のジャズがベースにあると考えて聴いたほうがしっくりくる。僕の一聴した印象は「暖かみのあるラルフ・タウナー」というものだった。

  本作は、南米の音楽を日本に紹介するレーベルNRTが、2012年に日本で企画したコンサート"sense of 'Quiet'"の実況録音盤である。その名のとおり静謐かと言えばそうではなく、アルペジオ中心の演奏のため音数が多くて、注意して聴くというよりは弱いアコギの音に身を任せるような感じになる。前半はシネシのソロでそれなりに味わい深いが、ピアノとアコーディオンを操るCarlos Aguirreが参加しての後半のデュオのほうが断然面白い。全体的に演奏の暖かみが増して、それぞれのソロのクオリティも高まっている。曲もまた繊細で美しく、ゆったりとしていながら飛翔感がある(アズナール在籍時のPMGみたいに聞える瞬間もある)。とにかく素晴らしい。

  個人的にはここ半年聴いた中では最高のクオリティである。アコギの音が好きな人はかなり楽しめると思う。
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軟派なのは見出しだけで中身は本格的学術書、数字満載

2014-07-23 07:47:30 | 読書ノート
森田果『実証分析入門:データから「因果関係」を読み解く作法』日本評論社, 2014.

  量的データの分析方法の概説書。といっても、初歩的な統計学の域を超える、主に回帰分析のテクニックを紹介する専門書となっている。本書発行時には、各章に付された副題──"☆もりはつ☆の59%は勢いで出来ています"とか"飛ばねぇ豚はただの豚だ"とか"あんなのただの飾りです。偉い人にはそれが分からんのですよ。 "等々──の軟派さが話題になった。しかし、その中身は完全に研究者向けで、「入門」という語とネタに惹かれて本書を手を取る素人を冷たく拒絶する。マクロ経済学の専門家が法律家に経済関連の裁判で使える分析手法を教授するというスタンスで編集されており、一般向けの書籍ではない。

  元は『法学セミナー』の連載で全27章。始めのほうの章で相関や標準偏差などの初歩的概念を教えてくれるが、あとは重回帰分析のテクニックの解説である。トピックのいくつかを挙げると、OLS(最小二乗法)、決定係数、プロビット分析、ロジスティック回帰分析、MLE(最尤法)、サバイバル分析、DD、固定効果法、操作変数法、LATE、イベントスタディ、不連続回帰など。ベイズ統計やテキストマイニングも不十分ながら手短に紹介されている。「分析手法が搭載されている」として言及される統計ソフトがRというところからも、そのレベルがわかるだろう。

  各章の解説はかなり駆け足であり、手法のロジックについてはちと消化不良気味になる。詳しいことは参考文献を読めということだが、日本語で読める本格的な入門書としてもっとページを割いた方が役に立ったと思う。とはいえ、挙げられている分析事例は面白く(女性の取締役任用義務付けの株価への影響など)、それらを楽しみながらどのようなケースでどのような手法を使うべきかを学ぶというのが本書の使い方だろう。
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埼玉東部で500万円以下で買える家があるらしい

2014-07-21 19:45:20 | チラシの裏
  家のポストに次のようなマンションのチラシ広告が入っていた。「3DK450万円 / 東京スカイツリーラインせんげん台駅徒歩7分」。安い、というか安すぎる。せんげん台駅は北千住まで急行で30分弱で行ける駅であるが、その駅の徒歩圏内で500万円以下とは。よく調べたら、UR武里団地内の分譲棟で、築47年(‼)という物件だった。築年が1960年代後半だとこのぐらいの額になるのだろうか。ちなみに武里団地は規模が巨大かつ緑が多くて良いところである、おしゃれというわけにはいかないけれど。

  その販売者はUR系の東日本住宅。同社のサイト(*)にある"1000万円以下物件"を見てみたら、けっこうな数の格安物件があってさらに驚かされた。7/21付で最も安いのが、茨城県取手市にある戸頭団地の2LDKで、売値が120万円(‼)。自動車を買うような額だな。500万円以下の物件もおよそ100件程ある。賃貸で7~8年ほど住むのと同じ額で家が買えるということになる。都心からは遠いけれど、職場が住居の近隣ならば、将来の転出を見込んで格安物件を買って住んでみるというのはありかもしれない。あるいは年収150万円のブロガーとかでも、高知に引っ越さなくても食べていけそうだ(上の武里団地分譲のローンの場合、月14,000円の35年返済である)。

  残念ながら古い公団の多くはエレベーターがついてない。なので歳をとってから住むのは向いていないかもしれない。若いうちに住んで、お金を貯めつつ子どもが成人したらそこを出て、夫婦で老後用にマンションを買うというのが良い人生設計だと思う。広くて住み心地のいい家で幼い頃から子どもをを育てると、彼らが一人前になって稼ぐようになっても実家に依存するようになる恐れがある。将来孫の顔を見たいと考えているならば、結婚生活に対する子どもの期待水準を上昇させないでおくというのは重要なことだからだ。とまあ、あれこれ考えてしまったが、個人的にはまだ賃貸暮らしを続けるつもりだ。

* 東日本住宅 http://www.higashinihonjutaku.co.jp/
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解放感を求めて混沌をさまよい、それを耐えて聴く

2014-07-18 12:46:36 | 音盤ノート
Charlie Haden "Liberation Music Orchestra" Impulse!, 1969.

  米国のジャズ・ベーシスト、チャーリー・ヘイデンが7/11に亡くなった。享年76歳。Quartet West結成以降は暖かみと同時に緩さも感じさせるようになったが、それ以前は厳しく沈痛な演奏をするベーシストだった。タイミング的には後ノリで、遅れ気味で音が出てくる。速さは無いけれども味のある旋律が特徴的だった。中米の音楽あるいはミュージシャンを米国ジャズ界に紹介したこともその功績だろう。彼の代表作を一作挙げるとすれば、最初のリーダー作であるこのアルバムとなる。スピリチュアル~フリージャズの系統だが、メロディアスでわりと人懐っこい。

  以下は僕が1998年に書いた紹介文。『暗黒音楽研究』というサイトで公表していた。

  -------------------------------

  Carla Bleyの編曲したモーダルで情緒的なメロディを持った楽曲を、恐れを知らぬフリージャズ軍団が破壊する1969年の名作。ユーモラスな曲もあるが、リーダーHadenの重過ぎるベースラインが全体のトーンを決めている。断末魔の豚の鳴き声のようなサックス(たぶんGato Barbieri)や、リズムを刻まないドラム(Paul MotianとAdrew Cyrille)、サンプリング的に鳴らされる他のレコード等が、混乱に拍車をかける。チェ・ゲバラに捧げられた"Song for Che"を例にとろう。ただでさえ暗いベースの音をさらに沈痛なものにするHadenのソロに始まり、アコースティック・ギターがそれに絡む。途中でCarlos Puebloのレコードの一節が肝試しのコンニャクのように登場し、あとはホーン軍団が暴虐の限りを尽くす。この混沌を潜り抜けた後に一瞬聴かせるユニゾンは感動のあまり目頭が熱くなるほどだ。この感動は、永く無秩序に耐えることのできる根暗なリスナーにしか決して理解できないだろう。解放闘争の勝利は、独立の尊厳をもたらすと同時に、長いものに巻かれることを嫌う人がしばしば陥るような孤独と貧困をももたらす。そんな現実をも理解しているかのようにベースが響く、熱く悲しい音楽。
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流血の少ない革命「明治維新」に歴史的普遍性を持たせる試み

2014-07-16 22:31:20 | 読書ノート
三谷博『愛国・革命・民主:日本史から世界を考える』筑摩選書, 筑摩書房, 2013.

  日本の近代国家形成についての考察。世田谷市民大学で行われた連続講義の記録である。明治維新を「革命」と位置づけ、中韓二国と比較しながら日本の愛国心の形成や意思決定における「公共」の導入について検討している。中身は歴史記述というより、理論的な視点から日本の近代化を再解釈してみせたものである。

  明治維新は一般に革命とは見做されていないが、著者によればやはり革命であるという。しかし、それは旧支配層が自ら体制を放棄するという決着を見た大変革であったのに、流血が少なくて済んだ。その理由はなぜかと問うのだが、その説明はけっこう単純である。「経路依存」すなわち法則性は無くて偶然だというのである。ただ、そうした経路が生まれた条件として、他の東アジア二国より早い愛国心の形成、それを可能にした武士エリート層の公論空間の存在、支配層が組織運営において手続き重視の態度を採ったこと(それが近代的法治国家の成立を容易にした)などが挙げられている。

  全体的に、普遍性に配慮した世界史的な視野での議論と、一方で日本の特殊性への注目とがせめぎ合う微妙なバランスの記述であった。十分整理された内容ではないが、アイデアが面白くて歴史好きには興味を引く読み物となっている。
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日本人によるヨーロッパ風室内楽ジャズ、ブラジル風味少々

2014-07-14 20:35:30 | 音盤ノート
伊藤ゴロー "Postludium" Space Shower Music, 2014.

  美麗静音ジャズ。伊藤ゴローは、Moose Hillやボサノバ・デュオnaomi & goroなどのプロジェクトも並行させているアコースティック系のギタリスト。本作はソロとしては三作目にあたる。

  デュオ演奏を主に聴かせた"Glashous"(Space Shower Music, 2012)と異なり、"Postludium"は四人以上のアンサンブルが中心。曲によってベース、ドラム、ピアノ、チェロ、クラリネットが入れ替わる。伊藤ゴローは、ボサノバ風のコードワークではなく、アルペジオと単線的なソロを主に奏でる。あとは、ピアノ、チェロ、クラリネットが時折前面に出てソロを取るという構成。室内楽的で美しく、硬質な手触りである。こぼれ落ちるようなパッションもかすかに見られ、狙いとしていたECM風静音ジャズとしてもかなり「聴かせる」部類に入るだろう。個人的には"Glashous"より良いと思う。

  少しばかり不満を言えば、伊藤の演奏が控えめな点である。ギターをもっと目立つ演奏にしてくれたほうが、その卓越した演奏技術を堪能できたはず。速い曲もほしい。このあたりはその人柄のせいだろうか。もう少し欲張りになってくれたほうが面白くなると思う。
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詩の注釈が小説となっており、語り手の頭もおかしい

2014-07-11 12:08:03 | 読書ノート
ナボコフ『青白い炎』富士川義之訳, 岩波文庫, 岩波書店, 2014.

  米文学。前書き・長編詩・注釈・索引という構成で、その注釈部分がフィクションになっているという実験小説である。作者のウラジミール・ナボコフは亡命ロシア貴族の小説家で、英語で執筆した『ロリータ』が彼のもっとも有名な作品だろう。原題はPale Fireで1962年に発表されている。

  小説において、長編詩を書いたのは亡くなったシェイドという詩人で、前書きや注釈を書いているのは彼の大学の同僚であるキンボートという人物という設定になっている。シェイドの詩は、若くして亡くなった娘や自分の半生を語ったものである。この詩に、家族から遺稿を任されたと自称するキンボートが注をつけるのだが、詩は存命中にシェイドに語り聞かせたキンボートの波乱万丈の人生が表現されているのだという。なんでも、実はキンボートはヨーロッパのどこかにあるらしいゼンブラ国の元国王(おまけにゲイ)で、革命が勃発して命からがらアメリカに逃げ延びてきたのだ、と。そして今でも殺し屋に命を狙われているのだ、と。詩はその脱出劇をうたったものだという。

  ところが、彼の語りの断片的情報を総合すると、遺稿となった詩は家族から強奪されたもので、キンボートの周辺で起きている事件についても別のもっと合理的な解釈ができるということがわかる。どうやらキンボートは正しい情報を伝えていない。そうすると活き活きと語れていたゼンブラ革命からの脱出の真偽も怪しい。どうやら、大部分が狂人の妄想のようである。しかし、では正しい部分はどこまでか、という疑問が残される。以上のように、視点の錯綜するひねりの利いた構成になっている。

  語り手と異なった目線での解釈が求められるという点で読む労力が必要な作品ではある。また、ナボコフの文章はやたらに装飾が多く、頭にスッと入ってくるような文体でもない。その面白さは、時間が立つの忘れてストーリーを追うようなのめりこむような面白さではなく、手掛かりを拾って語り手と異なる全体像を築き上げるという、ゲーム的な面白さである。邦訳は2003年にちくま文庫で発表されていたが、この岩波文庫版はその訳を改訂したものだそう。個人的には、高校時代に筑摩世界文学大系(1984)──ボルヘスの『伝奇集』等とセットだった──収録訳に接していたはずだが、全然中身を覚えていなかったな。
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ダウンロード販売以前の時代に現れたステージ恐怖症ミュージシャンの僥倖

2014-07-09 14:46:47 | 音盤ノート
XTC "Oranges & lemons" Virgin, 1989

  ロック/パワーポップ。デビュー時はパンクだったが、この頃になるとサイケデリック風味のある後期ビートルズ的な音楽を演奏するグループへと変わっている。知人が読んでいたGary Marcus著のGuitar Zero (Penguin, 2012)に、Andy Partridgeへの言及があり、久々に聴いてみた。その本では、ギタリストとして評価されたからではなく、ステージ恐怖症の代表的ミュージシャンということで採りあげられていた。

  録音はパートリッジ(gt, vo)とColin Moulding(bs, vo), Dave Gregory(gt, kb)の三人の他に、四人のバックミュージシャンを加えて行われている。うち一人はMark Isham(参考)だったりする。ロックバンドにしてはギターリフを重視しない演奏スタイルであり、ドラムとベースの上に、厚いホーンセクションやシンセ、コーラスを重ねるというのが曲のほとんど。バリエーションが多彩でバンド的な音楽ではないことは確かである。親しみやすさと安っぽさと重さと毒気がブレンドされており、独特のアクの強さとなっている。

  コンサートをやらずにレコードの売上げだけで収入を得ていたミュージシャンとして古くはビートルズがいた。1980年代ならばXTC程度の認知度でもそれが可能だったが、CDの売上げが落ちた現在ではもう不可能だろう。デジタル楽曲データの売上収入だけでやっていくならば、人前で演奏することが嫌いなミュージシャンは副業を持つ必要がある。産業構造の変化で、出現が阻まれる才能というのもある。
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著者のバランス感覚を信用するかどうかで評価が分かれる

2014-07-07 16:42:03 | 読書ノート
タイラー・コーエン『創造的破壊:グローバル文化経済学とコンテンツ産業』浜野志保訳, 作品社, 2011.

  文化のグローバル化と資本主義化をめぐる論考。著者は経済学者だが、図表やモデルを使わずに議論しており読みやすい。逆に、著者が提示する考え方の是非についての決定的な材料というものが無いとも言える。もちろんとり挙げられた事例は実証的に扱われているが、その状態を「良い」「悪い」で判断するところまで踏み込んでおり、このレベルでは決め手がない。

  著者が支持するのは「同一文化内での多様な選択肢」であり、外国や他文化からの文化流入を歓迎する。それらの影響は自文化を刺激し、より創造的で質の高い文化的生産物を生み出すという。この主張をヨーロッパ製作の映画、ハイチの音楽からイランの絨毯までさまざま事例を引いて裏付ける。しかし、弱小集団の文化は最初こそインパクトを持つかもしれないが、いずれ先進国の資本主義経済に取り込まれ、活力を失うのではないか。この疑問に対して、著者は「文化とはそもそも栄枯盛衰のあるものであり、その事実を受け入れるしかない」と説く。その先の、弱小民族が持つ文化は先進国の文化と変わらないものになり、文化的アイデンティティの危機をもたらすという議論に対しては、「そんなものはフィクションだ」と一刀両断である。英国植民地時代の綿生産は、ガンジーが憂いたほどインドで衰退してはおらず、むしろ生産力は増していた、という指摘は面白かった。

  以上。文化流入を完全にシャットアウトしたりする試みが無駄だということは納得したが、それでもそれを方向づけたり流れをコントロールすることは完全に無意味だとは言えないと思うのだが、どうだろうか。
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