29Lib 分館

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低能者が増加するためいずれ文明は崩壊すると予言するが、証拠は弱い

2021-12-28 19:21:04 | 読書ノート
エドワード・ダットン , マイケル・A.ウドリー・オブ・メニー『知能低下の人類史:忍び寄る現代文明クライシス』蔵研也訳, 春秋社, 2021.

  人間の平均的な知能は低下しつつあり、現在の高度な文明は将来維持できなくなると予言する内容。著者二人は英国人で、ダットンのほうは、プロファイルによれば宗教関連の著作のあるフリーの「研究者」で、神学の博士号をもっているとのこと。もう一人のウドリー・オブ・メニーは生態学者で、オランダの大学で研究員(research fellow)をしているということだが、よくある任期付きではなくpermanentらしい(そういう制度があるのか)。原書はAt our wits' end: why we're becoming less intelligent and what it means for the future (Imprint Academic, 2018.)である。

  基本的なロジックは理解しやすい。知能の高い層は婚期が遅く、作る子どもの数は少ない。対して、知能の低い層は婚期が早く、子どもの数も多い。知能は遺伝するので、世代を経るにつれて知能の高い層が社会全体に占める割合は少なくなり、知能の低い層の割合が高くなる。その結果、現代社会の高度なインフラやテクノロジーは維持と継承ができなくなり、社会は衰退に向かう。2006年の米国SFコメディ映画に『26世紀青年』(原題:Idiocracy)というのがあったが、それと同じ話である。

  ならば現在、平均的な知能の低下が起こっているのかどうかである。IQにおけるフリン効果はよく知られている。しかし、IQ検査は遺伝的能力だけでなく、環境や学習経験に負う部分も測っている。そうした部分を取り除いて、特に遺伝的能力と相関の高い問題に限ると、平均点の低下がみられるという。このほか、難しい語彙が使用される確率や天才の出現率なども主張の裏付けとして投入されている。加えて、高社会層の少子化と低社会層の人口拡大(避妊を禁じたキリスト教普及のせいだという)によって滅びたローマ帝国の例を挙げながら、未来における破綻のショックを和らげるような対策(といっても具体的なものはない)を取るよう訴えている。

  以上。知能の低下が起こっていることの証拠はちょっと怪しくて、データによって開始時期が19世紀後半だったり、20世紀初頭だったり、20世紀半ばだったりとバラバラである。福祉国家がその傾向を促進させているというのならば、20世紀半ば以降でないとつじつまが合わない。また、天才の出現と一般人の知能平均の話を一緒にするのもおかしい。これらの点で、十分裏付けのある議論にはなっていない。ただし、基本的なロジックはわかるので、将来の知能低下の可能性を否定するわけにもいかないだろう。ただ、仮に遺伝的知能の平均値が低下してゆくとしても、専門化や学習・研究環境の改善で乗り切ることは可能だろう、とも思う。

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旧日本軍の軍人研究。彼らはサラリーマンとそう変わらない

2021-12-24 07:00:00 | 読書ノート
広田照幸『陸軍将校の教育社会史』(ちくま学芸文庫) 筑摩書房, 2021.

  1997年に世織書房から発行された書籍の文庫版。サントリー学芸賞も受賞している。これまで旧日本軍の陸軍というのは、開明的な海軍に比べて、天皇制イデオロギーに凝り固まった封建的で遅れた組織だったというイメージがあった。少なくともこの広田著が世に出るまでは。本書は、陸軍の士官レベルの人々は立身出世を目指す個人主義者だったのであり、彼らにとって士官学校と軍というのは社会移動のための数多あるルートの一つにすぎなかったことを明らかにする。すなわち、彼らは世俗的なメンタリティの持ち主であって、その意味でそれなりに近代的であった。では何が問題だったのだろうか。

  俎上にのせられるのは陸軍士官学校と幼年学校の進学者である。著者によれば、明治時代の日本軍設立当初の士官の社会的地位は高かったが、時代が昭和に近づくにつれて他の官職や民間企業に比べて相対的な地位が低下していったという。給与は伸びず、昇進ポストをめぐる競争は激化した。富裕層の子弟は士官学校を避け、旧制高校・大学への進学を目指した。一方で、士官学校には資産を持たない貧しい層の子弟が集まった。後者には、軍を辞めて別の仕事をするという選択肢が乏しかった。彼らは軍内部での出世に生活をかけた。組織で生き残るために上官や先輩の指示に忠実に従い、滅私奉公のイデオロギーも受け入れた。ただし、主体性を放棄するそのような態度は、社会的地位を上昇させるという個人主義と共存していた。満州事変や日中戦争は、目詰まりしていた昇進ポストの流動性を再び高めることなった事件として、士官学校卒業生にとって福音となったという。

  以上のように、「陸軍士官たちの天皇制イデオロギーが15年戦争を導いた」という単純な因果説を否定し、「彼らは戦争の支持者だったかもしれないが、それはサラリーマン的な出世主義から生み出されたもので、狂信とは異なる。戦争の原因の話はまた別」という解釈を打ち出している。2021年の今ならば、解釈のための新しい概念を持ち込むことで、また新鮮な読み方ができるかもしれない。軍士官の地位低下の結果としての戦争への支持は、エリートの過剰が上層での社会対立をもたらし、最終的に社会を不安定にするというピーター・ターチンの説を想起させる。他者をコントロールするべく当時の士官が天皇制イデオロギーを持ち出すさまは、ポリコレとか美徳シグナリングを思い起こさせる、などなど。そういう解釈を誰かにやってほしいな。
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孤独は悪で、友人が少ない人は早く死ぬとのこと

2021-12-20 10:25:02 | 読書ノート
ロビン・ダンバー 『なぜ私たちは友だちをつくるのか:進化心理学から考える人類にとって一番重要な関係』吉嶺英美訳, 青土社, 2021.

  友人関係についての科学啓蒙書。人間関係における親しさのレベルに段階があること、その個体差、性差、発達段階について論じられている。ソフトカバーながら内容はかなり濃い。著者はダンバー数で知られる英国の進化心理学者で(参考 1 / 2 / 3 )、原書は
Friends: understanding the power of our most important relationships (Little Brown, 2021.)である。なお本書の議論は、いわゆる友達だけでなく、家族・親族・性的パートナーなどのあらゆる親しい人間関係も含んでいる。

  社会的孤立は免疫の不調をもたらし、心身の状態を悪化させる。では、必要な人間関係の数はどの程度か。ということで、まず親しさの段階について調べている。著者によれば、他者との関係は、およそ5人で構成される「最も親しい友達」のグループ、それを含めた15人の「親友」グループ、次に50人の「良好な友達」グループ、最後に150人の「ただの友達」グループというように、同心円状に広がる段階があるという。特別な関係を維持するのには時間と労力がかかる(各段階での友情を形成するには一緒に過ごすべき時間および接触頻度の目安があるとのこと)。このため、個人によってグループの人数に多少の違いがあるにしても、50人の「親友」を形成するようなことはできないという。新たに親友ができたならば、これまで親友グループの一人だった誰かが外側にはじき出されるのだ。

  加えて、人によって友人の数や質に差があるように見えるのはなぜか。外向的・内向的など性格によって友人の数や付き合い方に違いがある。性格の違いは関係維持のスタイルの差となる。すなわち、生物学的な認知能力や人間関係に投資できる量には限界があるため、関係の数の差は関係の質──浅さ・深さなど──の違いとなってくるという。友人関係は、育った環境の同質さ、ユーモアや音楽の好みなどの点で似た者同士であることが多い。さらに、男女で好ましい人間関係のスタイルが違うため、同性の友人のほうが多くなる傾向にある(例えば、男性は会話よりも共有した時間を重視し、かつ浅い人間関係に留まるとのこと)。以上のような議論を、著者が指揮した大規模調査やホルモンの変化を見る実験などを参照しながら展開している。

  以上。「親しさ」をめぐる社会的・生物学的な観察と考察をこれでもかと詰め込んだ内容で、紹介できなかった面白い話も多い(暴力的な男性の家系は子どもの数が多いとか)。個人的には親友(家族や血縁者も含む)が15人というのはちょっと多いかなあという気がしなくもないのだが、これは僕が将来早く死ぬということなのだろう。もう十分生きたか。
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進化ゲームによる差別生成の分析だが、応用には問題も

2021-12-08 07:47:18 | 読書ノート
ケイリン・オコナー『不平等の進化的起源:性差と差別の進化ゲーム』中西大輔監訳, 大月書店, 2021.

  進化ゲーム理論を使った不平等発生のモデル分析。難しい数式は出てこないけれども、概念定義と論理をきちんと理解しながら読み進めるべき難しめの学術書である。原書はThe origins of unfairness: social categories and cultural evolution (Oxford University Press, 2019.)で、著者はカリフォルニア大学アーバイン校の研究者である。特にジェンダーの不平等を扱っている。

  分配結果が二つのグループ間で不平等になったとしても、繰り返されてゆく協力行動があるというのが著者の発見である。できるだけ生物学的な条件を持ち込まない分析だが、文化進化論(メスーディヘンリック)は盛んに参照されており、そこから「人間は成功事例を模倣しやすい」というコンセプトを持ち込んでいる。本書の議論はこう。とくに機能を持たないラベルによって集団はタイプAとタイプBに分けることができるとする。利得が均等ではなくBよりAの方が利得が高いが、タイプBにとってはやらないよりは利得が高いという協力行動がある。そうした協力行動における役割が模倣されて、タイプAとタイプBにそれぞれ異なった行動パターンが定着する。タイプ内の一人が、出来上がった行動パターンに抗おうとしても、均衡から外れると利得が低くなるために拡散しない。このようにして、不平等の構造は安定してしまう。

  ここまでは納得できた。だが、議論の途中で性急にタイプAは男でタイプBは女だとラベルを貼ってしまうのはいただけない。ラベルはゲームの利得として何を考慮するのかによって変わりうるものだ。平均寿命とか一人当たりの子ども有無の確率などを根拠にして、人間の世界では男性のほうが利得の少ない不利なゲームを戦っているという観察も可能だろう。進化ゲーム内のロジックに限定すれば、1/2の確率で男女どちらでも利得の多いグループ/少ないグループになりうる。

  また、ゲームでは世代の変化は導入されていないけれども、利得が異なるのに性比が安定するのか(性比の均衡がくずれないか)についても疑問が残る。かつて読んだ長谷川眞理子の『雄と雌の数をめぐる不思議』(中公文庫)では、タイプAの方が得ならばその繁殖速度が速くなって数が増え、その結果タイプBの希少性が増していつの時点でか立場が逆転してタイプBの交渉力が強くなる、というサイクルが描かれていた。進化ゲーム理論とは異なるが、そちらのほうが現実の説明としてまだ適切であるように感じる。
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