ジョセフ・ヒース『啓蒙思想2.0:政治・経済・生活を正気に戻すために』栗原百代訳, NTT出版, 2014.
民主政治をめぐる問題提起の書。著者は、現在「理性」の価値が貶められ、直観主義が称揚されすぎていると見る。行動経済学者らが明らかにした認知バイアスの存在などから、理性的に見える決定も結局は生得的傾向によって歪められており、理性は不十分にしか機能しないということが分かっている。また、フランス革命以来、理性重視は社会を機能させてきた良い伝統まで破壊する結果になることがあり、社会に混乱をもたらしてきた。その最悪のものとしてナチスがある。こうした認識が北米の社会に共有された結果、直観主義がはびこり(特に保守陣営に選挙戦略として採用され)、民主的意志決定を停滞させていると見る。
これに対して、著者は再度「理性」の優位を訴える。理性に限界があるとはいえ、直観主義では環境問題などの集合行為の問題を上手く解決できない。こうした問題については、脳が本来不得意な合理的計算を行わなければ最適な答えを導きすことができない。それは直観に反する結果を導きだすこともあるが、それこそが人間社会を高度なレベルに押し上げてきた要因であると説く。それではどうすべきか。理性の再評価を叫んだところで、直観主義を採用して洗練された広告、あるいは米共和党によるワンフレーズポリティックスとレッテル張りの選挙戦略から一般の人々の蒙を啓くことは難しい。これに対し、著者は、セイラーらのアーキテクチャ論(参考)を引いて、あからさまな嘘や間違いを撒き散らす言説を法で規制するという、一種の言論統制を採用するよう提案している。
読者として理性の重要性についは理解した。しかし処方箋に対してはすぐには賛同し難いものがある。デマもヘイトスピーチも言論の自由の代償としてしぶしぶながら許容するという通常の立場からみると、著者の提案は過剰なものと見える。そこまでしないと駄目な政治の状況なのだろうか? 嘘つきや差別発言をする連中の口を防げば、政治が直観主義から離れて理性的な議論の場となるというのも、飛躍がある気がする。うーん、現在が民主主義の危機と言われればそんな気がしないでもないのだが、米国だって大統領選では民主党が2期連続で勝っているわけで、共和党がえげつない選挙戦略のおかげで常に優位に立っているなどということはない。
民主政治をめぐる問題提起の書。著者は、現在「理性」の価値が貶められ、直観主義が称揚されすぎていると見る。行動経済学者らが明らかにした認知バイアスの存在などから、理性的に見える決定も結局は生得的傾向によって歪められており、理性は不十分にしか機能しないということが分かっている。また、フランス革命以来、理性重視は社会を機能させてきた良い伝統まで破壊する結果になることがあり、社会に混乱をもたらしてきた。その最悪のものとしてナチスがある。こうした認識が北米の社会に共有された結果、直観主義がはびこり(特に保守陣営に選挙戦略として採用され)、民主的意志決定を停滞させていると見る。
これに対して、著者は再度「理性」の優位を訴える。理性に限界があるとはいえ、直観主義では環境問題などの集合行為の問題を上手く解決できない。こうした問題については、脳が本来不得意な合理的計算を行わなければ最適な答えを導きすことができない。それは直観に反する結果を導きだすこともあるが、それこそが人間社会を高度なレベルに押し上げてきた要因であると説く。それではどうすべきか。理性の再評価を叫んだところで、直観主義を採用して洗練された広告、あるいは米共和党によるワンフレーズポリティックスとレッテル張りの選挙戦略から一般の人々の蒙を啓くことは難しい。これに対し、著者は、セイラーらのアーキテクチャ論(参考)を引いて、あからさまな嘘や間違いを撒き散らす言説を法で規制するという、一種の言論統制を採用するよう提案している。
読者として理性の重要性についは理解した。しかし処方箋に対してはすぐには賛同し難いものがある。デマもヘイトスピーチも言論の自由の代償としてしぶしぶながら許容するという通常の立場からみると、著者の提案は過剰なものと見える。そこまでしないと駄目な政治の状況なのだろうか? 嘘つきや差別発言をする連中の口を防げば、政治が直観主義から離れて理性的な議論の場となるというのも、飛躍がある気がする。うーん、現在が民主主義の危機と言われればそんな気がしないでもないのだが、米国だって大統領選では民主党が2期連続で勝っているわけで、共和党がえげつない選挙戦略のおかげで常に優位に立っているなどということはない。