29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

静岡市内の公園遊具

2009-12-26 20:44:08 | チラシの裏
  横浜や愛知にある公園の遊具に比べると、静岡市内にある遊具は巨大で大胆な造りのものが多いような気がする。

  特に印象的なのが、鉄製またはコンクリート製の巨大な塊の遊具がかなりの確率で設置されていることである。鉄製のものは、ジャングルジムをもっと複雑にしたもので、うんていや滑り台、つり橋などを統合した遊具であることが多い。コンクリート製のものは、やはり滑り台を基本としており、内部に抜け穴があったり、ロッククライミングもどきの石の埋込みがあったりするものだ。

  僕の記憶では、昔の愛知にもそのような巨大な遊具はあった気がするが、今ではまったく見かけない。横浜でもおそらくそうだろう。僕と妻は次のように推測している。子どもたちがそこに集まって遊ぶことが多く、強度もあるので、大きく楽しい遊具はやや危険である。怪我などで責任問題となることを恐れた自治体が、そのような遊具の設置を避けるようになったのではないか、と。うるさい住民が居そうな都会に限る話だが。
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賞味期限が短いと思われるのでお早目に

2009-12-24 22:40:02 | 読書ノート
高橋洋一, 竹内薫『鳩山由紀夫の政治を科学する:帰ってきたバカヤロー経済学』インフォレスト, 2009.

  時評。鳩山首相の話はさわりに出てくるだけ。全体は、党役員と閣僚の布陣から、マニフェストに掲げられた政策のうち、確実に実行に移されそうなものを予想するというもの。本書の宣伝文句に見られる「OR」だとか「理系」だとかの概念や、鳩山首相の理想主義的側面は、その予想に影響していない。

  で結局、民主党政権は、国益よりも党を支持する集団を優先するという。マニフェストに掲げられた政策のうち、実行に移されるのは、支持者を喜ばせるものか、敵対者を弱体化させるものだけ。どちらにも影響しないものは実施されない、と。

  自民党と近い団体に対する予算は減らされるとのことだが、そのターゲットの一つに文科省が挙げられている。文科省が締め上げられる理由として、日教組との長年の対立が挙げられている。本書では高校無償化は日教組に対する補助金として解釈される。

  私立の短大に勤務する僕にはどう影響するのだろうか? 僕の短大が所属する学校法人は系列高校を数校持っている。私立高校生にも補助が出て負担がやや軽くなるはずとはいえ、公立高校が無償化されればその影響は避けられないだろう。

  報道を見ている限り、まとまりにかけるように見える鳩山政権だが、合理的に党利党略を追求すれば本書の言うとおりになるだろう。だが、それほどしたたかなのだろうかという疑問も残る。例えば、著者らは民主党政権が経済運営に失敗しないよう注意するはずだと考えているようだが、現実はそうは見えない。他の民主党分析本を読んでみたことが無いので、この本が相対的に優れているのかどうかは僕には判断できないところ。
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ハウツーを装った文学評論

2009-12-22 08:48:26 | 読書ノート
ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』大浦康介訳, 筑摩書房, 2008.

  読んでいない本についてコメントすることをめぐるエッセイ。「読んでいない」という状況の多くは文学作品から採られており、バルザック、モンテーニュ、ワイルド、夏目漱石、エーコ等などが材料となっている。著者はフランス人で、奥付にある肩書きは「精神分析家」である。

  考察の理論的背景となっている「内なる図書館」や「共有図書館」に関する思弁は、一昔前のインターテクスチュアリティ論の読者ヴァージョンという趣き。わかりやすいし異論も無いのだけど、その種の話はもう飽きたなという感覚も残る。

  それでも、笑える部分も多い。著者は、脚注で引用した本をちゃんと読んだかどうか告白している。さらに同じ脚注で、本に対する批評も加えている。読み進めていくと、「読んだことのない本」を「ぜんぜんダメだと思った」とする脚注に出会ったりするのである。

  本は読まなくてもコメントできる。これは義務感に駆られて読書する向きには解放感のある主張だろう。けれども、全然読まない人が真に受けそうなところが罪作りである。でも、そういう人はこの本に出会うことも無いんだろうな。
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静岡市内で物乞いに遭遇

2009-12-20 20:53:56 | チラシの裏
  引っ越してからこのかた、静岡市内でホームレスを見たことは無かった。市が豊かで貧しい人がいないというわけではなくて、そういう人たちが市から出て行ってしまうというのが本当の理由だろう。非常に貧乏な人は、東京か名古屋に移動しているのだと推定される。静岡市では日雇いの仕事は無く、ホームレスが集まって助け合うような場所も無い。人口70万人というのは微妙な人口で、そういう人たちのぎりぎりの生活すら支えられないのである。

  ところが、今日の夕方駅前の地下通路で、正座して物乞いをしている高齢の女性に遭遇した。「冬の大都市の地下街で見る光景がついに静岡市にも訪れたか」という感慨をもった。ただ、ホームレスかどうかは不確かで、正座して静かに鉢を構えているところを見ると宗教関係者だったのかもしれない。もし、ホームレスならいずれ関東か名古屋に移動することになるだろう、寝るところはないし、独りだと危険だし。
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テクノとしてふつうに良作

2009-12-17 08:39:43 | 音盤ノート
Carl Craig / Moritz von Oswald "Recomposed by Carl Craig & Moritz von Oswald" Deutsche Grammophon, 2008.

  カラヤン指揮ベルリンフィルによる1985-87年の録音(オリジナルは下記1参照)をもとに、米独の二人のエレクトロニカ系ミュージシャンが曲を再構成した作品。レーベルがクラシック専門のドイツ・グラモフォンだが、中身は完全にテクノである。

  Carl Craigのアルバムを聴くのは久々で、10年以上前に、名作の誉れ高い"More Songs About Food and Revolutionary Art"(SSR, 1997)を聴いて以来。そのときは、目新しさの少ないシンセサイザーミュージックという悪印象しかもたなかった。ちなみにMoritz von Oswaldについては全然聴いたことが無い。

  このアルバムは全部で8トラックあり、前半(トラック1-5)と後半(トラック6-8)に分かれる。前半はラベルのボレロを下敷きにして始まるが、曲が進行してゆくと完全にテクノのオリジナル曲になる。後半は、スペイン狂詩曲の冒頭部分をサンプリングして反復・展開させてゆく作品。原曲の骨格は残っていない。

  シンセサイザーによる前述の"More Songs"に比べて、オーケストラの音を元に使ったこの作品は一音一音が厚く聞こえる。また、トラック4と5はテクノ曲として素晴らしい。それらの点でこの試みは成功だったと言えるだろう。

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1) Herbert von Karajan ; Berlin Philharmonic Orchestra "Ravel / Bolero, Rapsodie Espagnole ; Mussorgsky / Pictures at an Exhibition" Deutsche Grammophon, 1993.
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エピソード中心で説得力は微妙

2009-12-15 12:29:11 | 読書ノート
ジェームズ・スロウィッキー『「みんなの意見」は案外正しい』小高尚子訳, 角川書店, 2006.

  著者はジャーナリスト。群衆による決定は、少数の専門家による決定よりも正しいことがあると主張する。その説得法は事例によるものが多く、ときどき昔の心理学実験が参照される。

  個々の事例は面白くてためになる。ただ、それが著者の主張を十分補強しているかというと、そうではない。著者は、群衆による決定が優れているものとなる条件として、意見の多様性、独立性、分散性、集約性の四つを挙げている。だが、挙げられている事例がそれを満たしているのかどうか疑問が多い。また、よくある批判として、四条件を満たすような集団自体が非常にまれだろうと言える。さらに、その四条件はどこから来た考えなのか、裏付けがはっきりしないことも不満だ。

  そういうわけで「みんなの意見」の正しさに僕は懐疑的である。だが、頭を使わせる本という意味では、文庫化されて安くなっているし、それほどリスクの高い読書とはならない。
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まあ、聴き流すにはよろしいかと

2009-12-13 22:43:53 | 音盤ノート
Deodato "Os Catedraticos 73" Equipe, 1973.

  ブラジル産フュージョン。細かいリズムの上にホーンと鍵盤がのる。

  CTIでの二作"Prelude"(1972)と"Deodato 2"(1972)よりはパーカッシヴで粗削り、かつチープ。本人が弾いている楽器は、CTI録音ではエレクトリック・ピアノで、このアルバムではハモンド・オルガンというイメージ(実際は後者でもエレピを弾いている)。また、CTI録音では編曲したクラシック曲を演奏していたが、このアルバムはそのような大袈裟な曲が無くコンパクトにまとまっている。個人的には、CTI録音とは異なり、やたら弾きまくるギターが入っていないのがいい。

  僕が持っているのは日本盤LPで、『白いピューマ』というタイトルがついている。最近CD化されたものとは異なるジャケットで、円の中に本人写真が入っているもの。
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サンプルに日本があるけど中選挙区制時代の話

2009-12-10 08:27:59 | 読書ノート
アレンド・レイプハルト『民主主義対民主主義:多数決型とコンセンサス型の36ヵ国比較研究』粕谷祐子訳, 勁草書房, 2009.

  第二次世界大戦以降、長期間民主制を採った国の比較研究。経済や治安・平等度等を統計的に比較している。投入する変数の解説が長く、240ページある本文の6割弱がその説明である。日本もサンプルに上がっているが、1993年までの単記非移譲式選挙の時代、すなわち中選挙区制時代の日本が対象である。

  副題にある「多数決型」と「コンセンサス型」の民主制度のパフォーマンスを客観的に比較したいというのが著者のねらい。「多数決型」は、大幅に単純化して言えば、小選挙区で選ばれた二大政党が議会で対決し、数に勝る方が中央集権的な政府を形成する形態のこと。「コンセンサス型」は、比例代表制で選ばれた多数の政党が連立を組んで議会を運営し、かつ地方分権の度合も強い形態である。前者の典型はイギリスで、後者はスイスということになる。多くの国はそれを両極としたスペクトラムの中に位置づけられ、日本は真ん中よりややコンセンサス型という評価のようだ。

  で、どっちが優れた制度のなのか? 著者によれば、政治学では多数決型が伝統的に優位にあるとみなされてきた。ところが、この本の分析に従えば多数決型とコンセンサス型は、さまざまな面でほとんど同等または後者の優位という評価が導き出されるという。そのようなわけで、最終的に体制をコンセンサス型へ移行させることが提案されている。

  中選挙区時代の日本に対する評価は良くもなく悪くもなくという具合で、そもそも記述量が少ない。1996年に選挙制度を変更してより「多数決型」となった以降の日本については分析の対象となっていないが、おそらく著者の結論を補強するデータとなるのだろう。

  
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文脈を読んだコミュニケーション

2009-12-08 10:55:11 | チラシの裏
  僕の勤務する短大では保育科が人気学科で、相対的に優秀な学生が入学する。僕がO先生の研究室でコーヒーを飲んでいた時のこと。一人の保育科の学生がO先生の研究室を訪れた。普段はO先生のことを「そうちゃん」とあだ名で呼んでいるらしい学生である。彼女は、部屋の中に見知らぬ男=僕がいることを見つけると、O先生をそのまま「O先生」と呼び、ですます調で用件を伝えて去っていった。O先生は「普段の態度と違う…」と苦笑していたが。

  場の空気に合わせてコミュニケーションの取り方を変える。こんなことは普通の大人ならできると思われがちだが、やっぱり教えてもらわないとできない学生も多い。一度なれなれしい呼び方を認めると、外部から来た偉い人が列席するような行事の場でも、普段の口調で話しかけてきてこちらを困らせる学生がいる。そういう学生を見慣れている中で、コミュニケーション方法の「使い分け」ができる上の保育科生に感心した次第。
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分裂症が讃えられた時代を思い出す

2009-12-05 12:38:50 | 音盤ノート
Daedelus "Denies The Day's Demise" Mush, 2006.

  この前後のDaedelusの作品を聞いたことがあるが、基本はヒップホップである。エレクトロニカ系としては比較的短い3分程度の曲をアルバムの中のなかでたたみかけ、一曲の中でも、やりすぎと思えるほど音を厚くしたり、めまぐるしく変化をかける。アルバムを通じて滅茶苦茶だなという印象。1980年代のニューアカ方面で流行った「スキゾフレニー」という単語が思い浮かぶ。

  だが、このアルバムに限ってはボサノバ等ブラジル音楽風の編曲が前面に出ており、メロディー重視の聴き手にも親しみやすい。オーケストレーションやクラシック・ギターが抒情的に響き、かなり激しめのリズムを後景に退かせている。ただし、そうしたサウンドは格調高くなることなく、チープに響くままである。落ち着かない子どもの可愛らしさ、そういった雰囲気を漂わせている作品。
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