29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

時流に反して著作権強化を訴える問題作

2018-02-26 20:51:05 | 読書ノート
ロバート・P. マージェス『知財の正義』山根崇邦,‎ 前田健,‎ 泉卓也訳, 勁草書房, 2017.

  知的財産権を根拠づけ、今後の方針を示すという著作。インターネットの興隆以降、特許保護や著作権保護の主張は劣勢になってしまった。保護強化や権利行使の動きに対して呪詛が投げかけられる光景を目にすることも多い。こうした状勢に反して、著者はプロパテントとプロライツを呼びかける。すなわち、ローレンス・レッシグを批判し、権利強化を肯定するという珍しい立場を採っている。著者は米国の法学者で、原書はJustifying intellectual property (Harvard University Press, 2011)である。専門家向けではあるが、議論は平明であり難しくはない。翻訳が良いのだろう。

  全体は三部構成で、第一部は理論編。現在主流の知財の基盤理論は、創造と利用を調整する功利主義である。これに対して著者は、労働が所有権をもたらすというロック(Lockeね)、所有とは自律・コントロールであるというカント、ただし所有権優先ながら最も恵まれない人の自由のために権利制限がありうるというロールズを並べて、義務論的な知的財産権像を描いてみせる。知的財産権は単なるインセンティヴではなくて、「労働の果実は労働者に」という倫理的直観こそ根拠となるべきというわけである。

  第二部では、もう少し議論が具体的になり、知的財産権には非専有性、効率性、比例性、尊厳性の四つの原理があることを示している。非専有性とはパブリックドメインの保護、効率性とは理論レベルでは退けた功利主義原理、尊厳性は著作者人格権の話である。このうち、一つの作品・発明に貢献した複数の権利者を調整する比例性の原理が特に重要だという。すなわち、集団による発明や創作の報償は貢献度に応じて決まるべきであり、部分的な権利者が過大な要求をするのを裁判所は退けるべきだということだ。

  第三部はいくつか事例を挙げながら、知的財産権保護の有効性を説くという内容である。著者はアンチコピーライトやアンチパテントの議論をやり玉にあげ、結局そのような方向は職業的作家や発明家、中小企業の存立を不可能にし、皆をアマチュアにしてしまうという。それは質の低い創作物や発明を蔓延させる結果をもたらすだけで、消費者にとっても望ましくないはずだ、と。必要なのは権利を弱めることではなく、権利者と利用者の間の取引コストを下げる仕組みを整備することだという。

  以上。JASRACは正当かとか、著作権保護期間延長は正しいかとか、そういう問いに対する実践的なレベルの答えは用意していない。だが、著者が権利強化を訴えているのは明らかであり、面白い。近年、著作権が主張される範囲は拡大しているように見えるが、大半の権利者は権利を行使しておらず、違反を黙認している現状がある。このため著作権産業は栄えていないのだというのだ。個人的に本書の論証が必ずしもうまくいっているとは思わないが、問題作であることは確かだ。
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よくわかる孟子道徳論の限界

2018-02-23 21:19:19 | 読書ノート
フランソワ・ジュリアン『道徳を基礎づける:孟子vs.カント、ルソー、ニーチェ』中島 隆博,‎ 志野好伸訳, 講談社学術文庫, 講談社, 2017.

  比較倫理学。フランス人の中国哲学研究者が、孟子と西洋倫理学を相対させて西洋人の倫理学的思考を揺さぶってみるという試みである。原書は1996年に発行され、2002年に講談社現代新書の形で翻訳が出て、2017年になって講談社学術文庫に収録されている。

  個人的には、孟子と聞いても「性善説を唱えた人」ぐらいしか知らなかったので、本書で紹介されている引用はためになった。しかし、中国古典の語り口の基本は例え話だから、倫理を抽象的に考えたカントやルソーと比べると、議論のための道具立てがいかにも足りないという印象である。そのあたりは、時代も違うこともあり、中国では西洋のような概念は必要なかったのだと著者は弁護している。もちろん限界があることも認めている。

  本書を読んでゆくと、孟子の議論は究極的には支配者の道徳というかたちでしか現れないことがわかる。善行→人望→君子というわけである。したがって普通の人間の行動を律するようなものではない。すなわち、現代的な倫理的問題にヒントを与えてくれるようなものではまったくない。そういうことが分かるという意味で役に立つ内容だろう。 
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いつもと変わらぬライヒ節が聴ける

2018-02-20 21:23:58 | 音盤ノート
Steve Reich "Pulse / Quartet" Nonesuch, 2018.

  スティーブ・ライヒの新録音。4トラック収録されているが、収録時間は30分強である。ECMなどもそうだが、最近はLP化を念頭においたアルバム収録時間とする傾向が見られ、本作も3月にはLP盤が発行されるらしい。

  一曲目の'Pulse'は2015年の作品。四台のヴァイオリン、二台のヴィオラ、二台のフルート、二台のクラリネット、ピアノとエレクリックベースが一つずつという編成で、International Contemporary Groupが演奏している。'Four Sections'の第一楽章に一定の拍のベース音を加えたような曲である。盛り上がりはないが、メロディアスで落ち着いたなかなか良い曲である。

  二曲目の'Quartet'は2013年の作品。二台のヴィブラフォンと二台のピアノという編成で、Colin Currie Groupが演奏している。なかなか複雑な楽曲で、'Sextet'をより小編成にした演奏という趣きである。二曲ともかつての作品を思い起こさせる作風で、特に目新しいところはない。聴きやすいというのが取り柄だろう。
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人工知能による人類絶滅をどう回避するか

2018-02-14 18:32:31 | 読書ノート
ニック・ボストロム『スーパーインテリジェンス:超絶AIと人類の命運』倉骨彰訳, 日本経済新聞社, 2017.

  AIのコントロール問題を扱った書籍。人間より優れたAIをどう制御すべきか、巧く制御できなければ人類滅亡のおそれもある、と問題提起して原書はベストセラーになった。著者はスウェーデン出身のオクスフォード大学の哲学者で、原著はSuperintelligence : Paths, dangers, strategies(Oxford University Press, 2014)である。

  最初の問題は、いつ頃どのように超絶AIが完成するのか。まずは現在から数年~数十年かけて機械学習または人間の脳の模倣どちらかのルートで超絶AIのひな型ができるはずだとするも、そのひな型ができた後の超絶AI化は数年どころか数分かもしれないと説く。この超絶AIは、当初与えられた目標のために──クリップを生産するというつまらない目標であっても──とことん人類を出し抜くようになるかもしれない(クリップ生産の邪魔になるならば人間を迫害する可能性もある)。あるいは独自の目標を持つようになるかもしれない。

  では超絶AIをどうコントロールするのか。一つは物理的な監視下におくという方法だが、人間側の裏切者が出る可能性や、超絶AIによる従順な演技などによって監視者が騙される可能性から、完全ではないという。別の方法は、「人間に危害を加えてはいけない」という価値観を埋め込んでおくというものだが、そのような抽象的な価値を機械が理解できるようにコード化することは至難のわざであり、今後の研究が必要だとのことである。

  以上。全体として、専門用語が多くて難解な本である。ありうるシナリオを列挙して検討し、「このシナリオの可能性がもっともありうる」が「あのシナリオの可能性もまったくないわけではない」という調子で進んでゆくので、すっきりした読後感もない。だが、SF的で面白いことは確かだ。近年のAI論の主流は、AIによって人間が仕事を奪われるというものである。本書の話はそれよりもっと大胆で、読んでて実感の湧かないものだが、いろいろSF作品を思い浮かべながら読むと楽しめる。

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不覚にもインフルエンザに罹患

2018-02-11 17:20:51 | チラシの裏
  昨日から38.6℃の熱が出て寝込んでいる。昨日は状態が悪くて帰宅してからずっと横になっていたし、今日は休診日なので病院に行って判定してもらってはいないのだが、おそらくインフルエンザだろう。昨日は出勤する前に悪寒がして、仕事中にどんどん熱があがってきた。このため午前で早退した。今日も熱は37℃台をいったりきたりで、妻と子どもにうつさないよう隔離されて寝ている。

  勤務校では2/7から2/10まで四日連続の入学試験の日程で、僕は入試委員として参加した。入試委員にあたっている教員は2/6に試験準備をし、入試当日は7:30から出勤して待機していなくてはならない。やることは基本的にトラブル対処であり、出題ミスへの対応、開始時間の変更、連絡員、その他雑用をあれこれこなす。何もなければ暇なんだけれども、事があったときには判断力の要求されるテンションの高い仕事となる。今年はけっこうあった。2/10午後は合格ラインを決めるという重要な仕事もあったのだが、任務を全うすることなく同僚に任せて帰ってきた。

  インフルエンザがいつうつったかはわからないけれども、発症は10日。潜伏期間は3日ぐらいとすると、入試初日にもらったのだろう。僕は四日間、人が出入りする空間にずっといてかなりの数の教職員に話かけたから、僕からうつったという人がこれから多くでるかもしれない。この場をかりておわびします。どうもすいません。

  厄介なことに2/12~2/20にかけてたくさんの締切を抱えている。成績、シラバス、来年度の『学校案内』の校正、非常勤講師の推薦書、学会から依頼された報告書、紀要原稿である。締切の早い二つ、成績とシラバスはなんとか片づけたけれども、文章を仕上げる必要のある他についてはちょっと頭がはたらかない。ブログは書けるのかよと言われそうなのでなんとか間に合わせるつもりだけれども、クオリティについては自信がないな。
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台湾少数民族による民謡合唱にチェロ

2018-02-08 21:44:20 | 音盤ノート
David Darling & The Wulu Bunun "Mudanin Kata" Riverboat, 2004.

  ワールド・ミュージック。台湾の少数民族ブヌン族の合唱にチェロを添えるという趣向の音楽である。録音は2002年で、プロデューサーとダーリングが台湾山岳地帯にある現地を訪れてフィールド・レコーディングをし、その後米国のスタジオにてチェロの音をさらに加えたようだ。2010年にPanaiから日本盤が発行されている。

  ほとんどの曲は素朴で呑気で微笑ましい。8部混声の合唱であり、1980年代を覚えている人には「アフリカの民族音楽やブルガリアン・ボイスなど聴くことのできた、非ベルカント的な発声での歌声である」と言えばわかるだろう。一曲だけリゲティの'Lux aeterna'みたいな曲がある。ダーリングのチェロはECM録音と比べればずっと暖く、ピチカートも多用している。

  これは優れた癒し系音楽である。民族音楽特有の臭みも少なく、西洋音楽に慣れた耳に対して巧みにパッケージされている。ダーリングの起用は大成功で、企画勝ちだろう。プロデューサーのShu-Fang Wangの慧眼をほめたたえたい。
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孤高の芸術的作品のようで実は伏線あり

2018-02-04 19:30:12 | 音盤ノート
David Darling "Cello" ECM, 1992.

  チェロ独奏および多重録音。演奏はダーリング独りだけで、曲によっては8弦エレクトリック・チェロなる楽器も使われている。室内楽風の演奏で、聴いていたら家族から「お父さんはクラシックも聴くのね」と言われたけれども、一応ジャズにカテゴライズされる。ただしアドリブは主ではない。現代音楽の影響の強い、重めの環境音楽とでもいったほうが近いだろう。

  全体的に鬱々としており、「大切な人を失って数日後の、感情的には落ち着いているけれども、まだ悲しみの晴れない日々」みたいな雰囲気である。非常に内省的であり心の奥底に潜るよう。ほとんどの曲は、ゆったりとしたフレーズを重厚なチェロの響きを用いて延ばし延ばし繰り返すというパターンである。Arvo Partの"Tabula Rasa" (ECM, 1984)収録の'Fratres'を思い出す。曲はすべてオリジナルだが、二曲がプロデューサーのManfred Eicherとの共作になっている。とにかく暗い。

  明るく楽しい音楽ではないが、こういうのもあるということで。しかし、ダーリングのECM録音は1984年のTerje Rypdalとの共作"Eos"から本作まで8年空いている。80年代後半はECMを離れていた。おそらく、ゴダールの映画『ヌーヴェルヴァーグ』(1990)のサントラの一つとして彼の曲が使われたので、商業的な期待からレーベル側が彼を呼び戻したのだろう。ECMはこのような商売っ気もあるようで。ジャケット写真もゴダールの『パッション』(1982)から。
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