29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

アンサンブル曲のスピード感と美しさは出色

2011-01-31 14:40:35 | 音盤ノート
Steve Reich "Octet / Music for a Large Ensemble / Violin Phase" ECM, 1980.

 現代音楽。ライヒにとってはECMでの二つ目の録音。現在CDでは"ECM New Series"に入れられているが、シリーズ最初が1984年のアルヴォ・ペルトの録音だから、以前はジャズなどとごっちゃにカテゴライズされていたことがわかる。

 一曲目の"Music for a Large Ensemble"(1978)は、"Music for Mallet Instruments Voices & Organ"(1973, 参考)の流れを組む旋律打楽器中心の名曲。宗教的な感覚は後退しているが、早いテンポできらめくように打ち鳴らされるマリンバやヴィブラフォンが快楽。

 二曲目の"Violin Phase"(1967)は、初期のフェイジングものの一つ。曲調はスローで物憂げであり、テープ作品や"Piano Phase"(1967)ほど興味が湧かないだろう。ただし、クラシックを聴きなれた人には、深みを感じさせるこの曲がアピールするかもしれない。

 三曲目の"Octet"(1979)は、弦楽四重奏団に二台のピアノと二人の管楽器奏者という編成による曲。後に、音の厚みを増すためとして"Eight Lines"に書き換えられたが、シャープで軽快な"Octet"版の方が優れているように思う。5拍子の変なリズムの曲だが、速くてまた素晴らしい。

 
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政治哲学の議論を教育学に適用

2011-01-28 18:19:12 | 読書ノート
宮寺晃夫『教育の分配論:公正な能力開発とは何か』勁草書房, 2006.

  教育機会の分配の公正さについて哲学的に検討した著作。著者は教育学者で、タイトルから想像されるような経済学的な議論が展開されるわけではない。政治哲学の領域──ロールズ、サンデル、ノージックほか──の議論を教育論に適用することが主眼で、現行の教育システムの効果や効率については扱っていない。また、副題での疑問に対して明快な見解が提出されていない。著者はどちらかと言えばリベラル寄りで、リバタリアン的な言説には距離を置いているようにみえる。けれども、全体を読んだ印象は「逡巡」であり、しっかりした結論を得られないまま終わる。これらの点は読者の評価のわかれるところだろう。とはいえ、著者による政治哲学の議論の整理はためになる。
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オーケストラを使ったライヒ曲だが・・・

2011-01-26 12:26:44 | 音盤ノート
Steve Reich "Four Sections / Music for Mallet Instruments Voices & Organ" Nonesuch, 1994.

  ミニマル音楽。オーケストラ曲と大きめのアンサンブル曲のカップリング。

  僕は基本的にオーケストラ曲を好きではない人間であり、"Four Sections"も例外ではない。この曲は、1.弦楽器 - 2.打楽器 - 3.管楽器 - 4.フルオーケストラという順で展開される四楽章構成の曲である。こうした大編成の曲では、ライヒ作品にある速くドライな感覚が消え失せて、重く鈍いという印象がもたらされる。とはいえ、マリンバが乱打される最終楽章だけは盛り上がる。ただ、最初に我慢させて最後に解放する展開は平凡とも思ってしまう。

  カップリングの"Mallet Instruments"は再録音だが、こちらの出来は素晴らしい。1974年にDeutsche Grammophon盤が録音されているが、それに比べてマリンバ等旋律打楽器の音色が明瞭であり、飛び跳ねるように録られている。それでいて、最初の録音にあった霊妙で宗教的ともいえる感覚も失っていない。原曲は1973年完成であり、名曲"Music for 18 Musicians"(参考)に通じる、旋律打楽器を前面に配した美しい曲である。
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久々に秋葉原を訪れて

2011-01-24 17:34:59 | チラシの裏
  週末に秋葉原を訪れた。歩行者天国が復活した昨日(1/23(日))についてはニュースになったが、僕が訪れたのは前日土曜日である。今回訪れたのは久々だったのだが、前回いつ来たのかは思い出せない。少なくとも三年以上前であることは確かだが、そもそも今世紀に入って年に一回以下のペースでしか行っていないと思う。非常勤講師としての通勤のために、秋葉原駅での乗り換えは毎週だったが、外に出ることはあまり無かった。

  1990年代の秋葉原のイメージは「電気街」であって、まだオタク文化には占領されていなかった。その頃、僕は朝日新聞社の雑誌『アサヒパソコン』編集部でアルバイトしており、店頭に並ぶパソコンの値段の調査のために、コンピュータの小売各店をしばしばハシゴしたものだった。(ちなみに、当時編集長だった三浦賢一氏は僕が辞めた後の2001年に自殺している)。当時は今以上のスピードでコンピュータの可能性が拡がって(いると喧伝されて)おり、秋葉原の語られ方も、ジャンク電気部品屋がごちゃごちゃに並ぶアジア的未来都市、すなわちサイバーパンク的電脳都市のイメージだったと記憶している。

  今回訪れてみると、巷間で言われるように萌えアニメ関連のお店が増えたことを確認できる。チラシを配るメイドの姿も僕の記憶には無いものだった。一方で、ヤマギワやラオックスのコンピュータ館などの大型電化製品店が無くなっていた。高架下や駅周辺の歩道もきれいになり、女性が一人で歩いていてもおかしくない程度に開発されている。とはいえ、裏通りのマニアックな雰囲気は健在で、さすがにそこでは野郎しか歩いていなかった。印象では100人中99人ぐらいの驚異の男性率だったが、以前もこんなものだったけ? 目的が機械ではなく「萌え」に変わったという点を除けば、秋葉原が男性の街であることは変わっていないのだろう。

  その日は観光旅行者としてガンダムカフェに入り、街をぶらついて終わった。僕は「萌え絵」に全然萌えないたちなので、この秋葉原の変化にはついてゆけそうもない。
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景観を通した西欧と日本の比較文明論

2011-01-21 11:51:02 | 読書ノート
芦原義信『街並みの美学』岩波書店, 1972.
芦原義信『続・街並みの美学』岩波書店, 1983.

  都市景観論の古典。内容は、空間認識における西欧の壁重視と日本の床重視という違いを指摘し、世界各国の都市景観を分析するものである。それぞれ岩波書店から、同時代ライブラリー版が1990年に、岩波現代文庫版が2001年に発行されている。僕が持っているのは同時代ライブラリー版で、学生時代に読んだ。正編は50枚の図と68枚の写真、続編は43枚の図と115枚の写真が使われており、ページのサイズが小さいと読みにくいと推察される。確認していないが、文庫版が図と写真をただ縮小しているだけなのかどうか気になるところである。

  個人的には、日本でもよく採りあげられるコルビジェの都市計画に対して、どちらかと言えば否定的な評価を下している箇所をよく覚えている。自動車と歩行者の通路を分離して、広い空間に建築を点在させるような都市計画がコルビジェのそれだ。日本だと筑波学園都市がそうなのだが、以前そこを訪れたとき、ずいぶん歩かされた記憶がある。都市の密度が薄いので、目的地から目的地までの移動に時間がかかるのである。運転できない子どもや老人にはつらいだろうという印象だった。車歩分離といっても、結局は車優先に整備された都市になってしまい、歩行者には優しくないというのがその実態である。著者は、コルビジェのプランで設計されたインドのチャンディガルを観察しながら、その不備を的確に指摘している。
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手のひらの上で小さく跳ねるようなかわいい電子音楽

2011-01-18 11:57:31 | 音盤ノート
Cluster "Zuckerzeit" Brain, 1974.

  ドイツの電子音楽。一応、ジャーマンプログレまたはクラウトロックにカテゴライズされる。プロデューサーとして、RoedeliusとMoebiusの二人に加え、Neu!のMichael Rotherが加わっている。

  前作"Cluster II"(Brain, 1972)は、スピーカーから発信される電波を延々と聴かされているような作品だった。そのゆらめく電波音が生み出す浮遊感がまた快だったりしたのだが。この"Zuckerzeit"は、その電子音を後景に退かせて、シンサイザーによるチープなメロディを前面に出し、軽めのリズムを加えて、楽曲に音楽的なまとまりをもたせたアルバムである。とにかく音が「かわいい」。このデュオの音色の選択はキッチュそのもので、プログレ周辺のシンセサイザー音楽にありがちな霊妙かつ荘厳な感覚があまり無い。その点でKraftwerkなんかに近いかもしれないが、あそこまでがっちり曲を構築できない緩さもある。こうしたセンスが曲の愛らしさを生んでいるのだろう。

  これ以降のアルバムは、軽みと愛らしさが無くなってシリアスな音を聴かせるようになる。それはそれで良い変化でもあるのだが、初期とかなり印象が違うということは記しておきたい。
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度を越したコミュニケーションの手段視は禁物

2011-01-16 21:44:11 | 読書ノート
内藤誼人『「人たらし」のブラック心理術:初対面で100%好感を持たせる方法』大和書房, 2005.
内藤誼人『「人たらし」のブラック交渉術:思わずYESと言ってしまう魔法の話術』大和書房, 2007.

  ハウトゥーもの。二つとも既にだいわ文庫版が発行されている。著者は心理学者を名乗っているが、調べた限りでは研究をしている様子はなく、正確にはライター兼コンサルタントといったところである。「学者」の肩書きは、巻末に付された参考文献リストとともに、著作の説得力を高めるための演出である。

  内容はそれぞれ、相手を味方に取り込み、交渉を有利にするためのさまざまなテクニックについて紹介するものであり、かなりまっとうである。「ブラック」という言葉から連想される、暴力や、弱みを握って脅したりというような反社会的手段は排されている。まあ、「コミュニケーションを目的を達成するための手段と捉え、相手を操作の対象とみなす」という点では「ブラック」なのかもしれないが、そうしたスタンスが今どき特段非道徳的だとみなされることはないだろう。営業や接客においてそれなりに役に立ちそうである。

  要はコミュニケーションにおいて戦略的であれということである。だが、コミュニケーションそのものが目的(会話を楽しみたいというような)であったり、仕事をうまくやるよりもプライドの方が重要だという場合(自分の評価に関わらないどうでもいい雑務というのはよくあるものだ)に、著者がアドバイスする方法を実践することはストレスフルなことだろう。物事の優先順位を理解せずにどのような局面でも著者の言うとおりに振舞うと、人に媚びてばかりの信頼できない人格だと逆に思われるかもしれないので要注意である。

  ちなみに、シリーズにはもう一冊『「人たらし」のブラック謝罪術;下手に出ながら相手の心をつかむ方法』(大和書房, 2006)が含まれるが、未読。二冊で十分だろう。
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静岡ではおでんがおやつ

2011-01-14 16:24:28 | チラシの裏
  勤務する短大の売店ではおでんが販売されている。しかし、学食のメニューとしてではなく、購買部のレジ脇で販売されている。僕は昼食のサイドメニューとしておでんをよく購入する(学食メニューは女学生向けの量で少ないのだ)。だが、このシステムでは、学食で購入して後にまた購買部で追加購入しなければならず、手間がかかり面倒くさい。何故こうなっているのかは疑問だった。

  静岡市出身者によれば、静岡市においてはおでんは「おやつ」であるらしい。実際、子どもが訪れるような駄菓子屋で売られているとのことである。おでんは、市外出身者の考えるような、朝昼晩の三度の食事のための鍋料理の一種ではない。間食のための食品なのだ、と。

  清水や焼津といった漁港が近く、安価に練り物が出来る(だろう)ことを思えば、そんなものかなとも納得させられそうになる。しかし、温かいものを食べたくなるような寒冷地ではないし、子ども向けの味付けがしてあるわけでもなく、釈然としないものを感じるのも確かだ。何か歴史的経緯があるのだろう。
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2010.10.06エントリの補足

2011-01-12 16:10:16 | 音盤ノート
Dave Stewart & Barbara Gaskin "Broken Records: The Singles " Arcangelo, 2010.
Dave Stewart & Barbara Gaskin "As Far As Dreams Can Go" Arcangelo, 2010.

  昨年末に突如リイシューされたこの二作品。これらは、以前紹介した"Up from the Dark"に、曲目を追加して二枚に分け、1988年にMIDIから発売された日本盤が元となっている。このリイシューは紙ジャケ・オリジナル再現オビ・再現インタビューブックレット付で、なかなか豪華。洋楽CDにしては値段も高価(一枚\2,940)。それぞれに12inchシングル収録バージョンや、再録音曲などのボーナストラックが収録されている。

  キャッチーな曲は"Up from the Dark"にまとめて収録されているので、熱心なファン以外は中古盤でそちらを探したほうがいいだろう。それに収録されていない曲で特別に面白いと思えるものは見あたらない。とはいえ、今のところこの二枚の方が入手しやすいのだろうか?
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青春のアルバムを処分したの後の悔悟

2011-01-10 22:34:34 | 音盤ノート
Aztec Camera "High Land, Hard Rain" Rough Trade, 1983.

  「ネオアコ」というジャンルを代表するよく知られた名盤。Aztec Cameraは、1980年代から1990年代にかけて活動した英国のポップグループであり、これはそのデビュー作である。このアルバムのすぐ後にメジャーレーベルに移籍して出したシングル"All I Need Is Everything"(1984)は、当時ラジオでかかっていたのを小学生だった僕ですら耳にした記憶がある。その後のキャリアは中途半端な感があるが、デビュー当初はそれなりにプッシュされていたようだ。

  軽い疾走感のあるシングル曲(track 1, 3, 6)が素晴らしいのは言わずもがなだが、それ以外の曲もメロディやアレンジがよく練られており、全体を通じて飽きさせないのがこのアルバム。特に、歌の巧いボーカルだったらさぞクドくて暑苦しいだろうと思わせるスローテンポの曲(track 4, 5, 9)も、青臭くてクセの無いRoddy Frame(当時19歳)の声にかかるとずいぶんと爽やかだ。本来ねちっこく歌い上げられるようなスローバラードを、清涼に聴かせてしまうこのセンスは素晴らしい。

  日本において「ネオ・アコースティック」にカテゴライズされるバンドの多くは、実はほとんどの楽曲でエレクトリックギターを使っているというのはよく知られた事実である。ただし、このアルバムだけはその呼称にふさわしく、track 1, 2, 4, 5, 8, 10とアコギ曲の方が多い(特にフラメンコ風のアレンジのtrack 8はベストトラック)。ちなみに、ボーナストラックを除くと、エレキギターの曲は track 3, 6, 7, 9である。「ネオアコ」のイメージそのものがこのアルバムに多くを負っているということなのだろう。

  個人的には、実家に置きっぱなしにしていたCDをつい先日大量処分したのだが、これはそのうちの一枚だった。データでは採っておいたので、職場のある静岡に戻って聴きかえすことができるのだが、「やっぱりCDで残しておくべきだった」と後悔している。齢40に近づこうという僕でも聴けるクオリティである。とはいえ、若いうちに聴いておくべき作品だろう、せめて大学を卒業するぐらいの歳までに。そういう作品である。「成人の日エントリ」と言いたいところだが、こじつけ。
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