29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

年齢を調整した標準化自殺率を用いると、自殺は特に増えていないとのこと

2014-02-28 10:01:18 | 読書ノート
本川裕『統計データが語る日本人の大きな誤解』日経プレミアシリーズ, 日本経済新聞社, 2013.

  多国間比較とパネルデータで現代日本社会および日本人の実像に迫ろうという内容。著者はインターネットサイト「社会実情データ図録」(外部リンク)の主宰者。あのサイトの膨大なデータのうちいくつかをピックアップしてまとめあげた新書版がこれである。データはグラフと表が中心で読みやすい。挙げられているトピックを列挙すると、経済規模、技術力、貧富の差、政府の大きさ、公共事業、仕事におけるストレス、労働時間、余暇、自殺率、食生活、寿司、食の安全に対する意識、医療費、肥満度、曖昧さ、近代的な倫理観、儒教的倫理の残存度、幸福感の男女差である。最後の章は統計データの正しい読み方についてである。

  マスメディアへの普段からの接し方によっては新しい知見が多いかもしれない。だが、社会科学系のトピック──「他国と比較すると日本の貧富の差はそれほど大きくない」「日本は小さな政府である」「日本の医療システムは効率的」──についてはどこかで聞いてすでに知っているという人も少なくないと思われる。でもちゃんとデータで確認できるというのは意義のあることであり、その点で本書の価値はある。個人的には次のことを指摘したデータが面白かった。「日本人は長時間労働をしても大きなストレスを感じていない」「若い日本人女性は痩せつつある」「たいていの国には読書の頻度に男女差があるのに、儒教国では男性も多く読みその差が小さい」。「そうなる理由は?」と問いたいところだが、著者による推論がさらりと述べられているものの、深入りはしていない。これは別の誰かが検証すべきことなんだろう。

 「言われているほど日本は酷い社会というわけではない」というのが全体の印象であり著者も狙ったところのようだ。しかし、読者を安心させるばかりで刺激に欠ける感もある。データを見て初めて分かる「意外な問題点」の指摘などもあったらもっとインパクトを得ることができたかもしれない。
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メンバーのソロが充実する一方で初期ウェザーリポート度が低下した

2014-02-26 13:54:44 | 音盤ノート
Miroslav Vitous Group "Miroslav Vitous Group" ECM, 1981.

  ジャズ。1980年代のヴィトスのカルテットの二作目で、今年に入ってやっと初CD化された。躍動感のある演奏が多く三部作の中ではもっともジャズっぽい。CDは"Five Years Later"と同じサイズの紙ジャケ(参考)でパッケージされている。

  4曲目や7曲目のような前作(参考)から引き続くスペイシーな曲もあるが、印象に残るのは3曲目と6曲目の速い4ビート曲や1曲目のミディアムテンポ曲で、それぞれメンバーのソロがスリリングである。特にピアノのカークランドは、サポートでもソロでも素晴らしい。管楽器のサーマンはダーティな音色も厭わないプレイを見せ、前作よりフロントマンらしい仕事をしている。ヴィトスは今作もアルコ弾き多めだが、曲調に上手く合わせて使用しており前作のようなやり過ぎ感は少ない。その他、2曲目と5曲目は四人による即興だが、前者はバラバラのまま終わり、後者は中盤以降けっこう盛り上がる。

  全体としては、メンバーのソロの質が上ってその分普通のジャズ演奏に近づいたが、前作にあった楽曲の透明感や叙情感は後退したという印象である。言い換えれば、初期ウェザーリポート度が下がったということなのだが、こういう評価軸でヴィトス作をあれこれ言い続けるのは間違っている気もしてきた。
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ガラパゴス化するJ-Popをビジネス構造から曲構造まで多角的に分析する教科書

2014-02-24 15:06:02 | 読書ノート
高増明編『ポピュラー音楽の社会経済学』ナカニシヤ出版, 2013.

  日本国内のポップミュージックについての概説書。市場規模、ビジネス構造、著作権、ダウンロード販売の影響など制度的な話から、洋楽史、日本のポップミュージックおよびアーティストの特徴、音楽的傾向の分析などまで多岐にわたっている。編とはなっているものの、経済学者でありかつインディーズレーベルを経営したことがあるという著者が一人でほとんどの章を執筆しており、弟子二人による寄稿が数章ほどあるという分担である。

  教科書となることを意図したというとおり冷静で客観的な筆致ではあるが、音楽産業の衰退という事実を見据えて日本のポップミュージックをどう活性化させるか、そのための切り口を考えるという意図がベースにあるようだ。その中で、日本のCD販売においてはアーティストの印税は2%ほどであり、3000円の邦盤CDを10万枚売ってもその取り分は600万円にしかならないことや、近年日本のヒット曲のコード進行がワンパターン化しているが、その起源をたどると1980年代後半の洋楽であるユーロビートに行き着くこと、ヴィジュアル系が日本独自のポップミュージック文化であり、地方在住ヤンキーがその主な消費層であることなどが指摘され、大変興味深い。特に日本人が海外進出できない理由を、日本語・ルックス・日本人の声質・好む曲のパターンから探った8章は猛烈に面白かった。

  ただ、ポップミュージックを公共財と見立てて音楽税の導入を構想する6章にはやや疑問だった。従来の音楽ビジネスがたちゆかなくなっているのは確かかもしれないが、それを音楽そのものの衰退とし捉えて公的助成するというのは飛躍があるように思える。音楽的に冒険的・先進的なミュージシャンを発掘しその活動を維持できる仕組みをまず考えるべきではないだろうか。あと足りないところでは、消費者およびアーティストの出身社会階層についての考察が欲しい。どのような層がどのようなジャンルを聴いているのか。また、アーティストの出自は?。1950年代のジャズミュージシャンの伝記を読むと、黒人でも相対的富裕層の出身だと推定される記述がよくみられ、虐げられた黒人というイメージと全然違ったりする。日本の先鋭的かつミドルマイナーであるアーティストもけっこう実家が裕福であるような気がするのだが、どうなのだろうか。

  全体としては視野が広くとても意義深い書籍だといえる。音楽ビジネスに焦点を絞った書籍や、日本の大衆音楽史、楽曲分析やアーティストイメージを追った書籍はそれぞれ存在してきたが、日本のポップミュージックの特徴をトータルに提示してみせたものは本書まで存在しなかったように思う。読んでいると、日本のポップミュージックのガラパゴス化と、その創造性が衰退し活力を失いつつあるという趨勢が浮かび上がる。オリコンの年間チャートを見せられると同意せざるをえない事実なのだが、この認識に同意できるかどうかで評価がかわるかもしれない。将来リニュアルした第二版が出ることも期待したい。
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ただよう初期ウェザーリポートの面影と、ちとくどいアルコ弾き

2014-02-21 13:56:50 | 音盤ノート
Miroslav Vitous "First Meeting" ECM, 1980.

  ジャズ。ベースのミロスラフ・ヴィトスをリーダーとした、Kenny Kirkland(p), Jon Christensen(d), John Surman(Soprano Sax + Bass Clarinet)という編成によるカルテット三部作の一枚目。演奏は美麗かつ透明感あふれるもので、1970年代のヴィトスのジャズロック路線(参考)とうって変わっている。とはいえ、メロディはどことなくウェザーリポートのファーストアルバム収録曲を想起させるところがある。

  このアルバムは、ゆっくりとした美しいメロディラインを持った曲を演奏しつつ、少々熱のこもったインプロヴィゼーションを展開するというコンセプトのようだ。一応4曲目‘Recycle’のようにあからさまに激しい曲もある。ヴィトスは弓でベースを弾く場面が多いが、そのソロはあまり良くなくて、やりすぎの感もある。しかし他のメンバーは演奏を手堅くまとめており救われる。ドラムは音小さめだが手数多め、管楽器も抑えめでソロよりもユニゾン部の方が印象に残る。ピアノも流れるようなアルペジオがとても素晴らしい。

  このカルテットの二枚目はインプロヴィゼーション重視となり、三枚目は曲構成に比重をおくというように変化してゆく。この一枚目は両者のバランスが取れているものの、個人的には三枚目が一番良いと感じる。
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資本主義経済においてバブルは基本だとするサブプライム危機の分析書

2014-02-19 12:14:48 | 読書ノート
竹森俊平『資本主義は嫌いですか:それでもマネーは世界を動かす』日経ビジネス人文庫, 日本経済新聞、2014.

  2007年に起きたサブプライム危機を説明しつつ、金融システムの在り方について考察するという内容。初版は2008年の発行であり、すでに高い評価を得ている。だが、理解にはマクロ経済学の知識が必要であり、まったくの初心者向けというわけではない。この文庫版では新たに「はしがき」が添えられている。

  全体では、景気を良くするためにはバブルも必要だということを認めつつ、過熱しすぎるとバブルがはじけたときの痛みが大きいので、世界経済全体が「低」成長化することが望ましいとの見解も採りあげている。ではなぜバブルが起こるのか。その大本には金融機関の信用創造機能があるが、そうした機関が保障する「信用」など無根拠なものである。そもそも何の価値の実態も反映していない紙幣で取引する貨幣経済は基本バブルによってできているのだ、と。

  それでは、2007年のサブプライム危機特融の条件はなんだろうか?2000年代のFRBの低金利や、リスクを証券化して幅広く分散させる金融技術の発達や、銀行に対する時価会計での自己資本比率規制や、発展途上国の貯蓄が自国に投資されずに米国に投資される現象など、いろいろな要因が重なったということである。これらの要因のいくつかには対策を立てることができるので、今回と似たような危機の発生を防ぐことはできる。しかし貨幣経済のメリットを活かそうとすると、恐慌を完全に防ぐことはできず、規制とバブルのいたちごっこは続くだろう、と。

  上のように、タイトルから想起されるような「反資本主義思想に対抗する資本主義の啓蒙書」ではない。経済学者の最新の議論を紹介して効果的な経済のコントロール方法を検討しつつも、けれども資本主義経済が完璧に安定的になるということはないだろうとあきらめてみせる。「でもこうやってつきあっていくしかないんだよね」というのが本書のニュアンスだろう。
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哀愁のギターデュオ、微妙なサイズの紙ジャケットで初CD化

2014-02-17 08:45:08 | 音盤ノート
Ralph Towner, John Abercrombie "Five Years Later" ECM, 1982.

  ジャズ。ギターデュオで、アバクロンビーはアコギだけでなくエレクトリックギターも、タウナーは12弦あるいはクラシックギターだけでなくピアノも用いる。この組み合わせでの最初のアルバムは"Sargasso Sea"(ECM, 1976)で、タイトルはその「五年後」の録音ということ。寒々しさと哀愁感は前作と変わらない。だが、本作のほうがギターバトル的で、テクニックをひけらかすような演奏が多い。特にアバクロが高速で細かい連符を繰り出しているのが特徴。。

  どうでもいいことかもしれないが、気になるのがジャケットのサイズ。紙ジャケットで今年やっと初CD化されたのだが、その縦の長さが13㎝。LPの再現を目指したものによくある縦13.5㎝サイズでもなく、プラスチックCDケースと同じ縦12.5㎝でもない。"Sargasso Sea"は2008年にTouchstone seriesの一つとして12.5㎝の紙ジャケで発行されているが、それに比べて本作ジャケットは微妙に大きくて綺麗に並ばない。大きい分CDの出し入れはしやすいのだけれども。
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挙げられた謎は今後も解明されないだろうと思わされる

2014-02-15 11:01:23 | 読書ノート
マイケル・ブルックス『まだ科学で解けない13の謎』楡井浩一訳, 草思社, 2010.

  科学ジャーナリストによる一種の啓蒙書。タイトル通りまだ解明されていない13のトピックについて解説している。トピックは相互に無関係というわけではなく、順序があるように構成されている。なので、一つの章だけ取り出して読んでみても、ところどころ言及されている事柄がわからないことが起きる。以下に列挙するしよう。

  1.暗黒物質なる、宇宙の引力を説明する物質があるはずだがまだ見つかっていないという話。2.ある人工衛星が予定していた軌道から外れたことから、故障でなければ現在の物理理論に誤りがあるという話。3.宇宙定数なる物理理論を構成する要素があるのだが、観測結果と整合させるために修正が必要になっているという話。4.常温核融合が採りあげられているが、どちらかと言えばその研究者界隈のゴシップ。5.生命の発生を実験室で再現しようとする話。6.火星の生命探索(の失敗)の話。7.とある電波望遠鏡が一瞬だけ宇宙からのメッセージを受信したかもしれないし、していないかもしれないという話。

  8.巨大ウイルスの発見をまくらにした、ウイルスが古細菌に取り付いて真核細胞ができたという説の紹介。9.生命の老化現象についていくつかの説の検討した後に、有性生殖と関連する説が確からしいと見積もる。10.その有性生殖がなぜ誕生したのか、無性生殖より特に有利でないのに(「赤の女王」仮説を裏付けるデータはないらしい)、という疑問についての論争の紹介。11.人間の動作時の脳波を検証をすると自覚の信号は行動の信号より後に起きる、すなわち自由意思というのは後付の説明で実は存在しないという説の解説。12.プラシーボ効果のメカニズムと意義について。13.ホメオパシーをネタに、水の中に微小なエキスを入れると何か起こる可能性も無くはないんじゃないかとする。

  以上。全体として、理解が促されたという感覚が今一つである。というのも、採りあげているトピックの多くが、今後解明されるだろうという期待ではなく、手詰まり感を抱かせるものだからである。ブレイクスルーとなりそうな説への言及があればその印象は変わったかもしれない。まあ、無いんだろうね。
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いつもの静音耽美ジャズで質は高いが、守りに入り過ぎているという感も

2014-02-13 10:52:36 | 音盤ノート
Tord Gustavsen Quartet "Extended Circle" ECM, 2014.

  ジャズ。このカルテットとしては三作目で、路線も前作(参考)を踏襲している。その佇まいがあまりにも変化しないので、一聴すると今作も前作との違いが分からなくなるぐらいよく似ているという印象となる。しかしながら、控え目ながら曲展開には工夫がみられる。Track 2の"Eg Veit I Himmerik Ei Borg (I know of a heavenly stronghold)"は、速いリズムにゆっくりとしたピアノを重ねて後半にテナーサックスで盛り上げるという構成の曲である。スローテンポの8ビート曲も数曲あり、ゴスペル風味のバラード曲のようで聴きやすい。

  ただ、このカルテットの問題点も感じる。まずベースのMats Eilertsenを活かしきれていない。かなり弾ける人なので、大胆に前面に出てきたり、ピアノに絡んだりする機会があってもよい。次に、押しの弱いTore Brunborgのサックス。全体のサウンドに合っており悪くないのだが、演奏も響きもヤン・ガルバレクにそっくりで、一瞬誰のプレイを聴いているのかわからなくなる。もうちょっとプライドを見せてほしいところ。というわけで、クオリティはそれなりに満たしているけれども、あまりに破綻を恐れすぎかつ前例踏襲しすぎであるという感も残る。まあ、そういう演奏家なのか。
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ウェルメイドな楽曲を弾きこなすだけでなく、躍動感も付与した驚異的作品

2014-02-11 20:39:31 | 音盤ノート
Pat Metheny Unity Group "Kin (←→)" Nonesuch, 2014.

  メセニー新グループの二作目。これは傑作。前作(参考)と同じメンバーに、Giulio Carmassiなるマルチ楽器奏者を加えて五人編成となっている。ジャズという枠組みへの意識が強かった前作に比べると、今作はPMGを彷彿とさせるジャンル横断的な作品となっている。

  とにかく音が厚くて曲が複雑である。楽器においては、オーケストリオンを大々的に導入しているようで、加えて電子音やPMG的なボイスも重ねられている。また、10分を超える長尺曲が4曲あり、いずれもテンポが速くかつリズムが複雑、かつ山あり谷ありの展開の複雑な楽曲となっている。では楽曲重視でアドリブ軽視の、ガチガチに構築された躍動感の無い作品かといえばまったくそうではない。短い時間ながらメンバーがそれぞれが良質なソロを繰り出しており、ジャズ的なスリルもそれなりに満たされる。フロントを張るクリス・ポッターの出来もかなり良いと思う、特に8曲目‘We go on’。

  実験的な曲を軽快かつリラックスして聞かせてみせたPMGと比べると、このグループは性急でかつテンションが高い。複雑な楽曲を取り上げながらも難解ではなく、親しみやすさもある。個人的にここ数年聴いてきたいろいろな新譜の中では段違いのクオリティだった。凄い。
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非体系的記述で語られる日本の出版史、というか思い出話

2014-02-07 15:33:51 | 読書ノート
山本夏彦『私の岩波物語』文藝春秋, 1994.

  近代日本の出版史をたどるエッセイ。著者の山本夏彦は「保守系言論人」にカテゴライズされる人物だが、最近のそういう人たちの「憂国の士」的な力みはなく、左翼がけなすほど戦前は悪くなかったとユーモラスに語ってきた人である。性格は悪そうだが育ちは良いみたいだし、「オールドリベラル」というのが彼の立場だろう。すでに2002年に他界している。

  本書のタイトルはわざわざ誤解を招くように仕向けられたもので、中身は岩波礼賛本ではなく批判本である。しかしながらその岩波の批判も冒頭だけで、その後は著者の発行するインテリア雑誌『室内』の歴史を絡めながら、講談社、暮らしの手帖、電通を中心とした広告業界の話、筑摩書房、赤本(子ども向けの廉価版書籍のほう)、中央公論社、原稿料や紙の話、印刷製本業界、取次、実業之日本社などのトピックが展開する。ゴシップ的なエピソードの披瀝もそれなり面白いが、それよりお金の話が細かいのが本書の長所である。当時の物価を示しながら、広告料や原稿料など取引の実態がどのようなものだったかを伝えてくれる。肩肘張って読むような本ではないのだが、とにかく固有名詞が多いので頭の中を整理しながらでないと読み進められない。なので、一応索引が付いている。

  1997年に文春文庫版が発行されており、僕が読んだのもそれ。大学院生時代に、出版や読書の近代化論の材料にならないかと読み始めたが、そういう役には立たなかった。しかし、日本の出版人の具体的な人物像から入るこの本の語り口は存外面白かった記憶がある。出版人にありがちな文化エリート臭を欠いた著者のキャラと、大手出版社を横目にしたマイナー雑誌の編集者という立ち位置の悲哀と気概が、読み手の共感を誘うのだろう。
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