では、公立図書館サービスにおいて、「所有者としての利益」と「利用者としての利益」を同一視することに、なにか問題があるのだろうか?
議論は、所有者の利益が過剰に強調されるか、利用者としての利益が過剰に強調されるか、大きく二方向に考えられる。だが、図書館を所有することによるメリットはなかなか計量しがたい(学校を所有するメリットと同じである)。
そういうわけなのか、伝統的な議論では「利用者としての利益」が強調されることが多い。「住民が公立図書館を持つべき理由は利用者としてメリットがあるからだ」式の議論である。住民を説得する戦略として「利用者の立場」を強調したいという動機もあるかもしれない。
しかし、住民が公立図書館を所有する理由と、利用することのメリットが同一視されてしまうことは、誤解を招く可能性がある。住民に「利用することで納税分と引き合う」機関だとの認識を産んでしまう危険があるからである。そのため、図書館を持つ地域に住んでいても、それを利用しないならば住民として何の恩恵も得られていない、という印象を与えかねない。
これは、税金で道路を作ったからには、そこを走ることで納税分を取り戻そうという発想と同じである。しかし、道路建設は、人や商品の輸送が活発になることで、直接それを使用しなくてもメリットがもたらされることもある。だが利用者としての利益の強調は、後者の発想を難しくする。
同様に「公立図書館を持つ」意義を利用に求めると、図書館を利用しない多くの住民は「損をしている」ことになり、無駄な税金を払っていることになるだろう。
こうした認識は、公立図書館サービスの有料化、あるいは民営化という議論を呼び寄せてしまうだろう。「図書館サービスで利益を受けている奴だけが対価を払うべきだ」という。実際、米国での公立図書館有料化論の根拠の多くは、利用者が中流階級に偏っていることだった。この場合、公立図書館は、利用しない者にとっては何の恩恵も与えないだけでなく、納税という不利益をもたらす公共事業だとみなされているのである。
また「マイノリティにアクセシブルでない図書館は差別的だ」という異議申し立て(川崎氏がよく翻訳しているやつ)も、同じ認識にもとづくだろう。こうなると公立図書館の目標として、全住民に直接のサービスをすることに照準が合わせられなければならない。それは、間接的なかたちでもいいから、それを持つ住民に利益を与える、という発想からのサービスの編成を難しくしてしまうように思える。
日本では・・・また後ほど。
議論は、所有者の利益が過剰に強調されるか、利用者としての利益が過剰に強調されるか、大きく二方向に考えられる。だが、図書館を所有することによるメリットはなかなか計量しがたい(学校を所有するメリットと同じである)。
そういうわけなのか、伝統的な議論では「利用者としての利益」が強調されることが多い。「住民が公立図書館を持つべき理由は利用者としてメリットがあるからだ」式の議論である。住民を説得する戦略として「利用者の立場」を強調したいという動機もあるかもしれない。
しかし、住民が公立図書館を所有する理由と、利用することのメリットが同一視されてしまうことは、誤解を招く可能性がある。住民に「利用することで納税分と引き合う」機関だとの認識を産んでしまう危険があるからである。そのため、図書館を持つ地域に住んでいても、それを利用しないならば住民として何の恩恵も得られていない、という印象を与えかねない。
これは、税金で道路を作ったからには、そこを走ることで納税分を取り戻そうという発想と同じである。しかし、道路建設は、人や商品の輸送が活発になることで、直接それを使用しなくてもメリットがもたらされることもある。だが利用者としての利益の強調は、後者の発想を難しくする。
同様に「公立図書館を持つ」意義を利用に求めると、図書館を利用しない多くの住民は「損をしている」ことになり、無駄な税金を払っていることになるだろう。
こうした認識は、公立図書館サービスの有料化、あるいは民営化という議論を呼び寄せてしまうだろう。「図書館サービスで利益を受けている奴だけが対価を払うべきだ」という。実際、米国での公立図書館有料化論の根拠の多くは、利用者が中流階級に偏っていることだった。この場合、公立図書館は、利用しない者にとっては何の恩恵も与えないだけでなく、納税という不利益をもたらす公共事業だとみなされているのである。
また「マイノリティにアクセシブルでない図書館は差別的だ」という異議申し立て(川崎氏がよく翻訳しているやつ)も、同じ認識にもとづくだろう。こうなると公立図書館の目標として、全住民に直接のサービスをすることに照準が合わせられなければならない。それは、間接的なかたちでもいいから、それを持つ住民に利益を与える、という発想からのサービスの編成を難しくしてしまうように思える。
日本では・・・また後ほど。