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図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

数少ない英国図書館史の訳書で貴重、しかし翻訳に難あり

2012-03-30 14:55:54 | 読書ノート
アリステア・ブラック『新・イギリス公共図書館史:社会的・知的文脈1850‐1914』阪南大学翻訳叢書, 藤野寛之訳, 日外アソシエーツ, 2011.

  英国の公共図書館について、成立期から第一次世界大戦までの間の、時代の雰囲気や思想的背景から、当時その意義についてどう解釈されてきたか、そして現在どう解釈されうるかを論じた内容。専門家向けではあるが、英国図書館史を主題とした日本語の書籍はありそうでいてほとんど無く、意義があるだろう。

  論述の流れは次のようなものである。19世紀のイギリスでは、経済の繁栄とともに労働者階級の伸張があった。こうした背景の中、公共図書館の設立や普及に重要な影響を与えた思想として、当時流行していた功利主義をまず探っている。1850年の公共図書館法成立に尽力した議員ウィリアム・ユーワートと図書館員エドワード・エドワーズには、その影響が見られるそうだ。ただし、ここでは功利主義の功利計算云々の倫理学的側面ではなく、労働者階級の境遇を改善しようという社会改良的な意図の方がクローズアップされている。

  さらに、そうした社会改良主義には、単に「革命を阻止する」というブルジョワ・イデオロギー的な意図だけが含まれていたわけではなかったという。むしろ、美的なものに接することによる人間性の向上を目指すという理想主義が、図書館の推進者の間で本気で信奉されていた。この点において、公共図書館に経済的貢献だけでなく人文学をも志向させることになった。そうした志向と、図書館での学習による優れた労働力の育成を期待した産業界の要求(一部の図書館員の要求でもある)とは、見かけ上はもつれあって展開しつつも、緊張をはらんでいた。公共図書館は、労働者を管理しようという意図だけでなく、中産階級が理想とする人間観を強く反映していたわけである。

  しかし、それらの公共図書館の志向は功利主義ともに、第一次大戦前には衰退した、というのが著者の見立てのようである。その他、米国の影響、図書館員のイメージ、図書館建築についても論じられている。

  翻訳は直訳調で読み難い。まったく意味がとれない文に出会うこともしょっちゅうある。原著者がカルスタ系の人のようで、原文が難解なのだろう。ただ、「ダーウィン社会主義」「ケインズの言う増殖効果」(p160)「前ラファエル派」(p238)なる見慣れない訳語も散見される。原文はチェックしていないのだが、これらはおそらく「社会ダーウィニズム」「乗数効果」「ラファエル前派」と訳されるべきものだろう。こうした瑕疵はあるが、重要な翻訳であることには変わりない。
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牧歌的な装いの裏に狂気を秘めつつ、かすかな叙情もある

2012-03-28 13:30:00 | 音盤ノート
Gary Peacock / Bill Frisell "Just So Happens" Postcards, 1994.

  ジャズ。ベースとギターのデュオ。収録は、2人の共作が5曲、ピーコック作2曲、‘峠の我が家’‘赤い河の谷間’などトラディショナル3曲、‘Good Morning Heartache’のスタンダード一曲という内容。徳間からジャケットを変えた日本盤(邦題『峠の我が家』)も発売されていた。

  ピーコックのベースは深い音色でさまざまなことを試み、肝心なところではメロディラインのツボを突いてくる。フリゼルのギターは、カントリー音楽的穏やかで緊張感は無いのだが、隙間の多い演奏でどこか壊れている。通常のフリゼルよりずっと実験的である。それでいて、全体としてかすかな叙情を漂わており、親しみやすさがある。

  インパクトのある作品ではない。しかし、牧歌的なようでありながら奇妙にねじれた世界が魅力的で、ごくたまに聴きかえしたくなる作品である。
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日本における近年の結婚難を分析する

2012-03-26 09:28:09 | 読書ノート
山田昌弘『結婚の社会学:未婚化・晩婚化はつづくのか』丸善ライブラリー, 丸善, 1996.

  日本の結婚難について分析した新書。出版は1996年と古く、その後の著者は「パラサイトシングル」「希望格差社会」「婚活」などのキータームを加えて議論を複雑化させている。しかし、この本で示された基本的な図式は現在でも通用するもので、もはや古典である。

  著者は結婚難の理由を冒頭の章で示している。一つは、世間の結婚観が昔と変わらないがために結婚できない。もう一つは、出会いの機会が増えたがために結婚できない。この二つについて解説するのが、その後の章の内容である。

 「世間の結婚観が昔と変わらないがために結婚できない」というのはどういうことか? 昔というのは、戦後から1960年代の高度成長期までをさす。この時期、多くの家庭が貧しく、そうした家庭出身の女性と若い男性との結婚は多くの場合「階層上昇婚」となった。経済が成長しており、親元から離れて若い都市労働者と結婚することで、消費生活を向上させることができたのである。

  しかし、低成長期になると、若い男性との結婚が階層上昇婚となるとは限らなくなった。貧乏な男性と結婚すると、親元にいるより生活水準が下がる可能性がある。これでは女性にとって結婚のメリットがない。その結果、経済力のある父親のいる女性と、低い収入の男性は結婚できくなる。すなわち、男女双方に「かつての経済成長の時代の性規範」が残存しているがために、結婚が難しくなっているというのである。

  二つ目の「出会いの機会が増えたがために結婚できない」というのは、選択肢が増えると「もっといい人がいるかもしれない」と意思決定を遅らせることになるという説である。これも、男女交際が盛んでなかった1960年代から1970年代と、盛んになった1980年代以降との比較で議論を進めている。(戦前の農村はもっと男女交際は自由だったが、戦後は中流化が進み、中流家庭の性規範が普遍化したために逆に男女交際は難しくなったそうだ)。一方で、性的魅力は均等ではないため、出会いの機会が増えるとモテる人はますますもてて決断を遅らせ、そうでない人はまったく結婚相手として選択されないという結果に陥るという。

  以上がその内容である。少子化対策として、これまでの「働く母親のニーズに対応」的な政策の効果の低さは最近になってやっと理解されるようになってきた。著者は早くからそのことを指摘している。だが、婚姻数を増やすために、本書で示された原因に対処するというのも難しいという印象である。
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乾いた叙情感のある曲中心で、まだタルカスを見せない

2012-03-23 12:39:50 | 音盤ノート
吉松隆 "鳥たちの時代" Camerata Tokyo, 1996.

  現代音楽。ミニマルミュージックとプログレッシブ・ロックを通過したクラシック音楽と言うべきか。清涼で叙情感溢れる感覚がベースだけれども、時折高まったエネルギーを聴き手にぶつけてくる瞬間がある。この振幅が面白い作曲家だろう。現在、NHK大河ドラマ『平清盛』のサントラを担当している。

  この二枚組CDは彼の初期作品集。フワッと浮き上がってくるようなストリングスは武満徹ゆずりだろうが、そこに切々たる叙情があるのが吉松隆の特徴。CD一枚目の一曲目は、ピアノとストリングスによる‘朱鷺によせる哀歌’で、彼のスタイルがよくでている。次の‘チカプ’は、特技の「浮上ストリングス」をフルート合奏で展開してみせた曲。三曲目の‘鳥たちの時代’はオーケストラ曲で、ライヒの‘管楽器、弦楽器と鍵盤楽器のための変奏曲’に思わせる作品。CD二枚目はピアノ独奏‘ランダムバード変奏曲’、交響曲‘「地球(テラ)」にて’、ピアノとフルートによる‘デジタルバード組曲’、ピアノとクラリネットによる‘鳥の形をした4つの小品’と続く。総じて、湿り気の少ない、現代的で都会的なセンスの叙情感が美しい作品ばかりである。一方、プログレ的なパワーはオーケストラ曲で垣間見られるが、後年ほどではないかもしれない。

  このCDの録音はあまり良くない。けれども、彼の曲をオーディオ装置で気軽に聴けるようにした記念すべき録音という意義はある。
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20世紀前半の米国公共図書館論の批判的読解

2012-03-21 14:12:32 | 読書ノート
吉田右子『メディアとしての図書館:アメリカ公共図書館論の展開』日本図書館協会, 2004.

  米国の公共図書館「論」史。博士論文であり、専門家向けの内容である。

  三部構成で、第一部は米国の大学院における図書館学の位地を問題にしたもの。図書館学が研究を指向したことで、実務家(つまり米国図書館協会)との軋轢を生んでいたことが明らかにされる。

  第二部は20世紀前半の代表的公共図書館論の批判的読解で、ラーネッド『アメリカ公共図書館と知識の普及』、ジョンソン『公共図書館:市民の大学』、カーノフスキー“国家とコミュニティの図書館”、ベレルソン『図書館の利用者』、リー『アメリカ合衆国の公共図書館』の五つを扱っている。

  第三部は、ラジオやテレビの草創期に、公共図書館が提供または政策の番組を持っていたことが明らかにされる。図書館は積極的に新しいメディアと関わっていたわけだ。

  個人的には第二部が興味深かった。挙げられた五つの報告書で繰り返されて問われていることが、公共図書館に公費負担することの正当性である。結局、それは個人の満足のレベルにはなく、コミュニティまたは国家レベルへの貢献である。「労働力」と表現しようと「良き市民」と表現しようと同じことだが、人的資本の形成こそが公費負担に値するということである。

  ただし、著者は上のような報告書の見解には批判的なように見える。それが、人的資本の形成という目的に同意しないためなのか、それとも同意しつつ「教育」という指向を前面にすることを拒絶したいがためなのかはよくわからない。
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今年の常短日文科卒業生の良さ

2012-03-16 23:07:11 | チラシの裏
  今日、勤務する短大の卒業式があり、晴れ着姿の学生たちを送り出してきた。昨年のような混乱(参考)もなく、平穏無事に終了することができた。昨年僕は英語英文科所属だったが、今年は日本語日本文学科に転科しての初めての式だった。そのことで特に感慨深いというわけでも無いのだが。

  それにしても、入学年によって学生の気風は変わるんだなと強く感じたのが今年の卒業生の学年だった。本学における日本語日本文学科生というのは、明るく騒がしい保育科や英語英文科の学生と比べると、地味で大人しいというのが例年の傾向だった。短大では「目立たない種族」だったのだ。それが、この年の日文科生はとてもノリがよく積極的だった。実際、新しいサークルを作ったり、嬉々として同人誌を作成し、学生会長を輩出したりした。就職率も僕の記憶にある中ではもっとも良かった。現在の日文科の一年生は例年通りの雰囲気なのだから、今年の卒業生だけ突然変異の学年だったのである。

  教員としては、彼女らを見ていてとても頼もしかった。あれこれ理屈をこねては動かない、というのが例年の日文科生の悪い癖だった。しかし、今年の卒業生は、あまり考えないけれども行動できる。後者のほうが、きっと良い人生を送ることができるだろう。
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試行錯誤の内容だが、結局いつものスタイルでの演奏が出色

2012-03-14 09:20:52 | 音盤ノート
Marc Copland "Modinha : New York Trio Recordings Vol.1" Pirouet, 2007.

  ジャズ。"New York Trio Recordings"の第一作で、サポートはGary Peacock(b)とBill Stewart(d)。収録曲は、コープランド作2曲、ピーコック作1曲、メンバー三人の共作3曲と、アントニオ・カルロス・ジョビンの‘Modinha’、2曲のスタンダード‘Yesterdays’‘Taking a Chance On Love’である。

  演奏スタイルにバラつきがあり、この点を「引出しが多い」とするのか、「統一感が無い」とするのかで評価が分かれるだろう。僕は後者。三人の共作はフリーインプロビゼーションでの進行だが、コープランドはこのような曲でノッてくるタイプではないので、盛り上がらないままである。テンポの速い冒頭のピーコック作や自作曲の一つでは、ピアノが単線的なメロディをつぐむ演奏となり、添えられるコードが少なめとなって、いつものコープランド節が聴けない。しかしながら、タイトル曲やスタンダードなどスローな曲では、彼の特異なコード感と官能的なメロディセンスを堪能できる。

  というわけで、新しいスタイルにチャレンジしてみたが、十分個性を発揮できているのはいつものスタイルの演奏だけである。アルバム全体を聴き通すのはつらいものの、タイトル曲とスタンダードはとても素晴らしい。
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公共図書館と平等概念

2012-03-12 08:32:45 | 図書館・情報学
  数年前から公共図書館と「平等」概念との関連を考えてきたが、今になってもまとまらないまま。整理するためにノートを記しておく。

  公共図書館と平等との関わり方には二種類あって、「サービスそれ自体の平等」と「サービスを通じた平等」がある。前者は、図書館の利用者を平等に扱うという単純な話である。一方、後者は特定の社会的グループに重点的にサービスを当てることによって格差を是正し、社会全体の平等を目指すという話になる。

  19世紀に出来た現在のスタイルの公共図書館の目的は、後者に近かったと思う。と、記すと、まるで図書館設置を決めた支配階級が、利用者となる大衆との平等化を考えていたかのような誤解を招くかもしれない。そうではなくて、労働者階級という重点的なターゲット層があり、図書館への公的な投資によって、社会の諸階層間にあった知識へのアクセス機会の格差を是正するように目指された、という意味である。これはあくまでも理念の話で、実際には狙ったようには機能しなかったのだが。

  ところが、20世紀半ば以降は、公共図書館における平等のアクセントは前者に変わってしまったように思う。知識へのアクセス機会の差は、サービス対象者に差異を設けず、普遍的に(あるいは多文化主義的に)サービスすることによってのコントロールすることを目指す。だから、この時代以降、狙った層が利用しないことではなく、すべての社会層が均等に利用していないことが、問題となる。図書館が利用を想定している自治体住民の構成と、実際の利用者の構成がずれていることは、説明が求められるような事態となる。

  すなわち、図書館による社会全体の格差是正から、図書館サービスの平等にアクセントが移ったというということである。確かに、公共図書館が社会全体の平等化に貢献できるというのは、楽天的すぎるし、現実的ではないだろう。しかし、一方で、サービスそれ自体の平等に対しては、そうすることで一体何を実現しようとしているのかという疑問が残る。

  以上で結論は無し。米国の一部にあるような、公共図書館にマイノリティ文化をもっと所蔵させようという主張は、図書館を権威だと認めて承認を求めることのように思えるが、それでいいのだろうか?重点的にサービスをする利用者を国会議員とする国立国会図書館は、公的領域の優位という点でアレント=アリストテレス的だと思う。
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分厚いがわかりやすい政治哲学の教科書

2012-03-09 11:18:24 | 読書ノート
W.キムリッカ『新版現代政治理論』千葉眞, 岡崎晴輝訳, 日本経済評論社, 2005.

  政治哲学の教科書。著者はカナダの政治学者である。700ページの分量があって敷居は高いように見えるが、原書の副題に"an introduction"とあるように、あくまでも入門書である。実際、直接ロールズやノージックの訳書を読むよりずっとわかりやすい。

  著者はリベラリズムの立場を取って議論を進めており、「リベラリズムとはどのような立場か」がよくわかる。功利主義の説明と批判を皮切りに、ロールズ的なリベラリズムを定義し、リバタリアンと新しいマルクス主義一派を退け、コミュニタリアニズム、シティズンシップ理論、多文化主義、フェミニズムのリベラリズム批判に再反論しながらも、それぞれの議論の内に重要な指摘があること認める。批判相手の意見も詳しく説明されており、論点も明瞭で、リベラル寄りとはいえ誠実で公正な印象を与える論の進め方である。

  もっとも興味深い箇所は、コミュニタリアニズムとシティズンシップ理論の二つの章だろう。リベラルの求める個人主義の徹底は、民主政治に参加する市民の徳性を蝕み、公的領域を衰退させると懸念されている。コミュニタリアニズムは共同体のまとまりを追及するという方法で、シティズンシップ理論は公的な活動を「優遇」することで、その衰退を食い止めようとする。著者はどちらも正義に反すると批判する。そして、代案として国民国家レベルの共同体の形成を承認し、一方で「公的領域の衰退の証拠は無い」として国民国家内部ではリベラリズムの貫徹を求める。懸念には十分答えていない印象だが、難しい問題なのだろう。

  あと、デイヴィッド・ミラー(参考)の入門書でよくわからなかった、政治哲学上の「自由」の位置づけも理解できた。簡単に言えば、自由は幸福に至るためのあくまでも「手段」であるということらしい。
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キャリアの中では比較的聴きやすいが十分らしくない

2012-03-07 08:44:47 | 音盤ノート
Marc Copland "Voices : New York Trio Recordings Vol.2" Pirouet, 2007.

  ジャズ。コープランドをリーダーとした"New York Trio Recordings"の第二作で、この作品でのサポートはGary Peacock(b)とPaul Motian(d)。収録曲はコープランド作3曲、‘Vignette’などピーコック作4曲とマイルス・デイビスの‘All Blues’となっている。

  三作品の中ではいつもほど不協和音が気にならない、もっとも聴きやすいアルバムである。特に、コープランドのソロにおけるメロディは流麗で、シルクをなでるがごときタッチは快適そのもの。全体としてクオリティの高い演奏が聴ける。

  少しだけ不満があるとすれば、十分コープランド的でないこと。静かに弾むモティアンのドラム、鋭く重いピーコックのベース、静音系の叙情的なピアノという組合せは、どこかで聴いたことがある感が強く、あまり新鮮味を感じない。ピアノはもう少し協和音を外しても良かったのでは?
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