29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

オリジナルは二枚組だが、ボーカル中心の一枚もので十分だと思う

2012-07-30 08:38:49 | 音盤ノート
4 Hero "Two Pages" Talkin Loud, 1998.

  エレクトロニカ。発表当時の言葉でドラムンベースと言うべきか。このアルバムでは、シンバル音とスネア中心の細かい打ち込みリズムと、旋律を奏でたりパターンを反復したりするアコースティックベースの二つがどの曲にも通底している。これに加えて、ストリングスやジャズ風の管楽器、フェンダーローズ風のキーボード、抑え気味の女性ボーカルなどが追加されるという趣向。

  Jazzanovaのリッミクス盤の冒頭に置かれていた曲‘We Who Are not as Others’が収録されているが、原曲のこちらの方は暴力的なリズムが迫ってくる壮絶なもの。だが、これ以外のインスト曲はそれほど面白くない。一方、ゲストが参加するボーカル曲はいずれも素晴らしい。女性詩人Ursula Ruckerがラップのようなポエトリーリーディングを聴かせる‘Loveless’や、別の女性が歌うシングル曲‘Star Chasers’ほか、‘Golden Age of Life’‘Escape That’など、極上の70年代風打ち込みソウルになっている。

  もともとは二枚組作品のようだが、僕は二枚組のほうは未聴。現在発行されているCDは一枚にまとめられたもので、歌もの中心の一枚目から曲を多く収録し、インスト中心の二枚目から曲を削って一枚にしている。クオリティの高い歌ものが聴ければマニア以外には十分ではないだろうか。
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軍備と動員力、それを支える政治経済体制の歴史

2012-07-28 09:23:28 | 読書ノート
ウィリアム・H.マクニール『戦争の世界史:技術と軍隊と社会』高橋均訳, 刀水書房、2002.

  軍事とそれを支える技術・経済・政治の世界史。原著のタイトルは"The Pursuit or Power"で、冷戦下の1982年の発行。邦題と内容は微妙にずれている。「戦争の世界史」と聞くと戦術や戦闘スタイルの変遷を思い浮かべるけれども、そうした点に関心はほとんど無い。むしろ、戦争の勝敗を分ける軍事技術や動員力の歴史的変遷が話題の中心で、その発展を支える経済体制や政治体制にもかなり目を配っている。

  まず冒頭で、古代や中世において鉄器や騎馬の登場が戦争を行う階級を変化させたことを示した後、続いて宋代中国の市場志向的な行動が世界的な影響を与えたと論じる。あとはヨーロッパの話。中国の影響は、火薬などの技術的なものだけでなく、自由な商業活動によって生産力を拡大させることで、優れた軍事技術と充実した軍備が手に入るという体制をもたらした。中国では、そうした体制は官僚の商業活動への不信で十分根付かなかったが、群雄割拠のヨーロッパにおいては商業重視の体制を選択する国が有利に立つことができた。その有利さが認められ、体制はルネサンス期のイタリアから全ヨーロッパに拡がったという。ところが19世紀後半になると、政府支出が軍事産業の発展を牽引するようになり、20世紀にその頂点を迎える。経済を政府が管理する度合が高まり、それに成功した国が軍事的に優位に立つようになったのである。こうした基本認識の上で、野砲や戦艦についての細かい技術の変化から、兵站や動員体制、士官の出身階級など、戦争が起こる原因としての人口動態まで、ミクロからマクロまで縦横無尽に論じている。

  その史観はE.L. ジョーンズの『ヨーロッパの奇跡』(名古屋大学出版会)に共通するが、あれも原著は1981年だった。隣国に蹂躙されない軍備を持つためには、とにかく発展する経済体制を持つことが必要だということだ。その経済体制が、自由であったほうがいいのか、よく管理されていたほうがいいのかは、周辺国を変数として変わってくるようだ。
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重くなりそうな声質の女性ボーカルながら柔和で軽妙

2012-07-26 07:24:04 | 音盤ノート
Bebel Gilberto "Tanto Tempo" Ziriguiboom, 2000.

  MPB。打ち込みボサノバ。ベベウ・ジルベルトのデビューは1986年と古く、しばらくは松任谷由美のボサノバカバー集("De Tarde, Vendo O Mar" 1991)やテイ・トウワの曲に登場していたりした。だが、本格的なフル・アルバムはこれが最初である。

  このアルバムは、隙間がありながら洗練されている打ち込みリズムと、アコースティック・ギターなどの薄いバッキングに、ややハスキーな低音女声を聴かせるという趣向。感情表現は控えられ、情動はコントロールされているが、重々しい感じは皆無で緊張も強いられない。基本爽やかで、時折けだるい。これは、複雑ながら「軽く」聴こえるサウンドと、柔和さのあるボーカルの取り合わせの妙だろう。夭折したプロデューサーのSubaは、音数を絞り込みながらも、絶妙な「間」を感じさせる音作りに成功している。

  低音ハスキー系の女声を聴くと、僕には「仕事ができて周囲にも厳しい大人の女性」がイメージされて身構えてしまうところがある。しかし、ベベウ・ジルベルトに関しては全然そんなことはなく、慈愛と優しさのほうを感じる。ここでの彼女のボーカルは抑えめで、後年ほど歌い過ぎていないのもいい。
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素晴らしい講義をするには話術以前に充実した内容

2012-07-23 07:14:21 | 読書ノート
マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう:いまを生き延びるための哲学』早川書房, 2010.

  倫理学の入門書。いまさらながら読んでみたが、思いのほか良かった。順に功利主義、リバタリアニズム、カントの義務論、ロールズのリベラリズムと解説してゆくのだが、それらはあまりに価値を単純化しすぎていたり、価値相対主義であったりして、正しさを的確に判断できなくなっているという。そこで後半にアリストテレス的な目的論を称揚し、共通善を見出すことで判断のジレンマを乗り越えてゆくべきだと説く。

  特にカントの解説は面白かった。僕が読んできた本のいくつかで、馬鹿正直で融通の利かない議論としてカント倫理学は批判されていた。このサンデル著では、カント倫理学には抜け道もあって柔軟な面があることも示しつつ、そのメリットを捉えている(最終的には批判の対象になるのだけれども)。本書は2011年に文庫化されているが、そういうわけで、文庫で読める倫理学の入門書としては、加藤尚武の『現代倫理学入門』(講談社学術文庫) よりわかりやすい。

  ハーバードでの講義の様子を撮影した映像をめぐっては、その巧みな司会と話術のほうが話題になっていたと思う。こうして書籍を読んでみると、良い講義になるかどうかは、やっぱり中身の濃い話題が必要条件だという当たり前のことに気づかされる。
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ミニマル・ミュージックを採り入れた構築度の高いジャズ

2012-07-21 08:42:14 | 音盤ノート
Pat Metheny Group "The Way Up" Nonesuch, 2005.

  フュージョン。メセニーにとってはワーナーから新興レーベル、ノンサッチへの移籍第一弾となる。メンバーは、メセニーとメイズ、Steve Rodby(b), Antonio Sanchez(dr), Cuong Vu(Tp,Vo,Per,Gt), Gregoire Maret(Harm,Vo,Per)。序章--第一楽章--第二楽章--第三楽章の4トラックに分かれているが、全体を通して一曲68分という内容である。

  序章でスティーブ・ライヒ風の音符の細いシーケンスをアンサンブルで聴かせる。こうしたユニゾン部分が各楽章の冒頭と最後に置かれており、それぞれかなり練り込まれた複雑なものとなっている。一方、アドリブ部分はジャズ的になったり、いつものPMG風になったり、直前のソロとリズムを変えて展開されたりと、多彩である。ユニゾン部分の印象が強いこともあり、バッキングのあまり厚くないアドリブ部分はやや冗長に感じられる(第一楽章の中盤など)。けれども、ユニゾン部分と連続性のある展開で繰り広げられるアドリブはスリリングで面白い(第二楽章前半)。終盤に向かうにつれて、メセニー特有の乾いた哀愁感がにじみ出てきてどんどん良くなってくる。

  個々の部分を切り取って聴くとキャッチーでそれなりの緊張感もあり楽しめる。一方で、全体を通して聴くとへヴィネスの方が感じられたりもする。そのため聴きやすいとは言えない。とはいえ、沈滞気味だった"We Live Here"(Geffen, 1995)以降のPMGの諸作の中ではもっともクオリティが高い。今のところ、このグループの最後を飾る大作となっている。
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米ソ対立という時代状況と絡めたゲーム理論の発展史

2012-07-19 07:38:46 | 読書ノート
ウィリアム・パウンドストーン『囚人のジレンマ:フォン・ノイマンとゲームの理論』松浦俊輔ほか訳, 青土社, 1995.

  フォン・ノイマンが考案した「ゲームの理論」の発展史。といっても、学説史上の展開を追うだけでなく、米ソ冷戦と核兵器の開発を背景とした叙述になっている。フォン・ノイマンの伝記的要素もある。著者の関心はそうした部分に限られており、ゲーム理論が他の多くの分野でも利用されている状況を通覧したり、理論そのものを理解したりするにはまた別の書籍が必要である。だが、学説への興味を導く読み物としては成功していると言えるだろう。

  本書は、ゲーム理論を「相手(ソ連)の出方を予測するために使われた冷戦時代の軍拡競争の解釈枠組み」として位置づけている。フォン・ノイマンが核開発にも携わったという事実もあり、またランド研究所で実際そのように利用されてきた。米国による核兵器を使ったソ連への先制攻撃、米国における水爆の開発の影響、米国空軍によるランド研究所(ここで冷戦中の外交・軍事戦略が考えられた)の設立、キューバ危機など、さまざまな局面において、著者は当時の関係者の記録を加えながらゲーム理論を適用して解釈を試みている。

  しかしながら、事件があった当時の水準のゲーム理論では、分析は不十分な点が残る。結果として次の時代の新しい理論展開に導かれることになる。著者は、このようにして理論の発展史を描いている。この学説史の部分は、冷戦エピソードを間に多くはさみこみながら、フォン・ノイマンによるゲームの定義やミニマックス戦略に始まり、「囚人のジレンマ」の発見、チキンゲーム、志願者のジレンマ、アクセルロッドの繰り返し囚人のジレンマ・コンテスト、シュービックのドルオークションへと展開してゆく。

  個人的には、現実の政治である冷戦と数学の一分野であるゲーム理論を結びつけて解釈するというのはかなり強引だという印象だった。とはいえ、この二つの乖離から理論の発展史に持ち込もうという著者の力技には感心したが。また、冷戦というテーマに一番はまりそうなゲーム理論家トーマス・シェリングの扱いが、なぜだがとても小さいのが小さな瑕疵である。
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大半はピアノとギターの二重奏で、タイトル通りの三重奏は3曲のみ

2012-07-16 07:41:05 | 音盤ノート
Michel Petrucciani "Power of Three" Blue Note, rec.1986.

  ジャズ。第20回モントルー・ジャズ・フェスティバルでの演奏のライブ録音で、今は亡きミシェル・ペトルチアー二(p)と、ジム・ホール(g)、ウェイン・ショーター(sax)というメンツ。タイトルから全曲三人揃っての演奏かと勘違いさせるが、ピアノとギターだけのデュオが4曲あり、サックスが加わるのは3曲だけである。

  曲目は、ペトルチアー二作‘Morning Blues’とショーター作‘Limbo’、ホール作三曲‘Careful’‘Waltz New’‘Bimini’、スタンダード‘Beautiful Love’‘In a Sentimental Mood’。演奏は緊張感を伴うようなものではなく、リラックスしたタイプのものである。ECMの残響処理に慣れた僕の耳には、ブルーノート録音のピアノの響きは硬く感じるものの、メロディセンスは十分に耽美的でアドリブ部分も楽しい。柔らかい音色のエレクトリックもギターも同様に美しいメロディを紡ぎだす。ショーターのサックスはストレート過ぎて十分らしさを表現できていないように思えるが、それでも水準以上である。

  落ち着いており地味な作品だが、同時期の"Pianism"(Blue Note 1985)ほど渋くはない内容である。
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除湿機生活

2012-07-14 07:09:52 | チラシの裏
  このところの大雨たのめ、購入して9年になる除湿機が大活躍している。

  横浜に住んでいた頃の部屋は、東向きの一階で、南側に山の斜面があった。当然一日のほとんどで日が当たらず、湿気が酷かった。雨の日のベランダにはよく沢蟹が現れたものだ。当時はエアコンも二台使っていたが、除湿機も加えて水気を除かないと快適にならなかった。

  4年前に静岡に引っ越してくるとき、人口密度の低いこの街で日当たりの悪い部屋に住むことは無いだろうと予想していた。そのため、この除湿機は捨てるものの第一候補だったのだが、借りてみた部屋の南側が壁面だったので持ってゆくことにした。引っ越して来て半年後にはすぐ市内を移動したのだが、やはり現在の家に持ってきた。

  現在の部屋は、南向きの中層階にあり、目の前に高い建物がまったく無い。風通しも良く、住みはじめて当初は除湿機を使用する機会などなかった。ところが、昨年あたりから雨の日に体調を崩すことが多くなった。僕の場合、気管支の炎症となることがしばしばだった。年を取って、部屋のちょっとしたカビ臭さに敏感になってきたようなのである。

  そういうわけで、このところの雨で、除湿機を使用するようになった。部屋が暑くなって快適さは下がるのだが、部屋の臭いをとることができ、息がしやすい。エアコンを持ってないし。体調もまあまあだ。残念ながらこれだけで、オチはない。
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行動遺伝学者による遺伝と環境の複雑な絡み合いの解説

2012-07-12 08:34:47 | 読書ノート
安藤寿康『遺伝マインド:遺伝子が織り成す行動と文化』有斐閣, 2011.

  新しい遺伝子観の啓蒙書。行動遺伝学の成果をもとに、旧来の決定論的な遺伝子観を廃し、遺伝子が環境と複雑に関係を取り結ぶ様を解説している。これまで、IQや性格が遺伝子の影響を受けるかどうかで多くの議論が交わされてきた。この本は、影響を受けることは当然という前提で話をすすめ、その先の「ではどのような形で影響するのか」に焦点を合わせている。その点で、類書より一歩進んだ内容と言えるだろう。

  著者がしりぞけるのは、ある遺伝子の存在が特定の性格や知能をもたらすという、遺伝子と表現形の一対一対応型の考え方である。確かに遺伝病のケースではそのようなことがあるが、性格や知能に関しては複数の遺伝子が影響するためにその発現は単純なものではないという。また、遺伝病のケースですら、環境をコントロールすればその発現を抑えられることもある。

  対して、一卵性双生児と二卵性双生児の比較をもとにした行動遺伝学の知見から、遺伝の影響はあらゆる点で観察されるが、その影響の程度はさまざまであることを指摘している。一方で「環境」の影響もあらゆる点で観察されるが、その多くは両親の養育態度ではなく、別のさまざまな「環境」だという。

  遺伝と環境の交互作用についてはまだ不明なことが多いが、分かっていることが二つあるとのことだ。一、環境の自由度が高いほど遺伝の影響が大きく表れる。二、環境が厳しいほど遺伝の影響が大きく表れる。矛盾するようだが、次のようなことを言っている。最初のものは、ストレスが少ない環境ならば、行動の選択肢が少ない環境よりも選択肢の多い環境の方で遺伝の影響が現れやすいことを指す。強く生存に直結しないような選択において、生まれつきの嗜好が出てしまうのである。一方、二つ目のものは、ストレスフルな環境では、その環境に反応しやすい遺伝子の有無が性格や行動に直結してしまうという。例として、虐待された経験を閾値として反社会的人格の形成を促す確率の高い遺伝子の存在が紹介されている。

  終章の、著者の言う正しい遺伝観を取り込んだ社会設計または教育制度設計の議論については、同意しない読者もいると思われる。ただ、そういうところまで踏み込んで考えなくてはいけないと言う点では合意が得られるだろう。

  批判の多いデリケートな分野のためか、全体として韜晦な文章になっている。行動遺伝学の論理については同じ著者のブルーバックス『心はどのように遺伝するか:双生児が語る新しい遺伝観』(講談社, 2000)の方が分かりやすいので、まずそれを読んでからこの本にあたると理解が容易になると思う。
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AOR風MPB、情熱的に歌唱するも暑苦しくならない

2012-07-09 10:10:43 | 音盤ノート
Ivan Lins "Novo Tempo" EMI Odeon, 1980.

  MPB。イヴァン・リンスは1970年からブラジルで活躍する歌手で、このアルバムは彼の代表作として知られている。

  MPBといっても、ポルトガル語で歌われていなければ米国製AORと勘違いすること間違いなしの、1970年代後半の都会的なポップミュージックである。そのような印象は本人の弾くピアノを楽器の中心に据えているせいがあるだろう。クラシックギターが前面に出る曲もあるが、あまりボサノバ的でない。ボーカルも力強く歌いあげる系統に入る。そいうわけで、ブラジルの音楽と聴いてイメージされる、軽妙で爽やかな印象は少ない。むしろ、ビートルズを聴いたまま30代に突入してしまった先進国の中年のため、アダルト・コンテンポラリー音楽と形容した方が正確だろう。

  それにしても曲が良い。メロディが美しい、というのはよくある褒め言葉かもしれないが、それをくどいと感じさせない程度に情熱的かつ朗朗と歌いあげるセンスが絶妙である。感情を抑制せずに好きなように歌っており、普通なら暑苦しくなってくるところだが、まったくそのような印象をもたらさない。洗練された編曲の妙もあるだろうが、このあたりが都会的センスというものなのだろうか。本人が胸毛をさらすジャケットはセクシーとは程遠く、いただけないが。
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