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図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

「教養主義を克服して利用者志向の図書館を」という繰り返される話

2015-11-30 10:34:13 | 図書館・情報学
  山口浩「「TSUTAYA図書館」と「図書館論争」のゆくえ」(Synodos, 2015.11.27)という記事を読んだのでコメント。TSUTAYA図書館からはじまり近年まで図書館利用者の偏りまで多岐にわたって図書館問題を指摘する長い論考である。著者はH-Yamaguchi.netの方ようで。

  僕が専門家ぶるのも気が引けるが、少々補足したくなる点があった。著者は図書館について建設的な態度で提言してくれている。この点は評価したい。けれども、著者のアドバイスは特に目新しいものではなく、「そういう考えではまずいのではないか」と近年の図書館関係者が見直してきた考えそのものだ。記事中、要点の一つとして"19世紀の技術と社会を前提とした生まれた現代の図書館のあり方は、それらが大きく変化した21世紀の状況に合わせて変えていく必要がある"と掲げられている。これと似たような話は、図書館関係者ならばさんざん内輪で聴かされてきただろう。そもそも啓蒙・教養志向図書館観vs.現実のニーズという図式自体は、1990年前後に貸出サービス肯定論として一部の図書館員が掲げ、前者を克服して後者を止揚するために使用されたものだ。(なお図書館の選書の世界ではニーズと需要は別物だが、以下ではごっちゃにして記す)。

  著者によれば、サービス提供者である図書館員と住民が図書館に求めるニーズにミスマッチがあるという。この認識は正しい。ただ、こうした認識から誕生した初の図書館が武雄市図書館、というわけではなくて、貸出サービスを主に据えた全国各地にあるような今の公共図書館がそれにあたる。これらは1970年代以降に設置されており、「無料貸本屋」と批判された2000年前後を越えて現在までその基本的な方向性を維持している。啓蒙志向の古めかしい図書館の克服という話はつい最近登場したものではなくて、40年の歴史があるのである。図書館利用者層が特定の層に偏っているという話も、米国では1930年代末から繰り返されており(参考)、日本でも1980年代頃から確認されてきたことである。近年の調査でなおも利用者層が限定的であるということは、19世紀的な図書館の限界を表しているということではなくて、開館時間が拡大されかつ蔵書も大衆的になった現在の図書館でさえこの程度、というように解釈すべきものなのだ。(利用者層の偏りは近年流行の滞在型図書館でもおそらく克服できないだろう)。

  以上を踏まえた上で、現在満たしているニーズ以上の、さらなるニーズを満たすというのはどういうことかということを、納税者として図書館に関与する人には考えてほしいと思う。無料貸本屋論で懸念されたのは、貸出が図書館の業績評価の最大の指標となっていることだけではなくて、図書館サービスが民間サービスをクラウンディングアウトしているという点にもあった。その議論で直接問題視された新刊書籍市場に対する図書館の影響は明らかではないが、たぶん影響は大きくないけれども、ゼロだとは言えないだろう。また、図書館は本とは無関係なその他の余暇サービスとも競合する。無料でかつアメニティが高いならばなおさらだ。さらに多くの来館者を呼べる、すなわちより多数の住民のニーズを満たすという理由で、民間ビジネスと競合する領域に行政が参入するのを正当化していいものなのだろうか。

  民間委託されようが図書館は公営である。近所に本屋が無い、あるいはスターバックスがないからという理由で、どこまで行政がそれらを代替していいのか。10代男子が図書館に来ないからといって『少年ジャンプ』を図書館に置いてよいだろうか?あるいは将来、仮に法律が変わって有料サービスが可能になるかもしれないとして、ニーズがあるからという理由で、アダルトビデオやレンタカーを、民間サービスより少し安い値段で図書館が提供するというのは肯定できるだろうか。もしかたしたら住民の間で多数決を採れば上のようなことが支持されるかもしれない。けれども違和感は無いか?公と民の間にはどこかに一線があるはずだ。その一線を守ろうとすると、図書館はそんなに多様になれないかもしれない可能性がある。

  ただし、公と民の間の一線がどう決定されるかについては議論があるようだ。著者の言うように住民のニーズ(記事では利用者のニーズなのか有権者のニーズなのかが曖昧だが)によって、民主主義的に意思決定されるという立場もありうる。その場合は、支持さえあれば図書館はどんなサービスでも提供できるだろう。「足による投票」論もそういう発想にあり、地方自治体レベルではそれで問題がないのかもしれない。

  一方で、私的領域に民主的意思決定が侵入するのを制限しようとする立場(いわゆる「立憲主義」もそう)もあるわけで、この場合には公立図書館のやることは限界づけられなければならないということになる。このとき、公的供給される図書館がどうしても民間の領域を侵してしまうことを説明する必要が出てくる。そこで「民間では供給できないことを図書館がしている」という論理を展開することになる。そういうわけで教養だとか文化という理念は今でも重要なのだ。それらを高邁で不毛という理由で捨ててしまえば──すなわち世に存在する書籍の間に価値の違いはない(あるいはあらゆる余暇の間にもない)という価値相対主義的な立場をとるならば──、図書館はかつて貸本屋がやってたことを奪って大規模にやっているだけの、不効率な官製ビジネスにすぎなくなる。

  図書館の話の基本に据えるべきことは、民間が参入したくなるような価格で読書機会を供給しようとしても、需要はとても小さいという点である。ニーズや需要を根拠にできるならば、CCCは代官山蔦屋をモデルとした書店を自身の投資で武雄市や海老名市に建てただろう。しかし、図書館とは税金によって建設され、サービス価格を無料にまで押し下げてやっと利用者が出てくるという代物である。公立図書館がやっている共同書庫および資料閲覧と貸本サービスというのは、民間業者ならば採算が合わないからと手を出さないビジネスだ。けれども必要だからという理由でわざわざ公費が投入されているのである。なぜか?と問われて、「文化」「教養」あるいは「情報」「権利」という理念が出てくる。現実の図書館を知っていれば、そうした理念を馬鹿馬鹿しいと思う人もいるかもしれない。実際、達成されているかどうかも怪しい。もしそういう疑問を持つならば、民間委託を唱えるよりも公立図書館不要論を唱えたほうが潔いと思える。もはや図書館を公的供給する根拠が崩れているからだ。

  以上は僕の考えではあるが、現在の一部の図書館関係者の間になんとなく存在するコンセンサスを反映してみようと試みたものだ。図書館におけるニーズへの対応という話をするならば、やはり行政サービスでどこまで応えてよいかについて著者の考えを披瀝してほしいと感じる。一応、著者は記事の最後で図書館関係者が支持しそうな理念で議論をパッケージしている。だが、重視されるのは「利用者(または有権者)の選択」だ。そして、ニーズへの対応という話ならば、民間に任せたほうがよい、ということになるのではないだろうか。いや、個人的にはカフェや書店が併設されていても、個人情報が少々抜かれようと大きな問題ではないと考えるので、武雄市図書館に関する話に限れば著者と評価はそう変わらないのかもしれない(蔵書と分類を除く)。しかし、「利用者の選択」に同意しろというならば、それは図書館と利用者だけの問題ではなくて、さまざまな民間サービスも巻き込む問題であって、軽々しく「そうですね」と頷くことができないところなのだ。

  以上。でも上の記事は、これまでの図書館関係者の間で交されてきた議論を知らない人が見ると事態はこういう風に見えるということがよくわかって興味深かった。
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佇まいは質素だが、よく聴くと細部まで造りこまれた渾身のアルバム

2015-11-26 15:24:17 | 音盤ノート
The Sundays "Blind" Parlophone/Geffen, 1992.

  前回の続き。活動停止中の英サンデイズの二作目。所属していたレコード会社Rough Tradeが潰れた後の、移籍後の録音。日本盤のみローリングストーンズのカバー‘Wild Horses’がボーナストラックとして収録されている。曲のクオリティに関しては、本作が三作品の中で一番良いのではないだろうか。

  一作目と基本路線は同じで、まとわりつくようなギターアルペジオと、控え目な音量でシャンシャン鳴らされるコードストロークがこれでもかと繰り出される点は相変わらず。ただし、録音にはそれなりの工夫が凝らされている。第一に、オーバーダブを多用している。一作目は一発録りかのようなシンプルな演奏だったが、この作品はギターもボーカルも複数のパートが重ねられているのが一聴してわかる。第二に、ギターにもディーストーションやリバーブなどのエフェクトがかけられていることが多く、この点も前作と異なる。前作のイメージからなんとなく地味な印象をもちそうだが、注意して聴いてみるとけっこうきらびやかで、音数の多いアルバムである。一見して貧乏そうなのに、近づいて着ている服のブランドを確認してみるとけっこう豪華だった、というような。

  ネオアコまたはフォークロックに入る音ではあるが、ギターに内向的なサイケデリック感があるのが1980年代英国インディーズっぽいところ。1990年代に活動していたけれども、当時すでに時代遅れな印象を与えていたのもそのせいだろう。このアルバムの発表後にはブリットポップの時代がきた。今聴くならばそんなのはもう関係無いのだけれども、本人たちにとってみれば時代の巡りあわせが良くなくて、居心地は悪かっただろう。

  
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情報検索の最新情報を伝える入門書

2015-11-24 10:20:20 | 読書ノート
高野明彦監修『検索の新地平:集める、探す、見つける、眺める / 角川インターネット講座8』KADOKAWA, 2015.

  現状の情報検索技術およびその思想を伝える論考集。検索とは何かという話から、テキスト検索、画像・映像検索、GPSや時刻への情報の紐づけ、セマンティックウェブ、連想検索などがトピックとなっている。親切に基本概念が説明され、難易度も各論考同じレベルに調整されており、このシリーズ(参考1 / 2)にありがちな、各論考毎に読者に求める知識がバラバラで説明が難しすぎたり易しすぎたりということがない。執筆者のほとんどは国立情報学研究所(NII)所属。Webcat Plusや新書マップを提供してくれている人たちである。

  図書館情報学研究者としては、執筆者の経歴をみながら「情報検索はもう完全に工学系出身者の領域なんだな」という感慨を持った。当たり前だと思われるかもしれない。しかしながら、1990年代までは情報検索は図書館情報学分野──教育学部や文学部に置かれていることが多い──の主要な下位領域だった。大学院ではパンチカードを使った黎明期の話を講義で聞いたものだ。けれども、今では僕のような文系学部出身者にはついていけないぐらい高度なものになっている。今でも下位領域だと言われればそうなのだが、現在の図書館情報学領域における情報検索研究者はものすごく数学とプログラミングが出来るというイメージで、普段は学生に司書資格課程を教えているだろうその他の図書館情報学研究者らとはまた異なっている。

  雑念のほうが長くなってしまった。手堅くまとまっており、情報検索分野の良い入門書である。司書資格課程で「情報サービス演習」を担当するならば読んでおいたほうがよい。
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若い頃に楽しめなかった作品を40歳を越えて理解する

2015-11-20 20:24:53 | 音盤ノート
The Sundays "Static & Silence" Parlophone/Geffen, 1997.

  ネオアコ。個人的には発売時にすぐ購入したものの、気に入らずにすぐに売り払ってしまったアルバムである。先日近所のブックオフで280円で叩き売られているのを発見し、久々に聴きたくなってまた買い直してしまった。ザ・サンデイズはすでに活動を停止している1990年代の英国のロックバンドで、本ブログではデビュー作をかつて紹介したことがある。

  前二作にはあった爽やかで疾走感のある曲が無くなり、ただでさえ地味なバンドだったのにさらに地味に聴かせるアルバムである。ただし、一曲目のシングル曲'Summertime'だけはワウワウギターにホーン風のシンセが入るファンキーかつポップな曲で、かなり浮いている。もう一つのシングル曲'Cry’も、モータウンやフィラデルフィアソウルを思わせる泣きのバラードとなっており、ブラックミュージックの影響をかすかに匂わせている。あとはミドルテンポまたはスローテンポのしんみりとしたバラードが延々と続く。バックはギターのコードストロークとアルペジオが中心で、曲によってはディストーションギターや、ホーンまたはストリングスが入りカラフルになることもある。メロディは良く練られており、低めの音程から入って最後には高域で歌いあげるという、女性ボーカルの広い声域を使った起伏のある旋律となっている。でも、地味だという事実は動かせない。

  面倒なことに、英国盤は11曲、米国盤は12曲、日本盤は14曲と収録曲が異なる。米国盤のボーナストラックはどうでもいい曲だが、日本盤に収録されたシングルB面曲'Through The Dark'は珠玉の一品なので、日本盤で聴くことをお勧めする。しかし、英米両盤で最後の曲となる'Monochrome'はアルバムの締めにふさわしい名曲なのだけれども、日本盤では11曲目に収録されており、その後が冗長に感じられるのが少々の難点。若い頃に聴いたときは暗い退屈な曲が続く酷いアルバムだと思ったが、今聴いてみるとペーソス溢れる良いアルバムである。歳はとってみるもんだな。
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エピソード中心だが異文化摩擦の事例集として面白い

2015-11-18 09:17:32 | 読書ノート
エリン・メイヤー『異文化理解力:相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養』田岡恵監修, 樋口武志訳, 英治出版, 2015.

  タイトル通りの書籍であるが、得られる知識はあくまでもビジネススキルを磨くためのもの。外国人との多様な交流の場面が想定されているわけではなく、外国企業との取引や多国籍企業におけるチーム編成などにおける文化摩擦が中心事例である。著者はフランス在住の米国人で、ビジネススクールの教員である。原書はThe culture map : breaking through the invisible boundaries of global business (Public Affairs, 2014.)である。

  文化マップは八つの指標で構成されている。第一に、ハイコンテクストかローコンテクストか。前者は日本、後者はアメリカが代表であるが、これはよく知られている。第二に、ネガティブな評価を率直に伝えるか、それとも表現を柔らかくして伝えるか。前者はオランダが代表で、率直だと思われているアメリカは後者に入るらしい。見過ごされがちな文化的な差異である。このほか、第三に説得方法が原理優先か応用優先か。第四にリーダーが平等主義的か階層主義的か。第五に意思決定が合意志向かトップダウン式か。第六に信頼形成は仕事ベースか関係ベースか。第七に見解の相違が対立的に扱われるか、それとも対立回避を志向するか。第八にスケジュールがガチガチに決まっているかそれとも柔軟な対応が可能となっているか。

  意外な指標もあって新鮮味がある。だが、各国出身者の統計上の平均値を各指標のスケール上に割り振ったという話はあるが、どういう手続きでそれら指標が導出されたのかの説明はない。おそらく著者の経験的なもので、指標が八つになるという裏付けはないのだろう。インタビューを元に因子分析をして六つの指標を取り出してみせたホフステード(参考)より荒っぽいが、アメリカ人らしく役に立てばよいという発想でまとめられているのだと推測する。

  全体的にエピソード中心の記述で、理論的な説明を端折っている点が気になるところだが、そういう点が気になってしまうのは学者の悪い癖なのかもしれない。各エピソードは文化摩擦の実態を伝える興味深い事例であり、読み物としてまず面白い。著者の議論を受け入れて、すぐにビジネスに活かしたいという向きには良い本なのだろう。
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子どもが初めて気に入った洋楽曲、発表年が父の生年

2015-11-16 22:31:32 | 音盤ノート
Stevie Wonder "Innervisions" Motown, 1973.

  ソウル。スティービー・ワンダーの代表作であり、すでに大量に存在するこのアルバムへの賛辞に加えるべき言葉もないのだが、我が娘が気に入っているというので久々に聴いてみた。個人的には、張り詰めた空気のあるこのアルバムよりも、この前後のアルバムの方が聴きやすくて好みではある。

  娘のお気に入り曲は'Golden Lady'。小学5年生にしてはなかなかいい趣味だ。しかし、どうやって知ったのか。単身赴任中のウィークエンドファザーなので、娘のウィークデーの生活を知らない。アルバム全曲を電子ファイルで持っているが、娘の前で頻繁に聴いたという記憶もない。尋ねてみたところ、TDKのテレビCMでワンダーを知ったという。2015年にTDK!?と仰天したが、調べてみたところ事実だった。テレビを所有していないので気づかなかったな。だが、そのCMに使われている曲は'Higher Ground'だ。どうやら妻がコピーしたファイル音源を聴いて'Golden Lady'に辿り着いたらしい。

  最初の洋楽はテイラー・スウィフトとかじゃないのか。お父さんはデュラン・デュランだったぞ。とあれこれ常識らしきものをぶつけてみたくなるが、流行からではなく歴史的評価から入るというのもあるのだろう。と、学生や職場の同僚の趣味を思い出して納得した次第。20歳前後の学生がJourneyを好み、僕より若い同僚が初期Yesの熱狂的なファンで「90125Yesは偽物」と切り捨てる時代だからな。1990年代半ば以降は、むしろ流行の方が非力で「世代」を作り出せていないという印象がある。
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スタジオを基準に音を聴くという新たな切り口

2015-11-13 10:14:09 | 読書ノート
高橋健太郎『スタジオの音が聴こえる:名盤を生んだスタジオ、コンソール&エンジニア』DU BOOKS, 2015.

  1960年代から70年代にかけてロックやソウルの名作が録音された音楽スタジオを紹介するエッセイ。誰が建ててエンジニアは誰で、使った機材はどこ社製でどういう音が鳴るのか、という記述が中心の、実にマニアックな内容である。著者は音楽評論家でかつプロデューサー。自身のスタジオも所有しているという。洋楽についてもう少し踏み込んで知りたい、という人のニーズを満たすものだろう。

  採りあげられるスタジオは、特定のミュージシャンまたはプロデューサーが好んで使ったか、あるいはミドルマイナーなレーベルの所有のスタジオばかり。Abbey Roadなど大手レーベル所有のスタジオは、長期にさまざまな人が入れ替わり立ち代わり使用しており、スタジオの音としての個性が無いということで省かれている。最初に出てくるのは米東海岸のBearsville(Todd Rundgren)、最後は西海岸のThe Village Recorder (Steely Dan)。この他、ソウル系ではフィラデルフィアのSigmaや南部のMuscle Shoals StudioやFame、英国ではTridentやOlympic Studio、ドイツのConny Plankのスタジオ、1990年代以降ではシカゴのJohn McEntire(Tortoise)のスタジオなどが紹介されている。珍しいところではバハマのナッソーにあるIsland社所有のスタジオ。プロデューサーがAlex Sadkinで、そういえば1980年代に流行ったなーと思い出した。

  スタジオ単位で音を聴くという発想は斬新で面白い。エンジニア単位というのはこれまであったけれど、コンソール云々という話はスタジオ録音の経験がある人ならではのものである。こういう話についていける人は多いのだろうか、と疑問に思ってAmazon.co.jpを見たらけっこうレビューが付いていた。でもレビュワーはみんなおじさんだろう。若い人にはついていけない世界だと思う。
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リバプール即行解散物語・その2

2015-11-11 16:08:24 | 音盤ノート
16 Tambourines "How Green Is Your Valley?" Arista, 1989.

  現在なら再評価著しい「AOR」としてマーケティングすべきロックバンド。英国リバプール出身の男女6人組で、1989年にこのデビューアルバムを残して消えてしまった。売れてもいないし、革新的サウンドを造り上げたわけでもないので、アルバムは長らく廃盤のままである。1999年に一瞬だけ日本で再発されたCD盤を僕は持っている。ダウンロード販売もないようだが、Youtubeでアルバム収録曲が数曲だけ聴ける。

  ネオアコがAOR化した1980年代後半という時代の音で、ボーカルがやたらソウルフルなのがこのグループの特徴。太くて力強い男声がポップに練り上げられたメロディを歌い上げ、時折シャウトを聴かせる。これに清涼な女声コーラスが絡み、間奏ではサックスが入ることもある。バックバンドはドラムとベースとギターと鍵盤。カッティングからアルペジオまで多彩に曲を味付けするギターとピアノ系の音色を使ったキーボードが半々ぐらいの比率で登場する。アレンジも洗練されており飽きさせない。

  収録曲のクオリティも高く、疾走感溢れる冒頭の'Bathed In The Afterglow'が特に素晴らしい。また、'April', 'If I Should Stay', 'How Green Is Your Valley ?'といったミドルテンポからスローテンポの曲でもじっくり聴かせるスキルがある。これらバラード曲になるとスパンダー・バレエの懐メロ'True'みたいに聴こえる瞬間があって面白い。

  ただ、男性的なボーカルが象徴するように、ネオアコファンやAORファンが求める「繊細な男」のテイストに欠ける(ように聴こえた)のというが売れなかった原因だろうか。でも、それとAOR的なサウンドの組み合わせはけっこう新鮮で、もうちょっと活動を続けていれば世間の評価も変わったと思うな。
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ルネサンスから近代にかけての人文学者たちの迂遠な歩みを活写

2015-11-09 16:51:44 | 読書ノート
アンソニー・グラフトン 『テクストの擁護者たち: 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生』ヒロ・ヒライ監訳, 福西亮輔訳, 勁草書房, 2015.

 「インテレクチュアル・ヒストリー」なる分野の新しい潮流を切り開いた作品とのこと。ルネサンスから近代のかけての「古典学者」の営みについて歴史的に検証したものである。原著は1991年のDefenders of the text: the traditions of scholarship in an age of science, 1450-1800 (Harvard University Press)である。

  人文学はルネサンス期以降それなりの潮流になるが、近代の科学の勃興に伴い地位が下がったと世間ではみなされている(と著者は記す)。だが、科学の基礎となる実証主義的な態度というのは、そもそも人文学者が聖書や古代ギリシアの書など古典の読解を通じて培ってきたもので、それ以前の時代の「古典から人生の教訓を引き出す」読みに対して、新しい人文学者らが歴史的正確さを追求した結果だという。そうした努力によって『ヘルメス文書』が偽書であると見破られてきた。また、科学と人文学はまだ混然一体で、古典における日蝕の記述などから歴史的年代を確定する営みとして天文学は発達した。しかし、彼ら新しい人文学者が近代人的かというとそうでもなく、多くの場合動機として宗教的熱情を持っていたりすることがわかる。全体的に、現在の視点から見て当時先端的だっただろうと思われていることはそうではなく、逆に時代遅れだっただろうと思われていることはそれほどでもなかった、というニュアンスを伝える記述が続く。

  以上の説明では不十分な、単純な要約が難しい内容である。頭にもそんなにスラスラ入ってこない。聖書以前からローマ時代にかけての文献がたくさん紹介され、それらを読むルネサンスから近代にかけての学者が挙げられ、さらに20世紀初めの学者の名前も出てきて、それらがいずれも門外漢によくわからない事柄や人物ばかり。このため言及されている時代については時折混乱する。修辞もこんな感じ。“詩人ルカヌスによるローマ内乱についての叙事詩『内乱』(中略)、アメリカの映画監督ロジャー・コーマンにも比肩する芸術的な感性をもつ壮大な叙事詩だ”(p.353)。それってほめ言葉?
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『亞書』問題と知人のテレビ出演

2015-11-06 10:29:03 | チラシの裏
  『亞書』なる一冊6万4800円の本が話題になっている。中身はギリシア文字の羅列で大半の日本人には読めない。シリーズもので10月半ばには96巻ぐらい発行されていたと思う。マスメディアに大きく取り上げられる前にはAmazon.co.jpにも出品されていたが、今月になって書誌を記載したページが無くなっている。

  中身からして日本国内に需要は無さそうなのにこの価格。当初からネットでは、国立国会図書館への納本に伴う代償金目当てではないか、と疑われていた。いろいろ条件はあるものの、納本すれば定価の半額と送料が国立国会図書館から支払われるというのが代償金である。この件について報じた朝日新聞の記事もそのような解釈に基づいたものだった1)

  で、僕の共同研究者、安形輝氏のテレビ出演である。日テレの朝番組『スッキリ!!』に、録画ではあったが短い時間登場して、この問題について解説を加えていた。最初に「亞書について調査をしていた専門家」と紹介されたので、長年付き合いのある僕には「そういう説明の仕方になるのかあ」と違和感があるのだが、一応これは真実である。先月、仲間内でこの件が話題になった翌日すぐ、彼は『亞書』頒布元であるりすの書房発行の書籍を所蔵する図書館を探してきて、わざわざ現物をチェックしに行ったのだから。そして、その結果を報告書に書くのではなく、プレゼン資料(素晴らしい出来ながら未公開)にまとめてしまうのが、プレゼンの達人らしいところである。

  収録に際して長くいろいろ話したとは本人から聞いているが、放映では「数千円の価値しかない本である」という主張が強調される編集になっていた。本の造作、製本や印刷の状態をきちんとチェックした専門家という位置付けなんだろう。いずれにせよ、図書館情報学のようなマイナー分野がテレビに採りあげられることなど滅多にないので、このテレビ出演は喜ばしい。僕は普通のテレビ受像機を持っていないので、型落ちで性能の悪いワンセグケータイを使って、電波が途切れ途切れになる中視聴した。出演にまつわる裏話についてはこれから聞く予定。

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1) 朝日新聞DIGITAL "1冊6万円謎の本、国会図書館に 「代償」136万円" 2015年11月1日
  http://www.asahi.com/articles/ASHBY3VSMHBYUCVL008.html
  記事の最後に僕の恩師田村先生のコメントも付いている。
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