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「その倫理って図書館特有?」という疑問が湧きおこる

2013-10-25 08:38:52 | 読書ノート
ジーン・L.ブリアー『図書館倫理:サービス・アクセス・関心の対立・秘密性』川崎良孝, 久野和子, 桑原千幸, 福井祐介訳, 京都図書館情報学研究会, 2011.

  米国における図書館員の倫理綱領と、それがもたらす問題について考察した書籍。情報への自由かつ公平なアクセスを図書館の役割とするという考えをベースに倫理基準が組み立てられており、倫理と専門職アイデンティティ、資料提供、資料選択、インターネットアクセス、プライヴァシーなどについて扱っている。問題事例を多く集めて議論を展開しており、図書館関係者には具体的でわかりやすく、面白いはずである。

  ただし、ベースとなる考えを裏付けるような哲学的な議論は展開されていない。あとがきで“アメリカ図書館界をみると、実践を支える思想に関して、それに研究面でも、かなりの数の証明されていない、あるいは論拠が薄弱な「自明の理」や「通説」、それに「司書職の信念」がある”と訳者が述べているが、まったく同感である。本書で提示された倫理基準も同じ問題を抱えている。

  疑問の一つは、著者の図書館倫理を専門職性と結び付けようとする意図に関してである。本書で挙げられた倫理基準は一般的すぎて、図書館特有というわけではない。サービスが公正中立でなければならないというのは、公的機関あるいは公費を受けたプロジェクトが通常の場合受け入れなければならない倫理だろう。また、個人情報保護は私企業にも課されるものである。こうした、一般の公務員や民間企業の事務員にも適用可能な倫理でもって、図書館員の専門性の担保となると考えるのは無理がある。著者が図書館倫理と考えているものは、図書館の外からその活動を拘束するような形で普遍的に存在しているのである。

  でも、こうした職業倫理と専門職との微妙な関係は、図書館だけの話ではないのかもしれない。その昔は専門職だけが持っていたような倫理が、社会が複雑化したのに合わせて、さまざまな局面で普及してきた。かつて職業倫理だと思われていたものは、他領域にも判例化や法令化によって適用されてきて、今ではその職業固有のものではなくなりつつあるように思われる。今や倫理というよりコンプライアンスであるが。そういうわけで、倫理綱領の存在自体が図書館の意義を説明するとは考えられない。もちろん、図書館固有の倫理的問題の現れ方というのはあるのだけれども。

  疑問のもう一つは、挙げられた倫理が、倫理学でいう「義務論」的であることである。典型的なのは、資料選択と検閲との対比を説明している箇所で、それに従えば「資料の選択は本を肯定的に選び出すものであり、検閲は特定の本を排除するための否定的なプロセスである」という。すなわち「行為者(=選択者)の意図」が評価のポイントであると考えているわけである。だが、そんなことは図書館で本を探す利用者にとってどうでもいいことだろう。利用者は「この本があるのにあの本がない」という状態を評価するのだ。このような、結果を重視する考えを帰結主義という。

  確かに、義務論的倫理はかなり有力な考え方である。刑事罰では「行為者の意図」はかなり重要な論点であり、日本の船橋市西図書館の事件はこの発想のもとに裁かれた(帰結主義の立場からは、内規によろうが選択者の意図によろうが無い本は無いというだけである)。だが同時に、政策の有効性を検証する方法として帰結主義もまた有力なのである。善意に裏打ちされた(そしてコストのかかる)政策が、まったく無効だったり、場合によっては有害だったりするというのは、特に珍しい話ではない。なので、公費を使ったプロジェクトについてはそのアウトカムを検証するというのは現在の大きな流れである。

  もっとも、帰結主義的倫理は経営レベルの話であって、現場の図書館員レベルの話ではないという批判もありうる。義務論の方が現場レベルでの行動方針が単純明快であるのは確かである。こうした論点はさておき、本書の話に戻るならば、二つの倫理観を調整する必要があるとは考えていないし、帰結主義を意識してさえいない。このため、深いレベルの考察にはなっていないとは言える。

  とはいえ、米国図書館界の基本的な発想が良く理解でき、かつその限界がわかるという点では貴重な資料であるだろう。
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