29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

数ある作品の中でかなり目立たないアルバム

2009-05-31 17:07:52 | 音盤ノート
Bill Evans "Time Remembered" Milestone, rec.1958/62/63.

  Bill Evansの編集物アルバムで、1-5曲目まではピアノソロ、6曲目以降はChuck Israels(b)とLarry Bunker(d)とのトリオ。後者は"At Shelly's Manne-Hole"(Riverside)のアウトテイクに当たる。それぞれとても良い演奏が収められているのだが、一貫性の感じられない取り合わせのためにあまり言及されることのない作品である。

  トリオ演奏はとても上品な演奏。Israelsのベースは前任のLaFaroに比べればずっとおとなしめで、またこの頃のEvansの演奏は晩年のように鬼気迫る感じもない。そのようなわけで、インパクトが少なく軽く聞き流せる作品でもある。だが、よく聞いてみるとEvansは適度な緊張感のある素晴らしいソロを奏でている。また、この頃のEvansの録音に比べれば、良い音で録音されている方だといえるだろう。個人的には"Who Cares""How About You"などの軽快な曲が気にっている。

  ソロピアノ演奏は、"Alone"(Verve, rec.1968)よりは"The Solo Sessions"(Milestone, rec.1963)に近く、音を確かめながら弾くかのような演奏。中でも10分に及ぶ一曲目の"Danny Boy"は屈指の名演。ソロの五曲とも、その昔"Easy to Love"(Riverside)というタイトルでは発売されていたアルバムに収録されているものと同一である。
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天然資源無き島国の栄枯盛衰

2009-05-27 19:57:57 | 読書ノート
塩野七生『海の都の物語:ヴェネチア共和国の一千年』中央公論, 1980-81.

  今では観光都市として有名なヴェネチアの、独立国として歩んだ中世から近代にかけての歴史を綴った書籍。著者の塩野七生は定義上「作家」ということになるが、フィクションではなく、本書のような歴史エッセイにその本領がある。歴史書ではなく、歴史エッセイだというのは、歴史家が控えるような大胆な推論も行っているからだ。

  本書は、ヴェネチア社会が変化する節目となる事件に目を配りながらも、その変化の背景となっている動因──経済や政治制度、軍事力、ヴェネチアを取り巻く貿易・外交環境など──を掘り下げて記述している。特定の人物に焦点を据えていないためドラマチックに盛り上がることはないが、そのデータ志向が「エッセイとしては手堅い」という印象を与えている。

  本書の魅力は、文庫版の解説者がすでに指摘しているように、日本に対する含蓄である。といっても、本文中に、日本に警句を垂れるような文章など登場しないし、日本と比較するような記述はまったくない。それでも、これといった資源のない小さな島国であり、貿易で国を富ませていかなくてはならなかったヴェネチアの姿が、現代の日本とダブって見えるのは避けられない印象だろう。本書で描かれたヴェネチアは、現在の“ルネサンスをそのまま保存したような”静的な観光地のイメージとは異なり、経済・軍事・外交の環境変化に適応できるよう、たびたび社会体制の変化を繰り返す。最終的には滅亡してしまうとはいえ、その「生き残るための意志」のすさまじさに圧倒される。それは、文明論でよくみかけるような「優雅な落日」とはほど遠いものだ。

  ちなみに、僕の持っている中公文庫版(1989)は絶版で、全集版(『塩野七生ルネサンス著作集』)のみ新刊で入手可能である。ただ、文庫版はけっこう刷(奥付では「版」扱い)を重ねており、古本屋で見つけることは容易だろう。同じ著者の大著『ローマ人の物語』に取り組むのに躊躇している方ならば、文体と著述スタイルを知るサンプルとしてもいいかもしれない。
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ミニマル音楽試聴会

2009-05-22 10:13:06 | 音盤ノート
  僕の勤める短大には音楽科がある。基本クラシックである。そこの学生相手に話しをする機会を与えられたので、その時間を使ってミニマル・ミュージックを聴かせてみた。(ちなみに僕も大学の学部学生のときに講義でこのジャンルを教えてもらった)。学生がこのような音楽を一ジャンルとしてまとめて聴くのは初めてだった様子。感想を書いてもらったら、驚きや戸惑いが数多くみられた。

  正規の音楽の教育を受けている人はやっぱり感覚が違うなあ、と感じさせる反応もあった。僕のような音楽素人でポップ・ミュージックから入った人間にとっては、機械的なテンポで音を反復させる音楽は受け入れやすいものだ。だが、一部の音楽科の学生にとってはそうでないようで、行く先が提示されず解決もされない音楽は居心地の悪さを感じさせるという。ReichやGlassはテクノ・ミュージックに近くて僕には聴きやすいものだが、音楽家学生にはJohn AdamsやArvo Partのようなよりクラシカルな装いの作曲家への支持が目立った。これまでの音楽経験の違いは大きいようだ。

  1996年に渋谷のタワーレコードでReichのサイン会が行われたことがある。13年の時を超えて、そのときにもらった彼のサインも自慢できた(lol)。
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自由も絶対ではないとのこと

2009-05-19 10:49:28 | 読書ノート
デイヴィッド・ミラー『一冊でわかる政治哲学』山岡龍一, 森達也訳, 岩波書店, 2005.

  オックスフォード出版から発行されている入門書シリーズの一冊。シリーズの他の本は知らないが、この本は論理展開も訳文も解説もわかりやすい。

  フリードマンを読んだ後だけに、個人的に興味深かったのは、ジョン・スチュアート・ミルを俎上に、政治哲学における「自由」概念の位置について述べた第4章。曰く“自由は大変重要な政治的価値であるのだが、政治的権威の行使に対して絶対的な制限を科すべきものとされるほど重要なわけではないのである”(p.99)。絶対視されがちな言論の自由も聖域ではないとされる。

  著者の言うように公私の境界は時代によって揺れ動くとして、ではどのようにそれを決定すればいいのだろうか? これは本書の先の議論となるようだ。

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さらなる低廉化を望む

2009-05-17 19:25:50 | 読書ノート
ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』村井章子訳, 日経BP, 2008.

  リバタリアニズムの古典。原著は1962年。訳も読みやすく、ソフトカバーとなって敷居は低くなった。とはいえ、定価2400円というのは一般向け著作としては高い気がする。同じ著者の『選択の自由』(講談社文庫/日経ビジネス人文庫)や『政府からの自由』(中公文庫)のように、文庫本にするべきでしょう、これは。
  
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同タイトルで二種類のCD盤あり

2009-05-14 20:51:04 | 音盤ノート
The Lounge Lizards "Big Heart: Live in Tokyo" Antilles, 1986

  Lounge Lizardsと言えばEGレーベルからの1st(1981)が有名だが、全盛期の録音と言えるのはこのアルバムと以降の二枚──"No Pain for Cakes"(Antilles, 1987)と"Voice of Chunk"(Agharta、1989)である。

  Jazzのアンサンブルとしては多めの編成(7人)で、分厚い演奏を聴かせるようになったのはこのアルバムから。ここではユニゾン部分では管楽器をMingus風に重ね、1stには無かったスリリングなアドリブも展開される。特にMarc Ribotのギターのフレーズは奇矯で面白い。酔っ払いの千鳥足を音で表現したとしたらこのような音楽になると思わせる。これ以降のアルバムはリズムに凝りすぎて聴くのに疲れることもあるが、ここではオーソドックスで聴きやすい。

  オリジナル盤は7曲だが、2004年にAbsord Music Japanというレーベルから10曲入りの日本盤が発表されている。曲順では、動・静の曲を交互に並べたオリジナル盤が勝る。一方、2004年日本盤で発掘された3曲にもそれなりのクオリティがある。どちらから聴いてもいいと思う。
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そんなに不利ならなぜ非大卒でいるのか?

2009-05-11 20:27:49 | 読書ノート
吉川徹『学歴分断社会』ちくま新書, 筑摩書房, 2009.

  日本における大卒と非大卒の間の差について探った書籍。著者は計量社会学者だが、本書はデータにうるさい本ではなく、モデルを立ててメカニズムを解説する記述に力点がある。本書によれば、日本において、近年の若年層の大卒と非大卒の割合はほぼ半々となり、今後このバランスが維持されるだろうという。しかし、非大卒というのは仕事における待遇などの面でなにかと不利になることが多いとも。

  本書はこうした現状を伝えるのみだが、次のような疑問が起こるのを避けられない。非大卒であることがキャリア形成に不利ならば、大学全入のこの時代に、なぜ人口の半分が非大卒を敢えて選択するのだろうか? この「学歴分断社会」が確かならば、高等教育を受けることにみんな血眼になってもいいはずだろう。

  日本の人口の半分は学歴のメリットに無知なのだろうか? 費用? 勉強嫌いのせい? ハビトゥスってやつ? それとも何か別の理由があるのだろうか? 
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豪華な雑誌の付録今昔

2009-05-10 22:47:15 | チラシの裏
 我が子のために『たのしい幼稚園』という雑誌を買った。その付録が豪華。印字された厚紙を切り取って作り上げる付録は昔からあるものだが、それに加えてもう一つ、キャラクターデザインの目覚まし時計が付いてきた。これで650円。時計ってこんなに安く作れるものなのか?──よく見たらmade in Chinaだった。

 僕の印象に残っている、雑誌の豪華な付録といえば(雑誌がなんだったかは覚えていない)、大山のぶよの声で「僕ドラえもんです。なんたらかんたら~」と録音されたソノシートである。他に文房具がたまに付いてくることはあったが、機械が付録になるなんて想像だにしなかった。

 しかし、厚紙で行う工作を親がやらされるのは昔と変わらないみたいだ。
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漂う不穏さと落ち着かなさ

2009-05-08 22:53:19 | 音盤ノート
Boards of Canada "Geogaddi" Warp, 2002.

  いわゆるアンビエント・テクノにジャンル分けできる。このジャンルのアルバムには評価に迷うものが多い。「心地よい」「気の利いたフレーズが頻出する」「実験的な音色が面白い」といった作品に出会っても、ヘヴィローテションとなることは少ない。おそらく、アルバムを通して聴き通させる何かが欠けているのだろう。

  Boards of Canadaのほとんどの作品も上記のようなものだが、このアルバムだけは例外である。神経質さを感じさせる歪んだ音色にはじまり、全体として不穏さを漂わせている。聴き手に緊張感を覚えさせるこのような音楽は、Eno御大の言う「アンビエント」の定義とちょっと違うのかもしれない。しかし、個人的には"76:14"と同じぐらい聴かせる音楽である。
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少子化が大学教育に与える影響について

2009-05-01 09:33:55 | 読書ノート
神永正博『学力低下は錯覚である』森北出版, 2008.

  大学に教えている者が日々感じているはずの「学力低下」の原因を探った書籍。最大の原因は、少子化で学生数が減少しているのに大学側が入学定員数を減らしていないことであるという。以前ならば上位の大学には入学できなかった学力層が上位の大学に入ることができるようになり、中位・下位の大学の入学者は、玉突き的に以前の学力層より低い層になってゆくという。

  このようなメカニズムは知られていることだろう、と思って似たような主張をする先行文献が無いかどうか調べてみたが、管見の限りでは見つからなかった。大学に勤務する者の内部でのみ流通していた考え(学生の出身高校の分析をしていると気づくことである)なのだろうか? そういうわけで、個人的には新鮮味は無かったが、一般書籍として発表された意義は大きいと思う。学力低下論の一般書の多くは、著者も言うように、ゆとり教育や文科省の方針などをやり玉にあげることが多いからだ。

  興味深かったのは、4・5章の、少子化傾向を確認した上での対処法である。韓国やフィンランドを参考に、小中学校から始まる学校システム全体の改革を提案している。ここは中心となる部分ではなくページ数も少ないが、18歳人口や大学進学率に関する都道府県別データは参考になった。また、そこでの総合的な学校カリキュラムの改革の必要性にも同意できる。ただ、個々の大学にできることも考えてみる必要もあるかもしれないとも感じる。
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