29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

スリリングなフランス科学アカデミーの栄枯盛衰史

2012-11-30 11:21:15 | 読書ノート
隠岐さや香『科学アカデミーと「有用な科学」:フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ』名古屋大学出版会, 2011.

  科学史。特に、17世紀初頭から18世紀の革命に至る時期のフランスにおける科学者団体「科学アカデミー」を扱っている。この時期は大学がまだ科学の主導権を握っていない時期であり、科学研究は職業的な活動になっておらず、余暇に行われるものだったという。本書では王政によって庇護された科学アカデミーが、そうした研究者にわずかながらも一定の収入を与え、時代を追うに連れて徐々に権威も付与していった様子が描かれる。ところが、王政の諮問機関的な役割を獲得するにつれて、反体制派の憎しみも買うようになり、最終的には革命で廃止されることになる。革命の中で、メンバーだったラヴォワジェはギロチンにかけられ、コンドルセは獄死する。

  この大まかの流れの中で詳細に論じられているのは、科学アカデミーが漸進的ながらも絶対王政の体制の中で地位を獲得してゆく過程である。その変化は細かい検討によって明らかになってゆくのだが、著者はポイントを整理して、見通しよく議論しているのでわかりやすい。メンバーが「科学が有用である」と言う時の適用対象や文脈を見極めたり、または権力との関係の変化や政府からの諮問の内容の変化を辿ってみたりと、かなり繊細な検証過程を経てその地位の変遷を跡付けている。その帰結として、革命政府のアカデミーに対する扱いやコンドルセの遺著からわかるように、科学を理解しない・関心がない一般大衆と、科学の活動との関係が重要な課題として残ったというわけである。

  偉人による発明や発見の歴史ではなく、権力や大衆との関係も視野に入れた社会史になっている点で単なる「科学史」の枠を超えている。サントリー学芸賞受賞にふさわしい作品である。
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現代音楽+アフリカ風民族音楽+エレクトロニクスによる瞑想音楽

2012-11-28 11:41:36 | 音盤ノート
Jon Hassell "Power Spot" ECM, 1986.

  電子楽器を使ったエスニック・アンビエント瞑想音楽。ジョン・ハッセルについてはすでに"Possible Musics"(参考)で採りあげた。このアルバムもそれと同様にブライアン・イーノ絡みの作品で、プロデュースと数曲でのベース演奏にその名がクレジットされている。しかし、なぜECMからの発行?

  そのサウンドがこのアルバムで大きく変わっているということは無い。いつものように、民族音楽風の打楽器、厚いシンセパッド、電気的に歪めたトランペットという演奏。これらが、視界の効かない熱帯の密林の中を進むがごとく、かすかな緊張感とけだるさを漂わせて奏でられる。ところが、その催眠的な雰囲気とは裏腹に、よく聴くとハッセルは激しく動くラインを吹いている。琴線に触れるものでは無いが、聴く者を煙で巻き込んでしまうようなメロディとなっている。全体として、情動よりも精神の奥底に響いてくる。

  このアルバムは、シンセも打楽器もほんの少しだけ厚くなっており、音数が多く感じられるのが特徴だろう。そのため、集中して聴いても楽しめる内容となっている。
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「学習欲」が持ち出されるものの、その強さにも生まれつきの差があるとしたら?

2012-11-26 11:44:07 | 読書ノート
安藤寿康『遺伝子の不都合な真実:すべての能力は遺伝である』ちくま新書, 筑摩書房, 2012.

  挑発的な副題がついているが、著者は「遺伝も環境もともに能力に影響する」という立場の人である。その上で、遺伝を軽視していはいけないこと、環境の影響の仕方は複雑で環境重視派が考えるほど容易にコントロールできるものではないこと、この二つを強調している。内容は前著『遺伝マインド』(参考)とかなりかぶる。この新書版は、それをより一般向けに噛み砕いた説明・表現にしたものという位置なんだろう。

  けれども、社会的不平等と遺伝的能力差について考察した第5・6章は『遺伝マインド』より進んだ内容になっている。ただし、まだ模索途中という印象も残る。その中でロールズが持ち出されて、生まれつきの能力差がもたらす格差も社会的に是正されるべきだと説かれる。それでは、努力する意欲や我慢強さも生まれつきだとしたらどうなんだろうか。性格の50%は遺伝するということだから、上の我慢や努力が生得的である可能性は高い。そうならば、遊びを控えてコツコツ資産を貯めてきた人は、老年に至るまで享楽的に生きていて貯金の無い人を助ける義務があるのだろうか。

  以下は評者の考察。キムリッカがリベラリズムの説明の項で展開していた議論(参考)では、偶然(天賦の才や運)によって作られた格差と、本人の意志や生き方によって作られた格差を峻別していた。そして、前者のみを矯正すべき社会的不正だとしていたように記憶する。だが、後者も遺伝的影響の産物だとしたら、それも再分配政策の対象になってしまうだろう。このようにロールズの主張を徹底すると、「俺が犯罪者になってしまうのは遺伝の影響だ」式の議論につながるように思う。ピンカーなんかは、自由意志という近代法のフィクションを受入れるという形でこのパラドックスを納めるのだが、その場合は遺伝が関与するもののうち一部分の格差しか是正されないだろう。

  というわけで個人的にはいろいろ考えさせる内容だった。この種の本は、遺伝も影響するということが強調されて終わりがちなのだけど、本書はその先に進んだ議論を展開している。その議論はまだ整理されていないけれども、著者の今後の展開が楽しみになった。
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Facebook開始をめぐる逡巡

2012-11-23 09:12:19 | チラシの裏
  先日Facebook経由で写真付きのメールが送られてきた。写真には知人が映っていて、「Facebookを始めませんか?」的なコメントが添えられていた。昨日は別のグループから「やってみたら」と勧められた。うーむ、どうしようかな。

  SNSならば7年ほど昔にミクシィに加入していた。だが、リンクを貼ってくれていたただ一人の友人がいつの間にか退会してしまっていた。そのために、管理者によって僕のアカウントが強制的に削除されてしまったという経験がある(当時はそういう仕組みだった)。まあ、その時は全然書き込みをしていなかったし、惜しくも無かったけど。それでも自分の友人の少なさに一抹の寂しさを感じたが。

  で、Facebook。上のような経験もあるし、妻が始めて数日で飽きてしまったのを見ているし、執筆者を特定できる状態でこのブログを書いているしで、あまり必要を感じないというのが現時点での思い。始めるとしたら何を記録したものか。
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電子音とギターによる毒と美のある環境音楽

2012-11-21 11:53:43 | 音盤ノート
Eivind Aarset "Dream Logic" ECM, 2012.

  ミュージシャン名からジャズのコーナーに置かれるのだろうが、いわゆるアンビエント音楽である。アイヴィン・オールセットにとっては六枚目のリーダー作で、ECMからは初。前作(参考)は6人編成でのジャズロック的ライブ演奏だったが、このアルバムでは方向をがらりと変え、過去のエレクトロニカ系の音使いに近づいている。

  編成はJan BangなるDJとのデュオ。規則的にリズムを打つような打楽器音は入らず、細かい電子音とエフェクト処理された幽玄なギターがゆっくり絡み合うという内容。ギターが紡ぎたすメロディはモーダルで叙情を感じさせ、抽象的でない。電子音も過激ではなく、心地よくまとめられている。毒気を秘めた美があるとでも言おうか。一聴目では「地味」と思わせるが、よく聴き込むとその瞑想的な雰囲気が魅力的に感じられる作品である。

  個人的には、行き詰まりを見せていたジャズロック路線を修正してまた再びエレクトロニカに戻ってきたアルバムとして高く評価したい。"Light Extracts"(参考)ほど素晴らしいというわけにはいかないが、彼のキャリアの中ではかなり優れた作品に位置すると言える。
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濃密な内容というわけではないが、子どもを持つ前に読むのは悪くないかもしれない

2012-11-19 15:50:59 | 読書ノート
竹内薫『赤ちゃんはなぜ父親に似るのか:育児のサイエンス』NHK出版新書, NHK出版, 2012.

  サイエンスライター竹内薫による育児書。自身の妻の妊娠・出産の観察と、夫婦による育児の経験がベースになっており、科学的子育ての話以外にも、保育園や予防接種などの制度についての言及がある。夫婦どちらが読んでもよいように書かれている。

  残念ながらタイトルにある「父親似」の話は数あるトピックの一つで、しかも裏付けの不十分な説の域を出ない説明である。加えて、科学的アドバイスの部分は、「いろいろ意見があるけどまだよくわかってないので、どっちにしてもいいよ」式のものが多い。なので、あまり副題「育児のサイエンス」に期待しないほうがいいだろう。「子どもの月齢が低いときに母親が鬱病になると、子どものコミュニケーション能力に影響する」などの有益な知見が時折見られるものの、そういったものが満載というようにはなっていない。

  むしろ目につく話は、夫の側が妻をサポートすべしという主張。母側は、出産前後のホルモンバランスの変化と生活スタイルの激変で、情緒不安定になりやすいという。家庭内のストレスを和らげるためにも、夫が妻の状況をよく理解しておくべきだと、なんども強調されている。
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ガルバレクのキャリアの中で最も優れた演奏

2012-11-16 08:46:32 | 音盤ノート
Jan Garbarek, Egberto Gismonti, Charlie Haden "Magico : Carta De Amor" ECM, 2012.

  ジャズ。同じメンバーによるスタジオ録音二枚("Magico" / "Folk Songs")についてはすでに記したが、これは1981年にミュンヘンで録音された二枚組ライブ盤。スタジオ盤の筆頭はヘイデンだったが、このアルバムではガルバレクに代わっている。

  そのガルバレクが素晴らしい。それなりの量の彼のプレイを聴いてきたが、ここでの演奏はその中でも最もクリエイティブなものである。聴きものはDisc 2の‘Palhaco’。緩急を自在に操り、展開によっては遊び心も見せる。バラードでも速い曲でも、さらには実験的な曲でも印象的なソロを繰り出している。ギターとピアノを担当するジスモンチも、スタジオ盤での端正な演奏を踏襲しつつも、時折性急になったり、リラックスした表情を見せたりと、懐の深いところを見せる。ベースのヘイデンはしっかりと底をまとめているが、二人の出来が良すぎて影が薄くなってしまった。

  スタジオ盤に比べればライブ盤特有の粗っぽさは感じられるが、代わりにスリルのある演奏となっている。そして十分美しい。名盤確定のクオリティである。トリオの活動が終わった30年後にこの録音を発表するECMの商売センスはよくわからない。
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あくまでも発展途上国における貧困がテーマ

2012-11-14 08:16:15 | 読書ノート
アビジット・V・バナジー, エスター・デュフロ『貧乏人の経済学:もういちど貧困問題を根っこから考える』山形浩生訳, みすず書房, 2012.

  発展途上国の貧困問題がテーマ。実証的に解決方法を検討しようと姿勢がポイントで、効果的な援助というものを地域間の対照実験で裏づけようとする。

  その主張は、サックスvs.イースタリー論争(参考)の中間を行くもので、「貧困の解消を貧者の創意や自発性だけに任せてもうまくいかないし、さりとて外から多額の資金やインフラ投資を与えれば自動的に成長の軌道にのるというわけでもない。人々を貧しいままにさせている制度的要因をあぶりだして一つ一つ取り除いてゆきながら、細かく適切に援助を与えてゆくことが必要だ」とする立場である。

  ここで提案されているのは地道にこつこつやってゆくような解決法であり、最終的な貧困の解消には年月がかかりそうである。それが王道だということだろう。革命的な制度改革や、巨額の補助金ですぐさま貧困が解消されるなんてことはないのだ。

  残念ながら、対象は途上国に限られ、先進国における貧困は検討されていない。それでも教育に関する箇所は示唆するところがある。途上国の初等教育は、将来成功しそうな知的に優れた学童に資源が向けられることが多く、その授業についていけない学童は学校嫌いになって不登校になりがちであるという。どこかの国で同じような批判から「ゆとり教育」が導入されて、そして撤回されたなと思いだした。
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学生を学園祭に動員するための仕掛けと問題点

2012-11-12 23:17:58 | チラシの裏
  僕の勤務する短大で、11月10・11日と毎年恒例の学園祭があった。小規模な学校ながら学園祭が賑やかに見えるのは、学生や教職員の参加を確保するための仕掛けがあるからである。

  学生はクラス単位で出店が強制されており(そう、クラス制を採っているのである)、参加しなければクラスメートから総スカンを食らう。そのため、最低一日は学園祭に来て店番をしなければならない。土日だからこれ幸いと寝ているわけにはいかないのである。それでも、クラスメートの冷たい視線を気にせずにまったく姿を見せない剛の者もいる。授業ではないので単位上のペナルティが無く、ならば休んでしまおうと考えるのは合理的だと言えなくもない。それに、クラス制といってもクラス単位の授業は多くない。

  教職員は学園祭が催される二日とも勤務日で、参加が義務付けられている。僕がこの短大に来た一年目はそのことを知らなくて、一日目を休んだ。二日目は、お客様気分で学園祭を訪れて、年配の教員が後片付けを手伝う中、「人のいい先生もいるもんだな」と思いながら優雅に帰宅した。後になって事務員から学園祭が勤務日であることを知らされ、片付けも仕事であるということを理解した。欠勤の分は有給休暇にしてもらった。このように、わが短大の学園祭は、キャンパスを学生が借りて行う自主的な催しではなく、教職員も巻き込む学校経営上の重要な行事なのである。

  以上のようなわけで、学園祭当日は狭いキャンパスの中に人がごった返しており、賑やかに見える。しかしながら大きな問題もある。訪れてみると、クラスの催し物は飲食店に限られており、サークルやゼミなどの出し物や展示が少ないことに気づくはずである。クラスによる飲食店には金銭的なインセンティヴがあるため、学生のエネルギーの多くがそちらに注がれてしまう。一方、サークルやゼミの出し物は基本無収入であり、会員の熱意だけに頼っている。彼らは同時にクラスにも協力しなければならないので、サークルやゼミのために十分な時間を割くことができない。結果として、ただ食べるだけの、見るものに乏しい学園祭になってしまっているのである。

  こうした現状を打破するには、ゼミやサークルに補助金をもっと与えるか、そのメンバーのクラス参加を免除するかして、クラスに対するインセンティヴを下げるようにしなければならないだろう。あるいは一年生のクラスに何か飲食店以外による出展を義務付け、飲食店を半減させるというのもありだと思う。見世物・催し物の数が不十分ならば来場者の数が減り、結局飲食店の売上も減ってしまう。実際、ちゃんと数えたわけではないが、今年は来場者数がずいぶん減ったように思う。対策を練るべき時期である。

  
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カッチェ作の楽曲とモルヴェル節のせめぎ合い

2012-11-09 09:27:19 | 音盤ノート
Manu Katche "Manu Katche" ECM, 2012.

  ジャズ。アフリカ系フランス人ドラマーのECM四作目。Tore Brunborg (Saxs)だけ前作(参考)と引き続くメンバーだが、他は刷新されてNils Petter Molvaer (Trumpet / Loops)と Jim Watson (Piano / Organ)というカルテット編成となっている。モルヴェルにとっては12年ぶりぐらいのECM録音となるはず。

  今作も哀愁感ただようカッチェの自作曲をアルバム一枚聴かせるという趣向。だが、新メンバー二人によってこれまでとは違う印象を与えるものとなっている。ストレートに楽曲の魅力を伝える演奏ではなくなり、オルガンやエフェクトをかけたトランペットによる空間系の音響処理が耳につくようになった。曲によっては完全にモルヴェルの曲のように聴こえてしまい、誰のアルバムだかわからなくなる。これはリーダーの狙いどおりなのか。前作のようなオーソドックスな演奏とは異なる、クセのある作品になったことは確かである。

  個人的にはモルヴェルのソロをあまり評価してこなかったし、エレクトロニカ系のサウンドを伴わずにそれが魅力を発揮するとも考えてこなかった。しかし、サイドマン参加のこのアルバムで、あらためてその強烈な個性を思い知らされた次第。
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