29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

SPレコードを聴いているかのような不明瞭かつ不安定な電子音楽

2013-05-31 13:05:12 | 音盤ノート
Boards of Canada "Twoism" Music70, 1995.
Boards of Canada "Hi Scores" Skam, 1996.

  エレクトロニカ。名称に「カナダ」とあるが、スコットランドの二人組ユニットで、キャリアは1980年代からとけっこう長い。世界的に(といってもニカファン限定だが)知られるようになったのは、Warpレーベルから1998年に発表されたアルバム"Music Has the Right to Children"からだろう。ここで紹介するのはその直前に発表されたEP二枚で、どちらも30分強の収録時間のもの。Daft Punkのようなヘルメット二人組ジャケットを持つ"Twoism"の方は2002年にWarpから再発されている。

  アンビエント的な薄いシンセ音に、ヒップホップの影響を感じさせるゆったりとしたリズムトラックを重ねるというスタイルで、メロディライン重視の、基本リスニング用の電子音楽である。シンセ音は特に特筆するところのない、プリセットの音色──ストリングスオーケストラから、管楽器類またはエレピなど──を選択しているようなのだが、それをわざわざ曇った音にエフェクト処理したり、ピッチを不安定にしたりして、曲に暖かみや不穏さを加えているのが大きな特徴である。ゆるいリズムと、歪んで響く音色の取り合わせは、聞き手に古いレコードを聴いているようなノスタルジックな印象を抱かせる。

  とりわけこの二枚のEPは、以前取り上げた"Geogaddi"(参考)ほど凝っておらず、アレンジが単純でメロディも親しみやすい。彼らのどの作品よりもわかりやすいものとなっている。ところで、アルバム"The Campfire Headphase"(Warp, 2005)とEP"Trans Canada Highway"(Warp, 2006)以降、7年間音沙汰なしだったが、来週久々に新アルバムが発表されるらしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

所有権概念とそれを守るためのコストの発展史

2013-05-29 14:00:46 | 読書ノート
ダグラス・C. ノース『経済史の構造と変化』大野一訳, 日経BP, 2012.

 世界史を「制度」の視点から分析するという内容。特に制度として「所有権」に関連する制度──所有権の概念的な発展だけでなく、法的に確固とした保護の確立、保護のためのシステム(国家および官僚制)とそのコスト、所有される財の計測という問題の解決(度量衡)──などに焦点を当てている。原著は1981年発行、著者は1993年にノーベル経済学賞を受賞している。

  全体の1/3の分量は理論編で、それまでの新古典派の経済発展観に対して批判が加えられる。残りの2/3が歴史編で、そこでは二段階の経済革命説が唱えられる。一つは狩猟採取段階から農業段階への移行である。このときから「所有」概念が誕生し、以降領土内の財産を保護するために国家が発展してゆく。しかし、財を計測する方法が未発達だったり、国家が領民・国民の財産を過剰に徴収しすぎたりして、所有権概念が安定しない状態のまま中世末に至る。この間の、古代から近世に至る国家形態についてはちゃんと考察が加えられており、例えば近世以降イギリスが発展してフランス、スペインは不十分なままに留まった理由はなぜかが、国家の国民の財産に対する侵害の度合いの差から述べられている。

  もう一つの経済革命とされているのは、西洋の中世末以降に始まる科学的知識の増大とその産業への応用である。この視点からは、産業革命はその結果にすぎないとされる。第二次経済革命以降、すなわち知的所有権などが整備されて所有権概念が確固たるものとなった時代以降、爆発的にものが生み出される新しい経済段階に入ったとのことである。

  個人的には、本書に特別な面白さは感じなかった。30年以上前の作品ということもあり、マルクス主義への言及があって冗長さも感じられる。また歴史叙述も図式的である。著者の業績が普及し、こうした見方がすでに当たり前の時代になったということなのかもしれない。まあ、それなりの洞察と知見が得られる歴史的名著というところだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名刺を配るために学会に行く

2013-05-27 12:30:56 | チラシの裏
  先週土曜日に筑波大学で開催された日本図書館情報学会研究集会に行ってきた。ただ座って聴いているだけの、完全お客様としての学会参加。こんなことは久しくなかったことなので感慨深い。あと、勤め先が変わりましたと知人に名刺を配ってくるという個人的なビジネスがあっただけ。緊張感ゼロである。前任校では入試やオープンキャンパス等、土曜にしょっちゅう行事が入ったため、発表者(およびその共同研究者)または司会等の役割なしには学会に出席できなかった。そのため着任当初の2008-9年度はどの学会にも顔を出さなかったと記憶する。出張費用は潤沢だったんだけれどね。でも、2010年秋以降は、眠っていた共同研究がゴーレムのごとく突如動き出したので、かなり出席できた。

  で、当日の感想。僕は午後から参加して、学校図書館ネタを三つ聴いたあとは第一会場にいた。聴講したうちいくつかの発表は、それ自体で完結した研究というよりは、大きな研究の一部分という印象だった。それらは当日の発表だけで判断すると物足りない気もするのだけれど、全貌がつかめるとまた評価が変わるのだろうという強い予感もある。こういうのは、細かいところでいろいろ肯定できたり粗があったりすることは分かるのだが、調査や方法が全体の研究目的と合っているのかどうかわからないこともあって包括的なコメントがしにくい。質疑応答の際に、ちゃんと全体の研究プランを尋ねたほうがいいんだろうけど、でも答えが長くなりそうで司会に嫌がられそうだな。だから、分かっている人に任せよう、という気分にしばしば陥る。こういう心構えではあまり良くない気もするが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

せっかくの素材を十分料理しきれなかった失敗作

2013-05-24 13:53:15 | 音盤ノート
Enrico Rava "Rava on the Dance Floor" ECM, 2012.

  ジャズ。イタリア人トランぺッター、エンリコ・ラバが11人編成のビッグ・バンドを従えてマイケル・ジャクソンの曲をカバーするという企画もの。ライブ録音で、時折激しくなる瞬間があるものの、全体としてはいつもラバの音を聴かせる。多少いかがわしさのある哀愁感と、ぎりぎりのところでスタイリッシュになりきれない脱力感を併せ持つ例のサウンドである。ただし、ロック調のビートである点で多くの人にとってわかりやすくなっている。

  けれども、せっかくの企画物なのに地味である。選曲が偏り過ぎている、というかアルバム間のバランスを取りすぎているせいだろう。全9トラック中、『スリラー』からは‘Thriller’一曲だけ。‘Billie Jean’も‘Beat It’も演ってくれない。『Bad』からは‘I Just Can't Stop Loving You’から‘Smooth Criminal’に続くメドレー1トラックだけ。あとは『Dangerous』以降のアルバムからである。マイケル・ジャクソンに対して特に関心が無くても『スリラー』や『Bad』の曲は同時代に生きていたならば嫌でも耳に入ってきたものである。『Dangerous』以降になると世間でそういう扱われ方をされなくなり、新作を出したという情報があっても曲を無理やり聴かされる機会は無くなった。なので、このアルバムの大半の収録曲のオリジナルがわからない。これでは盛り上がらない。

  では、熱心なマイケル・ジャクソンファンならば楽しめるのかというとそうでもないと思われる。ビッグ・バンド編成のアレンジは平板で、特に際立ったところがない。リズムものんびりとしておりダンサブルという感じではない。いったい誰が喜ぶのかわからないクオリティである。発表後現在まで一年弱の時間が経とうとしているが、まったく話題にならないまま。思い切った軟派な企画ものなのに、ちっとも売れなかった(推定)という、ECMの黒歴史を刻む珍作だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビジネスに関する神話を暴いてまっとうな常識に戻す

2013-05-22 00:04:44 | 読書ノート
フリーク・ヴァーミューレン『ヤバい経営学:世界のビジネスで行われている不都合な真実』本木隆一郎, 山形佳史訳, 東洋経済新報, 2013.

  経営の常識や神話を経営学の成果をもとに検証するという内容。基本的につっこみが主で、タイプとしては『ヤバい経済学』(参考)より『反社会学講座』(参考)の方に近い。原著は"Business Exposed"(2010)、著者はオランダ人学者でロンドン・ビジネススクール准教授とのこと。

  トピックは次のようなものである。7~8割のM&Aは失敗するが、経営者の思い込みによって進められてしまいがち。経営者は他社のやっていることをまねしたがる。ストックオプションは経営者を冒険的にするため経営リスクを高める。リストラは、有能な人材の流失と残った人員の士気低下を招くので失敗する。TQMとかISO9000だとかはコストがかかるだけで大した効果は無く、場合によってはビジネス上の発見や革新の目を摘むこともある。給与格差が大きいと業績が悪くなる。などなど。

  データに基づいた話ばかりかと言えばそうではない。著者の直観にもとづく主張もある。例えば、成功にとって重要なのは会社が蓄積した暗黙知であり、他の会社に応用できるようなものではないとか、コンサルタントには気をつけろとか。これらに関しては正しいと思える。だが最後に出てくる、会社は株主のものではない、という話はどうだろうか。俗情にはアピールするかもしれないが、株式会社がこれほど栄え、他の所有形態が特に成功しているとは言えないことを考えると説明不十分だろう。

  確かに面白いけれども、目から鱗の連続というものでもない。どちらかと言うと、これまでマスメディアで賞賛されてきた「先進的」なビジネス手法の胡散臭さを暴き、かわって常識的で穏当な経営論を称揚するという内容である。メディアに取り上げられる成功譚と実証的な経営学の乖離の方を強く感じる。「成功」の予測に学問は使えないということなんだろう。

  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前作よりややベース少なめギター多めのバランスによる演奏

2013-05-20 12:41:19 | 音盤ノート
Ralph Towner, Gary Peacock "A Closer View" ECM, 1998.

  ジャズ。"Oracle"(参考)の続編。アコギとベースのデュオという前作とまったく同じコンセプトなのに、タウナーとピーコックの表記順序を入れ替えるという微妙な変更がある。おそらくタウナー作の曲の比率が増えたからだろう。全12曲中、タウナー作7曲、ピーコック作1曲、共作4曲の全12曲という構成となっている。共作である一曲目は温かみがあってかなり良い。その後は冷ややかな表情になるけれども。全体として、タウナーは活き活きとしているが、一方でピーコックがサポートに回ることやや多くなり、前作と比べればベースはがわずかながら控え目な印象である。しかしながら、前作よりこの作品のバランスの方が軽快で重みが少なく、聴きやすい気がする。まあ、大した違いはないと言えばそうなのだが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冒険的な試みながら、その結論には不満

2013-05-17 17:58:55 | 読書ノート
苫野一徳『どのような教育が「よい」教育か』講談社選書メチエ, 講談社, 2011.

  タイトル通りのモノグラフ。それによれば、現在の教育哲学は価値相対主義に陥り、公教育において何が「良い」ことなのかを判断できなくなっているという。規範なしには教えることができない。著者のこの問題意識には大いに共感させられるところである。こうした混迷に対して、現象学やヘーゲル哲学を参照しながら万人に許容できる教育の「良さ」の理論を打ち立てるというのが本書の試み。

  しかしながら、その説得はうまくいっていないように思う。結論として、教育は社会の参加者の「自由の相互承認」を実質化するよう行われるべきだということが主張される。だが、その答えはかなり抽象的なレベルにとどまったままで、公教育の具体的な方向性を得るには至らない。というか、教育哲学が価値相対主義に陥るのは「自由が相互承認された状態」についての意見の一致をみないからであり、そこをクリアできないと前進とはいえないだろう。

  以上のような不満はあるものの、著者の今後の理論構築次第というところだろうか。手堅い学説史研究とは異なる、一から理論構築を目指した大胆で冒険的な試みであり、そこは評価したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アコギとベースのヴィルトゥオーソ二人による静かな顔合わせ

2013-05-15 15:37:34 | 音盤ノート
Gary Peacock, Ralph Towner "Oracle" ECM, 1994.

  ジャズ。アコースティックギターとウッドベースのデュオ作品。曲はすべてオリジナルで、ピーコック作6曲、タウナー作2曲、共作1曲の全9曲。ピーコックの書く曲はどんよりとした曇天のようで暗い(タウナー作は軽快であるけれども)。また、タウナーの硬質で冷たいギターは近づきやすい印象を与えない。琴線に触れる瞬間があるわけではもない。一言で言えば地味である。しかしながら、達人同士のテクニカルで緊張感のある演奏であり、静謐ながら集中して聴くことができる。近年のピーコックのベースは重いだけであまり歌ってくれないことがあるが、このアルバムではかなり動きのある演奏を聴かせ、切れのあるメロディも奏でている。どこか奇妙で素直でないメロディラインではあるけれども。良作ではあるが、同じデュオによる次の"A Closer View"(ECM, 1998)の方が聴きやすいかも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アベノミクス解説本、リフレ以外のトピックあり

2013-05-13 11:33:01 | 読書ノート
片岡剛士『アベノミクスのゆくえ:現在・過去・未来の視点から考える』光文社新書, 光文社, 2013.

  タイトル通り安倍首相の経済政策を論じる内容。ハードカバーに変えて項数を多くし、もっと詳しく説明してもよかったと思うのだが、時事的過ぎて賞味期限が短いと出版社側が踏んだのだろうか、340ページに及ぶ長尺の新書版として発行されている。前著(参考)と同様、すっきりとした論理と細か過ぎる図表という取り合わせで、新書にしてはややハードルが高いという印象である。

  最初の章でデフレほか現在の日本経済の問題点を挙げ、続く章で分析のための諸概念を簡単に説明、3章でそれらを使って過去の日本経済を分析する。そして、残りの130ページ以上にわたる4章で安倍政権の経済政策について検討するという構成。金融政策については、現在実施されている金融緩和に対して肯定的な評価を与えながらも、追加されるべき政策があることを加えている。財政政策については、建設中心の公共事業の経済効果は少ないとして、社会保険料の減免または給付金という形で支出すべきだという(安倍政権が再分配を軽視しているという批判もある)。この立場から、景気回復前の消費税増税は控えるべきだとしている。成長政策については、特定産業をターゲットとした政策は行うべきではないとし、政府は民間の自由な経済活動の条件整備にエネルギーを注ぐべきだとする。その条件となる貿易とインフラに関しては、著者はTPP交渉参加に肯定的であり、一方拙速な原発ゼロ推進に批判的である。

  以上の結論を読んでいきりたつ読者もいるだろうけど、リフレ派の議論に慣れた目から読むと実に「まっとう」な主張に見える。特に輸出産業の景況が生活を大きく左右する愛知県に生まれ育った僕にとっては、円安歓迎リフレ万歳という強い感覚がある(経済学部を除く文系アカデミズムの世界では安倍政権をののしることがインテリの証みたいになっているため、大っぴらにはできないが)。とはいえ、利害関心とは別に、本書の論理が正当だと言える知識が僕にあるわけではないことも告白しておこう。

  あと疑問も一つ。リフレ政策に対する反論に、政府がインフレ・ターゲティングやりますと言って金融緩和をしても、市場が期待通り反応してくれるかどうかは予測できない、それは投資家の心理学的問題だ、というものがあった(本書で言うところの日銀理論である)。すなわち市場の動きは政治的に操作できないので金融政策の成果は不確実であるというものである。この反論にはずっと説得力があると思っていたのだが、今回政権の狙い通り円安になってしまった。日銀理論はあっさり覆されてしまったと考えてよいのだろうか。よいんだろうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大真面目な顔の冗談であり、社会風刺の本

2013-05-10 21:08:03 | 読書ノート
ローレンス・J・ピーター, レイモンド・ハル『ピーターの法則:創造的無能のすすめ』渡辺伸也訳, ダイヤモンド社, 2003.

  耳慣れない「階層社会学」なる語を本文中で連呼しているが、マネジメントの本と言ったほうがわかりやすい。有能な人材でも、出世によって組織の階梯を登ってゆくことでいつかは有能さを発揮できない段階に達する。このため、組織のポストは無能によって埋められるようになると説く内容である。原著は1969年で、邦訳初版は1970年。この訳は最初の訳とは訳者の異なる新訳である。

  法則の前提として、管理職の仕事は管理される側の業務と異なるということがある。ある人が現場で有能であっても、その上のポストでこなさなければならない業務には向かないかもしれない。まれに昇進した先の新しいポストで有能さを見せるということがあれば、その人はまたさらに出世する。こうして各々が、無能でしかなくなる段階に到達する。そして仕事をやっているのは、まだ無能の段階まで昇進していない人々である、と。書籍では、関連する事例をふんだんに採りあげている。

  ユーモアのある真面目な本というのではなく、大真面目な顔の冗談のように読める。前半では能力ではなく上司からの引きを得て出世をめざせと述べつつ、最後の章ではちょっとしたことで敢えて職場からの信頼を失い昇進の声がかからないようにせよと矛盾したことを説いている。また、もし昇進して自分の無能さに直面したら、重要な仕事から目を逸らして自分の有能さが感じられる業務──えてして組織にとってどうでもいいような業務──に労力を集中せよと説く。こうした適当さからは、著者の目的が風刺であることをうかがわせる。そういうわけで、軽く読める。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする