29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

経済学以前というか単なる思い付き雑文集

2016-04-29 22:44:35 | 読書ノート
スティーブン・D.レヴィット, スティーブン・J.ダブナー『ヤバすぎる経済学:常識の箱から抜け出す最強ロジック』望月衛訳, 東洋経済新報, 2016.

  『ヤバい経済学』(参考1 / 2)のコンビによる四作目。内容はブログ(freakonomics.com)の記事をトピック別にまとめたのもので、未検証のアイデアが細切れに並べられているだけである。ほとんどの話は思いつきの域を出ておらず、きちんとした学術論文からネタを集めた最初の二作ほどのインパクトはない。

  ごく一部だが研究論文をベースとした記事もある。例えば「見える手」という短い節。著者とは別人の研究だが、インターネットにiPod販売の広告を打ち、広告の写真にiPodを持つ手を1)白人の手、2)黒人の手、3)入れ墨が入っている白人の手、が写る三バージョンを用いて、売買価格の違いを比較するという試みである。で、2)と3)の成績は同じように悪いらしい。広告の完成度や住民の人種構成などの変数もこれに加えて検証し、結論として統計的差別があることを引き出したとのこと。でも、この記事くらいだな、知的に楽しめるのは。他の節ではダニエル・カーネマンやタイラー・コーエンといった著名な研究者が短くコメントしていたりして、賑やかではある。だが、素晴らしい知見が披露されているというわけでもない。

  昔のレコード産業のたとえを用いれば、オリジナルアルバムとは異なるシングルB面曲の編集盤といったところか。僕は三作目の『0ベース思考』(ダイヤモンド社, 2015)を未読なので、著者らの熱心なファンというわけではない。そういう人間にとっては、新たな発見があるわけでもない、あまり価値のない本だろう。まあ、著者本人たちもそれはわかっているようで、あくまでもファン向けの書籍である。
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製作した本人は気に入っていないという因果な代表作

2016-04-27 07:52:55 | 音盤ノート
Prince & The Revolution "Parade" Paisley Park, 1986.

  プリンス追悼その2。自身が監督した映画"Under the Cherry Moon"のサウンドトラック。映画は大コケ。このアルバムはそこそこヒットしたものの、これまでのセールス面での勢いに陰りが見え始めた「落ち目の始まり」の作品である。音の方もサイケデリック・ロックだった前作"Around the World in a Day"からかなり変化して、「細い(=音数の少ない)」ファンク音楽となっている。世間的には最高傑作の一つとされているけれども、作った本人は気に入っていないらしい。

  メロディやコードではなく、個々の楽器の音量バランスや残響処理などのミキシングやサウンドトリートメントの印象が強いアルバムで、全体として密室的な肌触りがある。前二作と比べてエレクトリックギターの比重は減少、数曲で管楽器隊が加わるが厚い音という感じはしない。頭に残るのは、音色と残響を極端に加工した人力・機械混合のリズム隊が作るグルーブ感である。ファルセットと隙間だらけの電子音の組み合わせ(コーラスとカッティングギターも少々)でできたtrack 10 'Kiss'はビルボードでNo.1にはなったシングル曲だが、実験的すぎてポップには聴こえない(でもファンキーさは感じられる)。「よくこんな曲を思いつくよな」かつ「こんな曲をシングルカットするよな」と感心すること請け合い。このほか、ギタポ好きの人間としては、アコギのアルペジオが聴ける速いテンポのtrack 6 'Life can be so nice’が好みだな。曲順の緩急や曲間のつなぎも練られており完成度の高い作品である。

  前後のキャリアを考えると、ロック的な音作りから離れて、黒人らしくファンクに取り組み始めたアルバムということになるだろう。この後、二枚組"Sign "O" the Times"(1987)を経て"Lovesexy"(1988)でそれは完成する。"Lovesexy"は、ジャケットの変態イメージとはかけ離れた力強い作品で、個人的には濃すぎてついていけなかったが、一応ここまでが全盛期ということになる。けれども、前衛的とはいえ黒人が黒人音楽をやっているという当たり前なところに落ち着いてしまったという感が無きにしもあらずで、彼がスターダムにのしあがった際の、いかにも白人がやりそう音を、ゲイイメージを漂わせた黒人の小男が作っているという異形性のインパクトが失われてしまった。セールスが落ちたのはそのせいだと思う。

  余談だが、売れなくなっても晩年まで毎年のようにアルバムを作っていて、死ぬ間際まで寝ずにレコーディングに励んでいたというニュースも聞いて、ああやっぱり天才ってこうなんだなと思った。「手塚治虫は徹夜してまで漫画を描くという不摂生な生活をずっと続けていて、それが早死にの原因になった」(といっても享年60歳)と、きちんと生活リズムを保って長生きした水木しげる(享年93歳)が漫画に描いていたのを見たことがある。でも、天才っていうのは才能が勝手に持ち主を突き動かしてしまうもので、生活をコントロールすることなどできないのだろう。天賦の才は持ち主の命を削るブラック企業みたいなものだ。
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懐古趣味には聞こえない1980年代の真正サイケデリック・ロック

2016-04-25 17:43:47 | 音盤ノート
Prince & The Revolution "Around the World in a Day" Paisley Park, 1985.

  今年4月21日に亡くなったプリンスの追悼で。若い人のために記しておくと、プリンスは1980年代のMTV全盛期を象徴するポップスターだったが、日本では同じくMTVスターのマドンナやマイケル・ジャクソンほど人気が無かったかもしれない。変態的なイメージも売りもの(かつ普及の妨げ)になっていて、"Lovesexy"(1988)のジャケットを持ってレジに行くには勇気がいったものだ。けれども、黒人音楽の概念の枠を広げた革新的音楽家として、その評価は非常に高かったし、今も高い。

  ファンクと言うにはベース音が薄めで、英国のニューウェーブのバンドのようにシンセを用い、音階付きの打込みドラムでグルーヴを作るというのが彼の基本的なスタイル。1980年に流行したドラムサウンドと言えば、「ドカッ」という、ゲイト・リバーブによる派手で強烈な打撃音だった。一方、プリンスの場合、リンドラムを使ったリムショット風連打のループや「パクッ」という音を多用するのが特徴で、とても奇矯かつ軟弱な印象だった。普通なら軽薄に聴こえるから使わないだろうって音をわざわざ選択してしつこく繰り返すので、最初はなんだか笑えたのだけれども、それに聴きなれてしまい自然になってしまう。実際、当時このドラムサウンドはよく模倣された。

  本作はそのドラムサウンドの上物として60年代風サイケデリックロックをのせるという試みである。直接の参照先は、1980年代前半のロサンジェルスにおけるポストパンク・ムーブメント「ペイズリー・アンダーグラウンド」── The Three O'ClockやThe Banglesなどを輩出したフォークロック・リバイバル──で、レコードレーベル名や曲名で'Paisley'が連呼されているところからそれが分かる。しかし、一応1960年代なメロディの味付けがあるけれども、シンセサイザーと特徴的なドラムサウンドのおかげで、1960年代との連続性はあまり感じない。1980年代に数多存在したサイケデリックロック懐古の白人ロックグループとは全然異なる、当時最先端のプリンスらしい音になっている。

  個人的には熱心なファンではなかったが、洋楽聞き始めの小学生の頃に耳にしたミュージシャンとして印象深い。一応"Graffiti Bridge"(1991)あたりまでは聴いたが、彼を聴いたことのない人に薦められるのは全盛期のアルバム"Purple Rain"(1984)、本作、"Parade"(1986)の三作である。"Purple Rain"は入門編として代表曲の数々を、"Parade"はスカスカのようでありながら音密度の濃い密室的なスタジオワークを楽しめる。著作権管理が厳しようでYoutubeでオリジナル音源を聞けないようだが、人類の遺産として音源を買って聴いても損はしないと思う。
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受験の勝者は卒業後もうまくやっている。だが、もっとうまくやれ、とも

2016-04-22 12:23:00 | 読書ノート
濱中淳子『「超」進学校 開成・灘の卒業生:その教育は仕事に活きるか』ちくま新書, 筑摩書房, 2016.

  教育社会学。進学校として有名な開成・灘の1973年から2000年までの卒業生1072人のアンケートの回答から、中高時代に受けた教育とその後の職業生活との関係を解きほぐすという内容。進学校を出て東大や医学部に入ったとして、その後どういう人生を歩むのか。特に職業生活で成功できているのか。こうした興味深い疑問に答えてくれる内容であり、とても面白い。著者は『検証・学歴の効用』の人で、オビにカラーのスナップ写真がついている。

  読めば進学校の卒業生らは社会に出た後も成功者となっていることがわかる。大卒平均と比べて学者や医者になっている者が多く、サラリーマンの場合でも大企業で働いているか、また中小企業の役職者になっている。平均年収も1000万円を超える。こうした事実を提示した後、彼らは職場でリーダーシップを発揮できているか、またどういうどのようなタイプの卒業生が能力を発揮できているかについて探っている。著者の結論は、おおむねリーダーシップ発揮できているけれどもうちょいその能力を活かせるはず(日本社会が彼らに対して不寛容なのではないか、と)、医者や大企業などの慣習に縛られることの多い職業に就いた者は能力を発揮できてない(と自身が感じている)、また在学時代に塾通いをしたなど追い立てられるように勉強した者も能力発揮感が低い、というものである。

 「受験の勝者が必ずしも社会の勝者とは限らない」と世間では言われるが、単なるやっかみであって、やはり受験勝者の社会における勝率は高い。人間関係も上手くこなしているようだし、われわれ凡人よりずっといい人生を送っている様子。ただ、彼らが成功しているのは中高時代の教育のおかげだとは思わないな。様々な場面で何でも上手くこなせるのは、そもそもの認知能力が高いからだろう。別の学校に行っても彼らはうまくやったはず、コネ作り以外は。娘を持つ親として、著者には女子のケースの調査を次にお願いしたい。
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ズレた時代に高速早口ボサノバを誕生させ、経ること1990年代に再評価

2016-04-20 11:47:34 | 音盤ノート
Joyce "Feminina" EMI/Odeon, 1980.

  ボサノバ。ジョイスは1948年ブラジル出身のシンガーソングライター。その初期はあまり活動が安定していなくて、1968年にデビューして1972年頃まで活動した後、1977年の"Passarinho Urbano"まで次のアルバムがない。この間、結婚→出産→育児→離婚→再婚と私生活でいろいろあったようである。本作は復帰二作目で、その後はコンスタントにアルバムを発表し続けている。才能ある女性を家庭にとどめておくことなどできない。働いてもらおうよ。

  アコギ、ベース、ドラム、フルートという小編成(ただしエレピやソプラノサックスが入る曲もある)ながら、冒頭のアルバムタイトル曲を筆頭に'Banana', 'Aldeia de Ogum'など、力強くて音密度の濃い高速早口ボサノバ曲が印象に残る。1990年代に英国で本作が再評価された際には、踊れるということでこれらの曲が注目されていた。だが全体としては、彼女の前後のアルバムに共通するような穏やかな曲が多くて、上記のような曲はキャリアの上では例外だろう。収録曲のうちMilton Nascimentoに提供した'Misterios'や、Elis Reginaが歌った'Essa Mulher'はどちらもスローバラードで、これらもまた彼女の代表曲である。通して聴いても1980年代の音という印象が全然無く、ブラジルで売れたのかどうかはわからないが、突然変異的な新型ボサノバの誕生だったのではないだろうか。

  次作の"Agua e Luz"(EMI/Odeon, 1981)も出来が良くて、本作よりも統一感がある。1980年代前半頃は、カバージャケ写真ではすっぴんの顔をさらして自作曲中心に演奏するという路線だった。しかし、その後は企画ものか大人しすぎるアダルトコンテンポラリー・ボサノバになって、ジャケットでもおめかしをするようになる(ただし一定のクオリティを保っており酷いというほどではない。音の話)。1999年の"Hard Bossa"(Far Out)でやっと本作の路線に戻ってくるのだが、微妙に声が太く力強くなった一方で柔和さが失われてしまった。好みがわかれるところだろう。
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GDPの実際と限界を知った上でそれを使うべきとのこと

2016-04-18 11:32:39 | 読書ノート
ダイアン・コイル『GDP:<小さくて大きな数字>の歴史』高橋璃子訳, みすず書房, 2015.

  マクロ経済学。経済状態の指標としてよく参照されるGDPの成り立ちと問題点について記した小著である。著者は英国のエコノミストで、数年前に『ソウルフルな経済学』を読んだことがある。ギリシアにおける統計のごまかしから始まり、まずこの数値をどの程度を信用していいのかと疑問を投げかける。

  本書によれば、国内の経済状況を国家が把握しようとする動きは経済学誕生以前からあったのだが、具体的に計算されるようになったのは20世紀半ばで、特に大恐慌期だったという。その際、政府支出を消費に含めることに関して「GNPが政府が操作できる数字となってしまうのは問題だ」という批判があったとのこと。カテゴリの問題は現在でもあって、コンピュータ・ソフトウェアを投資とするのか中間投資財とするのかで値が変わってくるという。細かい計測法の問題は、結局なにを測っているのかという哲学的な問題にゆきつく。関連してサービス業(特に金融業)はいったいどのような価値を生み出しているのか、家事労働を計上しなくていいのかなど、GDPにまつわるさまざまな批判が紹介されている。

  で、GDPを信用していいのか。代わりとなる指標についても検討されているが、それぞれメリットとデメリットがある。最終的には、GDPを万能ではないとしつつ、捨ててしまうほどではない、国民生活を測る他の指標と併用しながら使うべきだと結論している。
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歌唱力がウリだが、それを見せつけない曲がよい

2016-04-15 11:15:58 | 音盤ノート
Djavan "Djavan" EMI/Odeon, 1978.

  MPB。1949年ブラジル出身の黒人シンガーソングライター。デビューは1976年で、日本盤のタイトルは『ジャヴァン登場』となっているけれども、れっきとした二作目である。歌における高域での伸びやかさが特徴だろう。

  Milton Nascimentoフォロワーということになるが、ナシメントほど聖なる雰囲気はなくて、もっとずっとひとなつっこい声である。スローバラードにおいては気持ちよく抜けていく高音が聴ける。ボサノバ曲も数曲収録されていて、やはり大げさに歌いあげる。だが、このアルバムで出色なのは'Serrado','Nereci'といったダンサブルな曲。それぞれ高低の動きを抑え目にしてリズミックに歌唱する、都会的で洗練されたファンクとなっている。個人的には「歌の巧さ」を見せつける曲よりも、この二曲におけるMPBと米国的なR&Bのブレンド具合がツボだった。

  この後ブラジルで二枚のアルバムを録音した後、1982年にCBSと契約して米国進出し、完全に1980年代の米国AORの音になってしまう。その米国でのデビューシングルが'Samurai'。プロモーションビデオでは変な化粧をした大和撫子が出てきて、寂れた東屋で空手家と剣道家が戦う。Vaporsの'Turning Japanese'ほどではないが、こういった日本観には複雑な気分になるな。
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米国憲法論からみた「文化戦争」。詳細な議論で難解

2016-04-13 15:10:40 | 読書ノート
志田陽子『文化戦争と憲法理論:アイデンティティの相剋と模索』法律文化社, 2006

  米国憲法論。1980年代後半から90年代にかけて、米国では多文化主義的な教育、人工妊娠中絶、同性愛などをめぐって保守vs.リベラルの間で国論が二分された。複数の領域にわたるこうした論争を「文化戦争」として概念化したのが宗教学者James D. Hunter Culture Wars: The Struggle to Define America (Basic Books, 1991)である(が未邦訳)。本書は、これに関する憲法上の論争を採りあげてその論理を検証するという内容であり、専門書である。

  憲法論としてはリベラル派の議論に沿ったものになっているが、20世紀末の米国憲法が特定の価値観の押しつけを支持するわけがないので当然だろう。保守派の連邦最高裁判事の(今年亡くなったスカリア判事がよく採りあげられている)の主張も、「一見差別的に見える民主的判断についても、最高裁の価値判断の押し付けとなるので違憲とするのは反対だ」という論理で出来ている。そうした考え方では不合理な差別を法的に許容してしまうというので様々な反対論が展開されるのだが、どのような議論の立て方がもっとも説得力があるのか、というのを本書は扱う。例えば、弱者アイデンティティを付与することでマイノリティを救済しようという方向性があるが、その弱者アイデンティティこそがスティグマとなって多数派との差異を再生産してしまうという批判がある。この種の細かい議論について丁寧に各論者の異同を検証している。

  タイトルで「文化戦争」をうたっているが、この概念に含まれる広範なトピックを扱っているかというとそうではなく、同性愛者に差別的な州法の合憲性をめぐる連邦最高裁判決がまきおこした議論が基本的にベースとなっている。なので、さまざまな領域での文化戦争の米国の裁判を追うものではなく、文化戦争全般にわたって適用できる憲法解釈を整理したものだと考えたほうがいいだろう。率直に言って、前半で展開される同じリベラル派内の議論は微細すぎて意義のある違いがあるのかどうか疑問に感じた。が、僕が素人だからよく理解できいないだけかもしれない。後半の、刑法やヘイトスピーチをめぐる議論については、前半より多少具体的になっており参考になる。

  
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気色悪いけれども頭から離れない独特のメロディー

2016-04-11 08:07:28 | 音盤ノート
Edu Lobo "Missa Breve" EMI/Odeon, 1973.

  MPB。エドゥ・ロボは1943年生まれのリオ出身ボサノバ系シンガーソングライター。今月初頭に1971年以来の来日を果たしていたらしいが未見である。クールな雰囲気のイケメンだが、暗い、寂しい、少々キモいというのが特徴。彼についての記事を読むと、「ブラジル北東部の音楽的要素を取り入れた~」という記述をたびたび見かけるが、彼の曲のどういう要素がそれに当たるのか僕にはわからない。すわりの悪いメロディラインがそれなのだろうか。

  本作は2年間の米国滞在から帰国しての録音である。管楽器やコーラスが厚めの編曲重視の作品であり、アコギ中心で寂しげな雰囲気を湛えた代表作"Cantiga De Longe"(Elenco, 1970)から入った人間にはかなり賑やかに聴こえる。とはいえ、不協和かつ不安定なメロディーラインが彼の個性なので、本作も賑やかながら楽しくはならない。例えば、Joyceが後にカバーしたtrack 2のシングル曲'Viola Fora De Moda'は、サビで力強く盛りあげながらも最終的には解放感をもたらさない方向に流れる。期待した方向から斜めにそれるメロディーラインである。このほか、聖歌風でありながらオカルトも感じさせるという微妙なメロディーが満載で、たぶん彼のアルバムの中でもっとも気持ち悪い作品だろう(特にQuarteto em Cyがコーラスに入る曲がそう)。しかしながら強烈に印象に残る。Track 9 'Oremus'ではゲストでMilton Nascimentoがスキャットを聴かせるが、この曲だけは素直に美しい。

  なお同アルバムにはタイトルが二種類あり、ジャケットに"Missa Breve"と印刷された盤と、"Edu Lobo"とだけ印刷された盤の二つがある模様。リイシューされたCDのタイトルも同様で、BOMBAから発行されている日本盤のタイトルは後者と同じ"Edu Lobo"となっている。
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文化進化論の概念と研究事例を紹介。難しい部分はノータッチ

2016-04-08 09:10:15 | 読書ノート
アレックス・メスーディ『文化進化論:ダーウィン進化論は文化を説明できるか』野中香方子訳, NTT出版, 2016.

  進化論を「文化」に適用する学問領域についての概説書。本書収録の解説によれば、文化進化論は1980年代前半に誕生していたが、複雑な数学を用いるために文系研究者が参入せず、しばらく停滞していたという。しかし、1980年代後半以降影響を持った進化心理学における文化観──文化は遺伝が許容する行動の閾値の枠内に留まる、というような──に対する反省から、今世紀になって研究が盛んになってきたとのことだ。文化進化論は、遺伝と文化の関係については「二重継承理論」という立場を採るのだそうだが、僕の方がよく分かっていない。本書は、一般向けというには概念定義が厳密でやや難の部類だが、数式を一切使わないようにしており、文系研究者にアピールしたい本であることがわかる。なお、肝心の二重継承理論については扱っていない。

  本書は、社会科学分野の統合を目指すべく、人類学・経済学・心理学・歴史学などのそれぞれ独立した分野に対して、統一的な語彙での記述や新しい分析手法の導入を勧めるものである。例えば、生物学領域で使われている系統学的な分析手法を使って、 歴史的に婚資(婿側が新妻の親族に贈り物をする)と持参金(妻側が財産を用意する)のどっちが先に誕生したかが確定できる(ちなみに前者が先)。この他、写本の系譜、帝国の領土の変遷パターン、オーストロネシア語族およびインド・ヨーロッパ語族の誕生地、母系×父系および家畜×農業のどの組み合わせがもっとも安定的か、未開社会における知識や技術は親・親以外の大人・同世代のうち誰からもっともよく伝達されるのか、などの研究が紹介されている。

  一読すればこの領域が系譜や影響関係の確定に力を発揮するということがはっきりわかる。まだ十分な数の研究事例が蓄積されておらず、広大な未開拓地が残されているようなので、新規参入者には朗報だろう。ただし気になったのは、新しい分析手法の導入を勧めておきながらその詳しい説明がないこと。おそらく共分散構造分析を使っているのだと想像され、本書を読んで感動して「私も文化進化論をやろう」と志しても、かなり高度な統計学の知識を身に着ける必要がでてくるはずである。理系から文系分野に参入できるが、逆はナシという、よくある「学際」研究なのかもしれないな。


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