29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

日本社会は子育て罰の解消を目指すべきだ、と。

2021-07-28 21:27:44 | 読書ノート
末冨芳, 桜井啓太『子育て罰:「親子に冷たい日本」を変えるには』 (光文社新書), 光文社, 2021.

  日本は子育てがやり難く、子育ての負担が大きい社会であると多くの人が感じている。この状態を改善すべく、本書は子育て世帯への所得移転や育児支援を推奨している。著者の末冨芳(敬称略ですいません、末冨先生)は日大文理学部教育学科の教授(つまり僕の同僚)で、いろいろ政府の審議委員もやっており、テレビの報道番組などにも時折出演している。我が学科の看板教授である。もう一人の桜井啓太は立命館大学に所属する生活保護世帯の研究者で、2章と4章(末冨との対談)を担当している。この他の1,3,5章とはじめにとあとがきは末冨が執筆している。疑問の残る点もあるが、子育て世帯に政府が支援することの必要性については僕は大賛成である。とりいそぎ紹介だけ。
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マイブラ中毒者は隠しトラック二曲のために再購入すべし

2021-07-24 20:30:39 | 音盤ノート
My Bloody Valentine "Ep's 1988-1991 and rare tracks" Domino, 2021.

  マイブラがインディーズのDomino Recordsに移籍したとのこと。同時に、2011年に再発されたCreation時代のアルバム二枚と編集盤(参考)、2013年のアルバム"MBV"、これら四作品がストリーミング解禁され、CDも再再発された。僕はマイブラのファン歴33年という古参なので、すでに同じアルバムを複数のCDで所有している。にもかかわらずリマスタリングかオマケ付きか知らないけれども、2021年にもなって同じ作品をまた購入させられてしまった。完全にカモである。

  再発4作品のうち、このEpsにだけは過去未発表のトラックが二曲収録されている。どちらもトラックリストにクレジットされていない隠しトラックであり、CD2の最後に置かれている。二曲のうち一つは’Don’t Ask Why’のデモ版である。オリジナルはGlider EP収録だが、オリジナルでは後半に登場するディストーションギターとドラムが、このデモ版でははじめから伴奏として鳴らされている。二曲のうちもう一つも録音はデモレベルのクオリティであるものの、'Soft As Snow'風のリズムとピッチ・ベンディング芸全開のギターが聴けるグニャグニャの曲となっており、和音揺らし中毒者ならば必ずや満足できるはずだ。

  というわけで熱心なファンならば聴く価値はある。一方で、この隠しトラック以外は曲はストリーミングで聴けるので、初心者はわざわざCDを購入する必要は無い。二つの隠しトラックはあくまでも僕のような中毒者向けだ。しかし、Dominoに移籍したということは、2017年にアナウンスされた新作がいよいよということなんだろう。けれども、Islandに8年ぐらいいて、一枚の成果も発表せずにバックれた前科のあるバンドだけに、あまり期待しないようにしておこう。
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金が無い家庭でも日本での育児は欧米より不安が少ない、と

2021-07-20 07:00:00 | 読書ノート
谷本真由美『みにろま君とサバイバル:世界の子どもと教育の実態を日本人は何も知らない』集英社, 2021.

  海外育児事情レポ。著者は「めいろま」というニックネームでネット界隈で知られているらしく、すでにいくつか新書を出している。「イギリスで現地の男性と結婚して男の子を育てている」というプロフからは、ブレイディみかこ(参考1 / 2)とかぶる印象だ。しかし、読んでみると、保育士のブレイディは労働者階級寄りの視点を強く持っているのに対し、IT系コンサルらしい谷本のほうはどっちかと言えば中流寄り(正確に言うと、能力至上主義的である一方で文化的にはサブカル寄りというIT系にありがちな価値観)であることがわかる。

  海外出羽守が言うほど欧米は子育てしやすいわけではない、というのが基本的な主張。あちらでは、金とコネが無いと充実した教育を子どもに受けさせることはできない。学校間には大きな格差があって、しかも教師たちは学力の低い子どもにはとても冷たい。しつけもされていない。それだけでなく、治安が悪いために幼い子にずっと大人が付いていなくてはならないというストレスがある。一方で、英国の親はずっと個人主義的で大人の時間を大切にし、子どもの扱いは雑である。出羽守たちは海外エリート層としか付き合っていないから、あちらの庶民層の実態をわかっていないのだ、と。

  一方で、日本の場合、英米と比べて幼児の保育サービスは安価で、学童保育や習い事の価格も安い。学校間のサービスの格差は米英よりずっと小さく、また給食の質は高い。医療も受けやすい。子どもの安全についても大きな不安があるわけではない。しつけもしっかりやっている。また、コロナ禍においては、一般の日本人たちがマスク手洗いを実践できている。このような衛生観念は英国の下層階級が身に着けていないものだという。しかしながら、英国のエリート教育の質は高く(基本「戦争に勝つための体制」になっているからだという)、日本人には太刀打ちできないとも。

  最終的に、社会制度云々ではなく個人のサバイバルに落ち着くのが、個人主義的であり、かつ著者は中流的だと感じさせられるところ。個々のエピソードには目新しいところはあるものの、全体の主張が目新しいとは思わなかったな。まあ、これは僕がこの種の書籍を多く読んできたからもしれない。海外出羽守を信じて「日本の育児環境はダメ」だと思っている人には良書だろう。
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はじめに通貨供給ありきだというMMTの教科書

2021-07-16 07:00:00 | 読書ノート
L.ランダル・レイ『MMT現代貨幣理論入門』島倉原監訳, 鈴木正徳訳, 東洋経済新報社, 2019.

  経済学。注目されているらしいMMTの教科書である。著者は米国の経済学者。原著はModern money theory : a primer on macroeconomics for sovereign monetary systems (Palgrave Macmillan, 2012)で、邦訳は2015年の第二版を元にしている。邦訳では、冒頭に中野剛志が, 最後に松尾匡が解説を書いている。

  基本的な議論はこう。(特定の)通貨はなぜ人々に受けれ入れられるのか。それは、国家がその通貨による税の支払いを強制するからだ。お金は財の生産やサービスの供給に先立つ存在であり、国家は国民経済の始まりにおいてお金をまず民間に放出する必要がある。具体的には、中央銀行による民間銀行への貸出であり、また政府による財政支出となる。政府による最初のお金の供給が国民経済を決めるのであって、逆ではない。プライマリーバランスなんか気にする必要なく、不景気ならば気前よく財政支出すべき。緊縮財政は景気を好転させられないし、ゼロ金利政策に景気を刺激する効果はない、と。もちろん、上の議論にはいろいろ細かい条件が付いているけれども。

  上の主張はマクロ経済学の世界で特に新しい話ではないという批判があるようだが、たぶんそうなんだろう。しかし、特定の部分を抜き出して強調してみせたというわかりやすさはある。個人的には、中盤以降に出てくるリフレ政策への批判やユーロについての分析は興味深かった。ただし、財政規律なんか関係なく通貨供給しても問題ないという主張は直観的には受け入れ難い──短期的には問題ないとしても、長期的な影響についてはもっと検討がほしい。そういうわけで、全面的に賛同ってわけでもない。いずれにせよ、論争ある領域での基本書籍ということになろう。
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教育関係者の間で流行りになっている「非認知能力」について詳しい

2021-07-12 09:59:22 | 読書ノート
森口佑介『子どもの発達格差:将来を左右する要因は何か』(PHP新書), PHP研究所, 2021.

  発達心理学。ヘックマンの研究マシュマロ・テストによって、社会で成功するためには幼児期から「非認知能力」を身に着けることが重要だというのが今世紀の共通認識になった。この話は育児・教育関連領域で大ブームになっている。本書では、その「非認知能力」とはいったい何であり、どのように育成したらよいのかについて論じる新書である。著者は京大所属の発達心理学者である。

  社会的成功に関連する能力を焦点化するのに、「非認知能力」という括りでは広すぎ、一般に流布している「非認知能力=自制心」というのでは狭すぎる。著者は、それを「自分や他者と折り合いをつける力」であるとし、その中身は「実行機能」「向社会的行動」「他者理解」で構成されるとする。

  このうち「実行機能」とは自制心のことだと考えてよい。実行機能にもふたつあって、思考の制御と感情の制御は別系統だという。思考の制御は日常で無意識にやってしまう行動や習慣を反省する能力であり、他者の行動の理解にも関わるとのこと。感情の制御は将来の目標のため現在の欲望を抑える能力である。「向社会的行動」とは利他的行動すなわち親切のことである。親切心は社会生活を通じ学ぶものではなく、子どもは生まれつき親切らしい。しかし、かけられた愛情や見返りなどのフィードバックを通じて、成長するにつれて親切を施す相手を徐々に絞っていくとのこと(発達の悲しい事実!!)。「他者理解」とは、いわゆる「心の理論」と同じであるが、章を設けての解説がない。研究が少ないから詳述を避けたとのことであるが、遺伝的要因のほうが大きいので介入は難しく、本書の主旨と外れるということなのだろう。

  三つそれぞれが、というか実行機能と向社会的行動は、乳幼児期における養育者との愛着関係によって形成されるとのことである。信頼できる養育者とのコミュニケーションによって、実行機能と向社会的行動は高まる。しかし、接してくるのが信頼できる大人でなければ、子どもにとって親切よりも利己的になることが、我慢よりも欲望の即時充足が、生存にとって有利になる。こうした認識の上で、幼児のいる家庭への社会的支援や、幼稚園や保育園を通じた能力育成が唱えられている。

  以上。非認知能力についてさらに詳細に追及した内容であり有益だった。自制心を鍛えるにしても、特別なトレーニングを子どもに施すのではなく、関わる大人の側が信頼できる人間にならなければならないという。親としてそして教育者として、大きな反省を迫られる主張である。
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自己とは6つの性格特性と容姿と知能で構成されているという

2021-07-08 07:07:00 | 読書ノート
橘玲『スピリチュアルズ:「わたし」の謎』幻冬舎, 2021.

  パーソナリティ論。性格特性論でいうビッグファイヴと知能・容姿、それぞれが人格にどのような意味を持つのかについて論じる一般向け書籍。なおビッグファイヴのうち協調性を同調性と共感力の二つに分けているところは目新しい。さまざまなポピュラーサイエンス本や学術論文を参照しながら人間の認識や行動の傾向についての知見が紹介されて、最後は橘玲の読者にはおなじみのメッセージ──自分のパーソナリティを見極めて、それにマッチするニッチ市場を見つけて生業とせよ──が提示される。

  最初に「ビッグエイト」がパーソナリティを構成する要素だと述べているが、知能と容姿については超重要だと指摘されるだけで、それぞれは独立した章を持たない。章があるのは、外交的/内向的、楽観的/悲観的、同調性、共感力、堅実性、経験への開放性などの性格特性についてである。著者の指摘を列挙しよう。内向的な人は外からの刺激に過敏なために経験をコントロールしようとし、外交的な人は鈍感なために開放的になる。麻薬は鬱などの精神疾患に効く。同調性は社会的生物たる人間のデフォルトで、そうでない人は外れ値なので、正規分布するのが特徴の他の特性と一緒くたにしないほうがよい。「人の心を推察するのに長けているけれども共感力が低い」というタイプもいて、それは「サイコパス」と言われる。しかし、サイコパスはリーダーとして有能なこともあり、必ずしも悪い存在ではない。生まれつき低い自己コントロール力しか無い人間が、高い自己コントロール力を発揮して努力をし続けると、寿命が縮むことがある。双極性障害の罹患率は、アメリカより日本の方が低い。それは、日本人が歴史的に躁的な気質の人間を排除してきたからである。自尊心とは因果関係のうちの結果であって、無理やり高めようとしても意味はない、などなど。

  性格特性論を理解するのに本書だけで十分だとは思わないが、分析の枠組みのないまま自分のパーソナリティについて自省するよりはこれを読んだ方がマシだろう。ビッグファイヴの基本書としては、本書でも言及されているダニエル・ネトルの『パーソナリティを科学する』があり、理解を確実にするために併せて読んでおいた方がいい。あと、ビッグファイヴと知能という切り口ではジェフリー・ミラーの『消費資本主義!』というのがあり大胆な仮説で面白い。けれども、本書のほうがちょっとだけ堅実な議論になっている。
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共産主義というのは資本主義の前段階であるという

2021-07-04 07:00:00 | 読書ノート
ブランコ・ミラノヴィッチ『資本主義だけ残った:世界を制するシステムの未来』西川美樹訳, 梶谷懐解説, みすず書房, 2021.

  現状の資本主義体制についての考察の書。現在ある主流の経済体制を「リベラル能力資本主義」(米国)と「政治的資本主義」(中国)の二つに分け、それぞれの特徴と欠点、今後の動向について分析する。著者はセルビア出身米国在住の経済学者で、『不平等について』(みすず書房、2012年)と『大不平等』(みすず書房 , 2017)の二つの邦訳がある。原書は、Capitalism, alone: the future of the system that rules the world (Harvard University Press, 2019.)である。

  リベラル能力資本主義についてはこう。この体制における支配階級は、労働者として高収入を得ていると同時に、資本からの収入も多い。加えて、労働と資本を比較してみると、20世紀後半からは資本の重要性のほうが増している。支配層は同じ階級同士で結婚し、そのまた子どもも学歴を通じて同じ階層に所属する。彼らは政治にも影響力を行使し、資本優位の体制を維持する。このため、富が一部の人に集中して格差が開いてゆく傾向が強まっているという。ここまでは他でもよく聞く話だ。

  一方の政治的資本主義であるが、それは経済成長だけを目的とした法治なき資本主義体制であり、グローバル化によって浮上してきたという。この段階に至る前に「旧支配階級が強かったために近代化が遅れ・かつ植民地化の危機に立たされた国が、外国資本と旧支配階級をまとめて排除することができる政治体制」というのがあって、それこそが共産主義の役割であったと著者は強調する。マルクスが提示した順序を逆転して、後進国が資本主義国になる前の発展段階として共産主義を位置付けるのだ。

  政治的資本主義がグローバル化によって可能となったというのは、共産主義社会では富を保持することに意味がなかったからだ。共産主義社会では、エリート性を誇示するには金銭よりも組織における地位のほうが効果的で、利殖しようにも方法がなく、かつそもそも購入したい商品などなかった。けれども、グローバル化による世界経済へのアクセスは、エリート官僚が国内で不正に得た富を海外で蓄財することを可能にした。一方で、さらなる富を得るために、エリートが国内を経済発展させようとする動機も生んだという。

  リベラル能力資本主義と政治的資本主義が併存するグローバル化した世界は、富以外の価値基準はないものとされ、人間のあらゆる行動が値付けされ、格差が広がり、金持ちによって腐敗させられた世界であるという。では、この傾向から脱出する術はないのか。ないというのがその答えだ。富をめぐる競争から降りるには人間社会からの隠遁しかなく、競争から降りたまま人の間で暮らそうとしても、競争の勝者があなたが欲しいものを買い漁るのであなたは欲しいものを手に入れられなくなる。このように説明しておきながら、最終章で著者はリベラル能力資本主義を平等化することを考えているが…。

  以上。それでも資本主義という選択肢以外ありえないというわけである。とすると、競争に勝つほかないのだろうか。別の価値に基づいた生き方は許されない(というか人並みの幸せをもたらさない)。それこそが現代に生きる人の悲劇なのだろう。
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