29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

論文の抜刷りは誰に配るべきか

2012-09-28 13:04:23 | チラシの裏
  論文を学会誌や紀要に載せると、30部ぐらいの抜刷りがもらえる。絶対、この抜刷りはさばけない。いつも大量に余る。僕の過去の分も職場のキャビネットにしまったままである。みんなどうしているのだろうか。

  紀要論文の場合、出版直後に出会う同じ分野の知人だけに配る。その数三つぐらい。職場の同僚で異分野の研究者に対しては、同じ紀要を持っているので配らない。しかし、数ケ月後にはNII-ELSを通じて論文のPDF版が公開されるので、抜刷りはたちまち意味を失う。キャビネット行きである。

  学会誌の抜刷りの場合、職場の所属上長に配る。同分野の研究者には、同じ学会誌を購読しているはずなので配らない。そういうわけで学長と科長、図書館長、合わせて三部。「対外的な研究成果もあげてますよ」という証明として渡すだけである。中身は読まれないだろう。親しい同僚に配ることもあるが、せいぜい二部。あとはキャビネット行きである。

  同僚に聞いても同じようなものらしい。場所を取るので困るのだが、さりとて捨てるわけにもいかない。扱いに難儀するシロモノである。
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米国人、ブラジル人、ノルウェー人による無国籍ジャズ

2012-09-26 09:50:09 | 音盤ノート
Charlie Haden, Jan Garbarek, Egberto Gismonti "Folk Songs" ECM, 1981.

  民族音楽風味のある低温哀愁ジャズ。同メンバーによる前作"Magico"(参考)に続く二作目。大きな路線変更は無いものの、前作よりアルペジオが細かくて速度が感じられる。前作にはゆったりとなって暖かみが感じられる瞬間がけっこう見られたが、今作にはそういう場面が少なくなり、曲を聴いている間はずっと寒風に吹きさらされている印象である。

  ジスモンチはアコースティック8弦ギター(track 1,3,4)、ピアノ(track 2,5,6)と使い分けているが、やはりギター演奏の方がエキゾチックでインパクトがある。ピアノも速くて上手いのだが、ずば抜けたオリジナリティは感じない。とはいえ、全体のクオリティは高い。近年は緩くて情緒過剰なアルバムばかり作っているヘイデンだが、この頃は引き締まった緊張感のある作品をモノにしていた。今作は、彼のリーダー作としては"Liberation Music Orchestra"(Impulse! 1969)の次に素晴らしいと言える。

  ところで、同じメンツでの1981年の二枚組ライブ盤が近く発売されるとのこと。今さらとは思うが、でも聴いちゃうだろうな。
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アーカイブと図書館の疎遠さを痛感する

2012-09-24 19:17:13 | 読書ノート
松岡資明『アーカイブズが社会を変える:公文書管理法と情報革命』平凡社新書, 平凡社、2011.

  2011年からの施行される公文書管理法を受けて、日本国内のアーカイブの動向について伝えるジャーナリスティックな新書。主に公文書、すなわち国や地方などの行政機関内で作成された非刊行文書の保管状況を問題視しているが、大学の研究用資料、企業内で作られた文書、民間で所有されている文化的な価値のある文書──テレビ番組のシナリオなど──などの保存についても俎上に載せている。

  著者によれば、日本の公文書の保管状況はとても劣悪であるという。公文書管理法はそうした状況が改善される第一歩となるものだが、まだまだ問題が多いとしている。僕の専攻が図書館・情報学分野であることもあって、そうした話には特に驚きはしなかなかった。だが、面白い指摘もありそちらが興味深い。まず、大学が保存機関として機能していないという事実。研究者が苦労して集めた資料を、当人が退職すると大学は捨ててしまっている。大学にいるとそんなことは当然だと思ってしまっていたのだが、中には貴重な記録が含まれることがあるので、廃棄には慎重であるべきだという。また、公文書保存における図書館の関わりの薄さが透けて見えること。公共図書館は既刊行物の収集機関であるというイメージが強固にあるからかもしれない。公文書管理に前向きな図書館もいくつか挙げられているものの、そもそもの人材育成において公文書館とは違うという印象である。あと、公正に残す文書の評価選別も問題のようで、行政機関内で作られた文書の10%を残すとするだけでも大変なことのようだ。この評価選別するというのは、図書館分野でも苦手なことは同様である。

  以上のように、幅広い人々に興味を引く内容ではないかもしれないが、図書館関係者ならば目を通しておいていいかもしれない。
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生物学者としての知見が減って歴史ドキュメンタリーに

2012-09-21 11:31:24 | 映像ノート
DVD『銃・病原菌・鉄』日経ナショナルジオグラフィックック, 2007.

  ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を映像化した内容。同著は、南北問題の原因を究極的には地理的条件にさかのぼる内容だった。ユーラシア大陸は東西に延びているため、同緯度にある地域に農作物を伝えやすく、おかげで人口が増加し、文化も伝播してゆく。一方、アメリカやアフリカは南北に長く、赤道をまたいで植生が変わるため、農業や文化の面で他地域との交流が少なく、発展があまりない。そのためにヨーロッパは、全世界を征服できたのだ、と。タイトルにある銃・病原菌・鉄は、植民地時代の幕開け時点でヨーロッパ人側に有利にはたらいたアイテムを示している。

  このDVD三枚組はダイアモンドがナビゲーターとなり、パプアニューギニア、スペイン、南アフリカに取材するというもの。映像で見ると、彼の仮説はかなり大雑把なものに感じられる。書籍にあった、生物学者としての視点や、人類の移動や文化の伝播などについての細かい検証が後景に退いてしまったせいだろう。その分、歴史ドキュメンタリーとしての性格が濃くしているようで、ピサロによるインカ帝国の征服と、ボーア人によるグレート・トレックを再現したドラマ部分をクライマックスにした構成となっている。まあ、ドラマ部分はそれなりに楽しめるけど、このDVDはあくまでも同書籍への導入というレベルの内容である。読んだ人は見なくてもいい。
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真面目に演奏しているけれども、壮大な冗談であるかのようにも感じる

2012-09-19 08:33:16 | 音盤ノート
Marc Ribot "Y Los Cubanos Postizos" Atlantic, 1998.

  アフロ・キューバン・ジャズ。ただし、プレイヤーたち自身が“偽キューバ人たち(The Prosthetic Cubans)”と名乗っているように、米国人による演奏である。リーダーのマーク・リボーは、1980年代中期にThe Lounge Lizards(参考)に所属したギタリストで、ジョン・ゾーンとの関係も深く、正統派ジャズというよりはオルタナティヴ系の音楽家というイメージがある。

  収録曲10曲のうち、6曲は1940-50年代に活躍したキューバ音楽家Arsenio Rodriguez作、3曲は他のキューバ人作曲家(?)らしき人物作、1曲はオリジナルという構成。演奏は、能天気に打ち鳴らされる打楽器とチープ感漂うオルガンにのって、リボーが弾きまくるというもの。楽しげなバックバンドの演奏も、行き先不明でどんどん明後日の方向にずれてゆくリボーのギターソロが加わるとどこか珍妙なものに聴こえる。手抜きはないのだけれども、「これはギャグなんです」と言われているような感覚がある。

  時期的にはヴェンダースの映画"Buena Vista Social Club"(1997)のヒットに便乗した企画物のようである。第二作もあるらしい。
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ヨーロッパ戦史の短い歴史で、あくまで入門用

2012-09-17 18:35:27 | 読書ノート
マイケル・ハワード『ヨーロッパ史における戦争』奥村房夫, 奥村大作訳, 中公文庫, 中央公論, 2010.

  西洋の戦争史。個々の戦闘に関心を払わず、戦争とその遂行を可能にする経済や社会との関連に重心を置いた著述である。原著初版は1976年で、中世の騎士から第二次大戦までを扱っている。2009年版に加えられたエピローグでは、米国によるヴェトナム戦争や対テロ戦争についてもコメントされている。

  切り口はマクニールの『戦争の世界史』(参考)とほぼ同じ。その包括性と説明の詳細さにおいて、ハワードのこの本はほんの触りだけで終わっているという印象である。けれども、初めてこのような史観に接する者には面白いかもしれない。最初にハワード、次にマクニールという順で読むと満足の行く読書履歴を得られるだろう。
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高校訪問への愚痴・その二

2012-09-14 08:25:59 | チラシの裏
  我が短大には、教員による高校訪問(参考)すなわち営業活動が恒例である。僕の短大の日文科やと英文科では、一人の教員が静岡県内の高校を年間20校ほど訪問している。僕も今週4校まわってきた。都内の大学に勤務する知人の大学教員にこの話をしたら「地方の私立ではそんなこともするのか」と心底驚かれた。普通は広報担当者の業務であるそうだ。

  今週訪れた高校でも同様の反応を受けた。年配の女性教員が僕の相手をしてくれたのだが、「大学の先生も高校まわりのようなことをおやりになるんですね。大変ですねえ」と同情された。彼女は、憐みの視線を交えて僕の説明を聴き流し、「うちの学校からはおたくの短大に行く学生はほとんど居ませんよ。受験予定の学生も保育科志望です」と最後に告げた。そして名刺ももらうこともできずに帰らされた。それでも、話を聞いてくれるだけでもありがたいと思わなければならない。門前払いされたりすることもあるのだから。

  もう五年ぐらいこのようなドブ板営業を続けているが、その効果は不明だ。あんまり頻繁だと「ウチの学校の状態はヤバいんです」と宣伝して回ってるようなものである。しかし、学生獲得のために努力する学科の姿を経営陣に対して示さなければならないという内部事情のために、毎年昨年と同程度かそれ以上の数を訪問するということが繰り返されている。地方私大の学務にはこんなものもあるよ、という話である。
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経済学入門でありつつ、人文学的思考への批判もある

2012-09-12 17:43:26 | 読書ノート
若田部昌澄, 栗原裕一郎『本当の経済の話をしよう』ちくま新書, 筑摩書房, 2012.

  評論家の栗原が生徒、経済学者の若田部が先生という役どころで対談する、経済学の入門書。インセンティブ、トレード・オフ、比較優位、金融システムなどの概念と論理を説明しつつ、TPPやユーロ危機、原子力政策などについてコメントするという構成。説明はわかりやすく、適度に時事的で飽きない。市場主義や資本制について何かコメントするのならば、このくらいの議論は抑えておくべきという内容である。

  それにしても、「まえがき」で栗原が述べている、2000年代に入って“文科系ないし人文系と呼ばれる界隈(中略)の言論や状況に対する疑問が止め処なく膨らみ始めてしまった”という感覚がよくわかる。まともな人間なら、反権力と理想主義だけで、政策としての有効性を検討しようとしない彼らの姿勢に、付き合ってられないという感覚を抱くはずである。栗原が紹介している稲葉振一郎『経済学という教養』(参考)に、僕もへタレ文系インテリとして感銘を受けたくちだが、本書の読者対象も同様のようだ。ただ、著者二人は人文系を味方にしようとする態度をあまり見せず、突き放し気味である。もっと手を差し伸べてあちら側に連れて行ってくれるような書き方になっていたならば、人文系読者にとっても親切に感じられただろう。

  とはいえその先は長い。経済学の体系的な理解のためには分厚い教科書を一・二冊読むべきだし、経済関連の論争を自力で整理するには統計学と調査法についての知識が必要である。新書一冊で全体像を掴めるような領域ではないのは確かだ。その労苦を思うと、経済学の理解というのは人文系には敷居が高いということなのかもしれない。
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情熱的で熱い原曲を、淡く乾いたメランコリックな音楽に変貌させる

2012-09-10 17:10:39 | 音盤ノート
Bill Frisell "The Sweetest Punch: Songs Of Elvis Costello And Burt Bacharach" Decca, 1999.

  ジャズ。ジャケットにはコステロとバカラックの名がフリゼルと同じフォントで印刷されているので、三者のコラボ作だと誤解しそうになる。これは完全にフリゼルのリーダー作である。内容は"Painted From Memory"(参考)をインストゥルメンタルで聴かせるという企画もので、バカラックは録音には参加していない。コステロは二曲で歌唱を披露している。うち一曲はカサンドラ・ウィルソンとのデュエットである。

  メンバーはギターのフリゼル以下、Don Byron(clarinet, bass clarinet), Billy Drewes(alto sax), Curtis Fowlkes(trombone), Ron Miles (trumpet), Brian Blade(drums), Viktor Krauss(bass)という編成。フリゼルらしからぬ厚めの管楽器編成であり、実際彼の変幻自在のギタープレイを期待して聴くと肩すかしを食らう。しかし、まったく期待はずれかと言うとそうでもなく、"Painted From Memory"の迫りくるような情動を抑えて、フリゼルらしいドライで淡い感覚を持つ、郷愁感のある音楽に変えてしまっているのはなかなかである。彼の編曲家としての才能が分かる作品と言えよう。

  哀愁あるバカラック・メロディーは保たれたままだし、オリジナルと比べても遜色はない。オリジナルのコステロをくどいと感じる向きには、こちらの方が聴きやすいだろう。僕はどっちもOKだった。
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さらなる栄光をもとめて文壇政治と受賞作を著者が分析する

2012-09-07 16:49:15 | 読書ノート
小谷野敦『文学賞の光と影』青土社, 2012.

  芥川賞や直木賞ほか、文学賞をめぐる文壇ゴシップ集。索引や受賞者一覧もあって丁寧なつくりの本ながら、いつもの小谷野節で本文では大量の情報があまり整理されないまま提示されている。そのため、読みやすいものではない。それでも僕は彼のファンでなので読んだのだが、現代文学をあまり知らないために、挙げられた作家や作品の多くがわからず、ちょっとつらい。

  僕が受賞一覧の中でちゃんと読んだのは、大江健三郎『万延元年のフットボール』など数点だけである。たしかあの作品は四国のどこかで主人公が弟に奥さんを寝取られたうえに胎まされてしまった話(?)だった記憶している。こういう「もてない男が苦しむ文学」に高い評価を与える著者の姿勢は昔から一貫している。一方、村上春樹に対しては、文壇政治に参加しない態度を褒めており、いつもの低い作品評価とは異なっている。江藤淳など、右翼的言辞の多い人物には国家褒章は与えられないという指摘も面白い。リベラルぶってた方が国家からの覚えがめでたいというパラドクスがあるとのことだ。

  というわけで、ある程度の著名な作家や評論家を知っていればなんとか楽しめる内容となっている。ちなみに著者はとても文学賞がほしいそうだ。サントリー学芸賞をすでにもらっている人だが、欲深さも兼ね備えてきたようで今後が楽しみである。
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