29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

テーマは大きいものの個々の記事の関心はそれほど広くない

2022-08-26 14:47:34 | 読書ノート
『教育学年報12:国家』世織書房, 2021.

  昨年発行の第12号。復活号となった11号は、休刊期間中の教育学研究動向のレビューだった。今号は「国家」を特集テーマとする内容である。個々の記事については興味をそそるところがある。しかし、号全体としてはテーマ負けしているという印象だ。議論の範囲を絞った論考が多くて、通読して国家と教育の関わりの見取り図を与えるようなものにはなっていない。インタビュー記事の中で、教育学の全体像を提供するような議論はやり難くなっているとの発言が編集者の一人からなされているが、そうだとしても編集委員の誰かが敢えてこのテーマに呼応するレビュー論文を提供すべきではなかっただろうか。雑誌としては投稿主体の査読誌として行きたいようなのだけれども、特集テーマを毎号掲げるならば依頼原稿が数本あったほうがよいかもしれない。

  とはいえ、苫野一徳へのインタビュー記事はとても面白かった。インタビュアーとして編集者側から5人が出席し、彼の議論に次々と疑義を呈していく。あまり友好的な雰囲気ではないのは確かだ。僕は、苫野よりも編集者側に近い考え(参考)を持っているので、この議論を興味深く読ませてもらった。ただ、教育学の世界には研究者であることに飽き足らず、実践者にもなりたいというタイプがいる。学校作りに関与したりする苫野はそういうタイプではないのだろうか。正しさでがんじがらめにせず、いろいろ試みてもらうというのが良い関り方だとも思う。次号以降もこういうインタビューが続くのならば、経済学系の教育研究者の誰か、さらに行動遺伝学者をリクエストします。
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フランス中心の書籍販売史、最近の動きの話もある

2022-08-22 20:19:13 | 読書ノート
ジャン=イヴ・モリエ『ブックセラーの歴史:知識と発見を伝える出版・書店・流通の2000年』松永 りえ訳, 原書房, 2022.

  書店とその流通の歴史。ただし最初は世界史的スケールで始まるものの、すぐにフランス限定の話になり、時折ヨーロッパの他の国や南米やアフリカに言及があるという記述になる。著者はフランスの歴史研究者で、原題はUne Histoire des libraires et de la librairie (Actes Sud, 2021.)である。

  過去には、書籍行商人や貸本屋などが書籍の重要な頒布のルートとなっていた。店舗を構える小売書店は比較的新しい業態であり、遡ると出版業と書籍販売は分離していなかった。近代になると、鉄道網が整備されることによってキオスク販売が行商人と入れかわった。義務教育の普及が教科書販売を原因として地方の小売書店を直接刺激し、かつ識字率を向上させて大きな読書需要を生み出した。パリにはさまざまなコンセプトに従って専門書店が生まれ、その需要に応えた。その全盛期は20世紀半ばだという。

  近年の動向についてもかなりの記述がある。フランスでも1970年代から定価販売をめぐる議論があり、小さな書店が大型チェーン店に比べて取引上で不平等な扱いをうけ、さらにはアマゾンのようなオンライン書店の登場に戦々恐々としているとのこと。書店側は客の囲い込みを試みているが、客側は書籍購入における複数のルートを使い分ける傾向にあり、成功していないという。このほか、図書館、古本市場、日本産マンガ、途上国における露店売り本についての言及もある。

  以上。地名や人名が多くて日本人には掴みにくいところもあるのだが、近年のフランスにおける書籍小売事情を伝える本として貴重だろう。日本の書店事情とそう変わらないという感想をもった。 
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ラノベについての概説書ふたつ、およびラノベ体験記少々

2022-08-18 10:30:13 | 読書ノート
一柳廣孝, 久米依子編著『ライトノベル研究序説』青弓社, 2009.
飯田一史『ライトノベル・クロニクル2010-2021』Pヴァイン, 2021.

  今年の全国図書館大会の出版流通分科会でライトノベルについて取り上げるので読んでみた。ラノベはまったく読まない人間なので、てっとりばやく動向を掴みたいという安易な魂胆からである。

 『ライトノベル研究序説』は、前半はラノベの定義と源流について議論し、後半は表現論と作品分析という構成である。前半ではマンガやTRPG、児童文学やSFなどとの関係、1990年代以降のレーベル別刊行数の分析、メディアミックス、オタク文化とのかかわりが論じられている。後半はジェンダー論とか批評理論(章題に「社会学」とあるものの取り上げられているのは大塚英志と東浩紀)を使った表現論、あと4つのシリーズの作品分析である(全て僕が知らないタイトルだった)。図書館関係者としては、後半にある大橋崇之によるヤングアダルト読者論がタメになった。ただし、下の飯田著によれば、2010年代のラノベ読者層は必ずしも中高生に限定されておらず、成人がかなり含まれていて作品のスタイルにも影響しているとのこと。

 『ライトノベル・クロニクル2010-2021』は、2010年以降の12年間にアニメ化された(公表開始時点ではない・念のため)60タイトルの批評である。女性キャラの描写など表現における正義(正確には時代潮流?)を云々するポリコレっぽい視線と、どの年代のどの層が読んでいて売上がどうこうというマーケッター的な視線の二つが混在する批評となっている。これらの点で「外からみた分析」になっていて、ラノベをよく知らない人間にもわかりやすい。一方で愛好者にはよそよそしく感じられるかもしれない。文庫レーベルや投稿サイトなどについて解説したコラムも情報源として優れていて、資料として価値が高いと思う。

  これらの読書と並行してラノベ原作のアニメ化作品を観てみた。だが、個人的には異世界転生ものはまったく好みではなく、最初の数話のエピソードで挫折することがしばしばだった。手抜きしないで本を手に取るべきだろう。というわけで学園ものの『弱キャラ友崎くん』を埼玉県民の義務(本書の舞台は大宮)として一巻だけ読んでみた。が、「普通にビルディングス・ロマンだよな、これ」と思った僕はもうおっさんだな。
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無知がはびこる民主政への懐疑、権力の制限による解決

2022-08-14 13:43:28 | 読書ノート
イリヤ・ソミン『民主主義と政治的無知:小さな政府の方が賢い理由』森村進訳, 信山社, 2016.

  投票者はさまざまな政治的トピックについて無知であるため、バカがうつらないようにする公共的意思決定の仕組みが必要だと説く内容である。著者はロシア生まれの米国の法学者で、原書はDemocracy and political ignorance: why smaller government is smarter (Stanford Law & Politics, 2013.) である。

  まず米国の有権者がどの程度の政治についての知識を持っているかについての検証から始まる。それによれば共和党と民主党がどのような政策を推奨しているのかまともに言い当てらない有権者が半分以上いるらしい。しかし、問題はそこではなく、「選挙の大勢に影響しない一票のために、個々の有権者が政治的争点についてわざわざ勉強するのは不合理であること」これこそが民主主義の抱える深刻な病理であるという。情報収集と理解にはコストがかかる。したがって、無知な有権者によって、社会全体の厚生を低めるような誤った政策が支持される危険があるのだ。

  では「無知であることが合理的」という状態を解消するのはどうしたらよいか。学校段階での政治教育、熟議民主主義、マスメディアの規制など、政治に関する情報提供の仕組みを改善するというアイデアはおそらく有効でない。政治的知識の需要側が原因なのだから、供給側を少々いじってもコストのわりには効果が薄い、と著者は予想する。有権者が積極的に政治について学ぶ可能性は今後も低いので、誤った民主的決定の影響力が極力小さくなるように、強大な権力を持つ中央政府の力を抑え、地方分権化して「足による投票」で政策を選ばせるのが正しい、と。

  以上。有権者にとって無知が合理的になっているのが問題だというのはわかる。しかし、「足による投票」という解決策についてはどうかなあ、ダメな自治体に住み続ける住民は救われないままでいいのだろうか。前回の紹介したピンカー著、本書でもよく言及されているカプラン『選挙の経済学』、成田悠輔の『22世紀の民主主義』などと合わせて読むといいかも。
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合理的思考とはどのようなもので、どのようなツールがあるか

2022-08-10 10:14:10 | 読書ノート
スティーブン・ピンカー『人はどこまで合理的か』橘明美訳, 草思社, 2022.

  合理的思考とは何かについて明らかにしつつ、そこから逸脱するバイアスの存在についても言及する内容。しかし、バイアスを強調して「やっぱり人間はダメ」と嘆くのではなく、バイアスもまた合理的思考によって克服できるとする点が類書(特に行動経済学系の)と異なる点である。原書はRationality: what it is, why it seems scarce, why it matters (Viking, 2021.)で、もとはハーバード大での講義録のようだ。

  全11章あるうちの9章までが、合理的に考えるということはどういうことかの説明である。ここで形式論理、確率、ベイズ統計、ゲーム理論、回帰分析などを紹介してゆくのだが、同時に合理的的思考に失敗した例も多数挙げている。この失敗例として、著者はとてもキャッチ―なトピックを持ってくる。このため議論が堅くならない。上に挙げたような合理的思考のツールが開発されており、かつバイアスの存在についてもわかった。ならばどうすればいいのか、という議論が最後の10章と11章である。そこで「合理性の共有地の悲劇」を避けるための制度の必要性が訴えられているが、十分具体的ではない。

  本書の読者層ならば、統計やらの個々のトピックについては聞きかじったことがあって新味はないかもしれない。しかし、その説明方法や全体へのまとめ方はこういうやり方もあるのかと思わせる巧みさである。これら合理的思考のための一連のツールの見取り図を得る、という目的で読むならば本書はとても有益だと思う。ただし、非合理さへの対応については、合理的な言論を優遇してそれ以外を規制するという、ジョセフ・ヒースの大胆な提案(『啓蒙思想2.0』)に比べると、踏み込んだ議論にはなっていない。
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2022年5月~7月に読んだ本についての短いコメント

2022-08-01 15:48:31 | 読書ノート
浜田宏『その問題、数理モデルが解決します』 ベレ出版, 2018.

  データサイエンス事始め。というか、分析の前段階にあたる理論モデル形成についての解説書である。二人の登場人物によるストーリー仕立てにしているところは親しみやすいもの、内容は決してやさしくない。確率やらゲーム理論やらを数式に落とし込む作業と、それを展開してインプリケーションを得るという話が、毎章で展開される。「解説は丁寧なので根気よく読み進められれば理解できる」と言いたいところだが、高校数学の知識がある程度必要であり、私大文系学部卒にはしんどいかなあ。統計学の勉強した後、もっと応用先を知りたい・広げたいという人向けだろう。

呉座勇一『戦国武将、虚像と実像』(角川新書), KADOKAWA, 2022.

  戦国武将のイメージ変遷史。取り上げられているのは、明智光秀、斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉、石田三成、真田信繫、徳川家康である。織田信長が改革者のイメージで広く語られるようになったのは司馬遼太郎の『国盗り物語』以降のことで、それ以前の時代では「部下の裏切りにあったダメな暴君」としてあまり人気が無かったそう。豊臣秀吉は、江戸時代から昭和戦前期にかけてその立身出世のストーリーのおかげで高い人気を誇ったが、戦後は大陸への侵略者として評価が落ちた。それぞれの人物のイメージを形成した著作として、坂口安吾作や立川文庫などが参照されるが、特に強く影響したのは徳富蘇峰の『近世日本国民史』と上述の司馬遼太郎作であるとのことである。また、われわれが大河ドラマで知ったようなエピソードのほとんどは後代の創作であり、上の戦国武将の真の姿についてはまだよくわからないようだ。面白い。

左巻健男『こんなに変わった理科教科書』(ちくま新書), 筑摩書房, 2022.

  理科教科書の変遷史。小中の理科教科書を10年区切りで見てゆくという試みである。1950年代から現在まで7区分あるので、通して読んでみても大きな分水嶺があるわけではなく、マイナーチェンジが重なってゆくという印象である。1960年代には輪軸と滑車の記述があった、2010年代には「カロリー」ではなく「ジュール」を単位として使うようになった、など興味を引く話もある。ただし、教科書内容がなぜ変わったのかについての背景についてはあまり詳しくない。最後の1/3は、教科書内容の話ではなく、教科書検定をめぐる理想の教科書の話になってしまう。もし、書籍全体を使って新しい科学的知識と教科書の分量をめぐる関係者のせめぎ合いの話を詳しく描いていたならば、生々しくてずっと面白い本になったはずだ。まあただ、何を教科書に載せるかは関係者にとってデリケートな問題なのだろうなあ。

津堅信之『日本アニメ史:手塚治虫、宮崎駿、庵野秀明、新海誠らの100年』(中公新書), 中央公論, 2022.

  副題からわかるように、監督を焦点にしたアニメ史である。作家主義視点を取るため、記述には精粗がある(例えば『オバケのQ太郎』『ドラえもん』以外の藤子不二雄原作作品には言及がない)。一方で、制作会社についてはそこそこ詳しい。スタジオジブリは東映動画の設立当初にあった長編映画路線の末裔だとか、虫プロは短編アート系アニメも作ろうとしたが上手くいかなかったなど。近年ではあまり評価されていないように見えるタツノコプロ(タイムボカンシリーズ!!)についての説明もある。また、映画、テレビ、ビデオ、ストリーミング配信など、媒体の変化に対する目配りがある。全体として、重要情報と著者の評価がバランスよく構成されており、日本のアニメ史を通覧できる書籍として優れているのではないだろうか。特に、最後に索引を設けている点は高く評価したい。こういう教科書的な書籍は「引いて」読みたいからね。
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