佐々木秀彦『文化的コモンズ:文化施設がつくる交響圏』みすず書房
公立文化施設──博物館、図書館、公民館、劇場・ホール、福祉施設──の役割論および経営論である。注意すべきは、本書は「文化的コモンズ」を直接扱っているわけではないことである。「文化的コモンズ」は一般財団法人の「地域創造」が提唱したものらしい。本書「はじめに」にその報告書から引用された図が引用されている(p.13)が、公立文化施設だけでなく民間企業や商店街など私的な団体もまた文化的コモンズの構成要素として挙がっている。本書は、公立の文化施設に限って取り上げ、まとめて論じようと試みるものだ。著者は公益財団法人東京都歴史文化財団に設置されているアーツカウンシル東京の企画部企画課長であるとのこと。
前半1/3で施設の種類ごとに日本での発展史を簡単に描き、戦前の創生期、戦後の1980年代までの成長期、1990年代から2010年頃までの再考期を経て、現在は成熟期として「文化施設4.0」の段階にあるという。中盤から後半にかけては、文化施設のガバナンス──上位設置機関すなわち政府や自治体による統制──の話と、マネジメント──施設内の組織における職員の管理──の話が主になる。ガバナンスにおいては、民主主義(議会や首長)vs.施設にいる専門家(学芸員や司書ほか)というありがちな対立がある。これを解消するために、教育委員会のような独立性の高い評議会を一枚かませて、施設は評議会に対して説明責任を持つという仕組みが提案されている。評議会には一般の市民と専門家が参加する。民主主義がコントロールできるのは施設の目標だけに限り、コンテンツに口出しできないようにする。その一方で、専門家を職業倫理で縛って中立性を義務付けるとする。マネジメントにおいては、分散型自律組織による「管理なき経営」が理想とされ、実現のためにはどうしてもピラミッド型組織となる公営よりも指定管理者が望ましいとする。これらの議論の合間に、さまざまな文化施設の取り組み事例が数多く紹介されている。
以上のほか専門職養成制度など、文化施設に関する広範なトピックや議論が紹介されており啓発的なところは多い。だが全体としては、個人的にはコモンズ概念の使用に違和感を感じてしまい、素直に読むことができなかった。
確認しておくと、自由に使わせると資源が消費され尽くされて維持不可能になる、というのが「共有地(コモンズ)の悲劇」である。したがって、共有を止めて公有または公的規制を導入するか、あるいは分割して私有にする(ロナルド・コース)のが解決策となる。すなわち、コモンズを解消することによって資源が維持可能になると議論されてきた。これに対し、利用可能なメンバーを限るなど特定条件下では共有地のままでも維持できる(エリノア・オストロム)という別の解決策も提案された。本書はオストロムの流れを汲むもので、自治が目指されていることがわかる。しかしながら、現状、日本の芸術文化活動が蕩尽されつつある状況に陥ってるようには見えない(ただし保存面には問題があるようには思うが)。したがって「文化的コモンズ」なる概念が要請される理由がよくわからない。
「文化的コモンズ」というタイトルから期待されるのは、文化資源──共同消費が可能なものもあり通常の資源と異なる──のどのような側面を維持管理するために、私企業も公的機関もともに参加するはずの共同統治の仕組みをどうつくるのか、という話である。しかし、本書では、「文化的コモンズ」が十分語られておらず、その一部にすぎない公立文化施設が語られるのみである。なお、公立文化施設それ自体はコモンズとは言えないだろう。著者の目指しているのは、文化的コモンズを共有する仕組みを起ち上げることではなく、芸術文化活動に影響を与えるために公立文化施設のプレゼンスを高めるということなのだろう。このタイトルならば民間の役割についての議論も欲しい。
公立文化施設──博物館、図書館、公民館、劇場・ホール、福祉施設──の役割論および経営論である。注意すべきは、本書は「文化的コモンズ」を直接扱っているわけではないことである。「文化的コモンズ」は一般財団法人の「地域創造」が提唱したものらしい。本書「はじめに」にその報告書から引用された図が引用されている(p.13)が、公立文化施設だけでなく民間企業や商店街など私的な団体もまた文化的コモンズの構成要素として挙がっている。本書は、公立の文化施設に限って取り上げ、まとめて論じようと試みるものだ。著者は公益財団法人東京都歴史文化財団に設置されているアーツカウンシル東京の企画部企画課長であるとのこと。
前半1/3で施設の種類ごとに日本での発展史を簡単に描き、戦前の創生期、戦後の1980年代までの成長期、1990年代から2010年頃までの再考期を経て、現在は成熟期として「文化施設4.0」の段階にあるという。中盤から後半にかけては、文化施設のガバナンス──上位設置機関すなわち政府や自治体による統制──の話と、マネジメント──施設内の組織における職員の管理──の話が主になる。ガバナンスにおいては、民主主義(議会や首長)vs.施設にいる専門家(学芸員や司書ほか)というありがちな対立がある。これを解消するために、教育委員会のような独立性の高い評議会を一枚かませて、施設は評議会に対して説明責任を持つという仕組みが提案されている。評議会には一般の市民と専門家が参加する。民主主義がコントロールできるのは施設の目標だけに限り、コンテンツに口出しできないようにする。その一方で、専門家を職業倫理で縛って中立性を義務付けるとする。マネジメントにおいては、分散型自律組織による「管理なき経営」が理想とされ、実現のためにはどうしてもピラミッド型組織となる公営よりも指定管理者が望ましいとする。これらの議論の合間に、さまざまな文化施設の取り組み事例が数多く紹介されている。
以上のほか専門職養成制度など、文化施設に関する広範なトピックや議論が紹介されており啓発的なところは多い。だが全体としては、個人的にはコモンズ概念の使用に違和感を感じてしまい、素直に読むことができなかった。
確認しておくと、自由に使わせると資源が消費され尽くされて維持不可能になる、というのが「共有地(コモンズ)の悲劇」である。したがって、共有を止めて公有または公的規制を導入するか、あるいは分割して私有にする(ロナルド・コース)のが解決策となる。すなわち、コモンズを解消することによって資源が維持可能になると議論されてきた。これに対し、利用可能なメンバーを限るなど特定条件下では共有地のままでも維持できる(エリノア・オストロム)という別の解決策も提案された。本書はオストロムの流れを汲むもので、自治が目指されていることがわかる。しかしながら、現状、日本の芸術文化活動が蕩尽されつつある状況に陥ってるようには見えない(ただし保存面には問題があるようには思うが)。したがって「文化的コモンズ」なる概念が要請される理由がよくわからない。
「文化的コモンズ」というタイトルから期待されるのは、文化資源──共同消費が可能なものもあり通常の資源と異なる──のどのような側面を維持管理するために、私企業も公的機関もともに参加するはずの共同統治の仕組みをどうつくるのか、という話である。しかし、本書では、「文化的コモンズ」が十分語られておらず、その一部にすぎない公立文化施設が語られるのみである。なお、公立文化施設それ自体はコモンズとは言えないだろう。著者の目指しているのは、文化的コモンズを共有する仕組みを起ち上げることではなく、芸術文化活動に影響を与えるために公立文化施設のプレゼンスを高めるということなのだろう。このタイトルならば民間の役割についての議論も欲しい。