29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

図書館に先立つもの

2008-07-29 16:51:13 | 読書ノート
シドニー・ディツィオン『民主主義と図書館』川崎良孝ほか訳, 日本図書館研究会, 1994.

 米国公共図書館史の基本書籍として知られている文献である。19世紀に、図書館を公費で運営しようと目指した個人またはグループの、思想や属性、彼らを取り巻く時代背景について探っている。

 とはいえ、けっこう身もフタも無いことも書いてある。
結局のところ決定的な要因は経済力であった。そして、商業と工業で大いに繁栄する町だけが経済的な余裕をもち、新しい公的機関[公立図書館]に資金をつぎ込むことができたのである。(p.8)

公費支弁の無料図書館の確立には、前提としていくつかの社会的背景があり、この点はほとんど自明である。こうした背景としては、コミュニティが財政的に図書館を支えるに足る経済力をもつこと、図書館サービスを経済的にするに足る人口密度(都市部で図書館が成功した後にはじめて、村落部での図書館が登場してきた)、教育全般を公費で支弁することについての好意的な雰囲気、それに文化環境がある。(p.211)

 というわけで民主主義より金である。といってもコミュニティが豊かならば、必然的に公共図書館ができるというわけではないので、設立に関わった人々の思想などを探る意義は大きい。

 しかしながら、現在の日本では、コミュニティの豊かさ自体が揺らいでいる。そのような状況に陥っていても、公共図書館を支持するときに使われるロジックは、経済成長が続いていた時代と変わっていないという印象を受ける。実を言うと、公共図書館を語るときに使われる「民主主義」という切り口に違和感を覚える。こういうのは僕だけだろうか?


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フランスの読書イベント

2008-07-24 17:58:26 | 読書ノート
辻由美『読書教育:フランスの活気ある現場から』みすず書房, 2008.

 フランスにおける小中高生の読書イベントについて報告する本。なんでもフランスには「ゴンクール賞」という権威ある文学賞がある(芥川賞みたいなものらしい)のだが、それにあやかって「高校生ゴンクール賞」なるものが20年前から行われているという。このイベントは、近年ではマスメディアにも注目されるようになり、受賞は作品の売上げに影響するほどだという。

「高校生ゴンクール賞」は、本家「ゴンクール賞」がノミネートしている十数作品なかから、高校生を審査員として、最も優れた作品を選ぶ賞である。結果は、本家の受賞作を発表する前に伝えられる。ただし、参加は個人単位ではなく、学校単位でかつそのうち一クラスが討議し審査する。最終的にはクラス、地方、国内全体と各段階で議論をしてゆき、受賞作を決定するそうだ。

 参加者の前向きな姿勢は本書からよく伝わってくる。だが。読書教育として普遍的な効果があるのかはやや疑問が残る。審査を担当するクラスでは、生徒の読書量は増えるだろう。だが、他のクラスや参加しなかった学校を巻き込むような勢いがあるかどうかは不明である。参加校も50校程度だ。

 しかし、審査に関わることのできた高校生を触発する契機となっていることは確かなようだ。参加者は、日本の読書教育の定番である「読書感想文」よりは、ずっと積極的に見える。審査されるのではなく、審査する立場だからね。

 面白いのは、生徒が注ぐべきエネルギーの方向が決まっていること。書籍の選択肢の数は限られ、最低限それらだけを比較すればいい。したがって、生徒たちは読書内容を共有でき、議論を容易にしている。また、参加するかどうかは、生徒ではなく教師が決定する。参加するかどうかをいちいちクラスで議論していたら、かなりの負担になったらだろう。生徒の役割を受賞作の決定だけ限定し、その点だけに主体性の発揮を期待しているわけだ。周りの大人が上手く方向付けているなという印象である。
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鬼教師

2008-07-14 15:53:42 | チラシの裏
休日、暑いので家でゴロゴロしていたら、
三歳になる娘から「お父さんしっかりしてよ」と叱咤された。
学生に多くの課題を出したら、「鬼」と言われたし、
思わぬ評価を受ける今日この頃。
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レポートコピペ問題

2008-07-01 17:46:33 | 図書館・情報学

 今朝のNHKニュースで、大学のコピペ問題を扱っていた。学生が、レポートを作成する際、引用元を明示せずにインターネット情報をコピペしてくるのだそうだ。ファイルで提出されたレポートと、インターネット文献を照合して「盗用率(僕の語)」を算定するソフトウェアまで登場した。(見た限りでは、ソフトは使用されている句を照合するソフトのようだった)。ある教員はレポートをやめて討論を授業にしたそうだ。

 さもありなん、という印象だ。やはり、書き方を教える教育プログラムが必要だという思いを強くした。今まで書いたことのない文書スタイルで、ちゃんとした意見など書けるわけがない。学生は、小中高の学校では感想文ぐらいしか書いたことがないはずだ。入試で小論文の勉強をしなかった学生にとっては、未知の経験だろう。

 大学が学生に出す課題もけっこう敷居が高いようだ。テレビでは、経済学(?)の先生が「イラク戦争」について自由に記述するようレポートを課したように放送された(誤解があるかもしれないが)。書き方を知らない学生に自由記述など荷が重い。そうした課題の前に、もっと簡単な練習用レポートを書かせて修練を積むプログラムがあるべきだろう(ただしその経済学の授業の範囲外かもしれない)。

 そもそも、学生が「文章を通じて思考する」ことを放棄してしまうようなギャップが、大学教育と小中高の教育との間にあるのだと思う。愚痴を言ってもしようがないので、大学側が新入生を相手にそれを埋める訓練を施すべきだろう。
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