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図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

小出版社の立場からの「出版権」の創設とその評価

2023-09-30 09:38:40 | 読書ノート
高須次郎『出版権をめぐる攻防:二〇一四年著作権法改正と出版の危機』論創社, 2023.

  2014年の著作権法改正で「出版権」の範囲が拡大し、(権利者の許諾によって)出版社にも認められるようになった。本書は、この改正に至るまでの大手出版社と小出版社、著作権者、文科省、国会議員間の駆け引きを描いたものである。著者は『出版の崩壊とアマゾン』の人。著者自身も改正著作権法の議論の当事者である。

  2014年改正以前の著作権法においては、インターネット上に流布された海賊版を廃するのに、出版社は訴える根拠を有していなかった。電子的複製の海賊版に対抗できる権利は著作権者に帰属しており、権利者の管轄だったからだ。しかし、日本の著作権者すなわち著作者は、権利保護に割く時間もエネルギーもないことが多く、また海外の動向に弱い。このため、紙の書籍のスキャン画像の違法アップロードが放置されたままとなり、紙版の売上にダメージを与える可能性がある。このことが出版社の間で危惧され、出版社自身で対抗措置をとることができる権利が求められた。

  きっかけは2000年代末のグーグルによる書籍の電子化プロジェクトである。無許諾のままグーグルに全スキャンされた書籍に対して、出版社としての利害を主張しようにも、出版社は法的に権利者ではなく「和解」案の中にも入れない、という状態だった。また当時、取引条件のよろしくないアマゾンが電子書籍のプラットフォームを握りつつあり、出版社側がアマゾンに対抗できる権利を持つ必要性も認識されていた。

  上のような背景から、国の後押しによって関係団体による協議が行われことになる。その過程で、著作権者と出版社の間、また大手出版社と小出版社の間で利害の対立があらわになってくる。著作権者はもともとあった権利を出版社に譲りたくないし、大手出版社は小出版社に対する優位を失いたくない。後者の関係は分かりにくいかもしれないが、もともとは小出版社発行であった著作物を大手出版社が文庫シリーズに加えたいとき、出版権が設定されていると面倒な許諾が必要になってしまうからである。このように、関係団体間で齟齬もあったが、なんとかまとめられたのが2014年の改正著作権法ということになる。小出版社として(そして大手出版社にとっても)100%満足できるものでもないが、出版権は設定された。ようやく出版社として電子出版の世界に乗り出す準備が整えられた。

  以上が話の要点である。電子出版における出版社の権利という当初の目的が、各種団体・論者の利害によって微妙に歪められてゆくさまが描かれている。論点も微妙に変化してゆくため、理解が追い付かなくなる箇所もある。というわけで読みやすいとはいえないものの、この間の議論の行方を丹念に記録した貴重なドキュメントだろう。
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統計学の基礎部分が非常に丁寧に解説されている教科書

2023-09-24 21:45:34 | 読書ノート
中原治『基礎から学ぶ統計学』羊土社, 2022.

  統計学の教科書。統計学の学び方としては、ツールとして使えればいいので理論的に深い説明は不要だという派と、ベースとなる統計理論をきちんと習得すべきだという派がある。本書は完全に後者の立場であり、理論における基礎的なところをオールカラーで懇切丁寧説明する教科書である。B5版で334pと物理的に大きめである。著者は北大の先生。

  1章と2章でいきなり二項検定と順位和検定の解説からはじめ、推測統計学の論理と面白さを最初のところで読者に理解させようとする。3章以降、代表値・確率分布・t検定と続き、これら「初学者が何をやっているのかよくわからないと感じやすいトピック」を、くどいぐらいの量のカラー図と、いちいち数値を代入しての計算式の展開を使って解説する。記号や語彙の選択および概念の説明も手抜きがない。こうした丁寧な説明のせいか、分散分析と単回帰分析までをトピックとしている。

  というわけでカバーしている統計学の範囲は狭い。そのかわり、統計的仮説検定のロジックは初学者にもきちんとわかるように解説されている。手っ取り早く統計分析をしてみたいという読者には向いていないが、時間をかけてでもきちんと基礎を習得したい独学者にはとてもいいと思う。
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政府はなぜ失敗するのか、その仕組みを詳しく

2023-09-23 08:40:08 | 読書ノート
川野辺裕幸, 中村まづる編著『公共選択論』勁草書房, 2022.

  経済学の下位領域「公共選択論」の教科書。2013年に同じ編著者同じ出版社で『テキストブック公共選択』というのが発行されている。一部の章は共通しているようだが、かなりの章が削られ、多くの新たな章が加わっている。とうわけで、改版ではなく新著ということになっている。

  公共選択論というのは主として「政府の失敗」を分析する分野で、公共のために奉仕すべき政治家や官僚もまた私的利益を求めて行動するものであり、その結果として政府活動に歪みや無駄が多くなるとする。この分野の創始者のブキャナンは、民主義国家において財政赤字は必然的に拡大するとし、憲法で国債発行額に上限を設けよと提案していた。

  公共選択論においては、特定事象におけるレントシーキングが批判され、政府活動を抑えて民営化による解決策が掲げられるというイメージがある。本書も冒頭の数章こそそういう傾向があるものの、中盤以降は投票行動についての理論研究や選挙の分析をした実証研究が多く紹介されているところが興味を引く。失敗や歪みが起こる「仕組み」の記述のほうに重きが置かれているのだ。

  以上のように、前半の日本の財政赤字・インフラ整備・社会保障を扱った章と、中盤以降の理論研究および実証研究のレビューでは抽象度が異なる。初学者向けとうたわれているが、やや難という印象である。公共選択論の全貌のわかる日本語の教科書はこれしかないみたいなので、貴重だろう。
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20世紀末から21世紀初頭の英米出版産業の変化について報告する

2023-09-06 22:32:40 | 読書ノート
John B. Thompson Merchants of Culture: The Publishing Business in the Twenty-First Century 2nd ed. Polity, 2012.

  英米の商業出版産業の研究。小説やノンフィクションを扱う世界を対象としており、学術書や教科書出版などは範囲としていない。1980年代以降の変化を扱っているが、特に詳しいのは2000年代の動向で、電子書籍のシェア拡大を横目で見ながらの記述である。業界関係者への200を超えるインタビューをもとにした記述となっており、なぜ現状がこうなっているのかを説明しようと試みている。著者はケンブリッジ大学の社会学者である。

  まずは小売について。かつては小規模な独立系書店だらけだったのが、1980年代あたりからBarnes & NobleやBorders(2011年に経営破綻)などの全国チェーンが成長し、さらに1990年代以降は注目作だけを大量入荷するウォルマートがシェアを高めてきた。こういった大手小売チェーンは、値引率について出版社に対し交渉力を持つようになる。米国では、危惧の念を抱いた独立系書店がまとまって連邦議会に圧力をかけ、書籍の値引率は1994年にRobinson-Patman法の適用対象となったとのこと。すなわち、大手小売だろうが中小小売だろうが一律の値引率が課されるようになった。一方英国では、1997年にこれまであった再販価格が廃止され、大手小売チェーンに有利な値引きがなされるようになっているという。

  次に出版エージェント。19世紀末から存在していたが、当時は著者と出版社を仲介する中立的な存在だった。しかし1960年代以降、大手出版エージェントが出版社から距離を置くようになり、著者の利益を代弁する立場に徹するようになった。彼らは、出版社に高額の前受金を吹っ掛けるようになり、その利益率を圧迫するようになったという。とはいえ、大手出版社の編集者にとって、出版エージェントの存在は玉石混交の候補作品をスクリーニングしてくれるというメリットもあるという。

  三つ目に出てくるのは大手出版社。英米では1960年代から出版社の合併吸収が盛んになり、本書初版発行の2010年時点ではランダムハウス*、ペンギン*、アシェット、ハーパーコリンズ、サイモン&シュスター*、ホルツブリンクの6社が大手出版社とされていた(2023年の現在では*印の三社は同一グループ)。合併吸収が進んだ大きな理由は、小売チェーンに対する交渉力を高めることと、かつ出版エージェントが求める金額を支払えるだけの資金力を持つためである。このほか、独ベルテルスマンなど外国出版社の世界戦略の足掛かりとなったり、あるいは出版業の成長率に対する誤解(失望した親会社は出版社を手放す)もまたM&Aを後押ししてきたという。

  以降は簡単に紹介。四章は出版業の二極化現象についてで、中規模出版社は生き残れず、大手か極小かのどちらかに分かれつつあるという。五章はベストセラーになることが期待されるbig booksをめぐる駆け引きで、六章ではextreme publishingなる語で利益が出るまで出版社が忍耐できる期間が短くなりつつあることを表現している。七章は販促活動を、八章は英国の激しい値引き競争をそれぞれ扱っている。九章は電子書籍についてで、価格設定権をめぐるAmazonと大手出版社との駆け引きが読みどころ──当初は価格決定権はAmazonが持っていたが、ランダムハウス社の交渉によって大手出版社はそれを取り戻したとのこと。グーグルの電子化裁判についても詳しい。十章は、二極化によって著者が使い捨てされる事例があることの報告、最後の章は全体まとめである。

  400頁以上もあって少々冗長に感じるが、あちらの出版社、エージェント、小売書店、それぞれの駆け引きや力関係が丁寧に描写されていて、出版関係者には面白くかつためになるのではないだろうか。ハードカバー革命なる現象があったことや、取次がまったく取り上げられず役割が小さいことがわかるのは、日本と大きく違うところ。一方で、大量の返品に悩まされているのは日本と同じである。著者の次作Book Wars (Polity, 2021)も読んでみようかと思ったが、また400頁以上なのか…。
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21世紀の米国麻薬戦争のルポ、依存症の子を持つ母親目線が重い

2023-09-03 22:42:08 | 読書ノート
ベス・メイシー『DOPESICK アメリカを蝕むオピオイド危機』(光文社未来ライブラリー), 神保哲生訳, 光文社, 2022.

  米国における麻薬依存症問題のルポルタージュ。オリジナルはDopesick: Dealers, Doctors and the Drug Company that Addicted America (Little, Brown, 2018.)で、最初の邦訳は2020年である。今回読んだのは2022年の文庫版で、訳者によるあとがきが追加されている。著者はヴァージニア州西部の市の地方新聞所属の記者。

  副題にあるオピオイドとは、アヘンあるいはヘロインと同じ成分を持つ薬物である。1990年代半ばに米国食品医薬品局が鎮痛剤としてそれを承認すると、処方された患者が次々と依存症に陥っていったという。依存症患者らは、規制などで処方を制限されるようになると、今度は違法薬物のヘロインに手を出すようになり、最終的には人生が破滅するまで突き進むことになる。しかし、危険な成分を含む医薬品というのはざらにある。問題はなぜそれが依存症患者を生み出すまでに蔓延するようになったのかである。

  その理由は、ちょっとした調理──コーディングを剥がすだけ──で純度を高めることができること、医師側がずさんに処方していたこと(依存症患者が何度も病院にくるならば儲かるから)、さらに製薬会社が依存症となる危険性をわかっていながらセールスしていたこと、などである。患者の方は、工場の閉鎖などで貧困に陥った白人層か、または学習障害やスポーツ中の怪我で薬を処方された子どもたちである。この件で製薬会社は全米各地域で多くの訴訟を受け、多額の和解金を支払うことになるのだが、それが本書のストーリーの一つの軸になっている。

  オピオイド危機の発端は白人の多い保守的な地域であるヴァージニア州西部である。昔は家に鍵をかける必要もなかったほど安全な地域だったとのことだが、失業の増加に伴って依存症が蔓延するようになり、中毒者らが薬を買う金を得るための犯罪に走るようになった。とりわけ悲惨なのは、高校時代になんらかの理由で依存症になってしまった若い患者たちで、親の財産をくすねたりや家財を売り払ったりして家庭を滅茶苦茶にし、自身がドラッグディーラーになって友人を中毒にして死なせ、刑務所と治療施設を行ったり来たりしても立ち直れず、最終的に自らもオーバードーズで死んでゆく。こういった話がストーリーのもう一つの軸である。

  このほか大物ディーラーの逮捕劇や効果的な治療法についての話もある。これらのストーリーを、依存症の子を持つ母たちを取材しながらつむぎ上げてゆく。本書には「我が子を助けられなかった母たち」の後悔の念が満ち溢れており、少々重いと感じなくもないが、そこは「鬼気迫る」と肯定的に評価すべきところなのかもしれない。
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自由を価値とする社会で中立を追求しようとする矛盾と困難

2023-09-01 17:26:39 | 読書ノート
スーザン・メンダス 『寛容と自由主義の限界』谷本光男, 北尾宏之, 平石隆敏訳 , ナカニシヤ出版, 1997.

  政治哲学。自由主義=リベラリズムにおける「寛容」および「中立」概念について、ロック、ミル、ロールズ、ドゥオーキンらを採り上げて論じている。原書はToleration and the Limits of Liberalism (Macmillan Educational, 1989)で、著者は英国人で邦訳はこれだけのようだ。

  寛容とは嫌悪感をもたらすものや行為をも受け入れることである。だが、単なる好き嫌いの問題ではなく、道徳的に問題のあると感じられる(でも違法ではない)ものや行為であっても寛容でなければならないとしたら?これが第一の問いとして検討される。

  まず取り上げられるのがロックである。ロックの基準を単純化すると、迫害や排除が不合理な理由で行われるならばそれは「不寛容」と言える。つまり理由が合理的ならば──その内実は詳しく論じられていないが、普遍的なレベルでの倫理に抵触するならば──は排除は許されるということになると考えられる。判断の主体が中立的であればよい、というだけである。

  次にミルだが、自由を優先する彼の立場は寛容であるように見える。だが、その主張は人間性の向上のために試行錯誤や自由な選択が必要だという理論構成となっている。一方で、怠惰であったり従属した生き方を選ぶことは価値が低いとされる。自律に価値が置かれているのである。したがって、非自律的な生き方を許容することはできない。

  ミルの議論が有していた価値を排除した自由主義は可能だろうか。可能ではないというのが著者の答えである。特定の価値を絶対視しない、懐疑主義による自由主義が取り上げられるのだが、自由という概念の価値を否定することはできず行き詰まるという。またロック的な中立性原理では、帰結の不平等をもたらす可能性が避けられず、寛容の実現にとって十分ではないとされる。

  続いて第二の問いとして、寛容を中立性として読み替え、ならば政府が中立的であるとはどういうことかが論じられている。一つめの立場は、政策決定者の意図が中立であればよく、帰結には無関心でよいとする前述のロック的な立場である。この場合、不平等な結果がもたらされても問題視されず、また厳密に意思決定者の意図を検証することは難しい。これは現代の自由主義者にとっては不満足なものだろう。

  というわけで、帰結における中立が求められる。しかし、それが結果の平等ではないとしたら何をどのように分配し、またどのように測定したら社会が中立であると認められるのか。この議論を展開している5章では平等な自由と正義を両立させようとするドゥオーキンの文化政策についての主張が検討されている。そこではドゥオーキンの説についてかなりの矛盾が指摘されている。

  したがって帰結における中立を政府が実践することは難しいという結論になる。自由主義的な体制では中立は実現できない。解決策はないのか。そこで、終章において突如「社会主義」なる独自概念(共産主義とも福祉国家とも異なるニュアンス)が提示されるのだが、よくわからないまま終わってしまう。

  以上。5章までは手堅いのに、最後の最後でフワッとした印象で終わってしまっているのが惜しい。かなりの部分で優れた議論を展開しているのにあまり評価されていないのは、そのせいなんだろう。
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