29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

1980年代NY地下音楽史と1990年代グランジロック史の外伝

2019-11-28 08:25:22 | 読書ノート
デイヴィッド・ブラウン著『ソニック・ユース』岡田正樹訳, 水声社, 2019.

  米国ニューヨーク出身のロックバンド、ソニックユースの伝記本。こういうマイナーロックバンドの本は即座に品切れになって、図書館にも所蔵されないのが普通であるため、熱心なファンというわけではないのだけれども購入してしまった。なお邦訳は2019年だが、原書は2008年発行である。つまり、インディーズレーベルへの移籍を伴った2009年のアルバム"The Eternal"と2011年の解散については言及がない。

  全体はインディーズ期、グランジ期、その後の三部構成である。インディーズ期のところは、メンバーの生い立ちからはじまり、No Wave渦中での結成、初期の音楽的な試行錯誤、安定しないドラマーの問題を解決して"Daydream Nation"(1988)で評価を確立するまでの過程が描かれる。グランジ期は、メジャーレーベルへの移籍にはじまり、ニルヴァーナらとの交流、サブカル世界での重鎮化、レーベル内での成功への期待感の高まりが描かれる。「その後」とは、"Washing Machine"(1995)以降の、レコード会社が彼らのビジネス的成功への期待を徐々にしぼませてゆく雰囲気の中、佇まいを変化せない本人たちの様子が描かれる。ソロ活動などへの言及もある。

  すでに分かっていたこととはいえ、このバンドには「ロックスターの栄光と悲劇(+狂気)」みたいなものが欠けていて、記述はかなり淡々としたまま進んでゆく。主要メンバーとなるサーストン・ムーアとキム・ゴードンが、それぞれ父親を学者に持つ中産階級育ちであり、しかも夫婦であるためだろう、ゴシップになりそうな破天荒な振舞いをする場面は最後まで見られない。普通の(ダメな)バンドならば大きな困難となりそうな事柄に当たったとしても、その才能と実力への確信によってブレることなくコツコツと解決してゆく。そういうわけで、手堅く安定感はあるのだが、物語としては盛り上がりに欠ける。解散の原因となったムーアとゴードンの離婚まで含められていれば、また違ったストーリーになったかもしれない。

  さて、本書を読んで、彼らの音楽の評価あるいはアルバムの評価が変わったかと問われれば、変わらないと答えざるをえない。今でも聴くのは1980年代のインディーズ時代の作品ばかりになる。内幕がわかったところで音楽の理解が深まるというわけではないみたいだ。

  
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先立つものがないので教育改革などできない

2019-11-24 21:44:21 | 読書ノート
広田照幸『教育改革のやめ方:考える教師,頼れる行政のための視点』岩波書店, 2019.
広田照幸『大学論を組み替える:新たな議論のために』名古屋大学出版会, 2019.

  『教育は何をなすべきか』以来の教育学者・広田照幸による新著。『教育改革~』は9月に、『大学論~』は10月に発行されている。どちらも既発の論文や講演原稿をまとめた編集書籍である。

  『教育改革~』は初等・中等教育を対象とした近年の改革を俎上に載せている。新しい教員養成方法やら「主体的・対話的で深い学び」やらの話だ。これらが教育現場を疲弊させている、という批判は聞いたことがあるだろう。意外にも、著者はそうした改革の理念に対して反対していない。しかし、それを現場に適用するやり方や資源不足を理由として、その効果に疑義を呈している。教育現場で何か新しいことをしたいというならば、政府はまず現状の教員の仕事を削って予算をつけろということだ。教育関係者には参考になるはずである。

  『大学論~』はタイトル通り大学改革を対象とする。大学の質保証や授業や研究の評価、ガバナンス、学問の自由との関連について論じられている。こちらは読者が大学関係者に限られる内容であり、評価に関する議論などはやや専門的である。著者の言わんとするところを大雑把にまとめれば、外部の評価者(文科省含む)が使う物差しは一面的であるがために、大学人に十分受け入れられず、混乱だけをもたらしている、と。ただし、内部者が自らの教育・研究改善のためにおこなう評価は生産的になりうるとも加えている。

  以上。二著の主張はおおむね同意できる。簡単に言えば現場の教員を重視しろということである。ただし、一方で触れられていない論点もある。教育内容の話である。近年の教育改革がやろうとしていることの一つに、新しい学問領域(例えばプログラミング)を導入する一方で、これまでの領域を少々削るというのがある。各教員の専門性と結びついた教科や講座はある種の利権だから、新教科の導入や専門の授業数の削減は教員間の対立を引き起こすだろう。これは現場では解決できない問題である。というわけで、学校経営者や文科省の出番があるのだが、そうした調整(+強制)という役割については考察されていない。

  近年の教育内容の変更・要請については、経済界の要請にすぎないと言える。ならば、経済成長以外の多様な目的を掲げる公教育機関はそれを無視すればいいのだろうか。新しい(しかも仕事に有利な)知識を公教育制度の外に置いておくならば、富裕層の子弟だけが塾などを使ってそれを習得し、そうでない層は身に付ける機会がないという結果となる可能性がある。そうなると格差は再生産され、学校は不要な教育をしていると今よりさらに強い批判を受けるだろう。こういう教育内容の取捨選択のような、現場を対立させる論点についての著者の意見も聞きたかった。
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低収入の夫なのになぜ妻は働かないのか

2019-11-17 08:44:54 | 読書ノート
周燕飛『貧困専業主婦』新潮選書, 新潮社, 2019.

  日本には、貧困家庭であるもかかわらず専業主婦をやっている女性がかなりの数いる。彼女たちはなぜ働かないのか、働いてもらうにはどうしたらよいか、を論じる内容でる。著者は中国出身で、現在は労働政策研究・研修機構主任研究員とのこと。

  本書の調査によれば、夫の収入が全体の下位5分の1に入るようなレベルでも、妻の17%は働いていないらしい。貧困専業主婦の生活は苦しく将来の見通しは暗いにもかかわらず、彼女らの3分の1は生活に満足している。働かない理由のいくつかには、子どもが難病にある、自身が鬱気味というのもある。しかし、より大きな理由として、専業主婦を有利にする日本の社会保障制度、離婚へのハードルの高い法制度、本人が育児の価値を高く評価していること、などが挙げられている。特に、育児への高い評価は、労働市場に復帰して低賃金労働をするよりも、子どもの相手をしていたほうがマシ、という態度をもたらす。

  しかし、やはり彼女たちは働いた方がいい、と著者は議論を展開させる。ではどうしたらよいのか。専業主婦を優遇し「ない」社会保障制度の設計など、選択アーキテクチャによって労働に誘導するという策が提案されている。

  以上。著者の提案の方向性に関してはおおむね同意するものの、すぐに首肯していいものか考えさせるところがある。失うものと得るものののバランスはとれているだろうか、と。その部分以外の、専業主婦の実態のところは、きちんと調査されていて役に立つ資料となっている。

  
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PISA調査主導者による「世界標準の」教育論

2019-11-13 23:45:17 | 読書ノート
アンドレアス・シュライヒャー『教育のワールドクラス:21世紀の学校システムをつくる』鈴木寛, 秋田喜代美監訳, 明石書店, 2019.

  OECDの教育・スキル局長による各国教育事情の比較と展望、特にPISA調査の分析についてくわしい。原書はWorld Class: How to Build a 21st-Century School System (OECD, 2018.)で、英語版ならばOECDのHP1)からタダで読める。

  前半では学力に影響する要因について検討されている。重要なのは「質の高い教師」ということである。小規模学級を目指すぐらいならば、教師の待遇を改善して優れた教員を採用するようにしたほうがいい、と。待遇の改善には、高い給与だけでなく、各教師の自主性・創造性が発揮されるような労働環境も含まれる。ただし、教員の自主性にはトレードオフもあって、科学の知見を無視した、効果の怪しい独善的な教育手法の採用という危険もある。そういう独善に対しては、政府の統制や上司の管理の強化ではなく、同僚間の相互チェックで対応せよとアドバイスする。後半は教育政策や学校管理レベルについてで、各国での例が示されており参考になる。

  以上。学力への効果と各国の教育事情の話の二つが印象に残るが、後者に関しては面白い。ただし、その事情はPISA調査から見た断片的なものである。前者の学力への効果に関しては、ハッティ著(参考)のほうがいいと思う。ハッティ著は、教師が主体的に教える授業の方がアクティブ・ラーニング的授業よりも学力への効果が高いと示唆していた。本書の教師重視という主張も同様で納得しやすい。

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1) OECD https://www.oecd.org/education/world-class-9789264300002-en.htm
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AIの法的統制および国家による利用をめぐって

2019-11-09 09:32:07 | 読書ノート
山本龍彦編『AIと憲法』日本経済新聞, 2018.

  AIが浸透した社会での憲法の在り方を考察する論文集。序章を含めて全10章、5つのコラムを14人の若手法学者が執筆している。トピックとして「プライバシー」「自己決定権」「経済秩序」「人格」「教育」「民主主義」「選挙制度」「裁判」「刑事法」が扱われている。

  AIの主な機能は、個人に関する大量のデータを収集してプロファイリングする、ということになるだろう。このようなAIの機能を、国家は裁判や刑事事件の捜査のために利用する可能性がある。あるいは学校で個別指導のために使用される可能性がある。また、AIプロファイリングはすでに企業が用いているが、その場合どのような介入が求められるか、などについて検討している。また、、AIが判断ミスをした場合、帰責の対象は誰になるのか(AI自身というのはアリか)など、SF的に見える(でも切実な)検討がなされている。

  論点としては、プライバシー、統計的差別、意思決定に対する説明責任の三つがあるようだ。ただし、単純なAI警戒論とはなっておらず、AIを導入しなかった場合の社会的不幸への目配せもある。AIと法をめぐる問題提起の書として参考になると思う。
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マーケットデザイン適用の「戒め」かつ「ただし書き」本として

2019-11-05 08:12:06 | 読書ノート
川越敏司『マーケット・デザイン:オークションとマッチングの経済学』講談社選書メチエ, 講談社, 2015.

  オークションとマッチングを効率的な市場に変えることを考える研究領域「マーケット・デザイン」についての入門書。この領域の定番と言えば坂井豊貴の『マーケットデザイン入門:オークションとマッチングの経済学』(ミネルヴァ書房, 2010.)があるけれども、数学的証明が中心の内容で紹介されたアルゴリズムがどう応用されているのかがよくわからなかった。本書はそれを補う読み物的な内容である。

  前半1/3以外が経済学とゲーム理論、中盤1/3がオークション、後半1/3がマッチングという構成である。個人的には、二位価格オークションが理論的には効率的だという知識はすでにあった。だが、なぜ実際にはそれほど普及していないのか疑問に思っていた。本書によれば、実際のオークションを使って調査・実験したところ、必ずしも理論通りの結果とならないことがあるらしい。参加者数や談合などの要素も影響し、オークションする側はそうした点も考慮しなければならないとのこと。また、徐々に日本でも採用されるようになっている受入保留アルゴリズムについても、プロポーズする側される側の違いがあり、必ずしもすべての参加者にとって望ましい結果を保証する方法ではないという。このように、各種手法についての「ただし書き」のところで知見が多い本である。

  以上のように、この領域の新方式の導入を考えている組織ならば、付随する注意事項がわかって役に立つだろう。以前所属した大学の英文科のゼミ選択では「受入保留アルゴリズム:DAA」を使っていた(ただし処理は人力でやっている)。教員志望の学生が多くいる学科であるため、DAAが将来日本の各地で学校選択に導入されたときのことを考え、学生たちににこれを知っておいてもらおう、という学科の意図だった。しかし本書を読むと、そういう将来はなかなか来ないかも、という気がしてきたな。
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犯罪者うごめくアングラ世界と反民主主義思想を並置

2019-11-01 08:16:56 | 読書ノート
木澤佐登志『ダークウェブ・アンダーグラウンド:社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』イースト・プレス, 2019.

  インターネットの闇世界の解説書。ただし、闇世界だからタイトルに「ダーク」と付けられたわけではないらしく、もともとダークウェブとは接続に専用のブラウザソフトが必要という手間があるだけの一応は開かれたインターネット領域のことを意味するらしい。著者は1988年生まれのブロガーということだが、ルポルタージュ的な書籍だと考えるといいだろう。

  特殊なブラウザを使い、接続にあたってとことん匿名化する。これによって、ダークウェブの利用者は何をするのか。それは麻薬の売買、児童ポルノ、殺人依頼である。お金はビットコインで支払う。詐欺も横行している。というわけで結局、技術的な意味だけでなくコンテンツ的にもダークな領域になってしまっているようだ。あるいは著者がそのような特殊領域のみ記事化したのだろうか。以上のような話が前半である。

  後半は思想の話で、自由を重視するあまり反民主主義・反フェミニズムに傾く人々が採りあげられる。個人的には「ポストモダン思想のなれの果てがこれか」という感慨で心揺さぶられるところはあった。けれども、それとダークウェブと結びつけるのはどうなのだろう。危険思想とはいえ犯罪集団や非モテ論の延長で捉えられていいものだろうか。この構成は、扱っている思想をことさら暗く後ろめたく描いてみせるもので公正さに欠ける気がするなあ。

  というわけでニック・ランドという思想家にとっては不幸な紹介のされ方となっている気がする(よく知らないので、こういう扱いが妥当だという可能性はもちろんある)。また、最近のニュースで、中国のようなネット検閲のある国家の住民に対して、BBCがダークウェブ経由で接続できるサイトを立ち上げたという記事があった1)。そういう利用の仕方については触れられていない。

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1) Gigazine / BBCがダークウェブ上にTor経由でしかアクセスできないミラーサイトを開設 (2019.10.25)
  https://gigazine.net/news/20191025-bbc-dark-web-tor-mirror/
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