29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

雇用調整金による雇用維持は悪手ではなかった

2023-01-28 10:38:43 | 読書ノート
首藤若菜『雇用か賃金か:日本の選択』(筑摩選書), 筑摩書房, 2022.

  新型コロナ禍における航空業界の労働力への対応から、日本の雇用について考えるという内容である。著者は立教大学の先生。景気変動に対応した人件費の調整方法として、英米では解雇による人員数の調整が主流で、一方で日本の場合(解雇が容易ではないので)労働時間の短縮か、またはボーナスカットなどの賃金の圧縮などの方法が取られやすい、というイメージがある。実際、航空業界の対応を比較すると、そのような傾向が見られたという。

  米国の場合、レイオフの順序および景気回復後の復職順序が年功順になっているので、中高年の雇用が若者より相対的に守られている。あちらの労働組合は、中高年の利害を強く反映しているので、解雇よりも賃金水準を守ることの方を重視する傾向があるとのこと。解雇の容易さは「労働者の他産業への移動を促し、経済全体の構造転換を可能にする」ので、日本でも肯定的な論者がいる。しかし、航空業界では、需要が戻ったときにすぐに必要な人材を集めることができず(やはり訓練期間が必要なので)、欠航という結果をもたらして利益の損失を招いたとのこと。

  日本の場合、労働時間の削減や新規採用の抑制によって、雇用が守られたように見える。しかしながら、正社員が守られる代わりに、契約社員や下請け業者は雇用契約を打ち切られている。すなわち中小企業や非正規雇用者の間では失業が出ている。また、彼らがやっていた業務を、別の仕事をやっていた正規雇用者を移動させてやらせることになり、仕事のミスマッチも起きている。このような日本の航空業界の例のほかヨーロッパの航空業者やデパート業界の話も少々ある。

  以上。(労働時間の調整も含めての)賃金カットと雇用維持、どちらが良いかは一長一短であるというのが本書のトーンである。デパートから銀行のATM案内者に出向する50代男性の例は、良い話なのかそうでないのか僕にはよくわからない。いったん給与が上がってしまった中年男性の処遇というはいろいろ面倒くさいのだなあ、と我が身を省みさせる内容だった。
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日本におけるビデオ受容と衰退の歴史

2023-01-21 19:43:07 | 読書ノート
永田大輔, 近藤和都, 溝尻真也, 飯田豊『ビデオのメディア論』青弓社, 2022.

  媒体としてのビデオがどう受容されていったかについての歴史である。著者四人はメディア研究者である。研究書なのでちょい硬い書き方ではあるが、ビデオとともに青春時代を歩んできた人間にはすんなり読めるはず。ビデオ普及の歴史と聞くと、「アダルトビデオのおかげで家庭に普及した」という誰でも耳にしたことのある話を思い出すが、どうやらそれは神話らしい。

  序章と終章の間に四つの章が並んでいる。第一章はビデオの技術的な発展とテレビ製作からの分離についてで、ビデオ登場の当初はテレビ番組の録画ではなく手軽な映像製作に意義を見出す言説が存在したとのこと。第二章は、ホームビデオ以前の教育現場でのビデオ普及についてで、1970年代後半に「テレビの録画機器」として一般家庭に普及する以前は、教育現場からのニーズがあったらしい。第三章は、テレビ放送を録画するという行為についてで、ラジオ放送の「エアチェック」からまず説き起こされて、FM雑誌から音楽ビデオなどについて説明がある。第四章では、1980年代初頭から90年代にかけてのビデオの普及に従って録画済のビデオテープの価値と量が変化していったことが論じられる。第五章は、レンタルビデオの栄枯盛衰史で、アダルトビデオコーナーを隔離して女性や子供に入りやすい空間を作ったことや、海賊行為に対するビデオ製作者側の対応などについて説明されている。

  読んでいて懐かしくなった。ベータかVHSかどちらを選ぶかの迷い、エアチェック、今は亡きFM雑誌の購読、カセットテープのラベル作り、旧作目当てのビデオレンタル通いなど、1980年代に少年時代を過ごした人間には経験のあることばかりである。3章でテレビの歌番組を録音するためにラジカセ抱えて茶の間のテレビの前に陣取ったという話が出てくるが、まったく同じことを僕もやった。音楽を聴くこと以上に録ることが楽しいのだという著者の主張は慧眼である。そう、テレビとビデオの配線ができることなども含めて、機械を操作する楽しさってあるんだよなと思った次第。類書のない主題なので、本書の価値は高い。
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私立・国立問わず小学校受験についてあれこれ

2023-01-15 10:02:28 | 読書ノート
望月由起『小学校受験:現代日本の「教育する家族」』 (光文社新書), 光文社, 2022.

  タイトル通りの内容。小学校受験の現状と、小学校受験する家庭の階層や価値観について探っている。新書にしては頁数が多くて全体で369頁の分量である。著者は日大文理学部の教育学科教授で、かつ現在学科の「主任」(他大だと学科長)をやっているから、僕の上司ということになる。

  最初の二つの章は、小学校受験に対する冷たい視線──年端もいかない子どもを受験競争に早くからまきこむことや格差社会についての批判的なものが多い──があることと、対して近年の私立小学校の増加や、学校は選択するものという意識が広がってきたことが背景として描かれる。3章以降で著者自身の調査によるデータがいろいろ紹介される。小学校受験をする家庭は、親が金持ちで高学歴だというのは予想がつく。だが、昔の私立小学校受験家庭は、親が名士であるなど本当に特殊な層に限られていたらしいが、現在はそれほどでもないらしい。また、公立小学校に通う家庭と比較すると、努力に対して高い評価を与える傾向にあるとのこと。親の公立小学校に対する不信も高い。こうしたトピックのほか、国立小学校についても記載がある。

  統計データも豊富だが、特に親からの受験についてのコメントが面白い。子どもに受験勉強をさせながら、のびのびと遊ばせる時間を持てないことに後ろめたさを吐露していたりする。大半の人には縁の無い世界であるが、一定の需要が見込めるニッチな主題の本というところだろう。
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知識についてのさまざまな「哲学的」トピックについて通覧する

2023-01-07 20:38:55 | 読書ノート
ダンカン・プリチャード『知識とは何だろうか:認識論入門』笠木雅史訳, 勁草書房, 2022.

  哲学。知識を手掛かりに認識論について解説する大学院レベルの教科書で、邦訳は原書What is this called knowledge?(Routledge, 初版2006.)の2018年第4版から。.著者は英国人のようだが、現在はカリフォルニア大学アーバイン校の教授である。

  五部構成になっていて、知識をどう定義するか、知識をどこから得るか、どのような種類の知識があるか、知識理論の応用、知識に対する懐疑論や相対主義、についてそれぞれで取りあげている。最初の部で「知識」を定義しようとしてさまざまな疑義が出てきてしまい明解な定義に失敗する。だが、著者はそうした疑義こそが理解を深めるのだとして、筆を進める。

  著者によれば、デネットの言う「理解力なき有能性」(参考)みたいなものは知識ではない。知識を持つには、その保持者が知的に高度であり、その知識は真で、かつその保持者がそれを信じていなければならない、とする。このほか、知識には価値が求められること、また知識の獲得のされかたも重要だということである。これらをとっかかかりに、知識の得方や、科学や宗教や道徳という文脈での「知識」をどう考えるべきか、教育や法における知識の意義などが論じられる。

  コラムや演習問題や用語集もあり、また文献案内も充実している。内容も、気軽に読めるというにはやや高度であるものの、大学生ならば丁寧に読み進めれば理解できるレベルである(たぶん)。
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