29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

世界秩序についての予言の書、その20年後

2017-11-27 08:19:31 | 読書ノート
サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』鈴木主税訳, 集英社, 1998.

  国際政治学。よく知られた書籍であるが、現在に至るまで未読だった。2017年に集英社から文庫化されたので読んでみた。文庫版には国際政治学者・猪口孝の解説が付いている。原書はThe clash of civilizations : And the remaking of world order (Simon & Schuster, 1996)である。

  内容はこう。将来西欧の相対的地位が下がるにつれて、今ある八つの文明が群雄割拠する世界秩序が構築されることになる。具体的には米国の地位低下、さらに中国の経済大国化とイスラム人口の増加によって世界秩序維持が難しくなり、異なる文明間で戦争が起こりやすくなっているという。

  日本については、米国と中国の間で揺れ動く独自の文明という位置づけである。本書が書かれた1990年代にはそう見えたかもしれないしそういう雰囲気もあったが、現在は尖閣諸島の問題などもあって中国に親近感をもつ日本人は減っている。この点は外しているところ。しかし、大局的には本書の予言はあたっていると言えるだろう。

  個人的には、文庫版下巻におけるユーゴスラビアの内戦と南コーカサスの紛争の記述が、よく知らないこともあって興味深かった。同じような視点でまとめたもっと詳しい書籍があれば読みたいと思う。
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「新書でやさしく」とはいかないマクロ経済学入門

2017-11-24 14:19:03 | 読書ノート
飯田泰之『マクロ経済学の核心』光文社新書, 光文社, 2017.

  マクロ経済学の入門書だが、新書にしてはかなりハードである。初心者にはまったく向いていなくて、副読本という位置づけで考えたほうがいいかもしれない。まずは分厚い教科書をじっくり読むべきで、その後に「ざっくり全体像を掴みたい」というときに役に立つ書籍である。

  マクロ経済学は「数式のモデルはこうなっていて各項はこう定義されています」という話と、「各項間の関係としてこういう法則がなりたっています」という話で出来ている。どちらも数式をもとにしているので、本書においても容赦なく展開されている。なんたら曲線を示す図も満載である。とはいえ、一度他の教科書で学んだことのある人にとっては「あのトピックにこういう含意があったのか」とか「学説上の論争を経てあのモデルが導出されたのね」などといったことも分かって、必ずしも無味乾燥というわけではない。個人的には失業とインフレ率の関係について説明した第五章はかなり面白いと思う。コラムではアベノミクスやトランプ大統領の政策が採りあげられ、ヴィヴィッドな部分もある。

  というわけでまずはマクロ経済学の教科書を読もう。どの教科書がよいと人に勧められるほどの知識はないのだけれど、知る限りでは、GDPの説明から始まりきちんと数式を説明している点で本書と近い齋藤誠ほか著の有斐閣(2010)刊のがよいかも(ただし文字が小さいのが難点)。けれども、副読本を楽しむために教科書を読むというのも本末転倒だな。
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ドラムとベースの伴奏のあるクラシックピアノ

2017-11-20 15:21:28 | 音盤ノート
Benedikt Jahnel Trio "The Invariant" ECM, 2017.

  ジャズ。ベネディクト・ヤーネルは1980年ドイツ生れのピアニスト。イラン系ドイツ人女性ボーカリストのCymin Samawatieを中心としたCyminologyなるバンドで注目され、この作品は自身のトリオとしては三作目となる。僕は初めて聴いた。

  修行時代からジャズピアノをやっているとの話だが、和声やタイム感覚がクラシックである。正確に言うと、Bill Evans経由でジャズに影響したフランス印象派系の和声とは違った感覚があって、なんだかベートーベンのピアノソナタを聴いているよう。とはいえ、アドリブもあるし、ドラムもベースもあるので一応はジャズである。流麗で端正であり、ECMにしては耽溺的なところがなく、思索的な感覚はわずかで、全体的に明朗で健康的である。

  音数は多めで、あまり音の隙間を作ろうとしない演奏となっている。曲がしっかりと構築されていて聴く方はそちらに耳がいってしまう。このためソロ部分の魅力は薄く感じる。こういうところはPat Metheny Groupのクラシック寄り版みたいだな。曲がウェルメイドであるために緊張感を感じないが、ジャズが退屈であると感じる向きには聴きやすいと思う。
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エネルギー問題からみた「生命の誕生」仮説の専門書

2017-11-16 15:22:41 | 読書ノート
ニック・レーン『生命、エネルギー、進化』斉藤隆央訳, みすず書房, 2016.

  生化学。地球における生命体の誕生をエネルギーの観点から探るという試み。原核生物から真核生物への進化、有性生殖と死の生物学的意義についても検討されている。著者は英国の生化学の研究者。原書はThe vital question: Why is life the way it is? (Profile Books, 2015)である。

  生命はエネルギーに依拠した現象だ、というわけで前半ではその起源が検討される。従来、落雷や紫外線によって有機物が形成され、それを含んだ原始のスープから偶然にDNAと細胞膜をもった生命体が生まれてきたというようなストーリーが提唱されてきた。著者は、エントロピーの法則からしてそれはありえないとして、生体と外界の間のエネルギーの受け渡しが時間を経て継続するような、ごくまれな環境が必要だとする。で、それは海底にあるアルカリ熱水噴出孔である、としている。

  後半では、エネルギーコストの高い真核生物は、原核生物が内部に別の原核生物を共生させることで誕生したと主張している。その結果としての機能分化こそ──特にミトコンドリア―─が、原核生物に比べて大きくなる真核生物の細胞の維持を可能にしているという。内部共生の試みは大抵失敗しているが、偶然うまくいった結果が現在の真核生物の祖先であり、一回きりの奇跡だという。有性生殖や細胞死は、ミトコンドリアの変異とそれを抑制するためのエネルギーコストと関係があるとのことである。

  以上。売れるような本とは思えないが、入手した本の奥付をみてみたら2017年5月26日付で9刷になっていた。しかし、かなり難解かつ専門的で、よくわからない記述も多くある。じっくり丁寧に読むべし。
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強烈なインパクトはないがまとまりは良いピアノトリオ作品

2017-11-13 21:23:15 | 音盤ノート
Aaron Parks, Ben Street, Billy Hart "Find the Way" ECM, 2017.

  ジャズ。ピアノトリオ作品。アーロン・パークスは1983年生まれの米国シアトル出身のピアニスト。出世作に"Invisible Cinema" (Bluenote, 2008)があるが、あれより本作はずっとオーソドックスで落ち着いており聴きやすい。収録はタイトル曲以外はパークスのオリジナル曲。タイトル曲はIan Bernardなる人物の作曲で、初出はRosemary Clooneyの"Love" (1963, reprise)とのこと。よくもまあこんなマイナー曲を。

  リリカルで美麗。しかし涙腺を刺激するほどではなく、思索的かつドライである。よくまとまっており、そこそこ良いのだが、「凄い」という感じでもない。なんだろう、メロディの作りは巧みなのだが、インプロヴィゼーションに走るのでもなし、実験的な和音を試みるでもなし、リリシズムを極めて退廃的に沈むのでもなし。全体的にミュージシャンの性を刻印する強烈さというものが欠けている気がする。その中で、リズム隊、特にBilly Hartの評価は分かれているが、普通にバッキングしたら凡庸になってしまいそうなこのピアノ演奏を、あまり寄り添いすぎない、少々アブストラクトな味付けによって、なんとか知的な印象を持たれる領域に留めている。この点でHartがもう少し評価されてもいい気がする。

  というわけで一聴してすぐに素晴らしく感じる作品ではない。だが、ここ最近のECMの若手ピアノトリオ作品にしては、収録曲に退屈な曲が少なくて、いずれもそこそこの水準があって全体を聴き通しやすい。発売後半年かけて聴いてきた者として言うと、じわじわとその良さも感じられるようにもなってきており、地味な良作とも言える。
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得点のバラつきの少ない・平均値の高い教育制度を求めて

2017-11-10 08:40:10 | 読書ノート
ルーシー・クレハン 『日本の15歳はなぜ学力が高いのか?:5つの教育大国に学ぶ成功の秘密』橋川史訳, 早川書房, 2017.

  英国人目線からの各国教育制度の比較。俎上にのせられるのは、PISA調査で点数の高いフィンランド、日本、シンガポール、上海、カナダの五つである。著者はそれらの国を訪問して教育の実態を観察するのだが、「公式ルートを通じたがために模範校を紹介されてしまう」ということを避けるために、ネットを通じて英語のできる現地教師を探し出し、ごく普通の学校を視察させてもらえるよう試みている。邦題は日本人のプライドをくすぐるが、原題はまったく違ってCleverlands : The secrets behind the success of the world's education superpowers (Unbound, 2016)である。

  気楽な訪問記と思いきや、広範な文献調査をもとにした記述が長く展開されており、内容はけっこうアカデミックである。もちろん学校観察記もあるが、期待するほど詳細ではなく、どちらかと言えばインタビュー部分の比重が高い。著者が観察した結果、子どもに公平に高い学力を保障するにはいくつかの要素を組み合わせるべきだということである。個人的に印象に残ったのを挙げると、一つは「就学年齢は遅めでよい」というもの。幼児のときに点数を付けられるような勉強を強制すると学習意欲が高まりにくいらしい。早期教育とは何だったのか。

  もう一つは「国や州で統一されたカリキュラム」で、習得すべき最低限のラインが示されるのは、覚える量が限定されるわけで児童・生徒にとって負担が少なくてよいという。また教員にとっても、内容の検討に時間が奪われることなく、授業方法の改善にエネルギーを打ち込めるのでよいとのことだった。文科省が教育内容をコントロールすることへの批判はよく耳にしてきたのだが、日本の教育の公平性には大きく貢献しているのだろう。あと「能力別クラス編成や選抜試験はできるだけ遅く、少なくとも10代半ばまではしない」というもの。これはさもありなんである。これらのほかにも指摘はあるが割愛。

 「平等を重視すると才能のあるこどもの機会を奪うことになる」という批判に対しては、能力ある子どもの学力が低下するわけではないとして文献を挙げて一蹴している。ここはどうなんだろうか。早くの学位取得が遅れたりするわけだから、トレードオフは当然あるだろう。これは社会がどのような人間を求めるのか、という問題でもあり、別に論じられるべきことかもしれない。通読して、日本の義務教育がそれほど酷い状態ではない、むしろうまくいっているという評価は、たぶんそうなのだろうと納得した。
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真の味噌カツとスパゲティ・イタリアンを求めて

2017-11-06 21:16:32 | チラシの裏
  先日、日本図書館情報学会に行ってきた。会場は名古屋にある椙山女学園大学である。かつては名古屋の三大お嬢様大学とされていたが、そのうちの一角だった愛知淑徳大学はすでに共学化してしまっている。僕が卒業した丹羽高校からも、当時の同級生が何人か椙山大に進学していった。そういえばあの娘はきれいだったなあ、今はどうしているんだろうとか思いながら、初めてそのキャンパスに入った。

  学会への来場者はかなり少ないように感じた。やはり名古屋は人気が無いのかな。「来年の沖縄大会に向けて多くの会員は旅費を貯金している」という噂が(僕の半径1m以内で)流れたほど。僕もお金を貯めるために、コメダに通うのを我慢してコンビニでコーヒーを飲むことにしよう。今回の学会は、観たい発表二つが第一会場と第二会場とで同時間帯にバッティングしている(薬袋vs.安形、鬼頭vs.宮田とか[敬称略])ということがあって、聴講者としては不完全燃焼感が残った。これはしようがないことだけれども。僕も発表者の一人だったが、予稿に書いたこととほとんど変わっていないのでそちらを参照。

  今回の問題は食事である。会場のある東山線の星ヶ丘駅周辺は予想していた以上にこじゃれた街だった。このため「スパゲティ・イタリアン」が出てきそうなさびれた喫茶店を見つけられなかった。これは鉄板に溶き卵を敷いてナポリタンをのせるという名古屋の喫茶店の定番メニューなのだが、撲滅すべき下世話な名古屋食とみなされているようで、まともなパスタ屋には置いていない。僕は19歳で愛知県を出るまで、鉄板にのったスパゲティこそお店でしか出てこない高級品であり、皿にのったやつはワンランク低いものだとずっと思い込んでいた。故郷にしかないB級料理であるとわかったときの悲しみといったら‼。しようがなく、パスタメニューの豊富な(でもイタリアンはない)喫茶店でカレーを食べた。

  夜も味噌カツをおいてそうな店を探して栄駅まで移動しなければならなかった。矢場とんが全国的な知名度を持つようになってしまったがために、定食メインメニュー型の「わらじトンカツ」が味噌カツの標準であるかのように世間では思われている。けれども、名古屋人が思い浮かべる味噌カツの真の姿は、おじさんがたむろするような飲み屋で出てくる「みそだれに漬けた串カツ」である。星ヶ丘駅周辺には、そのようなおっさんが気軽に入れるような飲み屋の選択肢が多くなかった。

  というわけで星ヶ丘駅周辺の食事は楽しめなかった。関東に帰る直前に名古屋駅の地下街で見つけた店でイタリアンを食べることができたのだが、旅行者向けに「鉄板ナポリタン」と名称をわかりやすく変えていた。なお、名古屋の昔ながらの喫茶店では、焼きそばも鉄板+溶き卵で出てくる。たまに食べたくなるんだよなあ。
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いわゆる「Fラン」を視野の外においた大学改革批判

2017-11-03 18:04:52 | 読書ノート
山口裕之『「大学改革」という病:学問の自由・財政基盤・競争主義から検証する』明石書店, 2017.

  大学論。日本における競争主義的な方向への大学改革と、大学への急激な予算削減に対して危惧を表明し、国内外の大学の歴史をひもとき、日本の大学の客観的な現状を示しながら、あるべき大学改革を説くという内容である。著者は徳島大学所属の哲学者で、著書もけっこうある。

  中では次のような主張が展開されている。「一時期もてはやされた米国の大学の特許戦略は大して巧くいっていない」「日本の大学入試は入学者の学力を高める効果がある」「一方で偏差値の高い大学の卒業生を雇用しても企業の生産性は高まらない」「しかしながら企業の専門スキルに対するニーズは低く大学での職業教育は機能しない」などなど。きちんとデータや先行研究を示しての説明なのでなかなか説得力がある。

  著者の示す解決策は「政府はこれまでどおり予算を大学に付け、研究の自由を保障する。大学教員は、クリティカルシンキングと論理を伝えるコミュニケーション能力を学生に授ける」というもの。大学教員としてわからないでもないが、これで納税者を説得できるだろうか。世間に蔓延する大学数に対する過剰感や、入試でスクリーニングができない+教育が機能しないというような大学への補助金というトピックも、議論の俎上にのせるべきだったろう。イメージされている大学が健全すぎる気がする。
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