29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

静岡市郊外に引っ越して一年

2009-09-30 17:22:25 | チラシの裏
  静岡市の町中からやや外れの住居に引っ越してほぼ一年になる。浜松など比べると、商店街の残る静岡市は歩きやすい。けれども密集地の規模は大きくないので、すぐ町外れになる。郊外は普通の地方都市と一緒で、車が無いとかなり不便である。それでも今のところ、僕は自転車で移動している。雨だとバスを使わざるをえないのだけど、時間のかかるコースになってしまうのは面倒なところ。
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静岡カレー事情

2009-09-28 10:05:32 | チラシの裏
  学食のカレーを気にいっていたのだが、6月頃から味が変わってしまったように感じる。なんだかマイルドになってしまった。以前はもう少しコクがあったのだが・・・。学食は、ほぼ静岡県出身者である女子学生の味覚に合わせたのだろう。わが学食のみならず、静岡市内のカレー店舗は総じて甘い。基本が甘いソースに、ふりかけたような香辛料で辛みを付けたようなのが多い。コクが足りないのだ。標準的なカレーに慣れたよそ者は、Coco壱番屋に行くしかない状態である。
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静岡空港問題を入口にして・・・

2009-09-25 13:13:18 | 読書ノート
森功『血税空港:本日も遠く高く不便な空の便』幻冬舎新書, 幻冬舎, 2009.

  日本の航空行政について批判したジャーナリスティックな書籍。なんでも、日本には99の空港があり、その多くは赤字であるとのこと。そして赤字は税金によって補填されているが、収支改善の見込みが立っていないという。また、羽田の国際空港化なども求めている。

  航空産業についての知識はつく。それでも、これは著者の責任ではないものの、無駄で不効率な公共事業の批判を聞かされるのは、「またか」という感がする。あちこちで日本の行政は酷かったのだろう。頭が痛いところだ。JALの経営危機のニュースの背景もよくわかる。
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モルヴェルよりわかりやすい

2009-09-18 08:32:35 | 音盤ノート
Eivind Aarset "Connected" Jazzland, 2004.

 NPM(参考1,2)組のノルウェーのギタリスト。一応ジャズのコーナーに置いてあるアルバムだが、本人の演奏にはジャズ臭が皆無でどちらかというとロック的。NPM同様、バックもエレクトロニカを採りいれたものになっている。

  陰影のある暗めの音作りもNPMと同様で、Bugge Wesseltoftのような明るさは無い。だが、アブストラクトな曲は少なく、リズムのはっきりした曲が中心で聴きやすい。ソロ演奏においても、屈折してはいるもののしっかりとしたメロディが感じられ、そこがNPMと違うところ。もっとも、前作"Light Extracts"(Jazzland, 2001)の方が内容が多彩で面白く、世間的な評価が高い。だが、地味ながらも統一感はこのアルバムの方がある。

  なお、このアルバムのオリジナルは2004年発売、翌年に一曲"Silk Worm / darknose.prod.mix"をボーナスとして付けた日本盤が発行されている。


  
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機能しない二大政党制もある

2009-09-16 18:14:32 | 読書ノート
坂野潤治『日本政治「失敗」の研究:中途半端好みの国民の行方』光芒社, 2001.

  日本における二大政党制についての歴史書である。といっても明治の二大政党制についての議論から、戦前にあった政友会と民政党が政権を交互に担う時代までが対象である。正直に言って、刊行当初に読んだきりであまり内容を覚えていない。が、次の指摘は印象に残っている。

  著者曰く、昭和初頭の二大政党制が実現した時代は、

  五・一五事件によって終焉した。この劇的な敗北(政党政治の終焉のこと──引用者)の諸原因については(中略)一点だけを挙げておきたい。二大政党の内外政策の対立幅が大きすぎ、1930年前後の世界的危機への日本の対応を混乱させてしまったという点である。民政党が政権に就けば海軍軍縮が断行され、政友会が内閣を組織すれば満州事変が容認されるというのでは、政権交代による対外政策の振幅が大きすぎた。内政についても同様で、民政党が政権に就けば金本位制が復活し、政友会内閣になれば金本位制から離脱するというのでは、政権交代は経済界の混乱に拍車をかける。
  争点なき選挙は確かに味気ないが、争点の大きすぎる二大政党制は社会を混乱させるのである。(p.16)


  ただし、二大政党制が否定されているわけではないので誤解無きよう。
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日本十進分類法9版収集中

2009-09-14 14:08:05 | 図書館・情報学
  司書資格課程の講義「資料組織概説・演習」で用いる『日本十進分類法/第9版』。関東の大学では学校の備品として数十冊を揃え、授業時に貸し出すということが多かった。だが、5800円もするあの本を、教科書として学生個人に購入させるところもある。僕の勤務する短大もそう。個人的には備品にした方が良いとは考えているが、なかなかそれに踏み切れない事情もある。

  理由は新版との関係のため。2,3年前に第10版の公刊がアナウンスされた。予算の都合上、9版を今数十冊購入すると、近いうちに発行されるであろう第10版をまとめて購入することが難しくなる可能性大。とはいえ、第10版は未だ刊行される様子がなく、昨年と同様、今年も受講生に9版を購入してもらわなくてはならない。

  だが近々9版は古いものになる。また日本十進分類法なんか家で持っていてもあまり役に立つものではなく、重くて持ち歩くのも大変だ。貧乏な学生たちに大枚をはたかせて、新刊を個人所有させておかなければならないものではない。そういうわけで、学生には9版を古本で入手するよう指示しておいた。

  しかし、古本屋でおいそれと見つかる本でもないようだ。また相場も¥4000ぐらいで、おもったより安くない。そういう次第で、古書での収集はなかなかうまくいってない。下司なお願いですが、寄贈していただけるか、安く売ってくれる方はいないでしょうかね?
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過激な主張のようで実はよくあるデモクラシー観

2009-09-11 09:35:30 | 読書ノート
ブライアン・カプラン『選挙の経済学:投票者はなぜ愚策を選ぶのか』長峯純一, 奥井克美訳, 日経BP, 2009.

  この邦題ではカバーする範囲が大きすぎて誤解を招くだろう。原題の"The myth of the rational voter"「合理的投票者という神話」の方が内容を過不足なく伝える。投票行動の経済学的分析に持ち込まれる「合理的無知」という前提を批判する理論的な内容である。投票者の多くは一定の方向へのバイアスを持つために、民主制は最高のパフォーマンスを上げていないと結論する。

  著者によると、経済学では投票者が「合理的」ならば、政治的に無知であることを選ぶとされる。一般に、投票のために政策や候補者について十分な情報を得る便益と、そのコストとエネルギー・時間を他の機会に用いる便益を比較すると、後者のそれの方が高いことが多いからである。しかしこのままでは民主制はうまくゆかない。そこで「集計の奇跡」というロジックが使われる。それには投票者の政策に対する選好はランダムであるという仮定が導入される。つまり、ある政策に対して賛成と反対があったら、それは50対50に分かれるというものである。この場合、少数の平均的な投票者──正確に言うと正規分布のド真ん中にいる投票者──が中庸な政策に投票にすることで、穏当で望ましい結果が実現するという。

  これに対する著者の批判は、実際の投票者はランダムに分布せず、特定の方向へのバイアスを持って分布するというものである。著者は、経済学者と一般人に対する経済政策についてのアンケート調査を分析して、一般人は反市場バイアスや反外国バイアスなどを持つ傾向があることを示す。経済学的に支持されない保護貿易や雇用の過剰な保護が一般人には好ましいとされるのである。バイアスのかかった政策が選挙によって受け入れられるならば、国民は、望みの政策を手に入れることによって、経済学に支持される政策と比べてより少ない効用しか得られなくなる。

  しかし上の議論は、経済学プロパーでなければコップの中の嵐という感がしないでもない。著者の議論は、民主制を衆愚政治とみなす伝統的な考え方に近い。目新しいのは、無知な投票者が多くても民主制は機能するという「集計の奇跡」の方である。そういうわけで、新奇で過激な意見から、より受け容れやすい見方に落ち着いたという印象だ。民主制=衆愚政治という見方は現在では主流ではないかもしれないが、古代ギリシアから存在し、20世紀にも選挙で政権を獲得したナチスを例にした議論があった。投票が特定の方向にぶれることも、ここ最近の国政選挙を経験した日本人には驚くような話ではないだろう。

  それよりも、「集計の奇跡」が妥当しないならば、なぜ民主制は今のところそれほど破滅的な結果をもたらしていないのだろうか? これについても本書で考察されている。それによれば、代議士がマキャベリ的に振る舞う余地が政治にあり、彼らは投票者の「経済学的に間違った政策」への選好を無視または反故にして、投票者の支持しない経済成長を高める政策を選択する動機があるという。投票者のイデオロギーを満足させるよりも物質的利益に気を配った方が再選の確率が高まるからである。投票者の表明された願望にあまりに忠実で、公約を真面目に実現しようとする政治家は有権者を不幸にするのである。

  著者は、政治家のマキャベリズムにそれほど楽天的ではないようだ。最後の章で、適切な経済政策が選択されるよう大学卒に票を多めに与えるべきだという踏み込んだ提案を行っている。率直に言って、そうまでしなければならないほど現在の民主政治は危機に瀕しているとは思えず、今のところ説得力は薄いだろう。しかし、完全に一蹴してしまえるものでもない。仮に将来、最高の経済パフォーマンスを上げる独裁国家が登場し、世界の覇権を握るようなことがある場合、現状の民主制に安穏としていられるほど普通の人は強くないと思われるからである。
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こっそりとリマスタリング盤が2007年に出ていた

2009-09-09 22:42:47 | 音盤ノート
Cocteau Twins "Blue Bell Knoll" 4AD, 1988.

  英国1980年代のマイナーなポップ音楽。僕より若い人が使う"dream pop"なるジャンルの元祖、と言われてもわからない人は多いだろうな。エンヤ(Enya)のデビュー当時、その音楽を説明するのにこのコクトー・ツインズが使われたものだが、今では逆の立場である。ファルセットと地声を行ったり来たりする女声を中心にした、ジャズ的要素やR&B的要素が全くないAORと言えばわかるだろうか? 活動期間は1982年から1997年までで、8枚のオリジナルアルバムを残している。

  一般には、彼らがスタイルを確立した作品として"Treasure"(4AD, 1984)の評価が高い。これはドラム以外の演奏とボーカルスタイルに限っては妥当な評価である。だが、打ち込みによるドラムはやたらタイトで、せっかく創り上げた繊細で柔和な音楽と調和していない。次の"Victorialand"(4AD, 1986)をドラム無しで録音しているところを見ると、ビートの処理には迷いがあったのだろう。このドカドカした遅れ気味のドラムは1986年のEP"Love's Easy Tears"(4AD)まで続いている。

  控え目な音量で細かめにリズムを刻むことでドラムの問題を解決したアルバムがこの"Blue Bell Knoll"である。ここでの落ち着いた演奏の上にのるElizabeth Fraserのボーカルは冴えわたっており、神々しいファルセットと、ぶっきらぼうでどちらか言えば"汚い"地声が一曲の中で展開する様は圧巻。耽美的な感覚が基調にあるものの、時折登場する地声の毒っぽさが曲に深みを与えている。この清濁併せ持っているところが魅力で、似たようなアーティストの清廉一辺倒が単調になりがちなのと大きく異なっている。

  このアルバムはまた、日本ではほとんど無かった彼らの知名度をわずかに上げた作品で、二曲目"Athol-Brose"は当時車のCMのBGMとして使用されていた。この曲を収録した日本特別編集シングル盤まで発売されている。大して売れなかったみたいだから、今では覚えてる人も少ないだろう。



  
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記念すべき中公新書2000番

2009-09-07 23:08:09 | 読書ノート
猪木武徳『戦後世界経済史:自由と平等の視点から』中公新書, 中央公論, 2009.

  タイトルにあるように、経済から見た第二次大戦以降の世界史。副題にある「自由と平等の視点」は確かに基調をなしているものの、それほど強いトーンではない。むしろ、経済を停滞・成長させる要因や、それに適した政策や政体は何かという興味の方が前面に出ているように感じられる。

  最終章では、安定的な経済発展に貢献する最大の要因として、人的資本の蓄積が挙げられている。人的資本が不十分ならば、民主制が導入されていても、それが上手く運営される保証はないという。一方で、開発独裁というルートからでも、国民の教育レベルを高めて民主制に辿り着くことができる(韓国や台湾のように)。以上の示唆を、「重要なのは教育であって言論の自由などは二の次だ」と解釈するのは行き過ぎだろうか?
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完璧ではないものの評価できる作品

2009-09-04 13:08:03 | 音盤ノート
Bugge Wesseltoft "Moving" Jazzland, 2001.

  NPMつながりで一つ。日本語表記だと“ブッゲ・ヴェッセルトフト”と書くこのノルウェーのピアニストは、"New conception of jazz"なる打ち込みエレクトロ・サウンドを使ったジャズの提唱者として知られている。このアルバムは同コンセプトでの三作目。機械的なリズムトラック(人力リズム隊も参加している)にアコースティック・ベースとシンセサイザーを添え、鍵盤を響かせるというもの。で、うまくいっているのか?

  個人的に気に入ってはいるが、絶賛というわけにはいかない。気になる点は二つある。一つは、本人のピアノが朴訥系で、ソロが単調なこと。もう少し緊張感のある演奏をしてくれればなあ、と。これはNPMの"Revision"のところでも述べたことだけど、ソロの魅力の無さの自覚がエレクトロニカというアイデアを要求しているのだろう。二つ目は、生ピアノの使い方。エレクトリックピアノを使った一・二曲目は後ろの演奏と合っているが、生ピアノをのせる感傷的な他の曲は、ピアノの音が浮いてしまっている。そもそも反復ビートと合わないのか、楽曲や奏法の改善または音響処理でなんとかなるのかわからないが、十分消化できていないという印象である。

  上のような問題はあるものの、チャレンジングな作品として高く評価できるだろう。バックの演奏はエレクトロニカ系のトラックとして満足できる水準である(近年のJan Garbarekの打ち込み曲と比較してみてほしい)。楽曲もNPMほど重たくなく、聴きやすいだろう。

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