29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

日本の恋愛と結婚の動向についての緻密な分析と報告

2020-12-29 10:06:22 | 読書ノート
石田浩, 佐藤博樹編『出会いと結婚 』 (格差の連鎖と若者 ; 2), 勁草書房, 2019.

  日本の恋愛と結婚の動向について分析した、執筆者9名による研究書籍。2007年から現在まで東大が収集している、働き方と生活に関するパネルデータを基にした分析である。全三巻のシリーズ本で、この本は2巻目。なお1巻は若者の価値観や現状認識を、3巻は教育と就職を扱っている。

  一章では結婚に対する意識が検討される。30歳前後で結婚するというのが年齢規範になっているものの、年齢のピークが微妙に男女でズレており、これがミスマッチを生んでいるという。結婚するには20代のうちに交際相手を見つけておくことと、相手のスペックにあまり条件をつけないことが重要だとのこと。二章では、出会い・交際・結婚に至るステップについて検討されている。出会いの段階がクリアできるかどうかは男女ともに本人の本気度で決まる(他の要因はあまり関係ない)。しかし、その後結婚できるかどうかは話が別で、男性に限れば結婚に至るには雇用状態と学歴が影響するという。三章は結婚観の分析で、近年は性別役割分業を支持する層が増えているとのこと。

  四章はワークライフバランスの話で、相変わらず日本の男性は家事時間が少ない、なぜなら家事のピーク時間となる夜7時までに帰宅できないからだ、と分析されている。五章は、子どもをつくる意欲を扱っており、意欲低下を食い止めるためには男性だけでなく女性の雇用の安定化も重要だとする。六章は、結婚に対する満足感の男女差を取り上げている。男性はおおむね満足度が高くて一定だが、女性のほうはイベント(例えば子どもの出産)などによって満足度に変化があり、満足しているグループと不満を感じているグループの二つに分かれてゆくとのこと。終章はまとめとなっている。

  以上。男性側が正規雇用であるか否かが結婚の決め手になるということと、昭和から21世紀に至るまであまり大きく変化していない結婚観の残存という話は、同じテーマの他の書籍と変わらない。交際や結婚、出産などの妨げになりうる細かい事柄を取り上げてより精緻に分析してみせたということと、たぶんそうだろうと考えられてきたことが数値で裏付けられたということ、これらが本書の意義ということになるだろう。
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ビーチボーイズ・ミーツ・ピアノ弾き語りSSW風ソフトロック

2020-12-25 22:03:57 | 音盤ノート
June & The Exit Wounds "Little More Haven Hamilton, Please" Parasol, 1998.

  米国シカゴ産のソフトロック。いちおうグループ名義になってはいるものの、また実際にドラムとベースもいるのだが、実態はピアノ兼ギター兼ボーカルのTodd Fletcherなる人物による多重録音の単発プロジェクトである。アルバムもこの一枚だけで、他に日本編集盤がもう一枚あるだけ。この人の本来の領域はエレクトロニカで、1980年代後半から2000年代前半まで活動していたようだが、あまり情報がない。そこそこ認知されてかつ今日まで記憶されているのはこの作品だけだろう。

  ピアノ弾き語り系シンガーソングライターのスタイルが取られていて、ピアノによるコード進行に併せて曲が進む。アダルト・コンテンポラリーが支配的になる前の、1970年代前半の音の再現を意図したのだろう、エルトン・ジョン、キャロル・キング、トッド・ラングレンなどの名が思い浮かぶ(ただし、ギターソロだけはAORっぽい)。また、コーラス部分は重ね録りされており、ビーチ・ボーイズばりのハーモニーを聴かせる。繰り出される泣きメロの完成度はなかなか高くて、曲によっては気迫迫るレベルで琴線に触れてくる。ただし、一つ難点があって、それはボーカルの声質が軽いこと。この点は聴き手の好みによるのだろうが、個人的には曲の説得力をほんのちょっとだけ削いでいる気がした。

  残念ながら今のところアルバム全曲のインターネット配信はなされていないみたいで、収録曲全てを聴くためにはCDかLPを探す必要がある。ややこしいことに、ParasolオリジナルのLPとCDではジャケットが異なっていて、さらにMarinaから2000年に再発された米盤CDもまた異なっている。加えてボーナストラックもそれぞれ異なる。僕の持っている日本盤CDではカバー曲2曲がボートラになっているが、あまり出来はよくない。”Awake All Night”収録のMarina盤CDか、または7inchシングル付きのParasol盤LPがいいと思う。

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恋愛と結婚の自由の結果として、強いられた孤独が拡大している

2020-12-21 19:59:29 | 読書ノート
小林盾, 川端健嗣編『変貌する恋愛と結婚:データで読む』(平成成蹊大学アジア太平洋研究センター叢書), 新曜社, 2019.

  家族社会学。現代の日本では恋愛、結婚、出産は一続きのステップとなっており、それぞれの動向を把握するという内容。2015年の1万2000人から回答を得たアンケート調査データと、18年の1100人の面接調査データを元にしている。図表は多いが、細かい統計処理の説明は端折っており、いちおう一般向けの書籍である。執筆者の総勢は17人で、各章の充実度は玉石混交である。

  で、おもしろかった知見は二つ。「恋愛は必ずしも結婚に結実しなくてもいいが結婚には必ず恋愛感情を伴うべき、と近年の若年層は考えている」(3章)。「未婚者は他人をあまり信頼しない。理由として、パートナーとの協力経験がないことと、機会の不平等を認識するようになることが考えられる」(8章)。このほかは、予想の範囲内ではあるがきちんと数値で裏付けられたという知見か、または他の論文のデータでも見たことのある結果である。「若年男性は草食化している」「高学歴女性は相手の学歴を気にする」「非正規雇用の男性は結婚しにくい」「未婚男性の幸福感はかなり低い」「経済力があれば子どもを持つ」などなど。「再婚者の社会経済的地位は必ずしも高くない」(9章)という予想に反する結果も出ているが、検証方法に不満が残る(離婚経験者の間で男女別に比較するべきという気がする)。全体のトーンとしては「家族の自由な形が称揚されるものの、選択できないまま独身を強いられている人が増えている」という傾向が強調されている。

  ちょっと残念だったのは、調査についての説明によれば「回答者のルックスとコミュニケーション力も評価した」(p.33)とのことなのに、関連する分析の章がないことである。別の機会に公表してくれるのだろうか。なお、あくまでも平均的な傾向を調べた内容なので、婚活中の男女に役に立つというものではない。通して読んでみても、結婚したいなら男は安定した雇用をゲットせよ、ぐらいの月並みなアドバイスしか思い浮かばないな。
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日本人の結婚に対する価値観が変わらないので非婚化がすすむ

2020-12-17 15:30:22 | 読書ノート
山田昌弘『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?:結婚・出産が回避される本当の原因』 (光文社新書), 光文社, 2020.

  タイトル通り。日本の少子化の原因は、結婚した夫婦の持つ子供数の減少ではなく、婚姻数の減少にある。なのに、政府が打つ対策は育児支援と女性の就労支援ばかりで、結婚支援に対しては無策だった。なぜ、このような間違った方向に邁進してしまったのか。その理由として、欧米型の育児支援政策を参考にし過ぎたためだ、と指摘される。欧米では、子どもは成人したら実家を離れるので、カップルで暮らすことはお互いにとって生活費を削減でき経済的にメリットになる。したがって、カップルは勝手にできる。しかし、子どもを持つことは家庭における経済的リスクになるので、政府はそれに対応した支援をすればよい。しかし、日本の場合、独身ならば成人しても実家にいるので、そもそも結婚して実家をでることこその方が経済的リスクになる。成人しても親と同居するというのは文化的要因だから、政府主導で変更するのは難しい。したがって、そうした文化に合わせた政策を打つべきだ、ということになる。

  以上。家族社会学の第一人者による少子化論として圧倒的な説得力がある。著者はまだ希望を捨てていない。しかし、読者としては、もはや打つ手なんてないんじゃないかという気がしてくる。最後の数ページで、新たな少子化対策として、結婚リスクを低下させるような経済対策と、経済基盤の不安定な若い夫婦を政府・自治体が支援する、という二つのかなり漠然とした案が出されている。後者には元手が必要だ。そうなると前者と併せて、マクロ経済の安定した成長が結婚支援として重要になる。けれども、そのマクロ経済をコントロールできる方法を政府が分かっているならば、そもそも少子化対策など不要だっただろう。というわけで、ミクロな対策を考えざるをえないのだが、もはや万策尽きているわけだ。そもそも、日本人の結婚に対する価値観はなぜかわらないのだろうか。著者の初期の著作『結婚の社会学』では、それは高度経済成長期特有の結婚観であるかように説明されているが、そうではなかったということなのか。
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ポリティカルコレクトネスをめぐる若手批評家の論考

2020-12-13 23:01:03 | 読書ノート
綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』平凡社, 2019.

  差別論およびポリティカルコレクトネス論。といっても、このテーマについて論理とデータでゴリゴリと切り分けて整理するようなタイプの本ではなくて、いくつかの概念的な道具立てを使って様々な角度からテーマを照射し、その広がりと深さを確認するというタイプの本である。著者は1988年生まれで肩書は「批評家」とのこと。

  冒頭で、シティズンシップとアイデンティティ・ポリティックスが対立概念として紹介され、前者の立場からの差別批判に使われたことでポリコレが拡大したと指摘される。「私はゲイではないが、社会の一体性を支持するが故にゲイ差別をするものを糾弾する。彼らもまた同じ市民だからだ」というロジックである。続く章で、米国におけるポリコレの出自と日本での解釈が紹介されるが、それによれば当初のポリコレはアイデンティティ・ポリティクスを「批判」する概念だったとのこと。差別された当事者しか使えなかったので支持が拡大しなかった。しかし、その後ポリコレはハラスメント概念を経由してシティズンシップ概念と結びつき、現在のような「生活のあらゆる面に登場する」概念になった、という。中盤は差別論になり、進化倫理学が参照されて差別が集団形成に合理的であったという話と、近年普及しつつある統治功利主義がシティズンシップを掘り崩すという議論が展開される。最後から二つめの章では、「意図」が基準として導入され、現状のポリコレによる有罪宣告は厳しすぎやしないか、と疑問が呈される。最後は、天皇もまた差別されている、と指摘されて終わる。

  以上。微妙な読後感ではあるが、なんとなく好ましい、という印象を持った。「微妙」というのは、議論をするうえでさまざまな概念道具が導入されるのだけれども、それらは結論にはあまり影響しておらず、最後の最後で出てきた意図基準でポリコレの評価が決まってしまうのはちょっとなあ、と感じたからである。進化倫理学とシティズンシップの話はあってもなくても結論に影響しない。このように、論文を読むような頭で読むと、冗長と感じることになる。とはいえ、この本は結論が重要なのではなく、投入された概念道具を通して差別とポリコレについて理解するというのが主目的なのだと考えれば、著者の博識さに教えられるところはある。

 「なんとなく好ましい」というのは、著者のバランス感覚はまっとうだと感じたからだ。差別はいけない、これには同意する。しかし、糾弾の激しさに息苦しさを感じるというのも確かで、著者はそこをきちんと考えようとしている。私事で恐縮だが、今年の夏に僕の勤務校である若い非常勤講師が差別発言をして問題になった。その後、その講師が謝罪し、学部長が声明を出すという形で一応幕が引かれたかたちにはなった。けれども、発言を問題視した団体は納得しておらず、交渉の場では終始、講師の解雇を訴えていたそうだ。失言したら一発アウトで解雇やむなしみたいな社会は、とてもキツいと思う。
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米国出身の環境音楽の開拓者、英国で注目を得る

2020-12-09 20:13:12 | 音盤ノート
Harold Budd / Brian Eno "The Pearl" EG, 1984.

  環境音楽。ピアニストのハロルド・バッドは、今年12月8日に新型コロナによる合併症によって亡くなったとのこと1)。享年84歳。本ブログでもすでに三つほどアルバムを紹介している(1 / 2 / 3)。深い残響処理をかけつつ、シンセサイザーまたはピアノを薄い和音で少ない音数で弾く、というのが演奏スタイル。出身地のアメリカよりも英国で好まれ、特にニューウェーブ系の実験精神を持つ音楽家との共演が多い。

  "The Pearl"は彼の代表作である。もう一つのイーノとの共作"The Plateaux of Mirror"(1980)と比べると、音の輪郭が微妙にぼやけていて出所が遠いというところは同じだが、本作のほうが暗くて寂しい。孤独で、かすかながら情緒的である。ただしそれは、涙を誘うような感覚ではなくて、深く心の奥底に触れてくるような感覚である。環境音楽とカテゴライズされる音楽にしては、音楽に集中しても十分聴ける。

  キャリアも長く、かなりの量のアルバムをすでに録音している。十分仕事をしたわけで、惜しいという印象はないな。合掌。

1) アンビエントのパイオニア、ハロルド・バッドが新型コロナによる合併症のため逝去。その功績を辿る / discovermusic.jp (2020.12.9)
  https://www.udiscovermusic.jp/news/harold-budd-dies-84


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社会資本のこれまでとこれからについての手堅い論文集

2020-12-05 11:02:09 | 読書ノート
森裕之, 諸富徹, 川勝健志編『現代社会資本論』有斐閣, 2020.

  社会資本すなわちインフラの歴史と今後のあり方について検討する専門書。関西まはた愛知の大学に所属する(あるいは「かつて所属した」)研究者総勢14名による論文集である。トピックとして、社会資本と理論と歴史、官民の役割分担、住宅政策、都市における農地、電力、交通、災害対策、観光、住民参加、金融、税制、グローバル化が取り上げられている。

  道路や橋、上下水道など、前世紀に設置・敷設された社会資本は老朽化しつつある。また、近年の地震や台風などによる被害は、防災のための社会資本の必要性が減じていないことを示している。一方で、地方自治体では、人口減とそれに伴う税収減のため、十分な予算がない。こうした中、社会資本をどのように維持管理してゆくべきか。トレンドとしては、国がインフラ整備のための支出を控えるようになっており、代わりに法整備をすすめて地方自治体がコンパクトシティ化や民間委託化を推し進めることが可能な状態にはなっているという。このような最初の数章で示された前提を踏まえた上で中盤以降の各章を読み進めると、トピック毎に国内外の成功事例が紹介され、自治体によりいっそうの工夫が求められるというのがパターンが示される。

  以上。全体として地道な解決が模索されている。しかし、交渉費用ばかり高くついて望ましい方向に遅々として前進しない、というのはコンパクトシティの失敗で明らかである。というわけで、社会資本の将来に期待が持てる解決策だとは感じなかった。私権(特に居住や土地所有)を制限して、大胆に誘導してゆく政策が必要なんじゃないの?ゴニョゴニョ調整しているあいだに問題はもっと深刻な次のステージに進んじゃうよ?と思う。そういうことは実行不可能ということなんだろう。結局、自治体がすべき工夫の中に「住民側に負担を求める」というのがあり、インフラやサービス維持のためにそれが一番重要であるように思えた。
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非モテの苦しみを恋愛ゲームから降りて男性同士のケアで解決する

2020-12-01 09:36:56 | 読書ノート
ぼくらの非モテ研究会編著『モテないけど生きてます:苦悩する男たちの当事者研究』青弓社, 2020.

  自身を非モテであるとアイデンティファイする当事者らによる自己分析の書。編著者となる「ぼくらの非モテ研究会」とは関西の団体であるとのこと。「研究会」とあるけれども、どちらかと言えば非モテ男性の互助会で、アルコール中毒者や薬物中毒者が集ってお互いの話を聞いてケアしあうのと同じイメージである。中身が「研究書」ではないことに注意すべきだが、非モテのメンタリティを理解するという研究の資料にはなるかもしれない。

  内容は、研究会の設立意図や発足の経緯の説明と、参加者が思いのたけを綴ったエッセイで構成される。主催者の西井開以外の参加者の経歴は詳しく明かされていないけれども、おおむね大卒者のようだ。職業については示されていないが、年齢は20代から30代のようで若い。エッセイから彼らの人生の紆余曲折とコンプレックスをうかがい知ることができる。しかし、彼らには文章を書ける才能があるわけで、自意識の過剰さは感じるもののコミュニケーション能力が低い人たちには思えない。トレーニング次第でその能力を洗練させるポテンシャルがあるように見えるし、自意識の過剰さも経験を積めば角が取れてゆくように思える。

  というわけで、会員が非モテの典型としてイメージされる低スペック男性とは異なっていることもあって、その語りにあまり深刻さを感じなかった。高卒・40代・非正規雇用・低収入という男性にもリーチすべきだったろう。もしかしたら容姿の問題があるのかもしれないが、写真がないのでわからない。見方を変えれば、かつてならそんなに自己卑下しなくてもよいように見える層が現代は苦しい、という事実こそが現代の男性問題であり、自由恋愛市場の問題なのかもしれない。

  解決策が明示されているわけではないが、研究会の存在は「恋愛というゲームから降りて男性同士でケアし合う」という方向を指し示している。個人の問題としてはそれでいいのかもしれない。また、好きでも無い男性からの不快な告白がなくなるわけで、女性にとっても直接的には望ましいことなのかもしれない。けれども「結婚できる男性のプールが減って、少子化が促されて社会の維持が云々」という形で、別の社会問題の原因として名指しされる恐れもある。『男子劣化社会』という本があってだなあ。
  
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