29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

元日営業から思いついたあれこれ

2012-12-31 19:04:40 | チラシの裏
  愛知や岐阜にある巨大ショッピング・モール──イオンとMOZOとアピタ──は元日も営業するらしい。岐阜城のある金華山ロープウェイも、初日の出目当ての客を充てこんで朝5時から営業とのこと。昔は正月三ケ日はどこも店を開けてなかったものだけど、10年くらい前から一月二日から開店するようになってきた。そして、今は元日の営業が標準化しつつあるようだ。年末年始の購買量の多さに対して、その反動で二月は売れないというのは昔からよく知られていたことである。売店の職員は、人手が少なくても店をまわすことのできる二月に休めばよい、ということなんだろう。

  それにしても、客の方の時間の使い方も変化したのだろうか。正月に長時間の買い物ができるほど暇な一方、親族回りや初詣でに時間を割いたりしなくなっているとか?。昔はそれぞれ家庭を持った兄弟姉妹が、お互いの子ども同士を会わせるために実家に集まったように思う。子どもたちにお金を使わない遊びをさせて、大人はその監督に──というか近くに存在していることに──けっこう時間を取られていたのではないだろうか。ところが現代の日本では兄弟数が少なくなって親族の数も減り、さらには少子化で子ども世代の数も減っている。おそらくそのために、実家に帰っても、暇が多くなっているのだろう。この状況なら、図書館を開ければかなり貸出も増えると思うんだが、まあそうはいかないよな。
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ジャケットも編曲も原曲への愛に溢れているが、また過剰である

2012-12-28 15:22:21 | 音盤ノート
吉松隆 "タルカス: クラシック meets ロック" 日本コロムビア, 2010.

  オーケストラもので、CDはクラシックの棚に置かれているようだ。演奏は藤岡幸夫指揮による東京フィルハーモニー交響楽団で、吉松隆(参考)は編曲を担当している。収録曲は、英国プログレバンドEmerson, Lake & Palmerを原曲とする‘タルカス’オーケストラ編曲版、黛敏郎の‘BUGAKU’、ドヴォルザークの‘アメリカ’オーケストラ編曲版、吉松オリジナルの‘アトム・ハーツ・クラブ組曲第1番’となっている。

  聴き物はタイトルとジャケットにもなっている‘タルカス’で、ロックバンド三人編成による原曲に比べると、オケ版はレンジが広くて凄まじくパワフルである。一方で、原曲にあったリズミックなところは無くなっている。なんだろう、原曲はアメリカンフットボールの選手が巨体を揺らしながら、フットワークよく敵をかわし、前に進んでゆくような感覚だったが、オケ版では同じ巨体の前進でも相撲取りが真正面からぶつかってくるような感覚、と言えばわかるだろうか。それはそれで面白いのだが。

  ロック名曲をクラシック音楽的な楽器編成で聴かせるというアイデアは、Kronos Quartetがジミヘンの‘紫のけむり’を弦楽四重奏にしたあたりから、Philip Glassの“Low Symphony”(Philips, 1993)やらBalanescu Quartet“East meets East / YMO”(Consipio, 1997)などいろいろあるが、オリジナルを超えて面白くなったためしがない。これらの例から、ポップミュージックの魅力は音色や音質であって、メロディや和声進行からくるものではないことがよくわかる。

  この‘タルカス’オケ版はそれらに比べればかなり成功していると言える。その原因は、原曲が目まぐるしく展開する組曲で、そもそも交響曲風に編曲するのに向いているということが一つ。もう一つは、ロッククラシックとはいえ原曲のサウンドは現在の耳ではかなり古びたものになっている──僕がプログレをダサいものと扱ってきたニューウェーヴ育ちということもある──ため、それに比べればこの録音は新鮮に聴こえるというのがある。あともう一つは、抑制の美学をまったく感じさせない、やり過ぎで大仰な編曲の勝利だろう。トゥーマッチ過ぎて笑えるレベルである。

  他の曲もいろいろ手を加えているのだが、もっとも素晴らしいのはやはりオリジナルの‘アトム・ハーツ・クラブ組曲第1番’。弦楽器主体の曲だが、メロディもテンポも現代的で、叙情感ありユーモアありで楽しめる展開となっている。さすがである。
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幸福すぎる人は十分に生産的ではないらしい

2012-12-26 11:34:56 | 読書ノート
大石繁宏『幸せを科学する:心理学からわかったこと』新曜社, 2009.

 「幸せ」に関する心理学研究のレビュー。著者は米国在住の心理学者で、紹介する研究も英語で発表されたものが多い。それらは日本人を対象としたものではないのだが、そうした文化の違いもちゃんと意識されている。

  180ページほどの本文に章が15も設けられており、かなり多岐にわたるトピックを扱っている。列挙すると、幸福の定義と文化差、幸福感の計測の問題、物質的豊かさと幸福感の関係、結婚、友人関係、性格、幸福感を高めるための操作法、幸福感が人生にもたらす影響、などである。その主張の一部をざっくりまとめると、物質的豊かさはある程度幸福感に影響するが、ある閾値を過ぎれば重要度は減り、それよりも家族や友人との良好な人間関係が大きく幸福感に影響するとのことである。

  ところが、幸福感が高すぎる人は、学業や仕事において必ずしも高い成績を得ているわけではないらしい。良い成績を納めるのは、適度な幸せを感じている人の方である。彼らは、現状に不満を持ち、仕事や学業で成功できるよう努力するからだろう。一方で、高い幸福感を感じている人は非常に人間関係が良好であり、離婚する確率も低いらしい。そこから、今の状況にとても満足しており、あまり努力もしないという人間像が思い浮かぶ。対人関係の良好さと仕事での成功は相反するところがあるのである。

  というわけで、幸福とは別に「良い生き方」とは何かと考えさせるところがあった。人間関係か仕事での成功か、どっちがいいのだろうか。
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サンプリングしたり、されたりの1980年代後半を象徴するクラシック音楽

2012-12-24 21:02:00 | 音盤ノート
Steve Reich "Different Trains / Electric Counterpoint" Elektra Nonesuch, 1989.

  現代音楽。一応ミニマル・ミュージックということになるが、初期のそれのように反復する音型の微細な変化を楽しむものではなく、二曲ともちゃんと三楽章構成に分かれた、展開のある音楽となっている。

 ‘Different Trains’は、弦楽四重奏をテープで二重に重ね、人の声や汽笛などのサンプリング音を配した曲である。演奏はクロノス・カルテット。1940年代前半の、ライヒ自身の汽車による米国横断の思い出と、同時期のヨーロッパにおいてユダヤ人が詰め込まれた収容所行きの列車を重ね合わせるという、ドキュメント性の強い作品である。当時の生存者のインタビュー録音から特定のセリフをサンプリングし、それに伴奏をつけるという方法で作曲されている。登場するセリフに合わせてテンポと反復パターンがめまぐるしく変化し、同時に悲劇的な調子も湛えている。1980年代のライヒの代表作である。

 ‘Electric Counterpoint’は、エレクトリック・ギター10台とベース2台による演奏を事前に録音しておいて、それをバックにもう一台のギターが演奏とするというもの。演奏はパット・メセニーで、タッチがマイルドであるため親しみやすく美しい曲になっている。この曲をサンプリングして使ったThe Orbの‘Little Fluffy Clouds’というテクノの曲があったけれども、今では忘れ去られてしまったかな。


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<<追記>>--- Little Fluffy Cloudsをめぐるインタビュー記事(洋雑誌の邦訳のようだが出典不明)を発見。以下引用。

Q: Steve Reichのトラックへの反応はどうでしたか?お金を要求されましたか?
Alex:Steve Reichが「Little Fluffy Clouds」を初めて聴いた時のことを語っているビデオを見たよ。彼は熱心だった。誇りに思っているみたいだったよ!彼が私達の仕事に感銘を受けたと信じている。彼は2003年に20%を要求してきた。未払い分の支払いは無しで、彼好みのバージョンを(作るように?)リクエストされた。

松竹剛:テクノ名曲夜話:いま明かされるThe Orb「Little Fluffy Clouds」誕生秘話
http://www.spotlight-jp.com/matsutake/mt/archives/2012/01/little_fluffy_clouds.html
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学力差や学習意欲が階層差を反映していることは理解したが、その先は?

2012-12-21 08:26:23 | 読書ノート
苅谷剛彦『学力と階層』朝日文庫, 朝日新聞出版, 2012.

  00年代の日本の学校制度について考察する論文集。この本は2008年に同社から出版された書籍の文庫版で、オリジナルから一部内容を削除した箇所もあるとのこと。冒頭の論文で、生徒間の学力の差あるいは学習意欲の差は、家庭の階層差を反映している可能性が高いということをデータで示し、以降で階層に基づいた学力差を縮小する・あるいはこれ以上拡大しないための処置、間違った処方箋などについて考察している。

  手堅い内容だし首肯させられることも多い。しかしながら、1995年の『大衆教育社会のゆくえ』(参考)からの読者としては、予想の範囲内ともいえる。そろそろ「謝った認識にもとづく教育言説を正す」というこれまでの仕事から進んで、著者の考える階層差の少ない教育とはどのようなものなのか、打ち出してほしいところである。

  生徒全員が同程度の学力的達成となるまで公的な教育投資を続ける、このようなプランが馬鹿げていることは多くの人が同意してくれるだろう。公的に使える資源は無限ではないのだから。したがって平等主義者でもある程度の学力差は認めざるをえない。しかし、投資によって学力差が狭い範囲内に押しとどめられたとしても──そのわずかな差が就職などを通じて生涯所得の大きな差を産み出す可能性がある──、それでもまだ学力差が階層差を反映しているとしたらどうすべきか?このとき、さらなる追加的な公的投資でとことんその差を解消しなければならないのだろうか。

  著者の議論では、生まれつきの能力差という変数が組み込まれていない。そのため、階層差を無くすための支援と、能力的な問題で学業成績が悪い子どもへの支援とがごちゃまぜになってしまう可能性がある。学力差から、階層差も含めて環境を原因とするものを引いた部分が、生徒の生得的な能力差となる。それは階層差と別に議論すべきものだろう。その場合、社会が投資する額に見合う教育成果、あるいは教育効率という論点が浮上するのは避けられない。この視点が無いと、教育行政に対する批判もあまりリアリティを持たないように思える。

  というわけで著者のさらなる議論を待ちたい。それとも、これはすでに4年前の本だから、次の展開をもうすでに見せているのだろうか。
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声明のテープループを使ったエレクトリック仏教音楽

2012-12-19 11:51:00 | 音盤ノート
Somei Satoh "Mantra / Stabat Mater" New Albion, 1988.

  現代音楽。佐藤聰明作の声楽(?)曲二曲のカップリング。この作曲家は、日本よりも米国のほうでよく受け容れられているようで、この録音も米国ニューエージ音楽専門のNew Albionレーベルから発表されている。

  面白いのは‘Mantra’の方。声明というお寺のお坊さんが低い声で「アー」と唸る手法を使う、ドローン系音楽である。テープで何重にも重ね合わされた声明が、ウネリながら現れたり消えていったりするという作品である。リズムもメロディも無い音楽だが、そのパワーは圧倒的で、音の鳴る場を異空間に変えてしまう。カリフォルニアのニューエージ愛好家が「東洋の神秘!」とか言いながら一種のドラッグミュージックとして楽しむ光景が目に浮かぶ。一方、もう一つの‘Stabat Mater’はリゲティの‘Lux Aeterna’風の合唱曲で、音の聞こえない瞬間が多いし、人を驚かせる場面もあってちょっと気持ち悪い。

  ‘Mantra’の方は、同じくNew Albionからの“Mandara Trilogy”にも収録されているらしく、今ではそっちの方が入手しやすいかもしれない。
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12月16日の衆議院議員選挙・神奈川四区についてあれこれ

2012-12-17 21:17:46 | チラシの裏
  昨日の選挙について雑記。僕が投票する選挙区は神奈川4区である。小泉政権時の郵政解散選挙では、自民党新人の林潤が国会議員になった。彼は2009年に自民党が大敗した時に落選し、噂では家庭まで崩壊して辛酸を舐めたらしい。今回の選挙で再起を期しているのかと思いきや、自民の候補者は山本朋広という見知らぬ人物だった。林潤はどうなったのかと思い、調べてみたら、和歌山1区で維新の会の落下傘候補になっていた。そして落選していた。登場したときは苦労を知らないおぼっちゃんって印象の人だったけど、大波に翻弄される人生となってしまい大変だ。

  驚いたことに、現衆議院議員の民主党・長島一由まで今回の選挙に出馬していない。彼が行う駅前での演説は音量が公害レベルで悪名高かった。特に早朝から大音量で行われる街頭演説に対しては、近隣住民がしばしば直接彼に怒りを伝えにいって揉め事にもなっていた。民主に逆風が吹いていることと、この他いろいろ悪い噂が流れていたせいもあってだろうか、不出馬を決めたようだ。公式の理由が「民間シンクタンクに就職するため」っていったいなんだそれ。林潤よりずっと器用で勘もいいタイプだが、信用できないという印象も残る。

  そういうわけで、みんなの党の浅尾慶一郎以外よくわらかない区になってしまっていた。民主党を追い出されても選挙区を変えずにしぶとくやってきた地道さが評価されたのか、今回ついに彼が小選挙区で当選した。
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児童書の出版過程を描いた子ども向けノンフィクション

2012-12-14 10:34:02 | 読書ノート
岩貞るみこ『青い鳥文庫ができるまで』講談社, 2012.

  児童向けの出版ノンフィクション。女性編集者が企画した書籍を当初予定された出版期日に間に合わせようと奮闘する姿を物語風に叙述している。著者やイラストレーターとのやりとりから、編集部の雰囲気、予算や校正をめぐる社内他部所との交渉、印刷や製本を経て、書店に届くまでを伝えている。一冊の本を出すのに関わる仕事が次々登場するので、小中学生向けの仕事紹介本としてよいかもしれない。この種のデスクワークが中心となる職業というものを子ども理解させるのは難しいからね。

 「青い鳥文庫」は講談社の児童書シリーズで、ソフトカバーの新書版で発行されている。岩波書店など他の出版社にも似たようなシリーズがあるが、このシリーズは古典よりもオリジナル作品が多いのが特徴である。またすべての漢字にルビがふってあり、おかげで、自分より年長の児童向けの作品を読もうとする子どもでも、習っていない漢字につまづかずに読み進めることができる。小学校低学年のわが子も、『黒魔女さんが通る』シリーズや小学校高学年以上を対象とする『夢水清志郎』シリーズを楽しんでいた。(実を言うとわが子は後者の内容をあまり理解していないが、セリフ回しが面白いらしくとても気に入っている。そういう楽しみ方もあるということだろう)。

  この本、装丁は「青い鳥文庫」風だが、四六版のハードカバーという版型なので、書店では同シリーズの近くには置いていない可能性があるので注意(実際僕が購入したときはそうだった)。あと、もっとイラストを入れてくれてもよかったかな。とはいえ、児童書としてはなかなか得難い内容である。
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珍説? 寒さで古いブラウン管テレビが故障する

2012-12-12 09:18:44 | チラシの裏
  テレビが壊れた。静岡に移ってきた際に同僚から譲ってもらったもので、1990年代前半の生産のソニー製のブラウン管テレビだ。電源は一瞬入るのだが、画面が暗いまま数秒するとボツっと音がして電源が切れてしまう。故障の原因は不明だが、個人的には「寒さ」のせいではないかと疑っている。

  というのも、以前にも同じ経験をしたことがあるからだ。横浜に住んでいたころ、質屋で購入した古い三菱製のテレビを使っていた。これも、毎年冬になると電源が入らないことがしばしばあった。このテレビは暖かくなると普通に使えたので、寒さ以外に原因が考えられない。

  こういう現象は多いのだろうか。「寒さでテレビでおかしくなった」という報告をネットで探してみても、数件ほど見つかる。そのうちの一件1)で、質問者は寒い朝にテレビが点かなくなると相談している。しかし、残念ながら回答者らは「テレビが寿命なので買い換えよ」というアドバイスに終始している。テレビが古いのはわかっている。なぜ、故障が暑い夏ではなく寒い日に限って起こるのか、そのメカニズムを知りたいのだが…。

  知人にこの説を披露してみたら、寒い日に蛍光灯が点きにくくなるのと同じ理由からではないか、と返答が返ってきた。うーむ、気温が内部のブラウン管の空洞部分に何らかの影響を与えるということなのか? 誰か検証してくれませんかね。ちなみに、確かにここ数日の静岡は寒かったけれども、僕の家の中は氷点下になったりはしてません。

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1) テレビ(家電)にお詳しい方 お願いします / 発言小町
  http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/1105/273800.htm

<参考>
故障でしょうか?7年くらい前に買ったテレビなんですけど / Yahoo! 知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1030723440

寒い季節になると地デジのテレビが映らなくなります。 / Yahoo! 知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1449906059
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「聴きやすい作品ではない」けれども、これを恰好良いと思った若者もいた

2012-12-10 16:31:29 | 音盤ノート
Steve Reich "Early Works" Electra Nonesuch, 1987.

  ミニマル・ミュージック。それもコテコテの典型的なやつである。短い旋律パターンを反復させつつ徐々に変化させてゆくというのはミニマル音楽の定義通りだが、その同じパターンを二つ重ね合わせつつ片方をほんの少し遅らせて、異なる音像を浮かび上がらせるということをやっている。モアレ効果と呼ばれるものだ。和音や旋律による快とは別の、音の間から来る浮遊感あるいは陶酔感が面白い作品集である。

  収録されている‘It's Gonna Rain’(1965)と‘Come Out’(1966)は、それぞれ黒人牧師と怪我をした黒人少年の発言を録音して、それを二本のテープループにしたのもの。ヘッドフォンで聴くと、音の定位が頭の周囲を回っていって途中から重心が無くなり混沌に陥るという感覚が味わえる。‘Piano Phase’(1967)は同じ原理を使った二台のピアノ曲で、普通の音楽としても楽しめる。‘Clapping Music’(1972)は素手で拍子をとるだけの小品だが、こちらは輪唱のようにきっちりパターンをずらしている。(コンサートのアンコール用に書かれたものだということをどこかの記事で読んだ)。

  個人的には‘It's Gonna Rain’の後半部は、このジャンルに初めて出会った曲として感慨深い。学生時代、大学の教養の授業として受けていた「現代音楽」(石田一志先生)で紹介されたのである。この授業では無調のよくわからない曲が毎回紹介されていたので、けっこう辛かった──起きているのが。ところがその日だけは、スピーカーからの黒人牧師の怒声に眠っていた僕の目が覚めた。そして、その音の強度に圧倒されたのである。残念なことに、寝ていたために作曲者名と曲名を聴きもらしてしまっていた。ミニマルという語彙はわかっていたので、教科書にのっていた人名や曲名を頼りに、すぐにCDショップを漁りにいった。だが、間違えてTerry Rileyがシンセサイザーをバックに歌ってるドイツ盤を購入してしまった。そんな経験がある。まあ、何が言いたいかというと、大学というルートを経由して伝えられる文化もあるので、そういうルートも大切にしましょうということである。
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