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図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

少人数学級は効果がありかつペイするという。

2023-06-02 08:54:00 | 読書ノート
北條雅一『少人数学級の経済学:エビデンスに基づく教育政策へのビジョン』慶應義塾大学出版会, 2023.

  少人数学級の効果の検証。統計データが用いられているものの、詳細は省かれており簡易な表現にまとめられている。専門書ではあるが、広く読者にアピールする狙いなのだろう。著者は駒沢大学の教授である。

  第1章で、先行研究のレビューおよび著者自身の研究から、少人数学級には効果があることが示される。標準偏差を1としたとき、おおよそ0.1程度の学力の向上が見られるとのことである。その上昇幅は、社会経済的地位の低い家庭出身の子どもほど大きい。しかし、少人数学級には効果があるというのはすでに知られている話で、問題は費用対効果が低いということだったはずである(例えばハッティ (2018))。この疑問に対して、さらに著者は費用対効果を計算することで答えている。いくつかの仮定を置いた推計によれば、教員の人件費増加分に比べて児童の将来の収入の増加分のほうが高くなるので、少人数学級はペイするという。このほか、少人数学級によって児童の非認知能力が向上し、また教員の負担が減るというメリットもあるとのこと。

  以上のように、本書では少人数学級の導入が支持されている。ただし、著者が懸念しているのは学級数増加に伴う採用の問題で、採用数を増やせば教員の質の低下が起こる可能性がある。前述のハッティもOECDのシュライヒャー (2019)も少人数学級よりも質の高い教員の方を重視している。とすると、次の課題は、質の高い教員の採用(すなわち待遇改善)と少人数学級のどちらがコスパが良いかを検証することになるのだろう。
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利他行動は無償ではないが、理性がそうした制約を超えてきた、とという。

2023-05-26 13:17:12 | 読書ノート
マイケル・E.マカロー『親切の人類史:ヒトはいかにして利他の心を獲得したか』的場知之訳, みすず書房, 2022.

  わざわざ赤の他人を助けるという心性が歴史的にどのように発達してきたのかを探る一般書籍。著者はカリフォルニア大学サンディエゴ校の心理学教授。原書はKindness of Strangers : How a selfish ape invented a new moral code (Basic Books, 2020)である。

  前半は進化心理学視点からまとめ、後半は歴史的に記述するという二段構えの方法論が採られている。血縁淘汰説およびその拡張(群淘汰説)で親切を説明できるか、というのがまず問題となる。「できない」というのが著者の答えで、遺伝子を共有するというだけの者を優遇するのは、非血縁者を排除し続けなければならないためにそのような遺伝的傾向は広まらないとする。決定的なのは、相手に親切を施せばお返しを期待できるという認識であり、そうした互恵関係が「協力行動ナシ」の状態より遺伝的に有利となるならば、その傾向は広まるとする。親切心は無償というわけではないというのだ。後半は石器時代から現代までの慈善や福祉の歴史で、理性の行使が遺伝的傾向を超えて広まってきているとのこと。大雑把な歴史であるが、トレンドを掴むには十分だろう。

  前半、後半のどっちを重視して読むかによって評価が変わるかもしれない。個人的には前半のほうが面白かったが、十分関連するトピックを扱いきれていないのではないかという疑いも残る。例えば「美徳シグナリング」という概念を数年前から目にするようになったが、本書では言及されていない。お返しや評判を求める親切という本書の議論とマッチする概念だが、シニカルすぎるというので扱わなかったのだろうか。「理性」を焦点に据えた後半の歴史は、美しすぎるという気がしてしまう。
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英国図書館は(日本でいうところの)公民館たれ、と訴える

2023-05-23 20:53:14 | 読書ノート
John Pateman and John Vincent Public Libraries and Social Justice, Routledge, 2010.

  英国産公共図書館論その2。著者二人とも図書館員兼運動家のようで、PatemanにはPublic Libraries and Marxism (Routledge, 2021)なる著書もある。Usherwoodとは真逆の図書館論を展開している。

  重要なのは社会的包摂であり、移民難民障害者LGBTQ+のような非来館者層をターゲットに図書館活動をすべきであると説く。そうしたわかりやすい社会的弱者だけでなく、これまで図書館に背を向けてきた白人労働者階級に対してもサービスすべきだと記す。そして、中年白人男性的な価値観に支配された図書館はもう止めにして、伝統的な来館者層の優先順位はいちばん最後にすべきだとする。

  しかし、大衆文化を図書館に取り込んで非来館者層の気を引こうなどという手段は使わない。読書サービスではなくて、アウトリーチ活動や英語非ネイティブに対する語学講座の開講または紹介、職業支援などが社会的包含サービスの例として挙げられている。そして、これまでの図書館員はそういうのが得意ではないので、再訓練するか、新しい人を雇おうとまで言う。

  あちらの公共図書館は日本でいう図書館+公民館であって、後者の公民館部門の強化を訴えた内容といえばわかるだろう。日本のイメージではもはや図書館ではないという印象である。1980年代までの米国での議論では、アウトリーチを必死にやっても非来館者層が図書館利用者として定着するわけではない、という認識に落ち着いたはずなのだが、最近はどうなんだろうか。
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英国公共図書館は良質な趣味を涵養する場であるべきだという

2023-05-22 21:06:15 | 読書ノート
Bob Usherwood Equity and Excellence in the Public Library : Why Ignorance is Not our Heritage , Ashgate, 2007.

  英国産の公共図書館論。著者はシェフィールド大学のInformation Schoolの教授で、労働者階級の出身だそう。全体の1/4は英国の図書館員に対して行われたアンケート調査の結果で、大衆文化(この本ではpopulismと表現されている)の図書館への侵入に対してどのように考えているかを尋ねている。残り3/4(といっても構成上先に置かれている)で著者の持論を展開される。

  結論を先に記せば、公共図書館は良質な趣味や教養を涵養するための機関であり、さまざまな社会層がそうした「高級文化」にアクセスできるようにするのがその役割だとする。「新」労働党政権の打ち出した社会的包含政策によって、図書館は非来館層を「社会的に排除された」層だと認識するようになり、彼らの好みに合わせた資料選択をするようになった。そして大衆文化に大きなスペースを割くようになったのである。しかし、それは結果的に公共図書館への信頼を失う結果をもたらしているのではないか。社会的包含は迎合によってではなく、教養にアクセスする機会を堅実に提供することによって進められるべきだという。とはいえ、チャヴとかは無理かもしれん、という本音ものぞかせている。

  以上のような話が、アンケートの記述部分や英国のインテリや図書館関係者の発言の膨大な引用によって展開される。文学や芸術を重視しているのが特徴であり、文化戦争の本丸にわざわざ飛び込んでいって守旧とレッテルを貼られる側に立って戦う潔さはある。ただし、アンケートに回答した英国図書館員らは著者に必ずしも同意しているわけではない。
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教えることは人類の大きな特徴(ただし特有ではない)であるとのこと

2023-05-20 09:22:57 | 読書ノート
ケヴィン・レイランド 『人間性の進化的起源:なぜヒトだけが複雑な文化を創造できたのか』豊川航訳, 勁草書房, 2023.

  進化心理学。ヘンリックと同じく「人間性の進化には文化が適応すべき環境として作用した」という立場からの議論である。著者は、スコットランドのセントアンドリュース大学教授。原書はDarwin's unfinished symphony : How culture made the human mind (Princeton University Press, 2017)である。

  人間以外の動物は本能だけで生きていると考えられがちであるが、近年では類人猿だけでなく魚類から昆虫まで普通に「文化」がみられることが分かってきた。ここでいう「文化」というのは他個体の行動の模倣である。これは、模倣しやすい領域(捕食者の認識など)があるという意味では本能的な部分もあるが、他個体の行動を学習して採餌や繁殖に有利な行動を選択できるというのはこれまであまり考えられてこなかった。では、そうした動物の学習と人間の学習は何が違うのか、何が人間の文化を他の動物と異なる特別なものとしているのか、というのが本書全体の問いである。

  「遺伝子-文化共進化」というのがその答えとなる。人間と他の生物との大きな違いとして「教示行動」がある。ただし、教示行動は人間特有というわけではなく、生存の厳しいニッチ環境に住む種──砂漠に住む動物など──ならば、血縁のある個体間で餌の取り方を「教える」行動がみられるという。このニッチ環境というのが重要で、チンパンジーなどの大型類人猿は脳が大きく模倣行動も優れているが、生存に厳しい環境にいるわけではない。このため、親から子へと知識を継承させようとする環境上の要請がなく、発見・発明された技能が世代を超えて洗練されてゆくような現象がみられないという。

  人間の場合は、狩猟採取に伴う移動生活が環境的ニッチを作り出し、教示行動を効率かつ正確に行う手段として言語が生み出された。さらに農耕に伴う定住によって、生まれ育った集団がニッチ環境そのものとなっていった。この意味で所属する集団が持つ言語や行動規範は生態学的な環境であり、これに適応しなければ個体は生存できなくなった。このように著者は推測する。協力行動が人間の間で進化したのも、所属する集団の重要性から説明できるという。

  以上。動物の観察とコンピュータ・シミュレーションの結果を交えての説明となっている。後者によれば、最近の教育学において称えられがちな「試行錯誤による発見・発明」は実のところ効率の悪い方法で、「うまくいった他個体の行動の模倣」のほうが繁殖確率を高めるとのこと(もちろん前提条件次第ではあるが)。すなわち他人から知識を得たほうが上手く生きられるというわけだ。「そこで図書館が~」と職業柄言いたくなってしまうのだが、ここまでにしておく。
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産業革命以降の各国人口の盛衰には共通パターンあり

2023-04-14 21:22:53 | 読書ノート
ポール・モーランド『人口で語る世界史』(文春文庫)渡会圭子訳, 文藝春秋社, 2023.

  英国の人口学者による世界人口史。ただし産業革命以降の人口転換現象に焦点を充てており、それ以前の変化の少ない(と考えられる)時代は扱っていない。原書はThe human tide: how population shaped the modern world (John Murray, 2019)で、邦訳は2019年に文藝春秋社から発行されている。

  近代化以降の人口の変化にはパターンがあり、まずは栄養状態や衛生状態の改善によって乳児死亡数の減少と寿命の延長がやってきて、一時的に国内の人口が激増する時代が来るという。その後は、女子教育の普及によって特殊合計出生率が低下し(先進国ならば2人以下に、そうでない国でも3人以下になる)、高齢者が多くを占める社会となる。こうしたパターンは英国が先陣を切り、ヨーロッパ、北米、東アジアが追従した。東南アジア、ラテンアメリカ、中近東もこのパターンを踏襲しつつあり、南アジアやサハラ以南のアフリカも最終的には同様のことになるだろうと予言している。基本的なところは共通しているが、宗教や文化による微妙な違いもあるというので、優生学や移民ほか、イスラエル保守派の多産傾向やロシア人男性の短い寿命などが取り上げられている。また、若年層が人口の多くを占める国は政情が不安定になりやすいとのこと。日本についての記述も多い。

  以上。中国や韓国の少子化の話は知っていた一方、なんとなく「イスラム教の国は今後も人口が増える」というイメージを持っていた。だが、インドネシアやイランもまた少子化に向かっているとのこと。宗教がどうあろうと、女子教育が進むと子どもの数は減るというのが著者の分析である。「少子高齢化で福祉国家はどう維持するのか」という疑問に対しては「高齢化がもっとも進んでいる日本の動向が注目される」(超要約)だってさ。
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1993年原著刊行の米国郊外論、郊外育ちには刺さる

2023-04-05 14:25:16 | 読書ノート
大場正明『サバービアの憂鬱 :「郊外」の誕生とその爆発的発展の過程』(角川新書), KADOKAWA, 2023.

  米国郊外論。ただし現地取材や統計データはない。1950年代から90年代初頭までの米国文学と映画を通してみる郊外の栄光と挫折の歴史である。著者は映画評論家で、ブログ(https://www.c-cross.net/)も運営している。なお、本書の原著の出版は1993年(東京書籍)となっている。

  20世紀半ばの米国では、治安の面で危険でかつ不衛生な都市に対して、安全かつ清潔な郊外での生活が理想化された。一方で、そこでの生活に物足りなさや欺瞞を感じる住民も常に存在してきた。というわけで、彼らをクローズアップした小説や映画が米国の20世紀後半に多く作られる。取り上げられているのは、ジョン・アップダイク、レイモンド・カーヴァー、『泳ぐひと』『ハロウィン』『ピンク・フラミンゴ』『未知との遭遇』『E.T.』『普通の人々』『フェリスはある朝突然に』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『ブルーベルベット』『エルム街の悪夢』『シザーハンズ』などなどである。本書はこれら記号を見てわかる人向けだろう。

  それら作品では、豊かさのなかでの家庭の崩壊や隠された悪や狂気などが描かれる。僕も団地から新興住宅地に移住した家庭に育った人間なので、上に挙げた作品は若いころの自分によく「刺さった」。本書はその理由をうまく説明してくれており、たびたびなるほどと思わされた。付きっぱなしのテレビ、威厳を失った父親または父親の不在、体育会系のモテ男と文化系の陰キャの対立、格差の隠ぺい、指摘されてみるといろいろ心当たりがある。

  ただし、面白いと感じられたのは僕がバブル期前後に青春時代を送ったせいかもしれない。1970年代~1990年代まで日本でも郊外が膨張し続けていて、1990年代の宮台真司や三浦展の郊外論が非常に刺激的に感じられた。しかしながら、現在では都市が清潔になり住みやすくなった。いまや郊外は刺激のある「街」から遠く離れた退屈な辺境にすぎなくなった。というわけで、現在の若い人が読んでも面白いかどうかは保証できない。
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2023年1月~3月に読んだ本についての短いコメント

2023-04-01 11:15:01 | 読書ノート
マイケル・シュレージ『レコメンダ・システムのすべて:ネットで「あなたへのオススメ」を表示する機能』(ニュートン新書), 椿美智子監訳 ; 杉山千枝, 山上裕子訳, ニュートンプレス, 2023.

  レコメンド機能についての入門書。定義、歴史、仕組み、実装例についての解説がある。だが、仕組みについては簡単な言葉による説明があるだけで、関連する概念を把握できるものの、「わかる」というレベルには達しない。Netflix、Amazon、Spotifyといった業界覇者のコンセプト作りと実装例のほうが読みどころである。「ニュートン新書」なるこのトマト色の新書シリーズは昨年から書店で見かけるようになった。だが、一部のタイトルは、新書によくある書下ろし(翻訳書なので初の訳書というべきか)ではなく、既刊書籍を元にしている。タイトルを変えてシリーズに収録しているので注意が必要だ。

小林昌樹『調べる技術:国会図書館秘伝のレファレンス・チップス』皓星社, 2022.

  国立国会図書館でレファレンスを担当していた著者(「近代出版研究会」の主宰の一人)が、情報探しのノウハウを開陳するという内容。中島玲子ほかの『スキルアップ! 情報検索:基本と実践』が初心者向けだとしたら、こちらは上級者向けである。NDCをすでにマスターしていて、ある程度検索スキルがあり、にもかかわらず調べもので苦しんだ経験という人向けだろう。図書館現場のレファレンス担当者ならば刮目して読んでいるだろうな。わりとざっくばらんな書き方で親しみやすい。売れているようなので続編も期待。

前嶋和弘 『キャンセルカルチャー:アメリカ、貶めあう社会』小学館, 2022.

  米国ポリコレ事情。著者は上智大学教授で、アメリカ政治と外交の専門家。「キャンセルカルチャー」そのものの説明もあるが、その背景となるアメリカの政治的分断についてより詳しい。批判的人種理論の教育の場への浸透、共和党と民主党の間の政策の違いが年々大きくなっていっていること、妊娠中絶、メディア、BLM運動、銃規制などのトピックを扱っている。著者はキャンセルカルチャー支持派であり、反対派を保守派に結びつけて人口構成上滅んでゆくと見ている。が、その見立てはどうかなあ。オバマ前大統領だって反対派と言える発言をしている。アイデンティティポリティクスには優遇措置を求めるところもあって、その点で平等を支持する人たちが素直に納得しないだろう。

平山瑞穂 『エンタメ小説家の失敗学:「売れなければ終わり」の修羅の道』(光文社新書), 光文社, 2023.

  売れたことのないエンタメ小説家が「自分の本がなぜ売れなかったのか」を反省した本。純文学志望だったのにエンタメ小説のコンクールの賞をもらってデビューしてしまった...という最初のエピソードから暗雲が立ち込めているのだが、その後は出版社あるいは編集者との関係、装丁やタイトルなど細々としたボタンのかけ違いの話が続く。特に、エンタメ小説家であるにもかかかわらず、創作上のこだわりが強くて読者のニーズに応えられないという作者の性格、これが読んでいてセールス低迷の最大の原因に思えた。あと、生真面目な書きぶりで、不幸ネタを読ませるならもう少しユーモアがほしいとも思う。お金の話がないのが最大の不満だが、文芸出版社の「編集」がどういうものかは理解できてためになる。

佐野亘, 山谷清志監修 ; 岡本哲和編著『政策と情報』(これからの公共政策学 6), ミネルヴァ書房, 2022.

  公共政策学の視点から「情報のための政策」と「政策のための情報」についてまとめた4人の研究者による共著。情報公開、公文書管理、政府のDX化、オープンデータ、EDPM、政策形成と情報の関係などについて通覧できる。この、情報が政治に関わるトピックを「通覧できる」というのが最大のメリットで、個々のトピックについてはしっかりとした説明があるものの、掘り下げて論じられているわけでもない。章の最後に読書案内と練習問題が付されていて、学部生向けの教科書である。


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社会構築主義を受け入れてもなお科学は特別であることができるか

2023-03-30 22:32:14 | 読書ノート
ハリー・コリンズ, ロバート・エヴァンズ『民主主義が科学を必要とする理由』鈴木俊洋訳, 法政大学出版局, 2022.

  科学論。「選択的モダニズム」なる立場から市民社会と科学との関係を考えるという内容である。原書はWhy Democracies Need Science (Wiley, 2017)。著者二人は科学論の「第三の波」の先導者で、社会構築主義を全面的に受け入れたうえでなおも科学に優越な地位を与えるという立場だ。科学論の第一の波は、手続きの透明性と成果の普遍性などを理由として科学を高く評価し、意思決定の場面で科学がもたらす知識に優先権を与える。これに対し第二の波は、価値や権力関係が科学の営みを駆動しており、そのような営みは客観性も普遍性も保障されないので、科学者の意見は非専門家の意見と同程度のものとして扱われるべきだとする。

  第三の波すなわち選択的モダニズムは、第二の波の議論を全面的に受け入れたうえで、誠実かつオープンに行われているという理由で科学に特別な地位を与え、公共的意思決定の場面において現状科学的に何がわかっているのかについて意見を述べる場を設けることを認める。この場は、意思決定者に対して「科学的に正しい」特定の政策を採るように薦めるものでは決してない。科学的議論の現状がどのレベルにあるか助言するだけである。意思決定者は、科学者の助言を無視して(科学的には誤っているかもしれない)大衆の意向を尊重してもよいとする。ただし、科学を無視する場合、意思決定者側は無視した理由を説明しなければならないともしている。

  以上。議論自体は難しいものではないが、読んでいて沸き起こる二つの疑問がある。第一に、科学を無視してしまえば、民主主義的な意思決定が間違う可能性も高くなる。社会の失敗は民主主義に不可避なものなのかもしれないが、領域によっては巨大な被害が生み出されるかもしれず(例えば安全保障や公衆衛生)、すぐには首肯できないところだ。もちろん科学が間違うこともあるのだけれども。第二に、科学の社会構築主義を受け入れてしまったらもはや科学の優越を認めることはできないという点だ。著者らは科学の成果は優越の理由にならないとしている。ならば、意思決定者が科学を無視したことに対して説明責任まで要求できるような地位を科学は保つことができるのだろうか。ここは大きな矛盾点である。

  というわけで、話は分かるが理論的な粗もある、という印象だ。社会構築主義に対して配慮しすぎなのが議論の弱さを生んでいると思う。 
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賃労働の価値が上昇すると、家庭が軽視されて子どもが邪魔になる

2023-03-21 11:12:38 | 読書ノート
A.R.ホックシールド『タイムバインド : 不機嫌な家庭、居心地がよい職場』(ちくま学芸文庫), 坂口緑, 中野聡子, 両角道代訳, 筑摩書房, 2022.

  社会学。1990年代前半の米国、家族向けの福利厚生が整った「アメルコ社」(実名は明らかにされていない)を取材して、実際の労働者は職場の居心地の良さに惹かれて長時間を労働に割いており、一方で家庭維持の面倒くささから家族にエネルギーと時間を注ぐことから遠ざかる、という傾向を明らかにしたものである。著者は米国の社会学者のArlie Russell Hochschildで、原著はThe time bind: when work becomes home and home becomes work (Metropolitan Books, 1997.)である。邦訳は2012年に明石書店から『タイム・バインド : 時間の板挟み状態 : 働く母親のワークライフバランス : 仕事・家庭・子どもをめぐる真実』なるタイトルですでに発行されているが、これはその文庫版となる。

  内容はインタビューをまとめたもので、経営層、管理職、ヒラの事務職員、工場労働者といった様々な職位の男女と、さらに彼ら彼女らの配偶者など多岐にわたる関係者から話を聞いている。アメルコ社は社員のワークライフバランスを気にかけていて、育児休業などさまざまな福利厚生を用意していた。しかしながら、どのような職位の男女においても、社員はそれら福利厚生を十分に利用しておらず長時間労働に時間を捧げてしまっていた。一方で、家族とのコミュニケーションはおろそかになり、そのことで不満を持った配偶者や子どもとの間で家庭はストレスに満ちたものになっていた。

  そうなってしまう原因は何か。出世を是とする「男性的な働き方」至上主義考え方の存在、長時間労働を要求する職場の雰囲気、解雇への恐れなど会社側の原因が挙げられる。だが、それらだけでは十分な説明とならないというのが著者の主張である。より重要だと考えられている原因は、核家族化によって家庭にはモデルや導き手がいなくなって、家事労働や子どもの相手をすることが正当に評価されない状態になってしまったことである。家庭の維持のために頑張っても褒められることがなく、感情が満たされることがない。一方で、職場には良き相談者がいて、成果があがれば賞賛や報酬が貰える。この違いがあるために、家庭が軽視され、みな職場に長く留まるのだ、と。

  ネットで「著者はフェミニスト社会学者である」みたいな紹介文を見かけたので、本書を手に取ったときは、職場の男性的な雰囲気が批判されて「ワークライフバランス施策をもっと進めましょう」みたいな議論が展開されることを予想していた。だが、職場の雰囲気がフレンドリーになってゆくことが賃労働の価値をいっそう高める(つらくないうえにやりがいのある労働!!)一方で、家庭の社会的評価が低下するという逆説を本書は描いていて、もう一段ひねりのある内容だった。もちろん女性労働者特有のジレンマについてもきちんと伝えている。
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