29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

非認知能力15概念についての解説および獲得方法

2022-06-30 15:46:23 | 読書ノート
小塩真司 編著『非認知能力:概念・測定と教育の可能性』北大路書房, 2021.

  心理学。いわゆる「非認知能力」の下位概念のうち、教育おいて活かせそうなものをピックアップして解説する書籍。取り上げられるのは、誠実性、グリット、自己制御・自己コントロール、好奇心、批判的思考、楽観性、時間的展望、情動知能、感情調整、共感性、自尊感情、セルフ・コンパッション、マインドフルネス、レジリエンス、エゴ・レジリエンス、これらは「認知能力」に良い影響を与えると予想される15種である。各章を総勢16人の研究者が執筆している。

  序章と終章を除いたすべての章が、1)概念定義、2)基礎研究、3)その非認知能力を伸ばすための介入研究、4)教育の可能性という節の構成となっている。乱立気味に見える諸概念の微妙な違いの解説、その概念を実際に観測した研究の紹介、効果的なトレーニング法の紹介、子どもへの適用というわけである。それぞれの能力は、それなりに効果はあるらしい。ただし、編者による序章と終章は解釈の際の注意書きになっていて、必ず読んでおいたほうがよい。それは、これらの能力の一部は生得的である(トレーニングによる改善は大きなものではないかもしれない)、またそれぞれの効果量は高いものではない(獲得のための時間と労力に見合わないかもしれない)、などと釘を刺している。

  以上。認知能力を高めるために非認知能力を高める。そのトレーニング法は、紹介されているのは考え方を少々を変えるようなものにすぎないが、本気で追求すると人格改造のようなものとなる。読んでみた印象では、目的に対して迂回的でかつコストが高い、と感じたのだがどうだろうか。認知能力だけではなく、人生全体が改善されるはずなので、そのメリットは大きいという考えもあるだろう。ならば15あるうちのどれがもっとも重要なんだろうか。
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米国00年代の思春期を主題とした映像作品のカタログおよび批評

2022-06-26 17:49:37 | 読書ノート
長谷川町蔵, 山崎まどか『ヤング・アダルトU.S.A.:ポップカルチャーが描く「アメリカの思春期」 』DU BOOKS, 2015.

  1980年代~2010年代前半までの米国の青春映画とテレビドラマについて批評する本である。どちらかと言えば00年代に比重がある。著者二人ともサブカル系のライターで、アメリカのスクールカーストや階級について詳しいが、ネットで調べた限りではどちらも米国への留学経験はなく、「よく調べた」と評価すべきか「信用していいのか」と疑うべきか迷うところだ。紹介された映像作品を楽しむうえでは前者の考えでいいのだろう。

  索引もあるので、映像作品カタログとして「引く」使い方もできる。けれども、著者二人が考える米国青春映像作品史に沿ってきちんと分類され批評されているところがこの本の特徴だろう。最初の章はジョン・ヒューズ。1980年代に『ブレックファスト・クラブ』や『プリティ・イン・ピンク』などを製作・監督した人物で、スクールカーストの存在とその乗り越えをドラマに描いて米国高校生映画の型を作ったとされる。次の章は00年代に飛んで、ジャド・アパトーがヒューズの後継者として取り上げられる。さらに、その後の章は『glee』関連、リアリティー・ショー、YA小説、10代歌手、ディズニー系のテレビチャンネルから登場したアイドル、プレッピーなる保守系家庭出身の高校生、名門私立大学への進学、成人した後も続くモラトリアム、などのテーマで映像作品を分類している。

  僕はヒューズ作品をまともに観ていない(ただし英国ニューウェーヴ系は好みだったのでサントラのいくつかは聴いたことがある)人間であり、本書で言及される映像タイトルやその関係者についてほとんど知らなかった。重要人物とされているジャド・アパトーの名すら、本書で初めて知った。そういうわけで十分理解できたというわけではなく、著者らの批評が適切なのかどうかもわからない。しかし、マンブルコアやらブロマンスやら知らない概念がちゃんとわかるよう解説されていてタメにはなった。また、00年代にも米国で聴かれているニューウェーブ系はThe SmithsとCureで、Vampire Weekendがプレッピーといった指摘も、洋楽ロック系のリスナーとしては興味を覚えたところ。日本における米国若者文化だが、20世紀に比べて21世紀ではその地位がかなり下がり、輸入紹介される機会も減った。本書はその欠落を埋める重要な資料だろう。
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教育領域におけるさまざまな価値の対立を明るみにする

2022-06-20 22:14:04 | 読書ノート
村上祐介, 橋野晶寛『教育政策・行政の考え方』有斐閣, 2020.

  大学の教職課程用の教育政策・教育行政学の教科書。教育政策の対立軸に踏み込んだやや抽象的な考察が展開されていることが特徴である。著者は二人とも1970年代生まれの東大教育学研究科の先生。1章~6章までを橋野、7章~12章までを村上が担当し、序章と終章は二人で書いている。

  前半は教育において達成したい価値と資源配分をめぐる議論である。各章の議論は、「教育の供給を市場に任せたほうがよいか、それとも規制したほうがよいか」に始まって、「教師の数を増やすか、給与を上げて質を高めるか」「教育への費用負担は私費か公費か。それぞれのあるべき負担の程度とその理由」「教員採用における外部労働市場の影響」「教育において自由と平等どちらを重視すべきか」「教育の成果をどう評価すべきか」と続く。それぞれの疑問について明示的な回答が打ち出されるわけではないが、教育政策とはトレードオフの中での選択であることをはっきりと理解させてくれる。

  後半はもっと具体的な教育行政のシステムに引き寄せての論点の提示となる。学校設立の自由化、教育行政における実際の権力、国か地方自治体か、教育委員会の位置づけ、民主主義による統制か教育専門家(先生)による決定か、福祉領域との関連、などのトピックが取り上げられている。

  以上。全体として、実証研究への配慮もあり、教育学分野にありがちなイデオロギー的な臭みがなく、優れた内容だと言える。特に前半の議論は僕の分野でも参考になるなあ。
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身分制社会から個人主義に至る過渡期としての明治時代

2022-06-17 08:21:15 | 読書ノート
松沢裕作『日本近代社会史:社会集団と市場から読み解く 1868-1914』有斐閣, 2022.

  明治維新から第一次大戦までの間の、農民や商工業者・労働者らの結びつき方・組織のされた方を描きだす内容。章末に読書ガイドがついていたりして学部生向けの概論書という趣きである。あとがきによれば、コロナ禍でのオンライン授業用に書き継いだものらしい。著者は慶應大経済学部所属の歴史研究者である。

  本書はまず、近世江戸の社会を「農村」「町」と都市下層民ほかその他の身分的周縁に分ける。「農村」と「町」それぞれの中には支配と保護の関係があり、上下関係を含めてひとつのまとまりを構成していた。これらが維新の後の戸籍法と廃藩置県によって破壊され、人々をむき出しの競争社会に投げ込んだ。人々がサバイバルのために頼ることができたのは、次に記すような中間的な組織形態である。それは家であったり、行政村より小さい単位である大字(江戸期の村)であったり、小学校区であったり、同業者によるカルテルであったり、職場における親方子分関係であった。しかし、それぞれ不安定さもあり、抜け駆けすることも容易な弱い関係しか成立なかった。第一次大戦頃になって、「修養」というコンセプトとともにようやく個人主義的な生き方の萌芽がみられるようになるという。

  以上。労働者の移動や雇用契約の実例を参照しながらの手堅い説明がなされている。全体としては明治期は「抜け駆け可能な社会」であるとまとめられる。しかしながら、このまとめが読んでいて完全に腑に落ちるかというと少々微妙なところである。そういう特徴づけはやはり江戸時代または第一次大戦以降の社会と比べてからの話だろう。というわけで続編が出ることを期待する。
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古書愛好家による新雑誌の創刊号、少しの空白も許さない?

2022-06-12 13:31:20 | 読書ノート
近代出版研究所『近代出版研究 / 創刊号』頒布:皓星社, 2022.

  日本出版学会に『出版研究』という学会誌があるが、それとはまったく無関係。国立国会図書館を退職した小林昌樹が、フリーの書誌学研究者(?)の森洋介と皓星社社員(?)の河原努と三人で「近代出版研究所」なる団体を起ち上げ1)、その機関誌として発行されたのがこの『近代出版研究』ということになる。寄稿者は三人のほか、読書猿、大月隆寛、菊地暁、下平尾直、神保町のオタ、安形麻理、田村俊作、松﨑貴之、鈴木宏宗、書物蔵、戸家誠、稲岡勝、武者小路信和となっており、「知った名前がちらほらあるけれどもよくわかない取り合わせだなあ」という印象だった。全員古書愛好家ということでいいんだろうか。

  最初は、所員三名+その他四名による座談会。明治初期の出版を対象とする研究者はほとんどおらず「なぜ江戸期書肆は近代出版社として生き残れなかったのか」という謎がまだ解明されないままとなっているとのこと。続いて小林による論文「「立ち読み」の歴史」は40頁を超える大作で、それによれば立ち読みは明治20年代に雑誌屋(当時は書籍を扱う店と雑誌を扱う店が分かれていた)において目撃されるようになった現象だという。以降、寄稿記事が続くのだが、異様なのが頁の空白を埋めるためなのか編集者(すべて小林?)の短いコメントが最後に付されること。中身についてのコメントだけでなく、依頼事情なども披露されている。記事のいくつかは初出ありの転載記事で、その中では鈴木の「明治10年代「図書館」は「書籍館」に何故取って代わったか」が面白かった。

  以上、編集者の情熱とパワーによって出来上がった感のある雑誌である。長く続くかどうかはわからないけれども、まずは最初の号が出たことを言祝ぐべきだろう。一つ要望すると、表紙にはもっと硬めの紙をお願いしたい。本棚に入れるときに折れ曲がるので。

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1) 小林昌樹(2021.6.25)「近代出版研究所 開設のお知らせ」 / 皓星社HP
  https://www.libro-koseisha.co.jp/info/kindaishuppan_kenkyujo01/
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