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図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

アマゾンは普通の書店と同じパターンで儲けているとのこと

2011-07-29 08:30:26 | 読書ノート
服部哲弥『Amazonランキングの謎を解く:確率的な順位付けが教える売上の構造』DOJIN選書, 化学同人, 2011.

  Amazonランキングの仕組みを数学を使って推定しようとする試みで、数学の知識が無いとかなり難しいだろう。僕もよく理解しているとは言えない状態のまま読了した。

  しかし、結論だけをかいつまんでみても相当面白い。Amazonの順位付けの仕組みは単純で、「注文が入れば一位になる」というアルゴリズムだそうだ。そういうわけで、10万位ぐらいの本でも、注文した直後のランクはかなり上がる(更新は一時間に一回)。売れる本は同一時間帯に多くの注文が入るので高いランクを維持し、それほど売れない本は注文の頻度が低いのでランクをどんどん下げることになる。3万位ぐらいの本だと6時間に一冊、10万位だと36時間に一冊、30万位だと9日に一冊の頻度だと推計される(p.78)。

  さらに、分布から次のようなことがわかるという。ロングテール・ビジネスは成り立っていない。ちまたで言われるように、Amazonは小売書店からすぐに消えてしまうような書籍を発掘してそれを売上につなげている、のではない。普通の書店と同じように売れ筋書籍がもたらす収益に多くを頼っており、ロングテール商品が売上に占める割合は大きくないという。

  この結果には驚かされた。では、売れない商品は在庫として抱えないほうが全体の売上を高めるのだろうか? たぶん、そうではないだろう。ロングテール商品を在庫とすることは、客に「Amazonでは取扱いがある可能性が高い」と思わせることができるので、ある程度集客効果を発揮すると考えられる。ただ、それらの直接の売上に多く期待を期待してはいけない、ということなのだろう。
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シンセを使ったミニマル風の二曲は名曲

2011-07-27 10:31:48 | 音盤ノート
Azimuth "Azimuth" ECM, 1977.

  アンビエントかつミニマルにジャズの要素少々。アジマスは、英国人ピアニストJohn Taylorと、ヴォーカリストのNorma Winstoneの二人のユニットとして当初結成されたが、ECMのプロデューサーであるアイヒャーの勧めに従って、トランぺッターのKenny Wheelerを加えた三人組みで活動するようになった。このアルバムはその第一作。CDは二作目"The Touchstone"と三作目"Depart"がカップリングされた三枚組でのみ発行されている。

  全てテイラーの作曲。1曲目の"Siren's Song"は、ピアノとトランペットとウィスパー気味の女性スキャットの合奏がループする中、テイラーがソロを聴かせる美しい曲。2曲目"O"と6曲目"Jacob"は静かな普通のジャズでそれほど面白くない。5曲目"Greek Triangle"はトランペットの多重録音による小品。

  特筆すべきは、シンサイザーを用いた3曲目と4曲目。3曲目の"Azimuth"は、細かい電子音が反復する上に女声スキャットとトランペットが即興を加えるという曲で、1970年前後のTerry Riley作品のような瞑想的な感覚が味わえる。4曲目の"The Tunnel"は、耽美的なピアノで始まってすぐにダークな電子音が現れ、それがフレーズを循環的させながらも少しずつ位相を変えて歪んでゆくという曲。こちらではウィンストンが普通に歌い始め、途中から細い声でスキャットをする。内面に入り込んでくるような深みを感じさせる。

  同じメンバーでこの他に四枚の録音があるが、この第一作にあったようなシンセサイザー曲は一掃されてしまう。確かに一作目のコンセプトではウィーラーの演奏は活きておらず、二人だけでも十分だった。しかし、ウィーラーを活かそうとしてメロディアスになったその後は、普通のECM的静穏ジャズの範疇のグループになったように思える。音楽的には悪くはないのだが、このアルバムにあった大きな可能性を摘んでしまった。
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実験の設計は本当に見事

2011-07-25 08:33:28 | 読書ノート
ダン・アリエリー『不合理だからすべてがうまくいく:行動経済学で「人を動かす」』櫻井祐子訳, 早川書房, 2010.

  行動経済学の一般向け書籍。著者としては『予想通りに不合理』(参考)に続く二作目。今作では、その研究についてだけでなく、イスラエル生まれの著者の過去にも立ち入った言及がある。若かりし頃、軍役で全身の大やけどをし、数年にわたる治療をすることになってかなりの苦労をしたそうだ。その経験が、その後の視点や動機に結びついているという。

  全体は雑多なトピックの集合である。報酬が高すぎると認知能力が鈍って適切な判断ができなくなるという話に始まって、人間には自分で作ったものに対しては高い評価を与えるというバイアスがあること、大きな幸せまたは不幸にもいずれ慣れてしまって幸福感は以前とあまり変わらなくなること、その時の気分で決定したことがその後の参照点になって後々の意思決定にも影響を及ぼすこと、などのことが明らかにされている。

  こう要約してみるとそっけない印象だが、出色なのは著者の実験デザインである。例えば、報酬の高さによって仕事の成果がどれだけ変わるかについての実験。同じ課題を解かせて、賞金を平均賃金の半年分、二週間分、一日分とした場合の、それぞれ三つのグループを比較したい。これを米国でやるには資金的に困難である。だが、レートの低いインドの大学に外注してやってしまうのである。その他、実にクリエイティブな方法で、人間の隠れたバイアスを検証している。読むかぎりでは、おそらくサンプル数は小さく、信頼性の問題は残るだろう。けれども、この閃きの素晴らしさには感心せざるをえない。

  人間の不合理性あるいは行動経済学に興味がなくても、「仮説を立てて実験する」という研究活動の面白さを伝えている。
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前作より形式にこだわるも自身のソロは活かしきれず

2011-07-22 07:18:27 | 音盤ノート
Dave Liebman "Drum Ode" ECM, rec.1974.

  ジャズ。"Lookout Farm"(参考)と同じコンセプトによる作品。リーブマンのサックスまたはフルートがフロントであるのは言うまでもないが、それを女声(Eleana Steinberg)やギター(John Abercrombie)、エレクトリックピアノ(Beirach)が囲み、背後から8人の打楽器奏者とエレクトリックベースが盛り立てるというもの。

  前作"Lookout Farm"と比べると、打楽器が3人増えたにもかかわらず幾分大人しくなった印象である。リーブマンの演奏をじっくり聴かせる曲が増え、他のメンバーのソロの出番が減った。大量の打楽器も乱打されるわけではなく、破綻の無い統制のとれたリズムを聴かせる。そのせいか全7曲中、スピード感のある曲は2曲目のみである。一方で、前作にあった、力まかせにサックスを吹く瞬間や、打楽器だけでの演奏で盛り上がる瞬間は無くなった。4曲目や6曲目でのように、サックスにエコーをかけたり音を歪めたりなどの電気処理をかけているのが新機軸と言えるかもしれない。

  これだけの打楽器を使いながらファンキーにならずに清廉であるのは相変わらずである。だが、アドリブ部分の完成度は前作に劣り、スリルが減った。前作のような組曲風の展開を嫌って、反復ビートを忠実に守るあまり、曲をコンパクトにまとめようとし過ぎたのが原因だろう。これはリーブマンが参加したMiles Davis "On the Corner"(Columbia, 1972)の呪縛なのか? そのようなわけで、ジャズとしては高い評価を与えにくいアルバムである。リーブマンならばこれ以上にアグレッシブに吹けるのだから。

  しかしながら、「レアグルーブ」作品としてサウンドコンセプトに価値を見出すこともできる。実際、1999年に日本でCD化された際は、その路線でマーケティングされていた。因縁のバイラーク参加作品ではあるが、なぜか本家ECMでも2000年にCD化され、そしてすぐに廃盤になった。
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「プライバシー」とは何のための、そして何を含む概念なのかについて

2011-07-20 09:30:39 | 読書ノート
仲正昌樹『「プライバシー」の哲学』ソフトバンク新書, ソフトバンククリエイティブ, 2007.

  「プライバシー」概念をめぐる哲学的エッセイ。著者は、もともとは「他人に隠しておきたい秘密」という意味で普及したプライバシー概念が、テクノロジーの普及で住所や職業といった個人情報も含むよう拡張されていった経緯を記し、その妥当性について検証する。

  ハンナ・アレントとハバーマス、ラディカル・フェミニズム、ポストモダン左派らの議論におけるプライバシーの位置を探りながら、日米での司法や立法における展開も追い、さらにテクノロジーの進展による個人情報への一般の人々の漠然とした不安も汲み、バランスの採れた議論が展開される。このプライバシー概念を使った各主張の整理はなかなか巧みで面白く、参考になる。

  結局、ある程度は拡張されたプライバシーは受け入れざるをえないというのが結論のようだ。ただし、その行使は別の人の権利を侵害するおそれもあり、その範囲は相対的であり、むしろ限定的に考えなければならず、各人はそのことを考慮すべきだという。これだけ読むと平凡かもしれないが、通して読むとなかなか説得力がある。
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繊細かつ思索的かつ夢幻かつ耽美なタペストリ

2011-07-19 06:17:32 | 音盤ノート
John Abercrombie Quartet "Arcade" ECM, 1979.

  ジャズ。アバクロンビー=バイラーク四重奏団による、"Abercrombie Quartet"(参考)、"M"(参考)と続く三部作の最初の録音である。他の二作はLPの発売以来廃盤が続いているが、このアルバムは2001年に日本だけでCD化された。しかし、そのCDも再プレスさないまま現在に至り、入手困難であるのは他の二作と同じである。

  収録曲はアバクロ作二曲とバイラーク作三曲という構成。一曲目のタイトル曲でだけ激しめのインタープレイが聴けるものの、後の二作と比べると楽曲重視のアルバムといえるだろう。アバクロ、バイラークそれぞれのアドリブ部分もメロディアスで美しく、内に熱を込めながらも静かに聴かせる。特に、CDの4曲目、LPだとB面1曲目にあたる"Neptune"は特筆すべきクオリティである。シンバルを添えるだけでリズムを付けないこの曲では、誘い込むようなピアノのアルペジオに始まり、ベースのアルコ弾きによる流麗なメロディに導かれて、ソロにおいてアバクロがこれでもかというくらい叙情的なプレイを聴かせる。次の最後の曲となる"Alchemy"も夢中を彷徨うような美しい楽曲で、これら最後の二曲だけでも何度も聴き返したくなる出来である。

  全体として後の二作と比べるとスリル感は劣るが、楽曲が手堅くまとまっており聴き易いと言えるだろう。重ねて、このカルテットの三作全て廃盤状態であるのはもったいないと訴えたい。
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協力行動の進化をめぐるエピソードとレビュー

2011-07-15 09:50:42 | 読書ノート
マット・リドレー『徳の起源:他人をおもいやる遺伝子』古川奈々子訳, 翔泳社, 2000.

  『赤の女王』(参考)に続くリドレーの二作目。「利己的な遺伝子」が生物進化のベースにあるのに、血縁でもない個体同士でなぜ協力行動がうまれるのか、について探った一般向けの書籍である。これも現在絶版。

  その問い自体は、以前紹介した大浦宏邦の『人間行動に潜むジレンマ』(参考)と同じである。利他的な個体は利己的な個体に搾取される。集団全体には勝利した利己的な個体の遺伝子が広がり、最終的には利他的な行動は淘汰されて消滅する。そうであるのに、なぜ人間は他人と協力できるのだろうか。

  これに対する著者の結論は、集団の維持と繁栄が所属する個体の生存(正確には遺伝子の生存)にとってメリットがあるからだという。規模が大きく強力な集団に所属していたほうが、同類集団の間の戦争において有利である。そのため、協力行動への志向が遺伝的にプログラムされている個体同士が集団を作れば、その集団は利己的なあまり協力行動できない個体を駆逐してしまうというのである。

  しかし、集団を維持するためには所属する各個体はなんらかの負担をしなければならない。そこに集団内へ利己的な傾向が入り込む余地がある。ある個体の負担が大きい一方で、別の個体の負担が小さくて済むなら、後者は財産またはエネルギー収支の上で有利になるので、その遺伝子は優勢となって集団内に広がり、最終的には集団内の協力関係を壊してしまうだろう。ならば、それを防ぐシステム(生物学的なレベルでのそれ)はあるのだろうか?

  その答えとして、大浦と同じように「裏切者検知」が挙げられているが、それよりも著者は「分業志向」を重視する。個体識別を基礎とする裏切者検知では、それが不可能なほどの大規模集団(人類が作るようなそれ)の形成を説明できないからである。一方で「分業」は利己的な利益の追求を許しつつも、集団全体の繁栄を可能にする。ただし、分業志向が遺伝的に組み込まれていると言いたいのか、利己性、平等志向、集団への同調傾向を基盤としてそれが形成されていると言いたいのか、よくわからない論の運びではある。

  全体として、議論は錯綜しており、また脱線も多く、分かりにくい本だと言えるだろう。個々の事例は面白いが、全体像が見えにくい(綿密なプランに沿って書かれたのではなく、書きながら考えたような本だという印象である)。協力行動は利己的遺伝子のなせるわざだという指摘は分かるものの、著者の重視する分業と交易に生物学的基盤があるのかどうかどうかははっきりしない。というわけで論証よりは採り上げられたエピソードを楽しむ本だろう。

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全力を尽くしてるようには聴こえないが、それでも平均以上のクオリティ

2011-07-13 07:17:34 | 音盤ノート
John Abercrombie "Abercrombie Quartet" ECM, 1980.

  ジャズ。アバクロンビー=バイラーク四重奏団による1979年の録音である。メンバーは前回紹介した"M"とまったく同じで、これが二作目(ちなみに"M"は三作目)。セルフタイトルのため検索し難いが、通し番号ECM1164のアルバムである。日本では、トリオレコードから『ブルーウルフ』というタイトルでLPが発売されていた。

  全6曲収録で、アバクロ作3曲、バイラーク作3曲という構成である。ハードなインタープレイが聴ける"M"に比べると、少しだけ落ち着いた演奏が展開される。リラックスしているというわけでもなく、エンジンが全開にならないまま9割程度の出力で曲が終わってしまうというような。A2"Dear Rain"とB3"Foolish Dog"は美しいスローバラード。A3"Stray"はミディアムテンポの曲で、B1"Madagascar"はゆっくりとしたメロディに厚めのドラムを添える曲。それぞれ楽曲重視の演奏だという印象。A1の"Blue Wolf"とB2"Riddles"だけが、激しめのインタープレイが聴けるスリリングな曲である。全体としては地味だが、楽曲・アドリブともにリリカルで、それなりの緊張感もあり、トータルの水準は高い。

  以上のようなわけで完成度は次作"M"より劣るが、それでも聴く人を満足させる出来だろう。やはりこれもアナログレコードのままCD化されず、放置されている。
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その録音現場で事件は起こったが、内容は至ってまっとう

2011-07-11 00:02:25 | 音盤ノート
John Abercrombie Quartet "M" ECM, 1981.

  ジャズ。といっても、叙情と透明感のあふれる耽美派ジャズである。メンバーはAbercrombie (guitar), Richard Beirach (piano), George Mraz (bass), Peter Donald (drums)。アバクロンビーはやわらかい音色で単音弾きを展開するギタリストで、出てくるフレーズは美しいが、羽目を外すこともあまりなく、よく言えば堅実、悪く言えば退屈なタイプである。そういうわけで、多少大胆な音使いをして曲に色彩を添えるバイラークとの相性はとてもいい。

  曲は、アバクロンビー作が3曲、バイラーク作が4曲、ムラツ作が1曲という構成。A面1曲目"Boat Song"はアバクロのギターでフェイドインするように始まり、途中からバイラークが対話をしかけるように絡んでくる叙情的な曲。以降のA面2曲目から3曲目、B面1曲目まで、激しいインタープレイを聴かせるスリリングな曲が続く。メンバー全員が眉間に皺を寄せて演奏をしていそうな緊張感の高い演奏だが、それでも「耽美」という枠は外していない。B面2曲目以降はやや落ち着くものの、静かに張りつめた演奏となっている。

  以上のように、即興演奏のスリルを保ちつつ音楽的に美しいという非の打ちどころの無い耽美派ジャズなのだが、1981年にLPで発売されて以来未CD化のまま現在に至っている。"Elm"(参考)紹介時に記したように、バイラークが参加したECM録音は全て海外ではCD化されていない(日本でのみ例外がある)。稲岡著1)によれば、このアルバム"M"の録音のときに、彼とECM総帥のマンフレッド・アイヒャーとの確執が生まれたとのことだ(p.86-87)。アイヒャーに商売っ気が無い分、この逸品がCD化される可能性は低いだろう。

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1) 稲岡邦彌『ECMの真実』河出書房新社, 2001.
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やはり一般的知能gはあるという立場

2011-07-08 07:53:12 | 読書ノート
村上宣寛『IQってホントは何なんだ?:知能をめぐる神話と真実』日経BP, 2007.

  前回に続きまた村上教授の一般向け書籍で、この本は「知能」を扱っている。日本ではまともな知能研究が無いという話ではじまり、SPIなんかで仕事の能力を測ることはできないという話で閉じる。日本の心理学者の怠慢を責める文言が散りばめられており、村上節全開である。

  個人的には、ジョン・ダンカン『知性誕生』(参考)の結論が気になっていたので読んでみた。この『IQってホントは何なんだ?』も、ダンカンと同じように一般的知能gがあるという立場である。この本を読んではじめてその論敵がわかったのだが、それはガードナーの多重知能説(『MI:個性を生かす多重知能の理論』新曜社, 2001.)で、米国ではマスコミ受けしており普及しているようだ。ダンカン著の「米国中の人に憎まれる」というエピソードも、ガードナー説が一般にも浸透しているならば納得できるものである。しかしながら、村上著にしたがえば心理学の主流はやはり「一般的知能gがある」という立場のように読める。

  もう一つ気になった点は、IQの遺伝を認めるのに著者が留保をつけていることである。第8章「遺伝で知能が決まるか」では、別々に育てられた一卵性双生児の間の知能の相関が高いこと、さらに年齢を経ると親との相関が高くなること、を紹介しておきながら、知能が遺伝するのは誤解だという(p.173)。素直に解釈すれば、それらのデータは知能が部分的には遺伝することを示している。かりに「子宮内環境」を考慮しても、養育でコントロールできないという点では知能はある程度「生まれつき」なのである。また、それを認めないにしても代わりになる説明を著者は提供していない。続く9章では、世代差・人種差・性差といったサンプル間のグルーピングの問題を扱っているが、遺伝であることを全否定するような材料は提出されていない。このあたりの論理展開に混乱があり、知能が部分的には先天的であることを認めたくない事情でもあるのかと勘繰りたくなる。

  とはいえ、上の混乱はささいなことで、全体としては興味深い内容である。特に10章の勤務成績と知能テストとの関係は、人事関係者にとってためになる内容だろう。面接をするにしても、面接者が自由に質問するより、質問事項を決めて質問したほうが良い人材を採用できる。また、採用試験で使われているSPIは、一般知能gを測ることが出来ていないので、役に立たないと指摘されている。
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