29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

改革で高校国語から文学の比重が下がるという危機

2020-01-31 07:58:20 | 読書ノート
紅野謙介『国語教育 混迷する改革』ちくま新書, 筑摩書房, 2020.

  国語教育改革批判。共通テストのコンセプトを批判した『国語教育の危機』の続編である。前半1/3は2018年に行われた第二回プレテストの分析で、残りの2/3が高校国語の新しいカリキュラム編成に対する批判となっている。作問レベルの低さを指摘するプレテスト分析の箇所は、著者の辛辣さが小気味良いものの、『国語教育の危機』の延長線上にある。本書は、後半を読むべきものだろう。

  2022年から適用される新しい学習指導要領では、高校国語は、必修で「現代の国語」「言語文化」、選択で「論理国語」「国語表現」「文学国語」「古典探求」という編成となる。しかし、多くの高校は選択科目をすべて設置するわけではない。共通テストで扱われる実用的文書を重視する「論理国語」がほとんどの学校で採用されるはずだ。一方で、高校国語における文学や古典の比重がこれまでより低いものとなると予想される。なお、図書館情報学者として僕は改革に期待する派で、著者とは考えが異なる。

  以上のことを前提に、文科省関係者が執筆した「新学習指導要領の先生向け解説書」を取り上げて、新しい高校国語がどのような教育をするのか検証するというのが、本書の後半である。そして、取り上げた解説書で展開される授業内容は、「トピックを詰め込み過ぎているがために指導が浅くなり、目標を達成できない」「10代半ばの若者にすべてやらせるには過大すぎる」「執筆者はそもそも文学をわかっていない」などといった批判が展開される。読解力は下がるとも暗に予想されている。

  うーむ、解説書がダメだから新しい国語教育改革はダメだと言えるかどうかだが…ちょっと苦しいかな。本書は読者に支持を求めるための論証方法が適切ではないと思う。不確定な改革の結果を予想するよりも、むしろ現状の高校国語が本当にダメなものなのか、論理的思考力や表現力を育成できていないものなのか、これらを検証してみるほうが生産的だろう。「PIACC国際成人学力調査において日本は読解力で参加国中第一位であり、現状の国語教育で成功している部分も認識する必要がある」とかね。
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21世紀に必要となる新しい「読解力」らしい

2020-01-27 09:16:45 | 読書ノート
新井紀子『AIに負けない子どもを育てる』東洋経済新報, 2019.

  『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』の続編。前半は著者らが開発したReading Skill Test (RST)の解説、後半はRSTに対応するトレーニング法や授業例の紹介である。AIの話はほんの少しだけで、国語教育論だと思って読んだほうがよい。

  RSTは6分野で構成される。1) 主語、術語、目的語を見分ける「係り受け解析」、2) 代名詞が指すものや省略された主語・目的語を把握する「照応解決」、3) 二文の意味が同一かどうかを判定する「同義文判定」、4) 常識を動員して意味を理解する「推論」、5) 図やグラフと文の意味が一致するかどうかを判定する「イメージ同定」、 6) 定義と一致する具体例を探す「具体例同定」である。著者は、これらを文章の正確な読み取りのために必要なスキルだとする。それぞれの分野の問題例が4つづつ紹介されており、一人1500円払えば受検できるとのことである。

  後半は、RSTの受容の現状や、RSTで試された読解力を伸ばすための授業方法の紹介である。付随して、義務教育における国語において文学的文章の比重が高すぎることや、教師作成プリントによくみられる「重要概念の穴埋め」形式が、論理的に読む能力を低めるものとして批判されている。

  以上。RSTが測る「読解力」は、これまで国語教育できちんと認識されてこなかったものだ。こうした「読解力を構成するパーツ」が、AI研究によって浮かび上がってきたというのが、個人的には面白かった。ただ、短文のテストで長文読解の能力を判定できるのか、という点は気になった。RST成績と長文読解力との相関はある程度存在するのは当然であるとしても、RSTによって測られていない他の「読解力を構成するパーツ」もあるのではないだろうか。
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東大とオックスフォードじゃ参考になるわけないだろうと思いつつ

2020-01-23 14:07:20 | 読書ノート
苅谷剛彦, 吉見俊哉『大学はもう死んでいる?:トップユニバーシティーからの問題提起』集英社新書, 2020.

  大学をめぐる対談。話者二人が籍を置く大学は、東大とオックスフォード大である。僕のような日大勤務の教員にはまったく参考にならないだろうと思いつつ、あまり期待せずに読んだのだが、そこそこ面白かった。会話は、苅谷のいるオックスフォードを場所として、吉見が議論をぶつけて苅谷がそれに答えるというパターンで進んでゆく。

  前半は日本で大学改革がなぜうまくいかないのか、なぜ大学の教育方法や採用方法が改まらないのか、というのが論議される。大学の理念の話もあるのだけれども、どうやら日本の組織の在り方、根っこには日本型雇用制度の問題があるらしいことが示唆される。後半では、オックスフォードや東大がどのような改革をしているのか(していないのか)、どのような教育をしているのかということが伝えられる。吉見によれば、日本の大学が目指すべき教育は、多国籍企業を渡りあるくようなグローバル・ビジネス・エリートの養成ではなくて、居場所をローカルに定めつつグローバルにつながってゆくような人材の養成であるという。まあ、確かに後者のレベルならば日本の大学でも育成できそうな気がする。

  あと、「印刷革命が中世の大学を窮地に追いやったという状況は、ネット情報に押された現在の大学の状況にもシンクロする」という話や、「20世紀の日本の出版市場の充実ぶりは、大学の先生をして著書の出版にエネルギーを注がせ、学生の教育の軽視を生んだ」という指摘もなかなか興味深いものだった。対談なので深堀りはされていないけれども、著者二人の慧眼が大学関係者にはためになる内容である。
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1980年代前半の政治哲学をめぐる論争

2020-01-19 07:35:26 | 読書ノート
アマルティア・セン, バーナード・ウィリアムズ編著『功利主義をのりこえて:経済学と哲学の倫理』後藤玲子監訳, ミネルヴァ書房, 2019.

  倫理学と経済学。功利主義というか経済学批判の論文集である。一応、批判派だけでなく擁護派も寄稿している。原書のUtilitarianism and Beyond (Cambridge University Press)は1982年発行だが、重要な文献ということで今になって翻訳されたようだ。ただし、抽象度の高い議論が展開されるハードな専門書であり、ミクロ経済学(ゲーム理論を含む)がわかっていないと多くを理解できないだろう。監訳者による「解説に代えて」は内容理解の助けになるので、先に読んでおいたほうがいい。

  寄稿者は、編著者の二人に、ロールズ、R.M.ヘア、チャールズ・テイラー、ハーサニ(本訳書ではハルサニーと表記)など有名どころから、ジム・マーリース、T.M. スキャンロン、パーサ・ダスグプタ、ヤン・エルスター、エイミー・ガットマンほか5人が名を連ねている。率直なところ、いくつかの論考は何を問題にしているのかまったく理解できず(読む側の基礎知識不足のせい)、いくつかの論考は言いたいことはわかるがそれって重要か?という印象で、寄稿者が豪華なわりには個人的に面白いと思える論考は多くなかった。

  そのなかでは、ヤン・エルスターの「酸っぱい葡萄」はなかなか考えさせられる論考だった。功利主義は欲求が満たされたかどうかを考慮するだけだが、エルスターはそもそもの欲求がどう獲得されたかを問題にすべきだという。欲求のある部分は主体の置かれた環境によって形成される。センならば、周囲の環境が悪ければ欲求の水準も低くなり、功利主義はそのような人の境遇を放置してしまうことになると批判するだろう。これに応ずるかのように、エルスターは実現不可能な過剰な欲求がもたらす欲求不満を遡上にのせながら、適切な欲求不満を持つことを正しいとみなす。環境に適応するように選好を形成するのは自律を阻害する。一方で、学習による内発的な選好の形成は自律を保ったまま厚生を高めるので望ましいという。では、選好の内実をどう見分けるのか、という疑問が起こるがそこまでは論じられていない。この論考と同じタイトルの著書があるようなので探してみることとしよう。

  以上。「本人の著作を読んだことはないけれども、誰か別の人の著作でその名が言及されているのを見た」ことがあるというような執筆者の議論を、手軽に(一つ一つの論考の頁が少ないという意味で)確認できる本である。

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英エジンバラのギタポバンドの30年後のデビューアルバム

2020-01-15 12:56:22 | 音盤ノート
The Motorcycle Boy "Scarlet" Forgotten Astronaut Records, 2019.

  英国の1980年代ギターポップ系のロックバンドで、ジザメリ・フォロワーだと書いたらわかるだろうか。わからないだろうね。The Jesus & Mary Chain(略称ジサメリ)のデビュー・アルバム"Psychocandy"(Blanco y Negro, 1985)の影響はとても大きくて、ファズなど歪み系のエフェクトを厚く施したギターサウンド──ノイズ音の壁──と、感情表現を抑えて素直にメロディをなぞるボーカル──ヴィブラート無し+スクリーム無し──というスタイルが、後発のインディーズ系のバンドによく模倣された。

  1980年代半ばにスコットランドに登場したジザメリ影響下のバンドに、The Shop AssistantsとMeat Whiplashがある。前者は1986年にアルバムを発表しているが、後者は1985年のシングル一枚のみで活動を停止。後者の野郎ども四人が、前者でボーカルを取っていたAlex Taylor (女性)を雇って結成されたのが、このThe Motorcycle Boyである。同時期にはカリフォルニアに同名のバンドが存在していてややこしいが、あちらは男だけのようだ。

  前置きはまだ続く。このThe Motorcycle Boyは、1987年に本作所収のシングル'Big Rock Candy Mountain'をインディーズレーベルのRough Tradeから発表し、その後めでたくメジャーレーベルのChrysalisと契約。1988年にプロモーション用の盤もプレスされてさあいよいよアルバムデビュー、というところまで漕ぎつける。ところが結局デビューアルバムは発売されず、バンドは再度インディーズに戻り、シングルを二枚を発表して活動停止。アルバムが発売されなかった理由はわからない。Alex Taylorの名もその後聞くことは無くなった。

  で、1989年初頭に発売予定だった彼らのデビューアルバムが30年遅れでやっと日の目を見たのがこのアルバムである。初お目見えなので、再発ではない。収録曲を聞いてみると、ファズギターとシーケンサー音と打ち込みドラムを組み合わせるタテノリな曲と、エフェクト控え目なギターを使ってアルペジオを多用するギターポップ系統の曲という二つがある。前者はチープでかつ目新しさがあり、センスを感じる。この系統の曲でアルバムを埋めればそこそこ認知を得たのではないだろうか。後者は、悪くはないのだけれども、まあまあという印象だ。

  というわけで、幻のアルバムである。ただ、Alex Taylorがこのバンドの活動停止後音楽活動をやめてしまったのは残念だった。彼女の平板な歌唱スタイルは巧さを感じさせないけれども、上品なアルト声で、色気や可愛げとは無縁だが、落ち着いていて清涼感があり、ちょっとした温かみも感じる。StereolabのLaetitia Sadierほど重くなく、My Bloody ValentineのBilinda Butcherほど浮世離れしていない。良い声である。The Shop Assistants期の写真だと見た目が不良姐さん風でその声とのギャップに驚くけれども。
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機械が人間より上手く仕事をする現状および未来

2020-01-11 22:29:42 | 読書ノート
エリック・ブリニョルフソン, アンドリュー・マカフィー『ザ・セカンド・マシン・エイジ』村井章子訳, 日経BP, 2015.

  AIと労働の未来をめぐる考察。このコンビでの邦訳は、他に『機械との競争』(日経BP, 2013.)と『プラットフォームの経済学』(日経BP, 2018.)の二つがあり、本書は両者の間に挟まる二作目ということになる。著者二人はMIT所属。原書は The second machine age : work, progress and prosperity in a time of brilliant technologies (W.W. Norton, 2014.)である。

  内容は次のようなものである。蒸気機関が労働を変えた産業革命期に続いて、現在はAIによる労働の代替が進む「第二の機械の時代」の渦中だという。コンピュータの発達やデジタル経済の進展によって、仕事のやり方や消費の仕方が大きく変化しつつある。1980年代以降、米国における一人当たりGDPは上昇してきたのに、所得の中央値は横ばいだった。格差の拡大である。勝者となったのは、資本家、高度なスキルを持つ労働者、スーパースター(=さまざまな領域における第一人者)だった。短期的には、このほかの低スキルの労働者は市場で安く買いたたかれるか、失業する可能性がある。そこで、将来のために教育・研究・起業を支援する制度を整えつつ、負の所得税を導入して格差対策としよう、と提案がなされる。

  以上。巷で推奨されているベーシックインカムに比べれば、負の所得税のほうが抵抗が少なく導入しやすいという指摘はその通りである。低スキル労働者の失業という予想に対しては、ピンカーの新著や稲葉振一郎『AI時代の労働哲学』(講談社, 2019.)で批判がなされているので、そのまま受け入れるわけにはいかない。だが、格差拡大の傾向は確かだろう。あと、IT技術導入で影響を受けるものとして組織編制が挙げられているが、日本の企業はITが導入されてもあんまり変わっていないみたいなんだよなあ。誰かの別の本か記事で、日本の企業の生産性が低いのはそのせいかもしれないと指摘されていた(うろ覚え)。

  感想としては、どうするもこうするも、上に記すような流れがあるならば適応するほかないというだけ。大学教員としては「高スキル人材を育成せねば」という使命感はあるのだけれども、学生があまりノッってこなかったりする印象はある。
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イデオロギーによって頭脳優秀な人でも馬鹿になる

2020-01-07 08:15:47 | 読書ノート
スティーブン・ピンカー『21世紀の啓蒙:理性、科学、ヒューマニズム、進歩 / 下』橘明美, 坂田雪子訳, 草思社、2019.

  前回の続き。下巻の前半は、世界はどんどん良くなっているのをグラフで示す、という作業の続きで、教育や幸福感、テロ・AI・ポピュリズムなどが遡上にのせられている。後半では、アンチ「理性、科学、ヒューマニズム」論者やそれらへの懐疑的態度に対する反論が展開される。

  下巻では後半が面白い。現在、先進国では左右の政治対立が先鋭化し、妥協や協調が難しくなっている。米国の大学でも左派が多くなって学問が政治化しているらしい。背景には、かなり頭がいい人でもイデオロギーが絡むと正しい判断ができなくなるということがある。そのとき、真実らしさよりも、仲間内に認められることや自分が持つ信念を強化することが優先されてしまう。そのことを証明する、気候変動や経済政策についての質問を使った実験が紹介されている。なお、イデオロギー絡みの誤まりは左右に関係なく起こる。米国では、環境保護などは当初は右派の運動だったのに、その後左派が積極的になったために、右派が反環境保護に鞍替えしてしまったという歴史があるらしい。

  というわけで、著者は、対立を乗り越えるために、テトロック著における「超予測者」のような思考──おおまかな予測を立てて、さまざまな情報を取り入れて見通しを微修正してゆくようなベイズ的思考──を勧めている(ただし、テトロック著は少々アクセントが違う)。後半の残りの部分は、反科学に傾きがちな人文学者への批判であり──超訳すると「反科学って反理性になるでしょ、理性を信じないで人を説得するような議論ができないでしょ。じゃあ人文学者はいったい何を普遍的に理解可能にしているわけ?」──、宗教擁護論への批判と、反ヒューマニズム思想への批判(ニーチェとフランクフルト学派がタコ殴りされる)で構成されている。

  以上。以前読んだリドレー著と同じ感想を持った。「人類という単位では未来は明るい。しかし、歴史の途上で滅んだり悲惨な目にあったりする民族や国家もあるんじゃない?」ということだ。ただ、著者はナショナリズムを批判しているから、そういう集団単位の思考こそ啓蒙主義で克服されるべきと反論するのだろう。それを受け入れたとしても、「ポピュリズムの支持者は老人で、文化競争の敗者だから、無視すればいい」という著者の態度は、ちょっと冷たいなあ、とも思う。
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世界は良くなっている、格差拡大も悪いことではない、と。

2020-01-03 10:26:41 | 読書ノート
スティーブン・ピンカー『21世紀の啓蒙:理性、科学、ヒューマニズム、進歩 / 上』橘明美, 坂田雪子訳, 草思社、2019.

  スティーブン・ピンカーの新著の邦訳だが、いつものように長い!!(上巻464p, 下巻509p)。人類の行く末を悲観するインテリぶった輩に騙されないように、市井の人々に近代啓蒙主義の輝かしい成果をお見せしよう、という内容である。原著はEnlightenment now : the case for reason, science, humanism, and progress (Penguin, 2018.)である。

  上巻を読んだ限りでは、基本的な主張は前著『暴力の人類史』と変わらない。世界は昔よりもどんどん良くなっており、平和かつ安全になって、生活水準も改善した、というものだ。前著から新たなに加わった話として、貧困や事故死の減少、食糧事情や自然環境の改善、民主主義や平等主義の普及、などがある。これらについて、因果関係を推測しつつ、いろんなところからデータを引っ張ってきた大量のグラフで証明するというパターンで議論が展開されている。

  意見が割れそうなところは第9章である。著者は、経済上の不平等は過度に問題視されていると訴える。所得格差は幸福感に影響すると言われているけれども、国別にみるとやはり平等度よりも所得の高い国のほうが幸福感も高い。グローバル化で先進国の中間層が破壊されたといわれているが、データを見る限り彼らはは上層に階層移動したと推定できる。さらに、シャイデル著を参照しながら、格差の拡大は平和時には定常的な傾向である、格差をめぐる真の問題は不公正な配分であって結果の不平等ではない、などという。

  説得力はある。けれども、上巻を読んだ限りでは、著者自身が言うように、マット・リドレー『繁栄』やハンス・ロスリング他『FACTFULNESS』と同じ路線の内容であり、衝撃度は低い。本書のオリジナリティは、扱う領域の広さと、ピンカーの文才(論敵をクサすときの巧みさといったら‼)、ということになるだろうか。 
  
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