29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

ゲーム史に関する新書二冊、2011年と12年の刊行でちょっと古いかも

2022-07-28 14:15:58 | 読書ノート
多根清史『教養としてのゲーム史』(ちくま新書), 筑摩書房, 2011.
さわやか『僕たちのゲーム史』(星海社新書), 星海社, 2012.

  コンピュータゲーム史。僕は普段からゲームをしないので知識もほとんどないのだが、学生の指導のために必要になって読んでみた。とはいえ、団塊ジュニア世代の人間なので、書籍で挙げられている初期のゲームタイトルはそこそこわかる。スペースインベーダー、ギャラガ、ドンキーコング、ゼビウス、スーパーマリオブラザーズなど、子どもの頃にプレイした記憶がある。ゲームセンターの雰囲気や、家庭用ゲーム機が普及したために遊び方が変わってしまったことも覚えている。むしろ、今世紀以降の作品のほうがわからず、名前は聞いたことがあるがプレイしたことがないということがしばしばだった。

 『教養としてのゲーム史』は1970年代の「ブロックくずし」前後から1990年代半ばまでをカバーしている。ソフトウェアとしてのゲームの発展に焦点を当てており、特にどのような部分がそのゲームを面白くしているかについて論じている。例えば、スーパーマリオブラザーズにおいては多彩なジャンプ操作であり、ゼビウスにおいては地上と空中を分離して対処しなければならない点だという。ゲームの発展を制約する技術についても言及がある。ただし、記述の精粗があって、ゲーム&ウォッチ(ファミコン以前の任天堂ゲーム端末)やゲームボーイなどの携帯ゲーム機や、格闘ゲームやテトリスのような落ち物パズルは扱われていない。また、1990年代半ば以降の展開も知りたいところである。

 『僕たちのゲーム史』は、ファミコン以前のゲームについて言及しつつも記述を短く抑え、2000年代半ばのオンラインゲームの普及直前あたりまでをカバーしている。個々のゲームについては、発表当時の批評や開発者の意図によって解説されることが多い。家庭用ゲーム機がカセット式からCD-ROM式に変わることの意義や、海外の主流のゲームと日本のそれとの比較、ゲームセンターの変化──昔の暗い雰囲気(「不良少年のたまり場で小学生がカツアゲされる」というような)が一掃されて家族向けの「アミューズメントパーク」となったこと──などは、興味深い指摘だった。トピック選択のバランスで言えばこちらのほうが優れているだろう。

  以上。読む前は「自分はこの種のゲームをしない人間だ」と思い込んでいたが、読んでみて子どもの頃はわりと身近にゲームがあったのだなあという感慨をえた。思い返してみても、ゲームから遠ざかっていたのは大学に出てきてから以降である。とはいえ、この新書二冊だけでわかったつもりになってもいけないので、もう少し最近のゲーム論を読むつもりだ。あとはゲームを実際やってみるかどうかだが、時間をとられるし、そこまでする気はない。
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社会保障を行うのは消費を支えるためだ、と

2022-07-21 14:00:22 | 読書ノート
権丈善一『ちょっと気になる政策思想:社会保障と関わる経済学の系譜 / 第2版』 勁草書房, 2021.

  新古典派経済学を批判しケインズを高評価する、ある程度経済学の知識が必要な内容である。『ちょっと気になる社会保障』と『ちょっと気になる医療と介護』に続くシリーズ第三弾で、初版は2018年に発行されている。前著二つの背景となる理論について解説するのが目的であり、記事の初出は講演や研修会であることが多い。あと「知識補給」なるオマケ部分では新聞や雑誌に書いたものが転載されている。

  日本のような十分発展した経済においては、需要のコントロールこそが政治的課題として重要である。しかしながら、経済学主流は生産効率ばかりを重視し、消費を軽視してきた。マルサスからケインズに続く系統の経済学だけが、需要の重要性を理解していた。まとまった量の需要を下支えする目的においては、貧困者を減少せしめて消費を促す再分配政策や社会保障政策は効果的である。その原資として消費税は望ましい。一方で、先進国のこれ以上の経済成長を促す政策や将来発展する産業を特定する方法などは未だ発見されておらず、成長戦略など考えるだけ無駄である。経済学は科学ではない、などなど。

  以上。供給重視の新古典派と需要重視のケインズ経済学という対立を最初に立てて、あとは手を変え品を変えて前者を批判し後者を称揚するというパターンなので、少々くどく感じる。が、おかげで分かりやすくなっているとも評価できる。元となる講演用原稿はリーマンショック後の数年間に書かれたもののようだ。当時はケインズ再評価本がたくさん発行されていた。本書の初版発行は2018年なので、出遅れたと言っていいのではないだろうか。根幹の主張自体にオリジナリティがあるというわけではないが、小話や脱線が面白いのでいま読んでも楽しめる。
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「人々が集まる公共の施設」の重要性を説く

2022-07-14 16:51:17 | 読書ノート
エリック・クリネンバーグ 『集まる場所が必要だ:孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学』藤原朝子訳, 英治出版, 2021.

  社会学。「社会関係資本」が人間関係で構成されるとしたら、それを支える物理的な場や施設が「社会インフラ」である。その社会インフラの効用を一般向けに論じた書籍となる。同時にサードプレイス論、選択アーキテクチャ論でもある。原著はPalaces for the people: how social infrastructure can help fight inequality, polarization, and the decline of civic life (Crown, 2018.)で、著者はニューヨーク大学の教授である。

  社会インフラとして挙げられているのは、公共図書館、公園、大学キャンパス、スポーツ施設、教会などである。それぞれの場や施設は、人々の交流を促し、共助を引き出す。一方で、孤独から守り、犯罪を防ぎ、災害などのダメージを和らげる。社会インフラは、人種間の交流機会も生み出すこともある。ただし、これらのメリットを引き出すには、施設設備のデザインにおける条件を満たす必要もある。こうした社会インフラを上手く設計し、維持・拡大してゆくことが望ましい。

  というのがその内容である。データではなく観察に基づいた報告であり、多分に著者の期待がこもった解説となっている。個々のエピソードは面白い。20世紀中盤には米国にも公営プールがたくさんあったのだが、公民権法以降白人だけの利用というわけにはいかなくなり、黒人と一緒にプールに入るのを嫌がった中流白人層は郊外に家を買ってプールも付けるようになった、と。一方で公営プールの数は減少したという。そんな酷い理由で「プール付きの家」が普及したのかと驚かされた。

  図書館についてはベタ褒めである。時代遅れ扱いされることの多い図書館だが、関係者以外でこんなに褒めちぎってくれる本はここ最近読んだことがない。ただし、情報提供のインフラとしての評価ではなく、サードプレイスとしての高評価である。日本ならば「公民館」的な機能といえるだろう。図書館関係者は飾っておくべき。
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脳と運動の本だが、タイトル表記の方も気になる

2022-07-06 15:34:26 | 読書ノート
アンダース・ハンセン『BRAIN 一流の頭脳』御舩由美子訳, サンマーク出版, 2018.

  認知能力・非認知能力に対する運動の効果を解説する一般向け書籍。ベストセラーとなっているようで、入手した本の奥付をみたら10刷だった。著者は『スマホ脳』を書いたスウェーデンの精神科医。原題はHjärnstark : hur motion och träning stärker din hjärnaで、DeepLは「脳力 : 運動とトレーニングで脳を鍛える方法」と訳した。英訳版のタイトルは、The real happy pill: power up your brain by moving your bodyとなっている。

  内容はこう。運動、特に有酸素運動をすると、ストレスや鬱病に対する抵抗力がつき、やる気・記憶力・創造性・学力も高まる。毎日疲れるほど運動する必要はなく、30分ぐらい週三日運動をするだけで十分な効果が得られる。それが無理ならば、毎日5分程度の運動をするだけでもそれなりの改善がみられるという。内容としては『脳を鍛えるには運動しかない!』と被る。しかし「薬の効果は一時的で持続的な効果がない」ことや「脳トレなど無意味だ」と、運動以外の代替手段に対しはっきりと否定的なところが本書は異なっている。

  なお、本書は奥付と標題紙でタイトルが一致しないケースとなっており、司書資格課程の目録用の教材として使える。標題紙と背タイトルは「BRAIN 一流の頭脳」であるが、奥付は「一流の頭脳」とだけ記載されている。国立国会図書館は「一流の頭脳 = BRAIN」と並列タイトル扱いにし、大阪市立図書館は「一流の頭脳:BRAIN」と副題扱い、出版社自身とAmazon.co.jp、およびいくつかの図書館は「一流の頭脳」とだけ記載している。「Brain」という表記は表紙を見ても目立つし、書誌事項として記載しておくべきじゃないかなあ。

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出会い系サイトの会員情報を使ったビッグデータ分析

2022-07-02 09:19:04 | 読書ノート
クリスチャン・ラダー『ハーバード数学科のデータサイエンティストが明かす ビッグデータの残酷な現実:ネットの密かな行動から、私たちの何がわかってしまったのか? 』矢羽野薫訳, ダイヤモンド社, 2016.

  米国出会い系サイト「OKキューピッド」の創業者による、会員データの分析の紹介本である。モテる男女の年齢、自己紹介にどういう単語を使うか、外見の影響、などのトピックがある。原書はCrown社から2014年に発行されている。内容は、グーグルを扱った『カルチャロミクス』、『誰もが嘘をついている』(出版は本書の後)の同系統である。主題は男女関係だが、あまり深い考察はなされていない。文章よりもむしろ、説明をほどほどにして、鮮やかなグラフでその分析手法の多彩さを見せつけているのが特色だろう。

  少々気になったのは本書の副題である。2014年のハードカバー版はDataclysm: who we are when we think no one's lookingであるが、2015年のペーパーバック版はDataclysm: love, sex, race, and identity--what our online lives tell us about our offline selvesとなっている。後者はわかりやすくなった一方、軽薄さも増した。ペーパーバック版で副題を変えた本というのはたまに見る(『男子劣化社会』など)が、翻訳の際に底本としているのはどちらなのだろうか、記載のないことが多い。記述の変更がないこともあるみたいなので、記載不要という考え方もあるだろう。なお、少々気になるだけで、すごい気になるわけではない。
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