29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

線形モデル限定の丁寧な回帰分析の教科書

2018-07-31 23:14:31 | 読書ノート
A.H.ストゥデムント『計量経済学の使い方:実践的ガイド』高橋青天訳, ミネルヴァ書房, 2017.

  計量経済学の教科書。計量経済学に特に興味があるわけではないのだが、回帰分析の論理と手法をきちんと理解しようとして手に取った。邦訳はUsing econometrics : A practical guideの第6版(Peason Education, 2011.)からだが、同書はすでに第7版(2016.)まで発行されている。邦訳は上下二分冊で大部だが、読んでかつ練習問題を解いてゆくことにで理解が進むようにできている。僕のように読んでいるだけでは中途半端みたいだ。なお、分析結果の事例として統計ソフトのEviewsかStataの結果を記載している。回帰分析の結果を見慣れていればそれほど解釈に困ることはないと思う。

  学部生向けの教科書とはいえ、数式がけっこう出てくるので「数学の知識なしでも大丈夫」というわけにはいかない。それなりハードルを超える必要がある。とはいえ説明は懇切丁寧なので独学ができる(僕にとってちんぷんかんぷんだったアングリスト他『「ほとんど無害」な計量経済学』に比べての話)。大昔に回帰分析を学んだ人にもためになるのではないだろうか。例えば、少し前の教科書ならば多重共線性を避けるよう強調されていたように思う。しかし、本書は多重共線性のある変数でも特に調整せずに分析に投入しちゃえと勧める。つい最近、多重共線性のある変数の扱いに苦慮したばかりなので、読んでいて驚いたところだ。なお、内容は最小二乗法を使った線形回帰のみで、最尤法を用いるような分析手法はカバーしていない。

  あと、ネットで見かけるミネルヴァ書房側の売り文句はかなり気になった1)。曰く「学部生のためにつくられ、数式を最小限におさえた驚異的な使いやすさで計量経済学分野全米2位の売上を誇る、定番テキスト」。全米2位って…。2位が駄目というわけではない。しかし、1位はいったい何なのか、それは邦訳されているのか、とても知りたい。

1) ミネルヴァ書房 / 計量経済学の使い方 上[基礎編]
  http://www.minervashobo.co.jp/book/b281349.html
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分かりにくいけれども聴き手を拒絶をするわけでもなく

2018-07-28 23:30:43 | 音盤ノート
Mark Turner Quartet "Lathe of Heaven" ECM, 2014.

  ジャズ。マーク・ターナーは著名なテナーサックス奏者とのことだが、個人的には初めて聴く。興味があったのはトランペットのAvishai Cohenのほう。この二人の管楽器に加えて、ベースのJoe Martin、ドラムのMarcus Gilmoreというカルテット編成で録音されている。すべてターナーのオリジナルで、長尺の曲が6曲収録されている。

  つかみどころの無い作品である。ECMにしては正統派のジャズ寄り作品であるが、ジャズだと思って聴くとかなりへんてこなしろものである。暗いけれども暖かく、ゆったりとしているけれども緊張感が漂っている。肌触りはクールだが、内にこみあげてくるような激しさもある。メンバーが自由気ままに演奏しているようでいて、まとまりもある。ターナーのサックスには温もりがあり、親しみやすく響く。しかし、出てくるフレーズはうねうねと盛り上げ処がわからないまま続き、わかりやすいとは言えない。トランペットもまたかなりアブストラクトなソロだが、こちらはまだメリハリがあってメロディラインらしきものを感じられる。ドラムは、ユニゾンを外れると素直にリズムを刻んだりしない。ベースラインによってなんとか曲の輪郭が形作られている。

  というわけで評価に苦しむ作品であるが、退屈というわけではなく、聴いていて飽きないミステリアスさがある。よくもまあこんな微妙なバランスの音楽を作ることができるよな。端末にファイルで入っていると聴く気にならないけれども、CDだと「ちょっと我慢して」通して聴いてみる気になるタイプの音楽である。聴き手をして「これを理解しなくては」という気にさせるところがあるのだ。
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ラノベ仕立てで司書業務を紹介

2018-07-25 20:45:57 | 読書ノート
大橋崇行著, 小曽川真貴監修『司書のお仕事:お探しの本は何ですか?』勉誠出版, 2018.

  小説形式で司書の業務を紹介するという内容。著者は『ライトノベルから見た少女/少年小説史』の人。ラノベ研究だけでなく、ラノベそのものも書いているのか。中高生向けの内容で、学校図書館においておくのにぴったりだろう。

  ハーレムだとか超能力とか異世界転生とかはナシ。新米の女性司書が、先輩の女性司書や幼馴染みの助けを借りながら問題解決をしてゆくというリアリスティックなストーリーである。3章構成で、1章は分類番号の付与、2章は選書、3章はレファレンスを主なトピックに据えている。その間に、コラムなども使って図書館の仕事を紹介してゆく。公共図書館の内情だけでなく、大学図書館や学校図書館を絡ませているところにも工夫がみられる。

  監修者は犬山市立図書館の司書だとのこと。なるほど。舞台は架空の「味岡市」で、市立大学を持つ規模だから、県庁所在地レベルである。ただ、地名自体は、名古屋鉄道の路線に「小牧線」という犬山市から小牧市を通過して名古屋北部まで達する路線があるけれども、その小牧市北部にある「味岡」駅からとってきたのだろう。僕の実家がその近辺にあるのでとても感慨深い。

  
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ツインドラムによる反復ビート路線に半分だけ帰還

2018-07-20 23:13:34 | 音盤ノート
Mathias Eick "Ravensburg" ECM, 2018.

  ジャズ。マティアス・アイクの新作。2月には発売されていたようだが、最近になって聴いた。前作"Midwest"から3年ぶりで、本人と打楽器のHelge Norbakken以外はメンバーを一新している。といっても、Andreas Ulvo (piano)とAudun Erlien (electric bass)とTorstein Lofthus (drums)は前々作の"Skala"からの復帰組。ツインドラムとエレべ部隊が還ってきたわけだ。ヴァイオリンのHåkon Aaseは初参加だが、その部分だけは"Midwest"路線の踏襲ということになる。

  この作品は、"Skala"と"Midwest"の良い部分を混ぜ合わせることを意図としたのだろう。だが、"Skala"を高く評価し"Midwest"を評価しない僕には、半分だけ"Skala"路線に戻ってきたそこそこの出来の作品という印象だ。反復パターンを守る厚めのバッキングが"Skala"の魅力だった。しかし、本作のバンドは曲によってリズムを刻むことに熱心ではなくなり、ツインドラムが意味をなさなくなる瞬間がある。また、マルチプレイヤーであるアイク本人は、トランペットに専念してヴィブラフォンもエレべも弾かない。アクセントとしてけっこう効果的だったのでもったいない。ただし、本人によるペドロ・アズナール風のスキャットは新機軸で、嘆き節なのに爽やかなのが面白い。御大のソロは哀愁漂う風情であり相変わらず魅力的である。

  というわけで、"Skala"ほど良くはないが、"Midwest"と"Door"よりは優れたアルバム、というところだろうか。アイクのソロならばJacob YoungのECM作品、サウンド面での幅の広さならばJaga Jazzistの作品を聴いたほうがいい。
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7/15・日大文理学部のオープンキャンパス

2018-07-17 12:41:05 | チラシの裏
  僕は参加していないのだけれども、日曜日の7/15に日本大学文理学部でオープンキャンパスが行われた。来場者数5,252名1)。来場者の皆さま、炎天下の中お越しいただきありがとうございます。昨年2017/7/16の来場者数は7,578名2)である。前年から3割以上減ってしまった。一方、同日に行われた危機管理学部のオープンキャンパスは2割増だそうで3)。悪名は無名に勝る。学部によっては宣伝になったところもある、ということか。受験者数はいったいどうなるのだろう。まったく読めない。

※7/18 2017年の開催月について誤認がありましたので、訂正しました。

1) 日本大学文理学部「夏季オープンキャンパス2018」を開催いたしました。
https://www.chs.nihon-u.ac.jp/nyushi/2018-07-15/8727/

2) 日本大学文理学部「夏季オープンキャンパス2017」を開催いたしました。
https://www.chs.nihon-u.ac.jp/kyomu/2017-08-16/5307/

3)

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「よりよい仮説を選択する」ための統計学

2018-07-13 11:22:47 | 読書ノート
三中信宏『統計的思考の世界:曼荼羅で読み解くデータ解析の基礎』技術評論社, 2018.

  統計学の講義録。B5サイズである。各種統計手法の背景にある考え方を解説し、手法間にある共通性や違いを整理している。著者が各手法の関係を図示した「大統計マンダラ」(手描き!!)なるものがp.14に掲載されている。p.79には確率分布曼荼羅なる図もある。「分析的に把握するのではなく、仏に包み込まれるように統計を理解せよ」ということなのだろうか。著者は講談社現代新書で『系統樹思考の世界』『分類思考の世界』を上梓している生物学者である(この二著を著者プロフィールに記載していないのはなぜなんだろう)。

  構成は次のようになっている。まず記述統計からはじまり、グラフ化による視覚での把握の重要性が説かれる。中盤では、さまざまな確率分布と、ランダムサンプリング、分散分析などが解説される。ここはかなり詳しい。後半1/3で、最尤法を使った回帰分析、コンピュータを使ったサンプリング、ベイズ統計、クラスター分析、主成分分析を駆け足で通覧する。ただし、カイ二乗検定、ノンパラメトリック系の手法については採りあげられていない。手法の紹介それ自体よりも「何を測っているのか」および「きちんと条件を統制して測る」ということについて詳しく記述されているという印象である。

  入門書としてはややハードルが高いかもしれない。例えば「分散」概念は初心者向けならば詳しい説明がほしいところだが、本書では簡単な言及があるだけで定義式が示されない。しかし、けっして難解というわけではなく、図示も説明も丁寧である。「統計学の講義を受けて一通り重要概念を覚えたけれども、いざ使ってみるにあたっていま一度しっかりと基本的な理解をしておきたい」という読者に向いている。
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不完全なビッグデータ分析が実際に適用されてしまったら

2018-07-10 19:12:03 | 読書ノート
キャシー・オニール『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠 』久保尚子訳, インターシフト, 2018.

  ビッグ・データ分析がもたらす社会的排除を扱った警世の書。著者は数学の学位を持ち、大学教授までのぼりつめながらも金融業界に転職、そこで金融危機を経験し、今はコンサルティング(誤ったアルゴリズムを監査するという会社?)をやっているらしい。原書はWeapons of math destruction: How big data increases inequality and threatens democracy (Penguin, 2017.)で、「数学破壊兵器」が原題の意味である。

  まず面白いのは、日本の議論においてはこれまで「思考実験」によって想起されてきたような数々の懸念が、米国では実際にすでに起こった話として紹介されているところである。本書によって「ビッグデータによる管理社会」の悪夢面を見せつける現実のエピソードを知ることができる。「入力データが誤っていることによって仕事が低く評価され、最終的には解雇された」とか、「金融機関が持つデータベースにおいて同姓同名の犯罪者と同一視され、公営住宅に入居できない」などである。異議申立てをしてもデータが開示されないこともあるし、取り合ってもらえたとしても訂正には非常にエネルギーがかかるという。

  また、データやアルゴリズムに不備や間違いがなく、システムは合理的で正しく作動しているのに、社会には不公平がもたらされるというケースもある。履歴書における居住地区で信用度などを図ると、社会的に不利な階層ほど融資が受けにくくなり、格差が開いてゆく。居住区はたいてい人種を反映するものだ。ネットでの購入履歴からプロファイルを作り、もっとも我慢弱い・財布のひもが緩い層をターゲットとした搾取的なビジネスというものも横行しているとのこと。著者の基準ではこれも破壊的だという。

  ただし、データの間違いやアルゴリズムの不備がある不合理なシステムの話と、システムが合理的に目的を追求するために不公平があるという話とが、きちんと分けて考えられていない点は気になった。後者は広い意味での「統計的差別」だろう。読者としては、合理的でメリトクラティックなシステムが生み出した不公平のほうに興味がわく。しかしながら、著者はどちらかと言えば前者を矯正したいという論調である。まだ、AIはまだまだ不合理、ということなんだろう。

  
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学校図書館における貸出記録の目的外利用

2018-07-05 13:42:39 | 図書館・情報学
  「炎上しているらしいが、三郷市の彦郷小学校は称賛されるべき」の続き。昨日、都留文の日向良和先生フェイスブック記事のぶら下がりで、新出(@dellganov)氏と議論した話の続きをここに書く。極論めいており、書いている本人も納得してはいない。思考実験として読んでほしい。

  前のエントリでは、情報漏洩を基準にすると、学校図書館と学校の間に境界線を引くことはおかしいとして彦郷小学校の件への「図書館の自由に関する宣言」の適用を退けた。しかし、目的外利用によるある種のプライバシーの侵害があることが指摘された。図書室における本の貸借の管理を目的とした貸出記録であるのに、それを先生が読書指導に転用するのは、「自己情報コントロール権」を侵しているということになる。

  これはなるほどと思った。貸出記録に基づいた読書指導を、個人情報の目的外使用として批判することは妥当であるように思える。論点がいくつかある中で、唯一スジのよい批判に思える。しかし、同時にこの論理は重大な帰結ももたらす。先生による貸出記録の目的外使用が禁止されるならば、司書教諭や学校司書によるそれも禁止されなけれならない、という。児童の「自己情報コントロール権」は、学校図書館の運営者による読書指導に対しても制約をもたらすと考えられる。

  「先生には目的外利用を認めず、学校司書や司書教諭には認める」ということがダブルスタンダードとならない、そのような論理はあるのだろうか。目的外利用を正当化できる基準は、児童生徒の同意があるかどうかだ(「自己情報コントロール権」に対して本人の同意以外の基準があるのだろうか)。おそらく明示的な手続きを採っている学校図書館は少ないだろう。ならばまずは、児童と学校図書館との間に暗黙の合意を想定するというのが抜け道として考えられる。学校図書館の貸出記録が読書指導に使用されることについて、入学時点で合意があると見なす、などだ。しかしながら、まったく同じ論理で児童と学校との間の合意の想定も可能であろう。したがって、これは図書室の管理者と一般教員の間を区別する理論を提供しない。結局、暗黙の合意の想定は、形式的な手続きを踏んでいないので苦しい。

  むしろ一般教師と学校図書館の運営担当の間に優劣をつけるよりも、単純に「司書教諭や学校司書による、児童の同意のない貸出記録に基づいた読書指導を禁止する」方が、論理的に一貫している。禁止をデフォルトとしても、それはサービスの高度化を妨げる弊害があるものの、他の読書振興策も採ることができるので、司書教諭や司書の業務に対して致命的な制約を課すことはないはずだ。仮に禁止がデフォルトで、その後貸出記録に基づいた読書指導をしたいとしても、そういった指導をはじめるのにそれほどコストがかかるようには思えない。その旨を事前にアナウンスするなどなんらかの同意を得た形をとればよいだけだからだ。そのようなアナウンスをすると図書室利用者が少なくなる可能性もあるが、それはプライバシー保護とのトレードオフであり仕方がない。

  禁止のデフォルト化はやりすぎだと感じられるかもしれない。それを可能にする別の解釈は、「学校において貸出記録はそもそも読書指導に使用される情報源として位置付けられるのが常識的であり、目的外利用の際に児童生徒の同意など必要ない」、というスタンスを採ることである。このとき貸出記録とは、教育的関心から隠されるべきプライバシーではなく、教育上の観察対象であるということだ。これならば、貸出記録をもとにした児童への同意なき読書指導を続けることができる。しかし、このような見方がどの程度支持を受けるのだろうか。僕にはよくわからない。

  いずれにせよ、学校図書館と学校の間、あるいは一般の教員と司書教諭・学校司書の間に児童のプライバシーをめぐる境界がある、というわけではないことだ。一般教員に当てはまるならば司書教諭や学校司書にも当てはまり、学校に当てはまるならば学校図書館にも当てはまるという話である。児童の人権からアプローチするならば、学校そのものだけでなく、学校図書館の運営に従事する教職員の活動も制限されることになる。しかし、必ずそうなってしまうのだろうか。現時点でのアドバイスできることは、学校側は「学校図書館の貸出記録は読書指導の参考にされることがありうる」とアナウンスしておくことだ。
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炎上しているらしいが、三郷市の彦郷小学校は称賛されるべき

2018-07-03 16:12:20 | 図書館・情報学
  三郷市の学校図書館についての紹介記事が炎上しているらしい。僕にも首を突っ込ませてほしい。発端はハウスコムが運営するサイトLivin Enterteinmentの記事「1年間で1人あたり142冊もの本を読む埼玉県三郷市立彦郷小学校」で、同小学校は児童の学校図書館利用履歴のわかるデータベースを作って読書指導に利用しているという1)。記事は同小学校を読書教育を成功に導いた美談として採りあげている。だが、この話がプライバシーの保護をうたう「図書館の自由に関する宣言」に触れるということでネット上で批判されて炎上し、キャリコネニュースを通じて校長が謝罪する顛末となっている2)

  まず断っておくと、僕は「図書館の自由」の適用対象に学校図書館を含めることは妥当ではないと考えている。別件でそれについて述べた。しかし、疑問に感じたのは、今回の話はそもそも「図書館の自由」案件なのだろうか、ということである。

  学校図書館にとって学校の先生は、「図書館の自由に関する宣言」でいうところの「外部」なのか?読書指導のために貸出履歴が先生に知られることはプライバシーの侵害ということになるのだろうか。そうは考えられない。読書指導は学校図書館の運営の一環であり、したがって彼らは内部の人たちだと言える。また通常、成績などの児童生徒の個人情報は、学習指導が利用目的であるならば学内では共有可能な扱いとなっていることだろう。学校図書館の利用記録が、そうした個人情報とは異なる扱いを受けるべき特別な情報だとみなすことはできない。いったい、どのような実害があるというのか。しかも利用記録のデータは学校図書館の範囲内であって、家庭での読書を対象としていない。このデータが学外に漏れたら問題となるのは間違いないけれども、学内で先生たちに指導目的で開示されるというのは正当だと思える。

  なお、キャリコネニュースによれば、彦郷小学校側は児童の学校図書館の利用回数と読書ジャンルを把握しているだけで、読んだ書籍のタイトルを把握しているわけではないとのことである。これで安心なのだろうか?いや、そうじゃないだろう。それぞれの児童に合わせた綿密な読書指導を試みるならば、読んだタイトルまで教師が把握しておいたほうが良いはずである。ジャンルとか利用回数だけでは適切な推薦などできないだろう。データベース化しているならば、成績などとも連動させて分析できるはずだ。データが活用されて学力向上のためにより効果的な読書指導が展開されていくのは、学校図書館にとって望ましい話である。

  もう一つ別の論点があった。「大人による読書指導がキモい」という話だ。僕も中二のとき、親から吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を読むよう薦められて「ケっ」と思ったクチだ。親が買ってきた岩波文庫版は、しばらく積読にしてその後こっそりと売り払った。中身は読んでないので何も言えないが、メッセージ性に溢れた本を我が子に読ませようとするという親の振る舞いが、説教の別バージョンのように感じられて嫌だったのだ。なので直感的には読書指導に反発したくなるのはよくわかる。

  しかし、そうだからと言って親や教師は読書指導をやめるべき、ということにはならないだろう。子どもに本が紹介される機会などたくさんあるわけで、友達先輩知人の誰それから、twitterでフォローしている有名人から、目にしたドラマや映画の原作から、Amazonのレコメンドからなどなど。親や教師のように権力上の関係がないから反発を呼びにくいけれども、それらだって子どもを特定の読書へ導こうとする行為であって、趣味嗜好やイデオロギーに介入しようとしているということには変わりない。親や教師だけそれを控えるべきだということにはならないだろう。それが子どもの側の反発を呼び起こすならば、効果的な方法でなかった、というだけのことだ。先生がやるより機械にやらせるほうが「主体的な選択」がなされたかのように感じられてよろしいというなら、推薦をAI化するというのもありだろう。みんな喜んでAmazonのレコメンド商品を買っているのだし。
  
  というわけで、これは称賛されるべき案件だろう。学校図書館が当の学校の教育と無関係な聖域であるかのようにみなすのは、学校図書館を学校にとって面倒くさい存在にするだけなので、やめたほうがいい。というかやめてくれ。図書館が忌避されるようになるだけである。的外れな理論で成功している読書指導を殴りつけることは、その学校の児童にとって不幸な話でしかない。個人的に見聞きした範囲では、校長先生が学校図書館に関心を持ってくれて、担任の先生が個別児童の読書指導をしてくれるなんて、全国的にみればけっこうまれなことである。学校図書館への無関心こそ、読書に価値を置く人たちが避けたいことのはずだ。

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1) Livin Enterteinment 「1年間で1人あたり142冊もの本を読む埼玉県三郷市立彦郷小学校」 (2018.6.29)
  http://media.housecom.jp/misato/

2) キャリコネニュース 「三郷市の小学校の読書促進策に批判殺到「担任が児童の読んだ本を把握し個別指導」って本当?」 (2018.7.2)
  http://media.housecom.jp/misato/
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